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異世界エンシェンティア


 異世界エンシェンティア。

 そこは精霊の息吹通う、緑豊かな西洋風のファンタジー世界だ。

 喋る動物もいれば魔法も存在する、ある程度のエンタメ小説やアニメーションを嗜んでいる者であれば思い描きやすい舞台設定だろう。


 エンシェンティアの物語は、かつて地球上に存在した大津麦という女性が、「Oatmeal」名義でかの有名な小説投稿サイト「エブリワンスターになろうα(通称ENa(エナ))」に投稿していた作品だ。


 獣人が人間より優位に立つエンシェンティアの歴史的背景を側面に、多種族が互いに手を取り変わりゆく世界の姿を描いた物語だ。時代、国も様々に群像劇の形で描かれており、明確な主人公は設定されていない。


 白熱のバトルや冒険といった魅力には欠けるが、登場人物の心理描写やエピソード同士のリンク性に重きを置いて、一話ごとに必ず異世界ならではの創作料理を出すなど――麦はエンシェンティアの世界を丁寧に書き綴った。

 当時流行していたスローライフブームにマッチしたのか、無名の新人の処女作でありながら、閲覧数は決して悪くはなかった。


(それがどうして、異世界として実在しているの――)


 ムギはベタに頬をつねってみるが、痛みも、生身の肉体が孕んだ熱も本物だ。


(これは、わたしの精神世界……? 死後に見ている、とてもリアルな夢なのかな)


「いいえ、夢ではありませんよ」

「ひゃあああ!」


 目の前に再び、女神が現れた。もうあれでお別れだと勝手に思っていたムギは、草むらにひっくり返った。


「無事に転生できたようですね。新しい体に不具合はありませんか?」


そう言って女神は空間を捻じ曲げ、目の前にムギの鏡像を作り出した。転生後の己に対面したムギは目を疑った。


 水色のさらさらとしたミディアムヘアの少女に、大津麦の面影は残っていなかった。齢は十八歳といった頃合いで、頼りなげな青い瞳には、ある異世界における日本人という種族の特徴は見当たらない。

 エンシェンティアの平均的な人間の容姿に適合していた。

 大津麦らしさを求めるならば、素朴で目立つ特徴がない、ということくらいだろう。清楚と言えば聞こえはいいが、端的に言えば地味な若草色の無地のワンピースを着ているあたりが、実にそれらしい。


「これが、わたし!?」

「ええ。お気に召しましたか? どうです? エンシェンティアの空気は」

「どうって……、そ、そうです……どうしてわたしの物語の世界が存在しているんですか!?」


 ムギが詰め寄ると、女神はなだめるように手を上下させた。


「ムギ。わたしはとても素晴らしい画材を持っています」

「……え?」

「それを使えば、どんな絵でも描くことができます。しかし、なにを描けばよいかがわからないのです」


 いきなりなにを言い始めたのかと、呆然とするムギを見る女神は、愉快そのものだ。


「そこで、参考にするのがあなたがた人間の想像力なのです」


 女神はびしりと人差し指を立てる。


「人間の想像力は素晴らしい! 日々、新しい世界が生まれては滅び、そこでは目まぐるしく生命が循環しています。我々の退屈を満たすにふさわしい」

「そ、それで……つまり?」

「つまり、あなたがたの想像力に乗っかって、最高の画材(神の力)で世界を創造しています。なぞり書きですね」

「それはほぼトレパクじゃ……!?」


 神のすることに苦言を呈するのも恐ろしいが、ムギは胸にもやつきを覚えた。

 物語を紡いでいる間は夢中で、楽しかった。気付けば日付が変わっていることもしばしばで、それだけ創作に没頭した経験があるだけに、なんの断りもなしに真似をされるのは納得ができなかった。


「どうして、わたしの作品を選んだんですか」

「光るものを感じたからでしょうか」


 模範解答のようで、ムギにはこれっぽっちも響かない。


「大事に……、人生で一番熱意を持って取り組んでいましたから、そう言っていただけるのは嬉しいです……。で、でも、この物語はもう、わたしのなかで終わっているものなのに」


 女神は地に降り立って、ムギの瞳を覗き込んだ。


「では逆に問いましょう。なぜ、そこまで熱意を持って書いていたものを、あなたは手放したのですか?」

「それは……」


 虹色の瞳は、不思議な引力でムギに逃げ場を与えなかった。躊躇いながらも抗えず、ムギは当時のことを振り返りながら、たどたどしく語った。



 ***


 二年と少し前のことだ。エンシェンティアの物語を完結に向け、日々創作に励む麦のもとに一通のメッセージが届いた。

 それはENa編集部を名乗り、某出版社が取り次ぎを求めているという内容のものだった。

 瞬間、麦の顔は蒼白となった。


(詐欺だ――!)


