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大当たり


 マムートが、岩壁を器用に蹴って、駆け下りてきた。その後にはガイアスが続く。


「上にいても、俺にできることはないからな。加勢しよう」


 軽く叩かれた肩から、力がみなぎってくるようだ。ムギは大きく息を吸って、背筋を伸ばした。


「あの先へ、進んでみます」


 指さすほうには、浜を飲み込むように口を開いた洞穴があった。

 古くは小舟を収納したり、倉庫として使っていた場所らしい。岩をうがった小空間が、蟻の巣のように広がっている。なかには、潮の満ち引きに備えてか、桟橋が掛けられたところもあった。


 洞穴はカーミング邸の地下を通って、街の中心部まで広々と伸びていた。

 迷宮のような隧道を、ワトゥマの匂いを頼りに進んだムギたちは、やがてドーム状に拓けた場所へ出た。


 そこへ踏み込んだ途端に、緊迫感が臨界点を超えた三人は、咄嗟に身構えた。

 頭上を、岩盤から剥き出しになった木の根が覆い、一本一本が意志を持って蠢いている。まるで闖入者を嘲るかのように、手招くような仕草だ。

 その中心に吊るされているのは、ワトゥマだ。気を失ったせいか、妖犬の姿に戻っている。


「ワトゥマ! 怪我はないか!?」


 マムートの問いに、ワトゥマはぴくりと耳を動かしたが、目はうつろでぼんやりと夢うつつだ。


「うーん……うふふ。早く悪者をやっつけて、みんなでごはんが食べたいですの。おいしくて、楽しいに決まってるですの」


 むにゃむにゃこぼれる口元は、笑っている。

 次の瞬間、ワトゥマの背後でなにかが光った。

 後光のように輝くそれは、まるまる太って、いまにも落ちそうな黄金の林檎だ。

 マムートが低く唸り、吠える。


「ワトゥマの心を、食べたのか!」


 彼の声に呼応するように、木の根のあいだから白蛇が姿を現した。

 ちろちろ覗く墨色の舌は、激昂すらもぺろりと平らげられると嘲笑っているかのようだ。


「あいつめ……!」


 かっとなって飛び出すかと思われたマムートだが、ぐっとこらえた。


「ムギ! あれを仕留めれば、ワトゥマも街のみんなも助かるんだよな!?」

「う、うんっ」

「気をつけなければいけないことは? 急所はどこだ?」

「えっと……毒があるから噛まれないで! 木も自由に操ってくるから、周りに気をつけて……弱点は……特にない! ごめん!」


 言っているそばから、妖魔は根っこを槍のようにして突き出してきた。マムートとガイアスは飛び退ってよけ、ムギは無我夢中で杖で払い除けた。


(こんなことなら、決定的な弱点を作っておけばよかった――!)


 お話のなかでは、土魔法が得意なワトゥマが木を引っこ抜いたりして辛くも退治できたが、いまはそのワトゥマを頼みにはできない。

 たとえワトゥマが戦えたとしても、頭上にファムプールの街がある以上、不用意なことはできなかった。


「火をつけても、この地形じゃ、わたしたちが煙に巻かれて危ないですよね」

「そうだな。おまけに林檎も落としちゃならないとなると、厄介だな。まったく神様は時々、理解に苦しむものをお創りになるよ」


 弓を短剣に持ち替えるガイアスに、ムギは心のなかで平謝りだ。

 根は蛸の足のようにうねり、蠢き、なかなか本体へと近づかせてくれない。

 どうにかかいくぐっても、上から下から容赦なしに新しい根を張り、邪魔をしてくる。

 マメタのエピソードよりも、さらに狡猾で逃げ場を与えてくれない存在になっているのは偶然か――薄ら寒さに背筋を震わせて、ムギは杖を握り直した。


 女神の祝福を受けてから、忘れがちになっていた息があがる感覚をムギは思い出した。汗が伝って、邪魔になった上着を脱ぎ捨てると、いつのまにそばにいたのか、ガイアスと肘がぶつかった。


