悪魔の果実
泣いたところでなにも変わりはしない。
物語を知るムギにしかできないこと、なさねばならないことがある。そう信じて大きく深呼吸し、ムギは妖魔の特徴を改めて説明した。
木に擬態する蛇が本体であること。どんな木にも姿を変えられるが、見分けかたがひとつだけあること。
「妖魔が食べた人間の感情で、金色に輝く林檎が生るんです」
林檎という言葉に、イスカが敏感に反応を示す。
ムギも、その言葉がなければ見過ごしていたはずだ。
「果汁からは、強い幻覚作用のある毒薬を作ることができます」
「ほう、それを聞いたら飛びつく輩もいそうだな」
「《《おとぎ話》》には、そんな側面もありました」
ひとつの村を餌にして妖魔を飼い慣らし、麻薬工場を作った愚かものの話だ。最後は自分の欲望まで食い尽くされたが、その後始末をしたのはマメタたちだ。
マメタの最期のエピソードだ。
「……ですが本当に恐ろしいのは、林檎が木から落ちることなんです。この実は、落ちた瞬間に砕けて、種を撒き散らします。キノコの胞子を思い浮かべてもらえるといいかと……」
落果を引き金に、妖魔の子がそこらじゅうにばら撒かれる。そうなったら、ファムプールだけではない。ノルファリア国民全員、果てはエンシェンティア全土を食い尽くされかねないのだ。
「おいおい、思った以上に深刻じゃないか」
ガイアスは渋い顔で腕組みする。
ムギは拳を固く握り、深く頭を垂れた。
「確証はありません、全然違う原因があるのかもしれない……。いないかもしれないものを探すだなんて、無理なことをお願いしているのはわかっています……。でも、もし本当にいたら……大変なことになる……。だから、みんなの力を貸してください」
「頭を上げてくださいませ、ムギ様」
声のするほうに、ワトゥマとマムートの心強い笑顔がある。
「初めからそのつもりだ」
「ありがとう……ごめんね……」
***
金の林檎の実る木を探して、闇雲に探すのも得策ではない。
こんなときに精霊の智恵を授けるのが〈聴き手〉の役割だ。
イスカは耳をそばだてて、集中を高める。なかなか思うように聴き取れないようで、眉間に寄せられた皺が、精霊たちの混乱を如実に示している。
しばらくして、彼女は戸惑いをあらわに、途切れ途切れ口を開いた。
『役者がそろった』
『話のわかる人間も来た。まだ間に合う』
『始まって、続くよ』
聴き伝えておきながら、自身が理解できないことにイスカはばつが悪そうだ。
「お役に立てず、申し訳ありません。ただ、一ヶ所だけ、他と様子の異なる場所があります。そのあたりからは、精霊の声がまったく聴こえない。恐れて近づくのを拒むのか、消えてしまったのかまではわかりませんが、異変が起きていると見て間違いないでしょう」
「よし、それはどこだ」
「カーミング邸の周辺です」
ちょうど、ローディスが訪問中の町長の屋敷だ。
「公爵家の坊ちゃんが、妖犬に続いて妖魔にまで心を奪われちまったら、笑えんな」
「本当に笑えません。いるか、いないか……確かめに行きましょう!」
一目散に駆け出したら、早いのは妖犬だ。ムギだって、全力なら負けるはずがない。
だが足が重く、気づけば一番あとを走っていた。自然とマムートも、ムギに足並みを揃えるようにならざるを得ず、逸る正義感とムギを慮る気持ちの狭間でやきもきしているようだった。
高台に建つ屋敷に着くと、ちょうどローディスが狼たちを従えて出てくるところだった。よくないことがあったのを予想できる、渋い顔だ。
うさを払うように、彼の手は両脇を固めるナルスとヴィゴーを激しく揉みしだく。
「カーミングめ、まったくもって話にならん。徴税の再開について交渉をするはずが、笑ってばかりでいっこうに前へ進まん。そちらはどうだ? まさかなにも掴めずに、ふらついているわけではあるまいな」
ガイアスが街の様子と、ムギの危惧を改めてローディスに伝えた。
カーミング氏の姿と重なるのか、ローディスは茶化すこともなく真剣な顔で聞いている。
「公爵家の権限で動かせる守備兵が、この街にも置いてあるだろう。使い物になるか確認を急いだほうがいい」
