師を得る
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「――俺はてっきり、若い娘にありがちな大袈裟な話だと思ったんだが……」
ワトゥマに住処まで案内されたガイアスは、ムギを呆れ顔で振り返る。
「本当にヒポグリフとはな……。ここいらに出ると聞いて、俺も狙っていたんだが先を越されたか」
「す、すみません……」
「それで? こいつは、どうするつもりで仕留めた?」
食肉、素材として加工、自家用、売買用――狩りの目的は様々だ。用途によって、困りごとの種類も変わってくるだろうとガイアスは問うている。
ムギは恥ずかしくて、とても小さな声で答えた。
「お、お肉が……食べたくて……。小鳥なら捌けるかと思ったんですけど……」
もはや鳥ですらない。
「思っていたより大物で……」
「手に負えなくなったってわけか」
ガイアスは呆れた様子で鼻を鳴らす。
「結論から言うとな、こいつはもう食肉にはならない。すぐに血抜きして内臓を出さないと、臭みが回ってとても食えたもんじゃなくなるんだ」
「そ、そうなんですか……」
食せたとしてもどこか躊躇いがあったムギは、胸を撫で下ろす。だがそれはそれでヒポグリフに申し訳なくて、そっと手を合わせた。
「さて、そいつは食えないとわかったが、どうする?」
「どう……?」
ガイアスは辺りをぐるりと見回す。
小さな家、筵に並べられ日干しを待つばかりのユカの実、木々に綱を渡して干された洗濯物――。目の隅に捉えた衣類の数で、人間がムギしかいないのは明らかだ。
「こんな山奥にいるくらいだ。普通の娘よりは肝が据わっているんだろうが……。君はちゃんと、それに見合う備えをしてきたか?」
ガイアスは自分のこめかみのあたりを、指先でとんとんと叩く。
「狩りの心得は? 獲物の特性、利用価値は?」
「あの、えっと……」
「食えなければ、仕留めて終わりか? それなら、こいつはなんのために、君に命を差し出したんだ?」
急に問い詰められて、ムギはまた縮こまる。
小さなため息が頭上から落ちてきた。
「山暮らしは気ままでいいとか、うわべばかりに夢を見て、なんの覚悟もなしに移住する奴も多いんだよな」
浅はかだと突きつけられたようで、ムギは顔を上げられない。
主人公の窮地を察したワトゥマが、自分が勝手にやったことだと口を挟みかけるも、マムートはそれを制した。
今はそうすべきでないと、妹を諭す。
ガイアスは腰の矢筒から矢を一本引き抜き、ムギの視線の落ちるほうへ差し出した。
「この矢尻、君にはどう見える? 大きいか、小さいか?」
よく研かれた鉄製の矢尻だ。山状の尖った先端から、裾にかけては少し平たく打たれている。大きさはムギの小指ほどだ。
「小さく、見えます」
「ああ。それでも、生命を奪うには十分だ。だから俺には、小さいが黄金より重く感じられる」
ムギが顔を上げると、再び鋭さを宿した紅い瞳がそこにあった。それは獲物との距離感を定める目――彼にとってムギが利となるか害となるか、見極めようとしている目だ。
差し出された矢を受け取って、その重さをムギは噛み締める。
「ガイアスさん」
声が――、指先が震える。
「わ、わたしは訳あって、ここで暮らすと決めました。詳しくは言えませんが……」
視界の端にマムートを捉えて、ムギは大きく息を吸う。意を決して、腹に力を入れた。
「この暮らしを手放したくありません。ガイアスさんの知識と経験を、わたしにお貸しくださいませんか?」
ガイアスの口の端に、微かに笑みが浮かぶ。
瞳からは、射抜くような紅い光が消えた。
「俺の講義代は高いぞ?」
「わ、わたしに支払えるものか、ご参考までに……」
涙目のムギの頭に、大きな手のひらが降りてくる。それは思いのほか温かく、ゆったりとムギの不安を包むように上下した。
「そうさなあ。解体と汎用性の手解きをするとして――、このヒポグリフから採れる素材を丸ごといただこうか」
ガイアスの目算によると、食肉分の価値を除いても、日本円にして数十万は下らないという。
現時点で金銭に執着はなく、むしろ大金を持つほうが恐ろしいと感じているムギに迷いはない。
「よろしくお願いします!」
そのあまりの潔さに、ガイアスのほうが面食らった様子で、しまいには吹き出した。
そうしてムギはガイアスの手解きのもと、ヒポグリフの解体に真正面から向き合うこととなった。
どこをどう断つべきか――、ガイアスは言葉で説きつつ、ナイフは初めからムギに握らせた。
実践は、ガイアスがムギの手を取って行った。
皮を断ち、肉を切り、骨に触れる感触が、刃先から伝わってくる。初めての感覚に怯え、ムギの手は震えてしまった。
「迷うなよ。切り口が揺らげば、値打ちにも影響するぞ」
「は、はいっ……」
「それとも……、震えているのは怖いからじゃなくて、こっちのせいか?」
ガイアスはムギの手を握り直して、悪戯に喉の奥で笑った。
ムギは緊張のあまり失念していたが、ぴたりと後ろから抱え込むような、かなり密着した体勢である。
「ガイアスさんっ、手元が狂います……!」
「ははっ」
マムートとワトゥマに励まされながら、ムギは一日を費やして、どうにか最後までやり通した。
ヒポグリフの上体部分からは羽毛と骨を、馬の下半身からは毛と皮を採取した。
また、人間用の食肉にはならないが、妖獣の飼料としてなら買い求めるものもいるとして、肉も切り分けて取っておいた。
すべてをやり終えた時には、すっかり手指がこわばって、どっと疲れが襲ってきた。
それでも、その手に残った痺れは確かな達成感をムギに残した。
逃がさないよう大事に握り込み、ムギはほっと息をついた。




