聖女リリベルの中の人
『MEMO 新着記事』
『ヤマガサキ製パン株式会社は、S峠土砂崩れ事故から三年を迎え、犠牲となった同社のドライバーを悼み、事故発生時刻に社員一同が黙祷を捧げた』
『なお、この事故では、トラックに積まれていた配送途中の商品が土砂のなかからひとつも発見されず、大きな謎を残したことから、ヤマガサキ神隠し事故などとも呼ばれ、事故当時――春のパン祭りとあわせてSNSではお祭り騒ぎとなった』
『不謹慎――と、私が強く感じるのは、この事故で犠牲になったドライバーが、たまたま友人であったからだ』
『友人でなかったなら、私もこの事件を怪奇事件として扱い、映える記事に仕上げたのだろうか』
『ひとは、己から遠くにある痛みに鈍感なものだ。いまいちど、己を見つめ直すためにも、私はこの事故を忘れずにいたい。そして、友の冥福を心から祈っている』
『この記事を書いた人/月島蘭子』
藤色の髪は、しっとりと背中に垂れる。先刻まで頭巾に収まっていたというのにクセひとつなく、素直そうな顔立ちを際立てている。
ボンネットのように頭頂部にあしらわれた花々は色とりどりに華やかだが、決して主張しすぎることはない。むしろ、聖女の肩書きにふさわしい清らかさを演出していた。
(本当に……この子が聖女様で、本当に……さっき会った子なの!?)
ムギはまだ信じられず、リリベルの容姿から目が離せない。それくらいに印象が違ったのだ。
ぽってりした太めの眉の形はそのままながら、子供特有の野暮ったさが取り払われ、垢抜けた雰囲気の化粧に仕上げられている。
いや、化粧の濃さで言えばむしろ、見習い姿のときのほうが念入りに施されていたのだろう。
ひとつひとつ描き込まれたそばかすを洗い流した肌は、剥いた白桃のように瑞々しく、内から輝くかのようだ。
いつのまにか、リリベルの愛らしさにすっかり見惚れてしまったムギの手を、小さな手が引っ張った。
リリベルが無邪気に手を引いて、ムギをソファへ誘う。仕草に垣間見える子供らしさが、二人の少女は確かに同一人物なのだと言っているようだ。
心をほぐすような笑顔になにも言えないまま、ムギはソファに座らされてしまった。
「あ、あの……」
「そう警戒しないでください。わたくし、あなたのようなかたを、待っていたんです」
「わたしみたいな……って」
リリベルが、意味深に目を細める。
「外には洩れないよう、部屋には二重、三重に術をかけてあります。本音でお話いたしましょう」
彼女が表に知られたくないことに心当たりがありすぎて、ムギはさっきから動悸で胸が苦しかった。マムートはマムートで、右に左にと首を傾げるのに忙しい。
「し、失礼ですが……。あなたが聖女リリベル様である証拠は?」
「あら。こうしてお話できていることが、なによりの証明なのですが……。そうですねぇ。ではまず、こちらをご覧ください」
リリベルは書棚から一冊の本を持ち出してくると、ムギに手渡した。
表紙らしき部分にはタイトルなどはない。素人の手で簡易的に製本された様子が、はみ出したページからも見て取れ、一般に出回っていないものとだけはわかる。
「これは……?」
「マリエルの手記――と言われているものの原本です。どうぞ、なかを検めてください」
ムギの理想郷を壊した元凶とも言える代物が、あまりに簡単に手元にやってきて、混乱は加速するばかりだ。
見たいような、見たくないような――相反する思いを抱えながらも、ムギの指先はいつでも表紙をめくれる状態で止まっている。
どうぞ――リリベルが囁くと、魔法にかけられたように、ムギの手が勝手に動いた。
ゆっくりと、最初のページがめくられる。
ムギはその光景を、扉が開くさまに似ていると思った。
質のよくない紙に、殴り書いたような文字が踊る。
リリベルの小さな手から生まれた文字にしては、もはや乱雑とまで言えるほど力強く、勢いのままに綴られた荒々しさが滲んでいる。
判読が難しく、そもそも聖女が書いたもののイメージともかけ離れていた。
マムートも興味深げに覗き込んではみたものの、数行読んだだけでお手上げ状態だ。
(ええと……。黒き狼の王は……魔女の手を取り……)
ムギはどうにか、読める単語を拾いながら文章を繋げていく。心で音読するように、ゆっくり丁寧に文字を拾い上げていくうちに、言葉が意味をなし始め、頬がじわじわと赤くなっていく。
(こ、これは……! も、もしかして、え……えっちな小説では……!?)
