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麦穂の乙女は次期公爵夫人で聖女……?


 翌日、ガイアスが山へ戻ってきた。

 手狭になった室内の片付けに追われて、ムギは出迎えもままならない。


「す、すみません。いま、お茶を……あっ、お腹は? お昼ご飯は食べましたか?」

「ヴァルド家のお坊ちゃんに春が来た、って話は本当だったんだな」


 空箱につまずきそうになるムギを引き寄せて、ガイアスはへの字口を騙し騙し笑う。

 

「ウタロで公爵家の一団を見かけてな、それとなく水を向けたら嬉しそうに語ってくれたよ。なんでもお坊ちゃんの意中の人物は、歳の頃は十七、八の娘で? 髪は空色、瞳は海の青。妖犬を二頭連れているというじゃないか。なんだろうな、知らない娘の気がしない」

「えぇっ! そんな話になっているんですか!?」


 それは困ると弁明するムギの慌てようは、照れ隠しでやっているように、ガイアスの目には映った。

 わけもなく抱き寄せる腕の力は強くなり、彼のため息で、ムギの髪が揺れた。


「帰りが遅くなって、寂しい思いをさせた俺が悪いんだが……。君のために奔走していたというのに、帰って来たらまさか、他の男に取られているなんてなぁ」

「ひ、人聞きの悪いことを言わないでください! ローディス様に知られたら、どんな恐ろしい罰を与えられるか……って……。そもそもガイアスさんとは、そんな関係じゃないですよね!?」

「そうなるはずだったのに、あんまりじゃないか。なぁ? 俺の小鹿さん」


 ガイアスが懐から取り出したのは、二通の書類だ。ひとつはムギの身分証、そしてもう一方はいわゆる婚姻届だった。ご丁寧に、新郎のほうの記載事項は埋められている。


「ほ、本当に、そこまでするつもりだったんですか」

「俺が本気じゃないときがあったか? 君との夫婦ごっこを楽しみにしてたんだぜ?」

「そ、そういうところですってば……」


 いつもなら、曖昧に笑って誤魔化すところだが、今日のムギは今までとは違う。ワトゥマと本音でぶつかって、変わったのだ。


「いろいろ教えてくださるときの真面目な顔が、ガイアスさんの本当の顔だって知ってます。そっちはその、嫌い……ではないですよ? なのに、そうやって茶化すから……。なんていうのかな……、もったいないと思います」


 さりげなく腕をほどいたムギこそ、真剣な顔だ。いつにない姿に、ガイアスはわかりやすく驚いている。

 大事に育てているつもりの小鹿が、目を離したすきに急に大きくなってしまったようで、素直に喜べない様子だ。

 どうにか納得しようと唸るガイアスは、しばらくして大真面目な顔でムギを覗き込んだ。


「つまり、結論としては……。君は俺を好いてくれている、ということでいいな?」

「えっ!?」

「よくない。嫌いじゃないってだけだ」


 マズルに皺を作って、マムートがあいだに入る。妹に続いて主人まで奪われてなるものかという強い意志が、犬歯と一緒に剥き出しだ。


「まぁまぁ、にに様。ここはワトゥマたちの出る幕ではありませんの。あとは若いお二人で、ですの」

「おいっ、こら、ワトゥマ、やめろ、押すな、俺が、ムギを、守るんだ」

「はいはい、でーすのー」


 ワトゥマに尻をせっつかれて、マムートは屋外へ追いやられた。一緒に表に出るワトゥマが、扉が閉まる刹那、ムギをちらりと振り返って器用にウインクした。

 うまくやってくださいですの――、そう言っているようだ。

 暴走こそしていないが、ワトゥマの世話焼きは相変わらずだ。よくよく言い聞かせるのは後に回し、ムギは咳払いひとつして、直面中の問題に向き直る。


「あのですね……。いろいろと誤解が生まれてしまったようですが……」


 かくかくしかじかで、ローディスの心を射止めたのはワトゥマであること。ムギは()()()()あって、結婚に前向きになれないことを切々と訴えた。

 特に、ガイアスへの好意については、あくまで師弟感の思慕からだと強調しておくのも忘れない。


「そ、そういうわけですから、夫婦を装う必要はなくなったんです。いろいろ気遣ってくださって、ありがとうございます。身分証の発行にかかった費用などは精算しますので……()()()書類もまとめて、頂戴しますね?」

