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嵐の貴公子、再来。


 ガイアスは野営を張り直すため、これから中腹まで戻るという。途中で休憩を挟みながらだってできただろうに、一路ムギのもとへ急いできたらしい。

 改めて気付かされたムギは、見送りに立つのもへんにこそばゆい思いがした。


「あの……よければ今夜、一緒にご飯を食べませんか? 杖のお礼も、まだですし……」


 食材は、改めて買い直しに出かけたので、十分揃っている。

 食材も、ムギの熱量も、消費するにはいまが一番ベストなタイミングだった。いまを逃したら傷んでしまって、次はない――そんな思いで声を絞り出した。


「とっておきの一杯があるんだ」


 ガイアスは口の端を嬉しそうに持ち上げた。


「一緒に一杯やろう」

「遠慮します。おもてなしする側だから、いただきません」

「つれないな。まぁ、いい。夜になれば、気も変わるさ」

「変わりませんってば……」


 見送りはどこで切り上げるものか、境界線が引かれていないのでわからない。このまま大きな背中についていきながら散歩するのも、いいような気がムギはした。

 だが、さりげなく後ろをついてきていたマムートの足がぴたりと止まって、先日と同様にムギもつられて動けなくなってしまった。


「もう、マメタ……」

「ムギ、それ以上行くな」

「お散歩、行きたくない?」

「いやだ。行かない」


 現世の道端や動画で見た柴犬たちも、そう言って足を突っ張っていたのだろうか――とムギは胸をときめかせる。

 ムギのほのぼのとした心情とは裏腹に、マムートはぐいぐいと家に向かって歩こうとする。そんなに嫌なのかと、ムギが苦笑をこぼすと――。

 そのへんで遊んでいたワトゥマが、木陰を飛び出してきた。ぱたぱたと尻尾を振って、山道を見守っている。

 マムートは、さらにぐいぐいとムギを引っ張った。


「帰るぞ、ムギ。ワトゥマも、先に家の中に入ってろ」

「どうしたの、マメタ。なにか変だよ?」

「いいから、早くっ……」

「ローディス坊ちゃまが、いらっしゃるからですの」


 ワトゥマが耳をぴんと上向けて、にっこり笑う。姿は見えないが、山を駆け上がってくる獣の足音がするという。


「あのでかい狼の妖獣か。ああ、確かに聞こえる。二頭で……、一頭はなにかを背負っている走り方だ。十中八九、主人と見るのが筋だろう」

「わ、わかるんですか!?」


 ガイアスまで耳に手を当てて言い出すので、ムギも耳を澄ませてみる。しかしそれらしき音は拾えない。狩りを生業にしているガイアスと違ってムギは、チートといっても聴力はヒト並みだ。


 それにしても、昨日の今日でローディスがやってくるなど、どう考えても普通のことではなかった。

 マムートは真っ先に気付いて警戒していたというのに、ムギはそれをツンデレだと勘違いしてしまった。気づいた途端に、恥ずかしくなった。


 そうこうしている間に、銀糸の毛並みを翻してナルスが山道に躍り出てきた。その後ろを褐色のヴィゴーがやってくる。

 彼は帰り足で主人と鉢合わせて、来た道を引き返してきたに違いないのに、疲れた様子をまったく感じさせない力強い走りをしている。その背には今日こそ、ふんぞり返ったローディスの姿があった。

 ヴィゴーが停まるやいなや、ローディスはひらりと降り立って、ワトゥマの前に跪いた。


「会いたかったぞ、我が愛しのワトゥマ……。今日も素晴らしい毛並みだ。麦穂の乙女は、しっかりやっているようだな」


 厳しい目でチェックされているのだと思うと、ムギは気が気でない。さりげなくガイアスの後ろに隠れて、気配を殺した。


「いらっしゃいませですの、ローディス坊ちゃま。昨日はたーくさんの贈り物ありがとうございましたですの。今日は遊びに来てくださいましたの?」

「残念だが、今日は別件で来たのだ」


 こほんと咳払いすると、ローディスは大きく息を吸って、一息に吐き出した。


「麦穂の乙女よ、待たせたな! 貴様の罰が決まったぞ! この僕が直々に知らせに来たのだ、喜べ!」


 よく通る彼の声は、びりびりと空気を震わす。舞台俳優に転職してもやっていけそうな発声と、大きな身振り手振りをまじえて、彼は裁決を記した巻き紙を広げた。


「貴様には、港街ファムプールの視察及び復興作業への無償奉仕を命じる!」

「ファムプール……の復興?」

「大型船が座礁して、ひどい被害が出た街だ」


 マムートが、ムギのスカートの裾を引っ張りながら教えてくれた。


「それって、セイレーンの……?」

「そうだ」


 カポルの件でカーラとポーラの姉妹を見逃したことまで知られてしまったのではないかと、ムギは縮こまる。

 しかしローディスがねちっこく読み上げるムギの罪状は、公爵領の不法占拠、公爵令息への不敬、ワトゥマ独占禁止法違反の三つで、セイレーンのセの字も出てこなかった。


「七日ののち、イローネの城門まで来るのだ。詳細は追って説明してやろう。聞いているのか、麦穂の乙女。どこにいる。返事は、どうした」

「は、はいっ……」


 気圧されて観念するムギを、マムートが強く引っ張る。

 おまけにガイアスまで、ムギを後ろに庇い直して前に進み出た。


「やれやれ。人間相手には、相変わらずだな」


 嫌味でなく、面白がるようにガイアスは口を開く。へりくだったり居住まいを正す様子はなく、公爵家のお坊ちゃんであるローディスに、片手を上げて軽々しく「よぉ」と挨拶する始末だ。


 ローディスが眉根を寄せて、不快を顔に表す。今にも、不届きものへ制裁をくだすよう、狼たちに命じてもおかしくない。

 彼の指先が、まさに執行の合図を描こうとした刹那、ナルスがひと声吠えた。


「お待ちを、ご主人様! よくご覧ください。その男っ……いえ、そちらは……」

「なんだというのだ。無頼漢に知り合いなど、おらぬぞ」


 そう言いながらも、ローディスはガイアスの姿を改めて確かめた。ためつすがめつして、しばらくすると、今日一番大きな声が山に響き渡った。


「――――!!」


 あまりの大声は音が割れるほどで、マムートとワトゥマは目を白黒させているし、ムギも聞き取れなかった。

 ちゃっかりと自分だけ耳を塞いでいたガイアスは、木霊が静まるのを待って、手を離した。


「おいおい、久々すぎて名前も忘れたか? 君の親友、ガイアスくんじゃないか」


 ガイアスはへらりと笑って歩み寄ると、言葉を失うローディスの肩を気安く抱いた。



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