聖女誕生秘話
ムギは無言で頭を抱えた。
聖女リリベルに邂逅した途端、彼女の口で次から次へ、新事実が投下されていく。ムギは激流に流されないように、しがみつくので精一杯だ。
頭にやった手で、視覚と聴覚を遮断し、リリベル情報のアップデートに集中する。
・聖女リリベル
三年前、水害により被害を受けた王都近郊の村や町を食糧危機から救った人物。
マリエルの手記らしきものを所有し、公表されるや、瞬く間にノルファリアの歴史を塗り替えた。
今年の収穫祭では、ヤマガサキ春のパン祭りを模倣したイベントを企画→自身も転生者で、ヤマガサキ製パン社員を名乗る。
案内は見習いの神官たちも混ざって行なっている。その神官見習いに紛れていた→自ら企画したイベントで、転生者のツッコミ待ちをしていた模様。食えないタイプ?
神殿ではなく王城にいる。
マリエルの手記(真偽不明)の原本を所有→リリベル自身が書いたらしい。中身は超ド級の官能小説。
自称日本人の水木悠里さん。ボクっ娘?
小説を書くのが趣味、ENaにも投稿している→ユーザー名は水無月あやめ。↩︎
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一通りの情報を打ち込んで、ムギはなお頭を抱えた。
(リリベル様は転生者で……水無月あやめ先生……?)
尊敬していた人物がラスボスパターン。定石といえば定石だ。
だが、今はそれよりも――。
ムギは、足元のマムートとリリベルを交互に見つめた。特にリリベルには、懇願するように目で訴え、それ以上言わないように首を振る。
リリベルは、通じ合うものを感じ取った様子で頷くと、ふっと余裕の笑みを浮かべた。
「転生者であることは秘密……ってことですね? ボクも同じです」
「あ、あの、ですから」
「大丈夫ですよ。彼はきっと、ボクたちの言葉をひとつも理解できていないはずです」
やけに自信たっぷりに言い切るが、それで安心できるムギではない。
不安を抑えきれない目でマムートを見ると、頻繁に首を傾げていた彼が、ふんと鼻を鳴らした。少し拗ねているのか、目つきがいつもより険しい。
「マ、マメタ……あのね」
『なぁ、ムギ。お前たちはなんで、さっきから変な言葉で喋っているんだ? この子供は、さっき広場で会った子供だよな? 俺にもわかるように説明してくれないか』
「えっ……? な、なに? なんて言ったの?」
マムートが聞き慣れない言葉を発したので、ムギは首を傾げて聞き返した。なにか問いかけているのは口調からわかるが、単語のひとつも聞き取れない。
するとマムートも、鏡のようにムギと同じ行動を返した。マムートには逆に、ムギの言葉がわからないようだ。
「無理もありませんよ。盗聴防止の魔法をかけた部屋ですが、万が一を考えて、翻訳を妨げる魔法もかけてありますから」
ムギが首を傾げ直すと、リリベルは当然の反応だと頷く。
「ボクたち転生者は、読み書きは別として言語が勝手に翻訳されてしまうようです。秘密の話がしたいなら――翻訳されていない、ボクたちだけの言葉で、話すのが安全でしょ? 気づいていますか? この部屋に入ってきたときからずっと、ボクもあなたも日本語で話しているんですよ」
ムギは驚くあまり、声も出なかった。
改めて聞いても、リリベルの言葉が日本語なのか、翻訳された言葉なのかなんて区別がつかない。
「試しに、こちらを読んでみてください」
リリベルは棚からてきとうな書物を持ってきて、ムギに手渡した。「マリエルの手記?(R18)」を一旦置いて、綺麗な装丁の本を受け取る。
表紙にはエンシェンティアの文字が並んでいるが、なんと書いてあるのかわからない。今まで鑑定眼で可能になっていた読み書きが封じられてしまうと、創造主といえども記号の羅列にしか見えなかった。
ムギは改めて「手記(仮)」を手に取る。
「じゃ、じゃあなんでこれは読めるの……?」
「日本語で書きましたから。ね? だからここではお互い、他には言えないことを話したりしませんか?」
リリベルは安心させるように微笑んだ。見た目は幼いながら、どこか年長者のような頼もしさを感じさせる。