「おっと、焦るなよ」


 書類に伸ばされたムギの手から逃げるように、ガイアスの手は高く掲げられた。ムギが一生懸命背伸びしても、飛び上がっても、かすりもしない。


「君に確かめたいことは、まだある」

「な、なんですか……」

「君の言った通り、身分証の再発行も照会も、あちら側に求めるのは無理だったよ」


 ()()()()――。

 身分証の再発行を依頼するにあたって、エンシェンティアでの存在証明自体がないムギが、創造主の立場で考えた抜け道だ。


「イル・ルファンの河は海に繋がらない……の喩えは、あながち間違いじゃないみたいだな」


 南洋に浮かぶ小さな島国イル・ルファン――魔法研究が盛んであるとの情報があるくらいで、詳しくは知られていない謎めいた国だ。研究の成果がよそへ洩れないように、国を閉ざしているというのがもっぱらの噂だが、それすらも真相は誰も知らない。

 ムギはイル・ルファンの秘密主義なお国柄を利用して、師に連れられてイル・ルファンを出国してきた、という設定を新たに付け加えたのだった。


 イル・ルファンが、問い合わせのあった自国民の情報すらも他国に開示しない以上、ムギの身分証はあくまで自己申告をもとに非正規に作り直されたものとなる。ガイアスはそのあたりをうまく交渉して、知人をせっついてくれたようだが、引っかかることがあるという。


「イル・ルファン側はともかくとして、ノルファリアの入国記録ならまだ調べようがある。念のため調べてもらったよ。どの港を探しても、君の記録が見つからない。どうしてだろうな?」


 詰め寄る紅の瞳は笑っていない。ムギはこの目が嫌いではない……だが、苛烈とも言える力強さに、気後れしてしまって、真っ直ぐに見つめられない。


「あ、あ、あ、あの……断じて密入国したわけではなくて……! 女神様(師匠)におんぶに抱っこだったから、あれよこれよでぇ……」


 嘘はついていない。だがガイアスの顔に、納得の色が浮かぶはずもなかった。


「俺は……、二年前に奇跡を起こしたとされる聖女も、君と同じなのではないかと疑っている」

「せ、聖女……リリベル様……でしたっけ? イル・ルファン出身かもしれないんですか?」


 かの国にメインキャラクターはいなかったはずで、記憶を振り返ってもやはり、ムギは聖女に心当たりがない。

 ガイアスは硬い表情で首を振る。


「彼女も、奇跡を起こす以前はどこでなにをしていたのか、生まれはどこなのか、知るものもいなければ一切の記録もない。自ら名乗ったリリベルという名前以外、なにも覚えていないというが……どう思う?」

「ど、どうって……わたしが知るわけないですよ……」


 ムギは途端に、鼓動が速くなるのを感じた。

 ガイアスには、エンシェンティアの外から来た招かれざる客だと見抜かれているのではないかと、不安が募る。

 それと同時に、聖女も転生者かもしれないという可能性に動揺を隠せなかった。


「ふ、不明な点が多いからといって、わたしと聖女様を並べて考えるのはどうかと……あ、いえっ! わ、わ、わたしは、ちゃんとイル・ルファン出身ですけどっ……!」

「杞憂ならそれに越したことはないんだがな」


 彼の得物が弓矢であるように、その目には対峙するものを射止める鋭さが宿る。


「リリベルは……窮地を救ったのかもしれないが、一方で獣人からは居場所を奪った。君は? この国になにをもたらす?」

「で、ですから、わたしは聖女様とは違いますし……。国を揺るがすような力もありませんよ……」


 あったとしても、人前で使うつもりはない。


「わたしはただ、このノルファリアが……ううん。エンシェンティアが好きで……。大切だから、以前のように平和で幸せに満ちた世界でいてほしい……とは思っていますけど。でも、現状をひっくり返すのなんてできっこないし……」


 勇気も覚悟も足りない。なによりやはり、ムギの根底にあるのは、目立ちたくない一択だ。だが――。


「だけど、せめて……マメタたちの物語くらいは、ハッピーエンドでしめくくれるように見守りたい……そう思って、ここにいます。わたしがいまノルファリアにいる理由は、ほ、本当にそれだけなんです」


 まだ疑いを払拭できないのか、ガイアスは瞬きもしない。ここで目を逸らしたほうが負け、そんな気がしてムギも眉根に力を込めた。

 力んでいるのに、困り顔になってしまうのがどこか抜けている。それでも、お互いに視線が揺らぐことはない。

 子供じみた意地の張り合いのようだが、そこにムギの信念の強さを見極めたガイアスは、ようやく掲げた腕を下ろした。


「そこまで想われるあの犬たち……特に黒いほうは、君にとってなんなんだ」

「家族……? いえ……半身です」

「それはまたでかく出たもんだ。はぁ、まったく、羨ましいね。それなら俺も、犬に生まれたかったな」

「な、なに言ってるんですか、もう……」


 やっと手元にやってきた不要な書類を、今すぐ火にくべてもよかったのだが、ムギは部屋の片付けを理由に後回しにした。

 身分証とあわせて持ち直すと、空欄の部分に自分の名前がぴったり重なって、なんだか気恥ずかしい思いがするのだった。


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