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港街ファムプールに揺蕩う闇


 ***


 ファムプールまでは、馬車同士が悠々とすれ違える整備のされた道が伸びており、一行は休憩を挟みながら順調に行程を進めた。


 約三時間の道のりの果てに、ムギの目がいよいよ港街の外観を捉える。

 ファムプールは白壁に、色とりどりの瓦屋根を乗せた建物が並ぶ、どこか可愛らしい印象を抱かせる街だ。

 菜の花に橙、若緑色の屋根から真っ白なカモメが飛び立つさまに、ムギは塞いだ心をしばし解放した。


 海鳥の鳴き交う空に、いななきをひとつ震わせて、馬は停車場へと入る。

 侍従らがローディスの降車を助けると、他のものらもそれに続いて、ファムプールの地に足を下ろした。


 岸壁に打ち付ける波音に声を合わせるように、正午を告げる鐘の音が響いている。

 昼の港街らしい活気に満ちた呼び込みと、鼻先から勇んで店へ飛び込みたくなるような食欲をそそる匂いが、通りには満ちていた。

 滞りなく復興が進んでいる証拠に思われたが、やはりイスカの耳にはいびつな景色が()()()ようだ。


「ひとまず僕は、街を治めるカーミング氏のもとへ向かう。麦穂の乙女、貴様は〈聴き手〉とともに、街の様子をしっかり見て、日没後に僕に報告するのだ。助けを求める住民には手を差し伸べ、きりきり働きたまえ」

「はっ、はい!」


 出迎えのないことをぶつくさ言いながら、ローディスはともを引き連れて、高台にある大きな屋敷へ向けて歩き始めた。

 残されたものたちは、自然とムギに視線を向ける。最初に口を開いたのはガイアスだ。


「で……、だ。休憩時に聞いた話だけでは要領を得なかったからな。もう一度、聞かせてくれ。この街がなんだって?」

「さ、さっきお話した通りです……。あくまで、悪い予感としか言えませんが、危険な妖魔が巣食っている可能性が……ある、かも……なんて」

「根拠は?」


 ムギはすがるように杖を握りしめる。

 マムートとワトゥマの顔は見られなかった。


「おとぎ話で、書いた(読んだ)お話に似ているから……」


 実際に街を見て判断したいとして、ムギは歩き出す。

 マムートとワトゥマは、従者の名にふさわしい機敏さで、それぞれムギの前後に位置どった。

 国内に限って船便が航行を再開した影響で、街は大いに賑わっていた。

 王都から到着した船の乗客たちが、船着場からメインストリートへ繰り出してくる。すると、客引きの声でいっそう賑々しくなった。


「すごいですの。みんな、お祭りみたいに元気いっぱいですの!」

「でも、なんだか変だ」


 観光客と、店先に出ている現地人を見比べて、マムートは違和感を口にする。


「なにか……つくりものみたいに、笑顔が張りついて見えないか?」

「営業スマイルってものではありませんの?」

「いや……そうではないと思うが」


 マムートの覚えた居心地の悪さは、復興作業の続く海辺に出ると、ムギたちの目にもわかるほど顕著になった。


 青い海を取り戻したかに見えるファムプールだが、潮の香りにはまだ、鼻をつく油の臭いが残っている。岩礁に滞留した油が原因だ。

 それらを汲み上げたり、岩にこびりついて固まったものをこそぎ落とす作業が、住民らの手で行われていた。

 彼らもみんながそろって笑顔だ。自分たちの街のため、精力的に作業に打ち込んでいる姿に見えなくもない。

 その姿に胸を打たれて、声援を送ったり差し入れをする観光客も多い。なかには、作業に参加するものもいる。


「――いつ見ても、涙が出る光景だ」

「だけどちょっと無理しすぎなんじゃないかねぇ」


 水夫(かこ)らが彼らを見て話す声に、ムギは胸の痛みを覚えた。

 よそのものと並ぶと、ファムプールの住民の異様さが如実に現れる。

 落ち窪んだ双眸を際立たせるやつれた頬、掛け声のわりに覇気のない足取り――。

 まるで幽鬼のようだ。

 それなのに彼らは、朗らかに笑っているのだ――。


「〈聴き手〉のお嬢さん。あんたは先月も街を見ているんだろう。そのときもこうだったのか?」


 イスカは震えるように、激しく首を振った。


「いいえ、まさか! こんなことになってしまうだなんて……」


 イスカが耳で感じたいびつさは、いまとなっては目にも明らかだ。

 彼女の報告の通り、獣人たちも一緒に作業にあたる姿が見られ、その誰もが笑顔ではあるのだが……一丸となってという言葉が正しいのか問われると、そう言ったイスカ本人が首を傾げざるを得なかった。