一方で、置いてきぼりなままのマムートは、もどかしげに耳を伏せている。後でどう説明すればいいだろうかと考えつつも、今はリリベルに聞きたいことが山ほどある。
心でマムートに謝りながら、再びリリベルに向き直った。
「ほ、本当に……しいじゅくの水無月あやめ先生なんですか?」
「はい」
「で、でも……! 三年前にこちらへ来たなら、更新はどうされていたんですか。わたしは半年前まで毎日、あやめ先生の作品やエッセイも読んでいました。カフェの期間限定メニューとか……予約投稿じゃ説明できないお話がありますよね?」
「そうですね。そのへんのタネ明かしも含めて、ボクが転生に到るまでの話をしましょうか――」
……
…………
――ボクが転生……いえ、もう率直に言いましょう。死んだのは、間違いなく三年前です。
ボクはその日、G県にあるヤマガサキの工場から商品を積んで、Y県の納品先へ向かう途中でした。
数日前から、三月にしては異例と言える暖かさが続いていて、東北でも桜が開いた――なんてニュースが、FMからは聞こえていました。
途中で通るS峠の桜並木も、蕾が膨らんでいる頃かな……と期待を抱き、ボクはトラックを走らせました。
でも結局、S峠の桜がどうだったかは、知れずじまいになってしまったんですよね。
S峠を越えようというときでした。
もう少しで桜並木が見える――わくわくして、お尻はシートから浮いていたと思います。
突然、前を走っていたライトバンの姿が消えました。フロントガラスがなにかに覆われ、視界を奪われたんです。
それが、斜面を滑り落ちてきた土砂だとわかったのは、どうしようもなく身動きが取れなくなってからでした。
土砂に埋まった後も、ボクはしばらく生きていましたが、救助作業は難航しているようでした。
冷たい土の向こうから、必死に呼びかける声が聞こえました。けれど、土砂にすっかり埋もれて、返事をすることもできず……。スマートフォンが胸ポケットで震えても、指の一本も動かせませんでした。
じわじわと首を絞められるように、だんだん息ができなくなり、苦しさに意識を手放したら――。
『水木悠里。この度あなたは、三十ニ年の生涯に幕を閉じました』
『しかし幸運なことに、あなたはわたしと出会えましたね』
『あなたをこれから、第二の人生にご招待いたします。わたしは変換の女神。死に際の後悔を、次の人生に持ち越すことのないよう、力に変換して授けましょう』
のぼり旗級の特大転生フラグを掲げて、そのひとは現れたんです。
……
…………
「そ、それって……金髪で、アール・ヌーヴォーな雰囲気を漂わせた美しい女性で、暇つぶしのために転生をゴリ押ししてくるけれど、こちらの要望には曲解が過ぎるかたでは!?」
「あ、そう、そのひとです」
いまもこの様子をどこかで眺めて楽しんでいるのかと思うと、ムギは腹が立つのも通り越して、どっと疲れに襲われた。
それに、女神のことだけではない。S峠の土砂崩れ事故は、ムギのなかでも特に印象に刻まれた災害だった。飲み込まれて犠牲となったトラックの前を走っていて、事故を免れたのが実の父であったからだ。
ムギが黙り込んでしまったので、リリベルは話を続けた。
「それで――ボクは迷わずフラグに飛びつきました! 夢でもなんでもいい。人生が一度きりなら、死も一度きり。こんな面白そうな経験、二度とできないじゃないですか! 選ばれたボクは特別なのだと思いました」
だが、誇らしげな悠里に、女神は告げたという。
『あなたが導かれたのは時の運。特別だからではありません。前の当選者が転生を辞退したために、たまたまあなたにお鉢が回っただけなのです』
「それでも十分、特別ですよね? もはやこれはボクの運命だと思えたのです」
そうして悠里は、転生をあっさり受け入れた。だが、さすがに故郷の母や友人の顔が頭をよぎり、未練もちらついたという。
本人は別の世界で生き続けるのに、彼らに癒えない悲しみを残してしまうのだと思うと、なにも伝えられないことがとても後ろめたかった。
「それで、ボクに与えられたスキルが……これです」
リリベルは祈るように手を合わせた。すると、擦り合わせた手のひらに、薄い板のようなものが現れた。
