セリフィオラ、実りのパシュル祭り。
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行手に、流れのゆるやかな大きな川が見えてきた。川面は日の光を反射し、金色に輝く帯のように街を貫く。
広い街を移動する手段として、渡し船を利用するものも多く、川には幾隻もの船が浮かんでいた。
水面に金銀の尾を引きながら、小船同士がゆらりとすれ違うさまを橋の上から眺めていると、思わず拍手をしたくなる。
しかし今はローディスの侍従――立場を思い出して、ムギは気を引き締め直した。
橋を渡った先に見えてくるのが、神殿のシンボルである鐘楼だ。
豊穣の神ノルがお造りになったと云われる鐘は、祭りの始まりと終わりに、祝福の音を響かせる。いまは静かに、街を見守るようにそびえていた。
いよいよ、聖域に足を踏み込むのだ――と、ムギの緊張は一気に高まった。
定刻には少し早いが、ローディスは来訪を告げる先触れを、神殿内に遣わせた。
ムギは一行の後ろに控えて、そっと神殿の外観を見回した。
白壁の礼拝堂は厳かに佇み、ひっきりなしに人々を飲み込んでは吐き出している。礼拝者も見物客も入り混じっている様子だ。
この石畳の広場も、普段は静謐な空気に包まれているが、祭りの熱気に取り込まれて賑々しい。神官たち自ら寄進を促す催しを行っていたりと、ノルファリアで最も神聖な場所であるにもかかわらず、堅苦しさはあまり感じられなかった。
その開けた雰囲気に、ムギの思うノルファリアらしさを感じて、ほっと息をつく。
一方で、神殿のなかに聖女リリベルがいるのだろうかと考えると、足は回れ右をしたくなるから困ったものだった。
(お、落ち着かないなぁ……)
そわそわと視線を巡らせると、同じように辺りをうかがっていた少女と目が合った。
十歳ばかりの少女は、あどけない顔に好奇心を滲ませて駆け寄ってきた。頭には頭巾をすっぽりかぶり、神官たちとそろいの白いローブを身につけている。出立ちからするに、神官見習いらしい。
「高貴なお兄さまがた! お祭りでの拝礼は初めてですか? ご寄進はあちらで受け付けております。どうぞ、お立ち寄りください!」
寄進の案内も修行の一環なのか、澄んだ声を弾ませて、ヴァルド家一行にためらいなく話しかけてきた。
公爵家と知ってそれができるなら、かなり勇気のある行動だが、ぽってりとした眉とそばかすの浮いた顔立ちから、子供らしい純朴さがあるばかりだ。
見守りの神官たちも、はらはらしながら後をついてきている。若輩の粗相を許し請うような視線が、彼らからは感じられた。
偽装とはいえ、いまはムギもヴァルド家に仕える侍従見習い――少女の初々しさに少し共感を覚えて、心が安らぐ。
ジェゾを仰ぎ見ると小さく頷いたので、待っているあいだ、少し話をしてみることにした。少女と目線を合わせるため、ムギは背を屈める。
「神殿もお祭りに参加するんだね。とても楽しそう。ここでは、どんなことをしているの?」
「右手をご覧ください。あちらでは、わたくしたち見習いが作ったパシュルを売っています」
パシュルを買うことで神殿への寄進になるという。パシュルの値段はひとつ百円くらい――その敷居の低さもまたノルの教えである。
少女は、はきはきと答えた。さすがは神官見習い、大人のなかで生活している影響もあって、物怖じしなかった。
「収穫祭に初めて参加されるかたは、パシュル購入時にこちらを受け取ってください。お持ちのかたは、受付にご提示ください」
「それは?」
少女の手から、キャッシュカードサイズの薄い木の板を差し出された。板には横に五個、縦に三列の円が刻まれている。
裏表で合計三十個の模様に、ムギも侍従らも首を傾げる。
「パシュルを二個お求めいただくたびに、こちらで円を一つ塗りつぶさせていただきます。すべての円が塗りつぶされたかたには、なんとこちらの……」
少女がローブをまさぐり、なにかを取り出した。
「聖女リリベル様印の、白いお皿を差し上げます!」
一人分のフルーツを盛るのにちょうどよさそうな大きさの皿を、少女は見本に掲げた。底にはリリベル印と思しき百合の裏印が捺されている。
「ぜひパシュルをたくさんお求めになって、お皿をお受け取りください。どうぞ、皆様にリリベル様のご加護がありますように!」
ご清聴ありがとうございました、と少女はぺこりと頭を下げた。
見事な話ぶりに感心して、ヴァルド家一行があたたい拍手を送るなか、ムギはひとり大混乱していた。
(なんだろう……このお祭り……知ってる……。なんだっけ……たしか現世の……)
どこで見たのか。
記憶をたぐり寄せると、ムギの脳裏でひとりの女性が微笑みかけてくる。
その笑顔は、ムギに向けられたものではない。テレビCM、もしくはスーパーのパンコーナーに掲げられた販促物で見たものだ。
(女優の……松たけ子さんだ……。そうだ……これは……このお祭りは……!)
既視感の正体に気づき、ムギははっとし、思わず声をあげた。
「ヤマガサキ、春のパン祭り!?」
突然ちんぷんかんぷんな謎の言葉を浴びせられた少女は、驚くあまり目をまんまるく見開いた。
「あっ……お、驚かせてごめんね。故郷のお祭りを思い出して、懐かしい気分になって……」
「リリベル様がお考えになった催しと、似ているものが他にも!? どんなお祭りなんですか? 気になります!」
少女が、わくわくと身を乗り出す。
見たもの聞いたものをなんでも素直に飲み込みそうな、ターコイズブルーの瞳に見つめられ、ムギは「いけない」と慌てて口を噤んだ。
これ以上はぼろが出てしまいそうだ。侍従たちがムギを取り囲み、すかさずフォローを入れる。
「神殿の伝統行事とは趣向の変わった、興味深い催しですね」
「ええ。このたびの収穫祭において、新たな試みをと」
付き添いの神官も、これ幸いに少女を後ろに控えさせた。
「かの水害から三年を経て、人々の傷は癒えつつありますが、告解にはなにかと不安を抱えた方々も多くいらっしゃいます。皿を手元に置くことで、リリベル様はいついかなるときも民に寄り添ってくださると、心を安らげられることを神官一同祈っております」
厳かに祈りを捧げる彼らを、ヴァルド家の侍従たちはどこか鼻白んだ表情で見つめていた。
程なく、遣いにやったものが神官を伴って戻ってきた。彼らの案内に従って、ローディスとワトゥマが礼拝堂に入っていく。
ムギも、神官見習いの少女にぺこりと頭を下げて、後に続いた。
礼拝堂に入ったら、聖女リリベルが待ち構えている気がして、杖を抱える腕にもぎゅっと力が入る。
(会ったらなにから話せばいいんだろう……)
獣人はお嫌いですか?
(いきなり突っ込みすぎかな……)
ヤマガサキのお皿、実家にあります!
(いや、まだ転生者と確定したわけじゃ……)
悶々としていると、頬を涼しい風に撫でられて、ムギは吸い寄せられるように顔を上げた。
神殿に足を踏み入れた途端、暑気が遮断され、すっと気温が下がったように感じられた。頭上に展開された魔法陣から冷気が放たれ、外の熱気は一転、人々の声も密やかなものとなる。
ヤマガサキ春のパン祭りの衝撃が尾を引いているムギは、涼やかな風を生み出す魔法陣のなかに、ありのままにレリゴーする聖女の幻を見た。