「す、すみません」

「いいや、それより……さっき杖を振った瞬間、目を瞑っただろ?」

「うっ……、だって怖くて……」


 ふっと鼻で笑って、ガイアスはムギの背中をひと叩きする。


「力が入りすぎだ。明日から、みっちり鍛え直してやるから、こんなところでへばってくれるなよ、小鹿さん」

「うぅ……お手柔らかに」


 得物が変わっても、ガイアスは不利をまったく感じさせない。天賦の身体能力の高さをうかがわせる身のこなしと、戦い慣れた自信でもって、臆せずに切り込んでいく。

 そしてマムートも、彼に続くように動いた。ムギにはそれが少し意外だ。

 マムートこそ、勇猛果敢が逸って、敵の懐に入りすぎるきらいがある。ましてワトゥマが囚われているいま、なおのこと前へ出たいはずだ。

 ところが驚くほど冷静に、周りをよく見て戦っているのだ。


「ムギ! 左に飛べ!」


 言われるまま咄嗟に飛び退くと、右斜め後ろから、棘のついた蔓がしなった。あと一拍遅かったら、強く打ち据えられていたに違いない。

 主人に体当たりしてでも助けに入っておかしくない性格のマムートなだけに、ほっとしながらもムギは肝を冷やした。

 ムギの無事を確認したマムートは、すかさず風の刃を放ち、蔓を断ち切る。

 あまりの落ち着きぶりに驚かされながらも、マムートの頼もしい姿は、物語が書き換わる予感をムギに覚えさせた。


(いける――! 待っててね、わたあめちゃん! いま助けるから! 目が覚めたら、お兄ちゃんの活躍ぶりを話してあげるからね!)


 そしてついに――決着のときは訪れる。

 マムートの渾身の一撃が白蛇の脳天を貫き、狡猾な悪魔をとうとう地へと引きずり下ろしたのだ。


 仕留めた――!

 マムートだけではない。ムギも、安堵とともに高揚するような気持ちが湧き立ってきた。張り詰めたものから解放されたようで、飛び上がりたい心地さえした。

 だがガイアスは、のたうち回る蛇をまだ警戒していた。


「まやかしだ! まだいるぞ!」


 マムートの足元には、いまや白い枝が転がるのみ。幻と自覚すれば、もうこれっぽっちも蛇の姿には見えない。

 そして本物は――。

 頭上の根っこを掻き分けて、マムートの背後に迫っていた。鋭い歯がぎらりと光る。

 咄嗟にガイアスが短剣を投げつけるも、しなる枝に阻まれ届かなかった。


(間に合わない!)


 魔法はマムートを守ってくれない。ムギは無我夢中で飛び出した。

 土が足を跳ね上げ、風に背中を押されて、一瞬で距離を詰める。もはや自らが弾丸のようになって、ムギはマムートの体を突き飛ばした。


「ムギ!?」


 妖魔の毒牙は、入れ替わりにやってきたムギの腕に喰らい付いた。

 灼けるような痛みに、ぎゅっと眉根を寄せると、吹っ飛ばされたマムートが柴犬の姿に変わる様子が、引き絞った視界に滲んだ。

 その瞬間にムギはやっと、マムートの真意を理解した。


 マムートは、変化を解くことで窮地を脱しようとしていたのだ。ムギはそれに気付けず――いや、マムートの力を信じきれず、自らを犠牲にしても助けたいと飛び込んでしまった。

 カポル騒動のときに、身を呈して守られる辛さを彼に語ったのはムギ自身であるのに、だ。


 後悔とともにひどい吐き気に苛まれ、ムギは目の前が眩んだ。倒れかけた身体を、ほのかなラベンダーの香りに包まれる。その香りでガイアスに受け止められたのだとはわかったものの、声も出せない。


(マメタを、まる一日苦しめて死に到らせた毒……。これが、わたしに与えられた本当の罰なのかもしれない……)


 だがムギは、これで終わりにしたくなかった。絶対に死ぬものかと、歯を食いしばって自分に回復術をかけた。


「よくもムギを!」


 大切な主人を傷つけられ、怒りに震えるマムートには、みるみる力がみなぎっていく。ひとっ飛びで妖魔に飛びかかり、悠々ともたげられた鎌首に噛みついた。今度こそ、本体だ。


『キィィイァァァァア!!』


 およそ蛇の姿からは想像もつかない断末魔の金切り声だ。耳にしたものはみな、胸が悪くなる。それでもマムートは、妖魔の息の根が止まるまで、食らいついて離さなかった。


 妖魔の抵抗が弱々しくなるにつれ、頭上の木が枯れ始めた。ワトゥマも、とうとう囚われの身から解放された。尻もちをついた拍子に目が覚めて、あたりきょろきょろしている。

 ワトゥマの目が最初に捉えたのは、金色に輝く林檎だ。

 林檎は、最期の足掻きとばかりに一際まばゆい光を放ち、まさにいま枝から離れんと、その身を大きく揺らした。


「だめですの!」


 ワトゥマは懸命に前足を伸ばす。しかし、無情にも林檎は枝を離れてしまった――。

 転がり落ちる黄金色の光が、ムギにも見えた。耳には、いつぞやの当たり鐘の音が鳴り響く。


 大当たりの絶望が、転がる音だ……。



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