ムギの眼前にそっと掲げられたそれは、エンシェンティアに似つかわしくないデザインをしている。
どこからどう見ても、某グリーンアップル社製のスマートフォンだった。
『なるほど。いつでも身内と話せる力があれば、安心できるのですね』
得意の曲解で、女神が授けたスキル――それがこの「もしもしポータル」だ。
互いに面識のある人物であれば、異世界の壁も電波も越え、魔力で具現化したスマートフォンを介して、連絡が取れるチートスキルである。
「もしもし、ボクだよ、ボク。転生したけど元気にやってるからね――って突然連絡して、信じる人間は何割でしょうね。むしろ傷に塩を塗りこむように思えて、いまだに田舎の両親と連絡を取ったことはありません」
「そうですよね……。じゃ、じゃあ、あやめ先生はスキルでENaの更新を?」
明かされていく水無月あやめの姿に、恐れを孕みながらも、ムギの瞳には隠しきれない興奮の色が宿る。
読者を名乗る同胞に、そんな姿を見せられたリリベルも、嬉しげに頬を紅潮させた。
「うーん……ふふっ! では水無月あやめの真の姿をお披露目するのは最後。お楽しみに取っておきましょう」
もったいぶって片目を瞑り、リリベルはまた話し始めた。
「なんの因果か……転生したボクは、泥に埋もれた村に立っていました。ひどい水害に見舞われたようで、明日のパンもない子供たちは、泣く力さえなく、空を見つめるばかりでした」
「そこで奇跡を起こし、聖女と呼ばれるようになったと聞いています」
「はい。この、もしもしポータルに付随して与えられた、もうひとつのスキル。それが奇跡の正体です」
リリベルはスマートフォンを操作する。するとほのかにテーブルの上が輝き始めた。
「ボクは土砂のなかで、外からの呼びかけに応えられず、近くにあるのに触れられないスマホと最期を迎えました。その届きそうで届かない虚しさを、女神はこの……お取り寄せスキルに変換したんですよ」
リリベルが「どうぞ」と薄れゆく光を示す。そこには、紙パックの茶と煎餅が並べられていた。
思わず呼びかけたくなるようなネーミングの、よく見る黄緑色のパッケージのお茶だ。煎餅はサラダ煎に、雪をイメージしたアイシング風の糖蜜がかかったもので、こちらも定番商品である。
ムギとマムートは驚くタイミングこそ一緒だったが、中身はまるで別のことを考えていた。マムートにとっては、見たこともないものばかり。しかしムギは見慣れたものが、エンシェンティアに存在することに驚愕した。
リリベルは自ら茶を飲み、煎餅をかじって一息つく。
「動植物はダメとか、ある程度の制約はありますが、たいていのものはあちらとこちらを行き来させることができます。これは、ボクん家のストックからです。どうぞ遠慮せず。ゴミも回収しますから、心配しないでください」
「い、いえ……遠慮とかじゃなく……。すみません、混乱してます」
「ですよねぇ。ボクも正直、最初はなんじゃそりゃって思いました」
リリベルは、初めて苦笑を滲ませた。
「それで、ボクはこの力を使って、なにをしたと思います?」
「取り寄せの力で、できること……というと」
「ヒントはS峠土砂崩れ事故で、現場から消えたものです」
ムギは記憶の蓋を開ける。二次災害の危険から土砂の撤去は難航し、運転席が露わになるまで実に八日を要した痛ましい事故だった。
現地に駆けつけた遺族が、遺体だけでも帰ってきてくれてよかった――と頭を下げながら語る姿が、お茶の間の涙を誘った。
その一方で、回収されたトラックの積み荷が空っぽになっていた事実が公表され、ネット上では様々な憶測を呼び、パンが神隠しにあったなどと面白おかしく騒ぐもので溢れた。
「ま、まさか……トラックのパンを取り寄せて、こちらで配ったんですか!? そ、それは横領では……」
「だってどうせ廃棄になってしまうんですよ? それなら、困っているひとに役立ててほしいじゃないですか」
食糧難に瀕した人々が、なにもないところからパシュルの類を取り出す少女に奇跡を見るのは、人間の心理として仕方なかったはずだ。
だが、見慣れた菓子パンを手にする聖女の姿を想像してみたムギは、奇跡と呼ぶには少し滑稽な光景に思えるのだった。




