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ここから先は、筋書きなしで――。


 里に帰った妖犬たちは、石の広場に集まってムギを歓迎した。大小様々な犬たちが、次から次へ腹を出して甘える姿に、ムギは極楽に昇った気分だ。


「ムギ様」


 一番大きな石柱を背にして、小柄な白い妖犬がゆったりと口を開く。


「このたびは、息子を正しく導いてくださり、また――わたくしたちの誇りと尊厳を守ってくださいまして、ありがとうございました」


 マムートらの母、シェルマは深々と頭を下げた。

 その隣で、ワトゥマも全身で喜びを露わにする。


「カポル、とーってもおいしいですの。にに様、ムギ様、ありがとうですの。かか様も早くいただきましょー」

「こら、ワトゥマ」


 マムートは行儀よくするように、自分より数倍大きな妹に頭をこすりつけた。姿はもとの黒柴犬に戻っている。里に戻り、みなの無事を確認すると、緊張の糸が弾けるように変化も解けたのだった。

 それには、マメタ推しのムギもようやく安堵の息をつけた。


「ムギ様はしばらく滞在なされますか? あいにくと人間用の寝床はございませんが、どうぞごゆっくりお過ごしくださいね」


 シェルマがゆったりと微笑みを深める一方で、ムギは青ざめる。


「お……、お前の寝床ないから早く出てけ……ってことですね!? すみません、すみません!」

「母さんはそんなこと言ってない」

「そうですの。ずーっとここにいてくださいですの」


 寝床がないならこれはどうかと、妖犬たちが自然と集まってくる。ムギの背中にぴたりとくっつき、温かでもふもふな寝床ができあがった。

 それだけでムギは夢心地だ。


「これから毎日ムギ様の枕になるですの」


 カポルで口周りを汚したワトゥマが、さぁ来いとばかりに腹を出す。

 白い毛を黄色く染めた果汁を丁寧に舐めとるのは、マムートの役目だ。ワトゥマはすっかりそれに甘えている。

 その無邪気な姿からは、妖犬救出に一役買った機転の良さは、とても想像がつかないだろう。こうして面倒を見てくれる存在が近くにあるから、しっかり者の根っこを休ませていられるようだ。


 兄妹のほのぼのとした姿を、ムギはうっとりと眺める。

 いつまでも見ていられるし、見ていたかった。


「なぁ、ムギ……」


 マムートが、ためらいがちに口を開く。またも見つめすぎだと塩っぱい顔で言われると思ったムギは、先回りで謝った。


「ごめんね! あと十秒だけ! 心のメモリーに保存させて!」

「ちょっと、なにを言っているのかわからないが……。なぁ、これからどうするか決まったのか?」


 マムートの黒目は、なにか決断を迫るようにまっすぐムギを見つめている。

 おつかいを手伝いながら、今後ノルファリアでどう生きるか考える――。マムートにくっついていくために捻り出した言い訳の回答を、ムギは求められていた。


(そうだ……。おつかいが終わったら、もうマメタと一緒にいられないんだ)


 彼が無事に長生きできる未来を見届けるつもりでいたが、理由がなければそばにいられない。

 いくら妖犬たちに気に入ってもらえたとはいえ、このまま里に留まる図太さは、当然ながらムギにはなかった。

 おまけにムギは、ローディスとの間に因縁を残してしまった。近くの町に住まってマムートのストーキングを継続する手もあるが、いずれ公爵となるローディスが治めるこのリーヴェの地に、ムギの住まう場所が残されているかは、いささか危うい。


