明日は明るい
涙でびしょ濡れになってしまったムギの顔を、マムートはそのへんの布で大雑把に拭いた。手は器用に動いても、女子の扱いは不慣れだ。それが寧ろ気取らない彼らしい。
「腕の痣は明日、神殿に見せに行こうな」
ムギの右腕を、マムートはじっと見つめる。
うなずきながらも、ムギはカーディガンを引き寄せた。自分で見ていても、気持ちのいい見た目ではない。マムートも嫌だろうと、右から先に袖を通す。
「待て。もっとちゃんと見せてくれ」
マムートはカーディガンを着かけたムギの腕を掴み、肩口を引き下ろした。
思わず叫びそうになったムギだが、まじまじと赤紫色の痣に視線を這わせるマムートの真剣な顔を見たら、恥じらうのも的外れなようでぐっとこらえた。他意なく乙女を恥じらわせるマムートを、どう躾けたものかは、後で考えることにした。
「ねぇ、マメタ。そろそろ……。伝染るものではないと思うけど、わからないし……。それに、気持ち悪いでしょ……?」
無意識に隠したがるムギの腕を、マムートは離さない。まったく気味悪がりもせず、痣を撫でるまでした。
「戦いでついた傷が気持ち悪いもんか。立派な勲章だ」
「うう……っ。マメタが眩しすぎるよぉ……」
実際、眩しかった。マムートに触れられた部分が、ほのかに光を宿したのだ。
光は瞬く間に、痣をすべて包み込む。
一度だけ強く輝くと、引き絞るように少しずつ収束し始めた。光の波紋が揺らいで消えていくのに合わせて、痣も色が薄くなっていく。
そして、やがては跡形もなく痣を消し去ってしまった。
「マメタ、なにをしたの!?」
マムート自身が驚き、戸惑っている。ワトゥマ同様、魔封じスキルが発現した可能性がある。ムギはすかさず鑑定眼を使ってみたが、新しい項目は追加されていなかった。
「じゃあ、いまの光は……? 呪いは、どうなったの?」
マムートと顔を見合わせたその瞬間――。
「ムギ様、お待たせいたしましたですの! ご安心くださいませっ!」
扉が勢いよく開き、衝立も倒さんばかりに真っ白な毛玉が飛び込んできた。ワトゥマだ。
「にに様を躾けていただくために、ローディス坊ちゃまをお呼びしましたの!」
「えっ、な、なんで……!?」
「もうすぐ参られますの……あら?」
寝台の上にいる二人を見て、ワトゥマは目をみはった。内から喜びを開花させるように、ぱぁっと顔を輝かせる。
「仲直り……されましたの?」
「えっと……、うん。もとから仲良しだよ。心配かけてごめんね、わたあめちゃん」
「平気ですの! 後で、ちょっとだけ、にに様にはワトゥマからお説教ですけれど!」
くるりと背を向けると、ワトゥマは再び駆け出した。
「ローディス坊ちゃまーっ! 大丈夫でしたのー! すっかり仲直りして、いちゃいちゃでしたのー! ガイアス様には内緒でお願いいたしますのー!」
ワトゥマの嬉々とした声が、廊下に響き渡る。
寝台の上で手を取り合った二人を、おませなワトゥマは大いに好意的な解釈で受け取った。
その斜め上すぎる寛大さは、誤解という名の弾丸となり、ヴァルド家の王都屋敷を全速力で突き抜ける。
「ちょ、ちょっと待って……っ。誤解……誤解ですー!」
慌てて追いかけてはみたものの、ローディスとワトゥマの姿は見当たらない。声を頼りにムギは屋敷中を走り回った。
ワトゥマを部屋へ連れ帰る頃には、すっかり汗をかいてしまった。もう一度お湯を使わせてもらうことになったり、状況を理解していないマムートに噛み砕いて説明したりと――。なんとも恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分を、ムギは布団に潜り込んで誤魔化した。
胸はまだどきどきしている。妖犬たちに聞こえてしまいそうで、ムギは両手で胸を押さえた。
掛け布団の下の、薄い闇のなかで白い寝巻きがほのかに光って見える。それに対して痣のあった右腕はもう、輝いては見えなかった。
あれはなんだったのかと、改めて気になりムギは布団から腕を引き抜いて、鑑定眼を使ってみた。
目を背けたくなるほど、はっきり記されていた「状態異常:呪い」の項目が消えている。代わりに、見覚えのない「ステータス履歴」なるものが追加されていた。
ムギの鑑定眼は、気になる項目に意識を集中すると、詳細が表示される。今も、履歴にカーソルを合わせるイメージで視線を動かすと、これまでのステータス変化がずらりと表示された。
大半が「動悸」「赤面」「発汗」の状態異常で埋められている。いかにムギが動揺ばかりしているのか知らしめられるようで、ますます恥ずかしくなってしまった。
いたたまれない気持ちになりながら、「呪い」の文字に目を留める。
ご丁寧に新着順で表示されていたので、案外すぐに見つかった。
『解呪条件を満たしたため、呪いが打ち消されました』new!
マムートの力ではなく、知らぬ間に何かをしていたらしい。
さらに、それよりも直近の出来事として、このような文言もあった。
『乙女の恥じらいの幸運効果により、鑑定眼が強化されました』new!
履歴が追加されたのも、スキルがレベルアップしたためかと、ムギは自分を納得させる。
スキルが強化された今なら、以前は見られなかった呪いの詳細もわかるかもしれない。そこで今度は、呪いの文字に意識を集中させた。
『呪い:痣が全身に広がると、本能的に人々を恐れさせ、愛する者にすら疎まれるようになる。誰にも見られず、触れられず――絶望の果てに、心臓が潰れて死に至る』
思った以上に恐ろしい呪いだった。
途端に寒くなったムギは、枕元のワトゥマを布団に招き入れる。ムギの腕枕で、ワトゥマは大喜びして眠り直した。この温もりがなければ、とても続きを読む勇気は出せなかった。
ごくりと唾を飲み下して、もう一度鑑定眼を開く。呪いの説明文は、さらにこう続いていた。
『だが、もしも――。どんな姿も受け入れ、心から労わる者が痣に触れたなら、呪いは解けるだろう』
ムギははっとして、ワトゥマを起こさないように上体を起こした。
マムートの温もりを、足のそばに感じられる。
ムギの呪いを解いた温もりだ。
「……ありがとう」
小さくだが心を込めて囁くと、ムギは静かに横になった。
寄り添う兄妹の温もりに、身も心もふわりと包まれるようだ。ゆったりと眠気が訪れる。
蛇の影にうなされることもなく、ムギは久しぶりに朝まで穏やかな眠りに身を任せた。