 麦は拾い上げの存在は知っていたが、自らにかかった声掛けを信じなかった。


(わたしみたいな底辺クリエに、そんな話が来るはずない!)


 運営を装った怪しい業者にしか思えなかった。

 出版だ。コミカライズだ――と、創作愛につけ込んで甘い餌を撒き、何だかんだで金を巻き上げるための手口だと信じて疑わなかった。


(もしかしたら今までの閲覧もブックマークも、どこかで晒されているとかかもしれない……)


 疑心暗鬼になった麦はその日のうちに、アカウントごと削除し、エンシェンティアの物語はどこを探しても読むことはできなくなった。

 その後は「読み専」として「名無し」に転生し、ENaの片隅で息を潜めていたのだった。



 ***


「なるほど、なるほど。本当に損な性格ですね」


 女神の言葉には同情も呆れもない。むしろ楽しげだ。


「あなたの目に、この世界がどう映るのか。そしてあなたはどう生きるのか――。楽しみに見守らせていただきますよ。これはわたしからの、ささやかな贈り物です」


 女神は腕でハートマークを描くように空を撫でた。

 すると、光輪が浮かび上がり、そのなかから皮袋が顔を覗かせた。皮袋はずっしりとした金属音を立てて、ムギの足元に落ちる。

 残された光の輪は、ムギの頭上に移動すると、くるくると旋回して光の粉を撒いて消えた。


「軍資金と、デフォルトの能力(ステータス)面に色を付けておきました。少しは自信もついて、生きやすくなることでしょう」

「待ってください。この世界について、もっと詳しくお話を聞かせてください」

「ふふふ。創造主に語って聞かせられるほど、わたしはこの世界に思い入れはありませんよ。どうしても、この世界で生きられないという時には、わたしを強く求めなさい。その時には当初の望み通り、一思いに眠らせて差し上げましょう」


 穏やかな口調で、穏やかでない言葉を残し、女神は忽然と姿を消した。

 あとには皮袋が残されているばかりで、そよそよと吹く暖かな風に草木が踊る静けさが漂った。


 仕方なく皮袋の中をあらためると、金貨に銀貨、宝玉が詰め込まれていた。

 スキル「鑑定眼」を通して見てみれば、中流階級のエンシェンティア住人の年収に換算して、約五年分の価値だとわかった。


「わーい、これで起業だって夢じゃないし、しばらくはのんびり暮らせるぞー……じゃない! こんな大金、ぽっと湧いて出た転生者が持ってたら危なくて仕方ないんですよ、女神様!」


 思わずノリツッコミも飛び出るほどだが、ムギの嘆きは虚しく草原の風に吹かれて消えた。

 女神はどこかで観察しているに違いないのはわかるのに、返事は返ってこない。


 ただこの場にじっとしているのも恐ろしいが、どこに向かえばいいかもわからない。草むらの向こうに街道が見えたので、おそるおそる歩き出してはみたが、なかなか景色は変わらない。さわさわと風に撫でられて、緑が横たわるばかりだ。


 あてどなく歩けど、ムギは息ひとつ切らさなかった。足も痛くないし、まだまだ歩けるとぐんぐん前へ進んでいく。

 ムギに与えられた能力は、転生間際の約束通り「鑑定眼」「もふもふチャーム」「特殊幸運体質:乙女の恥じらい」の三つであるのだが、試しに鑑定眼を通してムギが自分自身を調べてみると――。


「なっ、なんでなの!?」


 肉体的な強さに関連する数値……上限値にてカンスト。魔法の使用回数、範囲、威力に影響する潜在魔力もカンスト。この世界で発見されているすべての魔法を使用可能――。

 女神の祝福によりムギは、チート級の転生者に進化していたのだった。


「これはモブとは言わないんですってば! 女神様、いらないです! さっきの光の粒のせいなら、お返ししますから!」


 しかしやはり女神が現れることはなかった。

 ムギは虚しく歩き続ける。

 しばらくすると、緑豊かな景観の中に、大きな風車の回る塔が見えてきた。くすんだオレンジ色の三角屋根に、ムギは見覚え……いや、想像した覚えがあった。


「まずは、この世界の解像度を上げよう。ここが本当に、わたしの書いたエンシェンティアなのか……ここで生きていくなら、モブに求められる条件を確かめなくちゃ」


 後ろ向きな決意とともに、ムギは風車めがけて歩き出した。



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