妖犬たちの選ぶ幸せ
「た、たいへん失礼いたしました。わたしたちが、早とちりしていたようです。あの、それでですね。妖犬の保護……というのが、具体的にどういうものかお伺いしても……?」
「ほう、村娘にしては殊勝なようだ。いいだろう、同じ犬好きのよしみで聞かせてやろう」
ローディスがぱちりと指を鳴らす。すると狼たちはそれぞれ、椅子と肘置きになるべく身を差し出した。身を預けたローディスは、ゆったりと毛並みを撫でながら語る。
「僕はいずれこのリーヴェの地を受け継ぐ立場にあるが、領主の仕事とはなんだと思うかね?」
「えっと……」
「回答が遅い」
「すみません!」
王族の教育係という血筋がそう印象づけるのか、ムギはどことなく学校の教室にいる感覚を思い出した。
「領民が健やかで、安らかに暮らせるよう努めるのが、領主の役目だ。では領民とは?」
「ご領地に住む……方々です」
「違う、大間違いだ!」
「はいっ、すみません!」
スパルタ教師を非難するより、出来の悪い自分を責めてしまうのがムギの性分だ。これ以上、彼の機嫌を損ねないよう、おとなしくご高説を拝聴する。
ローディスはやれやれと肩をすくめながらも、面倒がらず、寧ろ得意げだ。
「領内に住まうものは、ヒトも獣も等しく領民だと、僕は思っている。この僕がリーヴェを治めるからには、妖犬狩りをはじめとした妖獣に対する蛮行は決して許さない。そこで、僕は考えたのだよ」
整った鼻筋を上向かせ、歌うようにふふんと小さく笑う。
「リーヴェに住まう妖獣をすべて、このヴァルド家の庇護下におくのだ」
その手始めに狙われたのが、マムートの里だった。
「僕を筆頭に、一流の妖獣使いが健康状態の把握、管理、訓練までを担う。冒険者など妖獣を求めるものには、素行および経済状況の審査を実施し、期限付きの貸し出し契約を結ぶのだ。まさか公爵家の妖獣を盗み、売ろうなどと思う愚か者はおるまい」
「それは……そうかと思いますが……」
「なんだ、不満があるのか村娘」
実現できるなら、妖獣たちを守るためにはまたとない計画であると、ムギにも共感できる部分はあった。妖獣の派遣をとりしきる公爵家というのも興味深い。
だが――。ムギはちらりと後ろを振り返る。マムートの表情に喜びはない。それどころか妖犬たちもみな、同様の顔でローディスを見据えている。
犬の集団を見ているはずが、ムギはチベットスナギツネの群れに紛れ込んだように錯覚した。
「あの、お言葉ですが……妖犬さんたちは納得していないように思います」
「納得できずとも、有益であるのは明らかではないか」
そうだろうと同意を求めるローディスに頷くのは、二頭の狼だけだ。
「衛生的で快適な居住空間、質のいい食事、妖獣としての成長――。そしてなにより、略奪に脅かされない暮らしを約束しているのだよ? これ以上の幸せはないではないか」
「それを……妖犬さんたちは望んでいるんでしょうか?」
「なんだと?」
「だって……ここにいる妖犬さんたちは、ちっとも幸せそうに見えません」
ムギは、マメタがたったひとりの主人を見つけることに、どれほどの期待を抱いているか知っている。それは、こんな形で叶えられていい夢ではないはずだ。
公爵令息に対する不敬で人生終了を自覚しながらも、ムギは妖犬愛ゆえの熱い想いに口を閉ざせなかった。
「安心して暮らせる環境は、もちろん大切です。でも……心がしおれてしまったら、健やかとは言えないんじゃありませんか?」
「僕が主人となり、仕事の斡旋もするのだぞ。これ以上の名誉はないだろう」
ローディスの眉根が寄せられるのを、ムギは敏感に察する。拳を固く握って、後退りしそうになる足に重心を乗せた。
「な、なにが名誉で、なにが幸せか選ぶ権利は……、妖獣みんなにあるはずですっ。彼らの意見も聞かずに、理想を押し付けて無理やり保護するなら……、しっ、失礼ですが、それは妖犬狩りと変わらないと思いますっ」
「貴様、二度も三度も……もう勘弁ならんぞ! ナルス、ヴィゴー。躾のなっていない娘に仕置きしてやれ!」
ローディスは、ムギに狼たちをけしかけた。