 ちょうどそこへ、猫の獣人がふらふらとやってきたのを、ガイアスが呼び止める。


「なぁ、あんた。見たぜ、さっき浜で油を漉してただろ? ファムプールの住民は根気強くて、逞しいねぇ。正直に言うと俺は、こんなに早く青い海を拝めるようになるとは、思っていなかったよ」

「へへ……ありがとう。自分たちがやりたくてやってるだけなんだけど、よそのひとから労ってもらえると嬉しいね」


 猫獣人の男性は、ごろごろと喉を鳴らす。本当に嬉しそうなのだが、目には生気がなくて少し不気味だ。


「あ、あの……ちゃんと休まれていますか?」

「もちろん。今も、仮眠を取りに行くのさ」


 ムギの問いに、彼はえへんと胸を張る。


「夜目の利く僕らは、夜だって働けるからね。人間の二倍働いて、役に立ってみせるのさ」

「えっ……」

「そうしたら、埠頭も塩も珊瑚も元通りのファムプールが、早く帰ってくるんだ。獣人は敵じゃないってわかってもらえて、一石二鳥さ」

「だ、だめです。志は立派ですが、あなたの体は悲鳴をあげています。もっとしっかり休まないと……」


 心配してムギがすがるのを、彼は不思議そうに見下ろしてにっこり笑った。


「僕はいまが一番調子がいい。体が軽くて、とても心地いいんだ。ご心配ありがとう、優しいお嬢さん。じゃあ、もう行くよ」


 鼻歌混じりに彼は去っていく。踊っているように陽気に見える後ろ姿は、ただふらふらとおぼつかない足取りなだけだ。

 引き止められない焦燥に、ムギは拳を握りしめる。その耳元に、ガイアスは小さく呟いた。


「君の力でも、やはり獣人までは自由にできない……ということか?」


 周囲を憚るような囁きだ。

 冷静さに欠けていたムギは、もふもふチャームのことを指していると気づくまでに、しばし時間を要した。

 セイレーンのポーラには効果があったが、妖獣や妖魔に近い存在の彼女と獣人を、同列には並べられない。だからムギには答えようがなかった。

 ただ、己の無力と()()()を思い知るだけだった。


 黙り込んでしまったムギを、マムートが覗き込む。


「街の状況を見て、どうだ? 悪いものがいそうか?」


 根拠がおとぎ話だから、ムギが言い出しにくそうにしていると思って、マムートは穏やかに促す。里の子犬たちに語りかける声と同じだ。


「大丈夫だ。笑ったりしないから、どんな些細なことでもいい。話してみてくれ」


 真っ直ぐで、優しい瞳にムギは喉を詰まらせた。涙と唾を一緒に飲み込んで絞り出した声は、情けなく震えてしまう。


「その妖魔はね……、木に擬態していて、生き物の感情……特に欲望を好んで食べるの。ファムプールのひとたちは、街を盛り立てたい思いを食べられているように、わたしは感じるんだ」

「それは少し変だな。欲や気力を食われたら、なにもできなくなりそうなもんだが。なのに住民はあの調子だぜ?」

「はい……、そこが、その妖魔の怖いところなんです。捕食されていると獲物に気づかれないように、幸福や快楽を強く感じるよう、感覚を惑わせるんです」


 そのため、被捕食者は不調を感じにくくなる。そのうえ中毒性もあるため、また同じ高揚感を得ようと自らの感情を奮い立たせることが、結果的に自ら身を捧げることになる。

 そうして幻惑の幸福感に囚われるうちに、知らず知らず精神を食いつくされてしまうのだ。


「心をぜんぶ食べられてしまったら、どうなってしまいますの?」

「なにも……できなくなるんだよ。体が朽ちるのを、待つだけの……抜け殻になっちゃうの」

「まぁ怖いですの……」


 ぶるりと震えたあと、ワトゥマはぷくぅと頬を膨らませた。


「それにとっても酷いことをするですの! そんな悪者許せませんの!」

「そうだな。もし本当にそんな妖魔が巣食っているなら、早く退治しないとな」


 ムギの胸がちくりと痛む。

 目の前にいるのは、マムートとワトゥマだ。獣人の姿に変化もできるようになった、このエンシェンティアで出会った妖犬の兄妹だ。

 それなのに、二人のその言葉も眼差しも、ムギにとって初めて見るものではなかった。

 ムギ自身が紡いだエンシェンティアで、繰り返し推敲を重ねて描いたマメタの最終エピソードでの顔だ。


(――そんな妖魔を生み出して、あなたたちの希望に満ちた冒険を阻んだわたしは……妖魔よりも恐ろしい悪魔なのかもしれない)



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