 妖犬を守るのに必死で、そこまで気が回らず結果としてマムートを見守れなくなってしまったことを悔やんでも、取り返しはつかない。


「えっと……、なるべく人と関わらないように、このあたりの山にでもこもろうかなぁ……」


 そして時々、木陰からマムートを観察するのだ。もちろんそこは口には出さない。

 だが狂気()が滲み出てしまうのか、マムートはぶるぶるっと体を震わせた。スマートフォンがあったなら、柴ドリルとも呼ばれる瞬間を激写できたはずだ。


 マムートは居住まいを正し、咳払いひとつすると、ムギに改めて向き直った。


「ムギ。お前には本当に感謝している。お前がいなければ、こうしてみんなと里に帰れはしなかっただろう」

「マ、マメタったら! わたしはなにもしてないのに、大げさだよ」

「いいんだ。お前に自覚がなくても、俺がそう思っているんだ」

「うっ……!」


 もうすぐ夜がやってくるというのに、マムートの背後から日が昇るような眩しさを感じてムギの目は眩む。

 積もりに積もったキュンで、呼吸困難さえ起こしそうだ。

 そんなムギを、マムートの次の一言がさらにトドメを刺す。


「俺は、ムギを主人にしたい」


 お手をするようにムギに前足を差し出して、マムートはふっくりと笑む。はたで耳を傾けていたワトゥマまで、黄色い声をあげた。


「俺と主従の契約を結んでくれ」

「だっ、だっ、だっ……だめだよ、そんなの! マメタはわたしに騙されてるだけだよ!」


 もふもふチャームで魅了されて、特別なものに見えているだけだとムギは遠慮する。

 しかしそれは、魔法を無効化するマムートの背中を後押しするだけだ。


「母さんが言っていただろう? 妖犬は鼻が利くんだ。俺はもう、お前の匂いを覚えたぞ」


 心に一人と決めた主人を持つことに憧れてきたマムートは、晴々として、どこか誇らしげだ。

 マムートと主従になれば、この先ずっと一緒にいられる――ムギはそれを嬉しく思いながらも、頷くことができない。

 なぜならそれはもう、ムギの知る物語では完全になくなってしまうからだ。


 返事のないムギを、マムートは首を傾げて見守る。翳りのない瞳は、心の中まで見透かすように真っ直ぐだ。

 これを突っぱねる勇気がムギにはない。だが、勇気がないなりに覚悟は決めて、ムギはマムートではなく自分自身の説得を試みた。


(迷うな、ムギ……マメタの運命を変えたいなら、これは好機以外の何物でもないはず……。だってマメタは理想のご主人様を探して冒険に出て、命を落としたんだから。そうだよ、それなら――!)


 ムギのネガティブ迷路の隙間を縫って、一筋の光が射す。


ご主人様(わたし)が外の世界と関わらなくていい引きこもり生活をしたら、死亡フラグを完全回避できるのでは――!?)


 これから犬の主人になるとは思えない不健全な将来設計を立てながら、ムギはマムートの前足に手を重ねた。

 すると、羨ましげに見守る妖犬たちのなかから、ワトゥマがぴょんと飛び上がった。


「ワトゥマもムギ様の犬になりたいですの!」


 兄が一目置く人物なら間違いないはずだと、ワトゥマから寄せられる信頼は幾重にも篤い。

 彼女こそ、チャームの影響をもろに受けているに違いなく、ムギはなんとか断ろうとしたのだが――。


「だめ……ですの?」

「はぅっ……!」


 伏せからの上目遣いで懇願されたら、ひとたまりもなかった。



 ***



 まさかの急展開でメインキャラクター二人を従えることになったモブ(ムギ)は、自分で創った作法に倣って契約の儀式を取り行った。

 必要なのは主人となるものの少量の血液――ムギは怖々と指の先を傷つけて、赤い雫をぷくりと搾り出す。


「俺たちの額に、その血でお前の好きな模様を描いてくれ」


 こんな時に洒落たデザインの一つでも思いつけばいいのだが、なにも思い浮かばないムギは、せめて二人への愛しさと健やかな成長への祈りを込めて、綺麗なハート模様を描いた。


 額に描かれた赤い紋様から、蒸発するように柔らかな光が放たれる。光の粒は二頭の妖犬に降り注いで、首もとで輪を描いて消えた。毛並みに血の痕はまったく残っていない。


「これでいいのかな?」

「ああ。今ので俺たちには、ムギの枷がはめられた」

「ムギ様のご許可なしに、おそばを離れることはできませんの」


 目には見えないが、ムギの手と首の輪っかが繋がっているのだという。


「もし契約を解除したくなりましたら、紋様を思い浮かべながら、同じ場所に口づけしてくださいませですの」

「まあ、それは頭の片隅にでも置いていてくれればいい。契約の解除なんてさせないぞ。ずっとそばにいてほしいと言ってもらえるような、立派な働きをしてみせるから、期待してくれ。ムギ」

「ワトゥマは褒められて伸びる子ですの! ムギ様のために頑張るですの!」


 我が子のあまりの尊さに、ムギはとうとう倒れた。動悸、血圧上昇、呼吸逼迫で花畑が見える。

 だがなぜかとても幸せで――、今なら後悔をなにも残さずに天にも昇れそうだった。







 第一章 第三話 主従の契約 終

  第二章に続く

 


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