ムギがちょっと頬を染めながら読める範疇のTL小説ではない。
ENaで公開すれば即強制非公開、最悪アカウント停止も免れないレベルの、不純度100パーセントである。
獣人の王と平凡な娘のファンタジックなラブストーリーが綴られてはいるものの、本筋は紛れもなく官能小説だった。
「え……、あの……え? これ……誰が……書いたんでしたっけ?」
(まさか、マリエルなはずない! どうか違っていて!)
願いを込めながら恐る恐る顔を上げると、リリベルはにっこり微笑んだ。
「もちろん、わたくしが書いたものです」
「嘘ですよね……!? だって、これ……!」
子供が書けるとはとうてい思えなかった。いや、ムギにしたら、こんな愛らしい子供が書いたとは思いたくなかった。
直接的な言葉こそ避けられているが、描写があまりにもリアルなのだ。
婉曲的な表現が美しく織り込まれるほど、むしろ背徳感を増す――計算され尽くした筆致。これを「早熟」だとか「子供の背伸び」と片付けるには無理があった。
「過激すぎて問題はあるけど、文体が水無月あやめ先生に似てて好き……」
混乱のあまり、思考がぽろりとこぼれてしまった。
リリベルが興味津々に首を傾げる。
「三日月ではなく、なんと仰いまして?」
「あ、えっと……すみません。水無月先生は、わたしの推し作家様でして……。ああっ、『虐げられ熟女』、あの後どうなっちゃったのかなぁ……もう完結しちゃったかなぁ……はっ!!」
駄々洩れになった心の声をようやく自覚し、ムギは反射的に自分の口を塞ぐが、時すでに遅し。
リリベルは突然歓声を上げ、ぱあっと顔を輝かせた。
「嬉しい! やっと出会えたお仲間が、まさか『しいじゅく』も知っているだなんて!」
さっきまでの達観した雰囲気はどこへやら、ターコイズブルーの瞳が喜びに爛々と光る。
高揚するままテーブルに身を乗り出すと、ムギの手をぎゅっと握った。
「やっぱりあなたも、あちらのかたですよね!?」
「え、えっと……」
「ああっ、ごめんなさい。まずは改めて自己紹介しないといけませんね」
ムギが言葉に詰まるのを、警戒ゆえと勘違いしたリリベルは、ぱっと手を離す。
ふわりと広がるスカートを優雅に押さえてソファに座り直すと、少しおどけるように笑んで咳払いした。
「ここからは、素に戻って喋らせてもらうので、聖女のイメージは捨ててくださいね」
珊瑚色の唇がゆるりと開かれる。
「ボクのあちらでの名前は、水木悠里。日本生まれ、日本育ちの生粋の日本人で、転生前はヤマガサキ製パンに勤めていました。そうです。広場のイベントは、ボク以外にも転生者がいるなら、必ず突っ込んでくれるだろうと期待して企画したものです」
ツッコミをこらえきれなかったばかりに、まんまと転生者ですと名乗りを挙げてしまったのだと思い知って、ムギは恥ずかしくなる。
しかしリリベル――いや、水木悠里を名乗る少女は、ひたすら嬉しそうに微笑んで、ムギを嘲笑ったりしなかった。
「趣味は旅行とWeb小説の投稿で……エブリワンスターになろうα――ENaに水無月あやめのアカウント名で登録しています」
改めてよろしく、とリリベル(水無月あやめ)は簡単に言ってのけた。