「そのようだな……ナルス! カーミングを診ているジェゾを連れて、兵の詰め所を検めてくるのだ」
「はっ、承知いたしました」
「それからヴィゴー! 隣町のケルンまで走って、一分隊に助力を求めよ。いま、閣下の代理として書状をしたためる」
「はっ!」
するとイスカが、すっと手を掲げた。
「ケルンには現在〈聴き手〉のひとりが滞在中です。我々独自の交信手段を使えば、伝令を出すより早いものと思われます」
「ならば、頼らせてもらおう。よいか、ヴィゴー」
「ご主人様の仰せのままに」
ローディスがてきぱきと指示を下しているあいだに、ムギたちは屋敷の周辺を見て回る。
庭には風除けのオリーヴの木が植えられている他、蔦と花を這わせた見事なパーゴラが設けられており、白壁とのコントラストが目を引いた。
だが、そのなかに金の果実は見当たらない。
残るは屋敷のなかかと、正面玄関へ戻ろうとすると――。
白いものがムギの視界の隅をかすめた。
アブラ葡萄の木の根に、赤子の腕ほどの太さがある縄状のものが絡んでいる。
真っ白で金眼の蛇が、墨色の舌を覗かせてにたりと笑った。
「ムギ! あれなのか!?」
言葉を失うムギの傍らで、マムートが声を上げる。
すると蛇は素早い動きで地を這い、岩壁を伝って崖下へと滑り降りていった。
すぐさま追いかけようとするマムートの腕を、ムギは夢中で引っ張る。
「だめ! 見つけたんだから……、あとはローディス様たちに任せるべきだよ……」
「援軍が来るまで、討伐を待てっていうのか? いまも住民は心を食べられているというのに」
「そうだよ……」
その正義感と優しさが、マメタの命を奪ったのだ。ムギは絶対にその場を動くわけにいかない。
煮え切らないムギに、マムートは失望を孕んだ眼差しを向けた。
(どうして、こうなってしまうの……)
バッドエンドを避けるために山籠もりをしていたというのに、ラスボスのもとへ引きずり出されてしまうなんて、話が違う。
そもそも、ムギはファムプールという街も創っておらず、ここがマメタの最期の場所であるはずもなかったのだ。
だというのに、避けようもないほどにフラグが立ってしまった。
まるで物語をなぞるように世界が動き始めた気配に、ムギは背筋を震わせる。
「ムギ様、顔色が悪いですの。海風で汗が冷えましたの?」
ワトゥマが上着を持ち出して、着せかけてくれた。寒いわけではなかったが、心遣いにムギはほっとさせられた。
微笑み返そうとした次の瞬間――。
ワトゥマに、アブラ葡萄の枝が絡みついた。
細い枝は幾重にも絡み合って、まるで自在な腕のようになってワトゥマを羽交い締めにすると、一気に崖下へと引きずり落とした。
「ワトゥマ!」
覗き込んだ崖下に、波の打ち寄せる小さな浜が確認できたが、ワトゥマの姿はない。
だが、まだ近くで吃驚の声が鈍く響いているのを、マムートの耳は聞き逃さなかった。
「ムギ! 俺は行くぞ! まだ止めるつもりなら、お前を抱えてでも行ってやる!」
「マメタ……」
ここでマムートを突っぱねて安全を優先しても、ワトゥマになにかあったのでは、真の意味で彼を救ったことにはならない。
運命に抗うことはできないと告げられているような無慈悲さに、ムギは悔しさを滲ませる。
もうこれ以上は避けようがなかった。
悲鳴を聞きつけたローディスが、屋敷の裏手に回ってきた。ワトゥマが連れ去られたと聞くや、今にも崖下へ飛び込まんとするのを、ヴィゴーが必死で食い止める。
その傍らにムギは跪いた。
「あのっ、妖魔はどれほどの相手かわかりません。一分隊で足りるかもわからないんです……。増援の要請は、ローディス様にしかできない大切なお役目です。わたあめちゃんを確実に救うため、ローディス様の力が必要なんです。どうかいまは堪えて……、この場の指揮をお願いできますか」
返事は待たずに、すっくと立ち上がると、ムギはマムートに向き直る。
「お待たせ、マメタ。……行こう! わたあめちゃんを助けに!」
意を決して杖を構えると、足元からふわりと風が巻き起こった。風はムギの体を包み込み、崖下の浜まで吹き下ろす。決戦の場へと誘うかのようだった。