巨躯に比例した爪が床を蹴り、一瞬にしてムギに飛びかかる。大きな口が裂けるように開かれ、牙がぎらりと光を放った。
誰もが、少女の華奢な体が噛み裂かれる光景を思い浮かべた。
思い浮かべるとともに、体が動く。マムートはムギを抱えて飛びすさり、妖犬たちは力を抑えつけられているなりにも、一斉に狼に飛びかかった。
そうしてムギが無惨に散る未来は避けられたのだが、彼らはひとつ思い違いをしていた。
「ナ、ナルス! ヴィゴー! なにをしている!?」
どうやらそれはローディスも同じで、驚きを露わに狼たちを見つめる。
なんと狼たちはムギを屠るつもりなど毛頭なく、巨体を伏せて尻尾を振っていたのだ。まるで撫でられるのを待つように、穏やかな瞳で見つめる素振りさえ見せるではないか――。
戸惑うムギを安心させるためか、ついには四肢を突き上げて腹まで出した。これにはローディスも狼狽する。
「な……なんだと。僕にしか差し出さない腹を、なぜその娘に見せる!?」
「申し訳ございません、ご主人様。ですが、このお嬢さんだけは傷つけたくないのです」
「さあ、どうぞ。お嬢さんの好きにしてください」
ナルスとヴィゴーの両名は、きらきらと期待に満ちた瞳でムギを見つめた。
(はわわわわ……おっきい狼さんが、わんちゃんみたいにごろーんって……! なんて無防備な姿……可愛すぎて胸が苦しいよ!)
目の前に、他では絶対に味わうことのできないもふもふが転がっている。
欲望のままに、その腹毛に顔をうずめてむしゃぶりつきたいとムギは思った。
だがふと我に返る。
彼らがローディスの命令に背き、こんな姿を晒してくれているのはなぜか――。無論、もふもふチャームの効果に他ならない。
それを自覚した途端、ムギは冷静になれた。
(だめだ。力で好きにしたら、わたしもこのひとと一緒になってしまう)
ムギは、狼たちを切なげに見つめるローディスを、ちらりと見やった。
(この子たちをもふもふしていいのは……、きちんと絆を育んできたに違いない、このひとだけだ)
なにも知らない眼差しで、ナルスとヴィゴーはムギに触れられるのを待っている。
今もふらなければ、こんな機会は二度と訪れないだろう。後で大いに後悔することは目に見えてたが、ムギは涙を呑んで狼たちの頭をひと撫でするに留めた。
「牙を収めてくれて、ありがとうございます。あなたたちのご主人様に、失礼ばかりしてごめんなさい」
「いいえ、お嬢さん」
「貴女からは、我が君と同じ匂いを感じます」
「手段が異なるだけで、ご主人様とお嬢さんのお心は同じところにあるのでしょう」
ローディスもムギもお互い、もふもふたちの幸せを願っているだけなのだ。
「ローディス様」
妖犬の群れの中から、後ろ脚を引きずりながら一頭の白い犬が歩み出る。
サモエドのワトゥマと似ているが、体の大きさがまるで違う。犬種でいうならスピッツだ。
「母さん」
「かか様」
ムギを抱えたマムートと、ワトゥマの声が重なる。
兄妹の母親はローディスに一礼すると、柔らかだが凛とした声音で語りかけた。
「わたくしたちをお気にかけてくださったこと、夫に代わり里を代表して、御礼申し上げます」
うっとりとする美しい声だ。
彼女が話し始めると、それまでローディスに敵意を剥き出しにしていた妖犬たちが鎮まった。姿勢を正して、彼女の後ろに控え直す。
「此度の件で、里の防備を見直す必要があると思い知りました。里へ戻りましたら早速、みなで改善に取り組みましょう」
「なにを言うか。この僕が守ると言っているのに。これ以上に安心して暮らせる場所はないぞ?」
体は小さいが、堂々たる気品に満ちた妖犬はゆったりと首を振る。
「わたくしたち妖犬は、鼻が利くのです。地に吹く風のなかを駆けながら、おのが魂を尽くせる主人の匂いを嗅ぎ分けております。そうしてみな、立派な妖犬として巣立っていくのです」
言葉や口調は優しいが、言外に、お前は主人の器ではないのだと、含められているのがわからぬローディスではない。
慈しみ、愛を注ぎたかった存在にこうも冷静に諭されては、さすがの彼もぐうの音さえ出なかった。




