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マムートのムギ。ムギのマメタ。



「確かに……ムギに庇われた時は、自分を不甲斐なく思った。だが俺はあの時、もっと別のことを考えていた」


 噛み締めるようにマムートは言葉を紡いだ。


「自分が守られて初めて、ムギが言った言葉の意味を、真に理解できたんだ。ありがとう」

「え――?」


 ありがとう。マムートの一言が、ムギの胸の奥をざらつかせた。小さな違和感が、胸の奥にじわりと広がっていく。


「これはきっと正しい言葉じゃないと思う。だが、ムギ――。お前がいなければ、気付けなかったことだ。だから俺は、そう言いたいんだ」

「マメタに、感謝されるような人間じゃないよ……」


 小さな声だった。照れでも謙遜でもなく、本心からの自己否定だ。

 マムートの温かな手が、勇気づけるようにムギの肩を揺さぶる。


「お前は自分を卑下しすぎだ。もっと誇っていい。ファムプールの救世主で、俺とワトゥマの主人なんだぞ。ちょっと頼りなくて、変わってるところもあるが、それもお前の優しさと芯の強さの裏返しだと、俺は思ってる」

「……そんなんじゃないよ」

「お前、普段は臆病なのに、他人のためとなると危なっかしいところがあるからな。これからは、俺ももっと気をつけて見守るようにするし、お前ももう隠し事はよせ。わかったか?」


 小言のように言いながらも、マムートの声にはいつもの温かみが戻ってきた。

 まっすぐな言葉が今は痛くて、ムギは顔を上げられなかった。


「そんなんじゃ……ないんだよ」


 うつむいた拍子に、ぽつりと涙が落ちる。一粒、二粒とこぼれる涙と一緒に、隠し続けた思いが言葉になって溢れた。


「誰にだって強くなれるわけじゃない。マメタだから、守らなくちゃいけないって思ったの」

「俺だって、ムギだからだ」

「違うの。わたし、知ってたの……マメタが、蛇に噛まれて死んでしまうって――」


 静寂に……ひときわ重く、ムギの言葉が沈んだ。


「わたしが読んだおとぎ話は、わたしが書いたもので、あの妖魔も……わたしが生んだものなんだよ」


 ムギは懺悔するように、この世界に来た経緯とエンシェンティアの物語について吐露した。

 にわかには信じられない様子で、マムートの眉がしかめられる。


「俺たちが……、おとぎ話の存在だって言うのか?」


 慎重に言葉を選んで問いかける姿は、口にするのを恐れるかのようだ。


「ううん……。わたしを転生させた神様のお話だと……物語をもとにした、確かに存在する世界らしいの。わたしがこの世界に来て出会ったのは、文字のうえで育てたマメタにそっくりな……触れることのできるあなただった。だからこそ、マメタの結末を変えたかった。わたしが犯した罪を拭いたかったの……」

「信じられるか。ただ似ているだけの偶然だってあるだろ」


 ぐっと両手を握り合わせ、ムギはマムートを見上げた。


「じゃあ……ノルファリアで初めてあなたと出会った()()だったら、知るはずのない()()()の話をしたら……信じられる?」


 マムートが眉をしかめるたび、ムギの胸と右腕はずきずきと痛んだ。

 マムートに納得してもらうための証拠――。それを伝えるため、ムギは物語の記憶を手繰り寄せた。

 たとえ書き換えられた世界だとしても、キャラクターが同じである以上、根本にあるアイデンティティは変わらないはずだ。


「マメタは……小さい頃、捕まえた獣の骨とか、きれいな丸い石を宝物にしていなかった? 巣穴から十歩歩いた岩のかげに隠していたよね?」


 マムートの黒目が大きく見開かれ、息を呑むのがはっきりとわかった。

 もうそれで十分だったが、ムギは呼吸を落ち着け、続けて言葉を紡いだ。


「わたあめちゃんの、初めて抜けた歯も、大事に隠しておいたね。お父さんが帰ってきたら見せるんだって」


 だが大雨が降った日に、宝物はすべて流されてしまった。

 マメタは泣きながら雨水の軌跡を辿り、やがて増水した川へと足を滑らせてしまう。

 窮地を救ったのが、ちょうど里へ帰る途中の父だった。そばには契約を結んだ人間の姿もあり、我先にと川へ飛び込んだのは、なんとその人間だった。


「お父さんのご主人様は、自分も濁流に流されながらマメタを投げ渡したんだよね。お父さんは、ご主人様を助けるよりも、我が子を岸に上げることを優先した。それは……ご主人様なら大丈夫、って信じていたからなんだよね」


 そのあと、みんなで焚き火を囲んで長旅の土産話を聞くのだ。

 信頼で結ばれた父と人間の姿を見ていたマメタは、かねてより抱いていた父への憧れをより強めたのだった。


 話した覚えのない思い出を、一言一句違わずにムギの口から語られて、マムートは言葉を失っていた。


「まだ、あるよ……。マメタの大好物は、猪のすじ肉の部分。父子(おやこ)で狩りをすると、兄妹でご褒美にもらえたんだよね」

「……ああ。お前の言う通りだ」

「じゃあ……、わかったよね? わたしが、救世主なんかじゃない、ずるい人間だって……」


 言葉にするほどに、自己中心的で自己満足な行動力でしかなかったと、自分自身に突きつけられるようだ。

 長い沈黙のあと、マムートはゆっくりと口を開いた。


「だが……全部が全部、ムギの知っている俺じゃない。ムギと出会って、変わったから俺はここにいるんだろ?」


 その目はまっすぐで、いつになく真剣だった。


「お前は、今の俺の好物を知ってるか?」

「猪肉、だよね?」

「違う。今は、リーヴェの森で獲った川魚が一番だ。朝起きて散歩して、獲れた魚をお前が焼いてくれる。それをみんなで食べるのが美味いんだ。お前が俺に、新しいことを教えてくれたんだ」


 マムートの口元が、ゆるやかにほころぶ。それは何かを悟ったような、どこか晴れやかな顔だった。


「お前が俺を知っていると言うように、俺も今、本当のお前を知った。たとえムギが……普通とは違う場所から俺を見ていたんだとしても、俺のお前への信頼は変わりやしないんだ。この世界で生まれて、お前と出会って、お前を主人に選んだ。それは俺の意志だ。筋書きがあるからじゃない」


 嗚咽を殺すように、ムギは唇を噛んだ。


「だから、もうそんなに自分をいじめるなよ。自分を卑下するってことは、お前を好きな俺やワトゥマの気持ちまで否定することになるんだぞ?」


 胸の奥で絡まっていた靄のようなものが、マムートの言葉でひとつ……、またひとつと溶けていく。

 ムギはようやく顔を上げた。涙がとめどなく溢れて、マムートの顔がよく見えない。

 それなのに、マムートのまっすぐなまなざしは不思議と感じ取れた。


「わたしは……マメタを特別な理由もなく、死なせたんだよ。嫌じゃないの?」

「だから、必死に変えようとしてくれたんだろ? それだけでもう償いは済んでる」


 マムートのその一言で、ようやくムギは自分を赦せるような気がした。

 喉を詰まらせながら、ムギは声を絞り出す。


「ありがとうは……わたしのほうだよ」


 こんなとき、いつもなら「ごめんね」が口をついて出ていた。

 けれど今は、マムートに教えられたこの言葉を使いたいと、ムギは心から思った――。





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