公爵家嫡男ローディスとの直接対決
扉の先は一階層低く床が造られた、広々とした空間になっていた。
ゆるやかに傾斜した階段が観客席のようにぐるりと周囲を取り巻いていて、円形闘技場のような雰囲気だ。
「まだ抵抗するか、妖犬たちよ」
マムートとムギの開けた扉の音は、朗々と響く青年の声にかき消される。
円形の広間の中央に、茶褐色の髪の青年が立っている。穏やかな顔つきをしているが、高圧的な態度が怒らせた肩にせりあがっている。
彼こそが、里から妖犬を連れ去った首謀者のローディスだ。
「僕のスキル〈妖獣封じ〉の前に、己らの無力は十分理解できただろう。そろそろ素直になったらどうだね?」
自身の背丈よりも大きな狼の妖獣を二頭従えて、彼は威丈高にのたまった。
その様子を低く唸りながら、身を寄せ合って遠巻きに見つめているのは――。
「里のみんなだ」
マムートが小声でムギに示す。
若い妖犬が子犬や老犬を庇うように、前方に集まっている。
拘束はされていなかったが、魔法やスキルを封じられて、抵抗しようにもできない様子だ。
ローディスは満足げに妖犬たちを見回す。
「そう、妖獣もヒトも、個では無力な生き物なのだよ。だから手を取るのだ。なに、弱いことを恥じることはない。僕の飼い犬になれば、妖犬としての力を最大限に引き出してみせると約束しよう」
「勝手なことを言うな、みんなを返せ!」
マムートがかっとなって、飛び出した。
突如として飛びかかってきた獣人から主人を守るべく、狼の妖獣たちが立ちはだかる。
食らいつく大きな顎を、マムートは身を翻して余裕でかわした。
「なんだ、貴様は――」
「里を襲ったやつに名乗る名前はない。仲間を返せ」
すると、にわかに妖犬たちから明るい声があがる。
「その声……?」
「その匂い……!」
なかでも一際揚々と声をあげて、群れから飛び出してきた個体がいる。
「にに様? にに様ですの!」
真っ白で大きな体を跳ねさせて、サモエドの妖犬が駆け寄った。
「にに様! やっぱり来てくれましたの。ピノのおかげですの!」
「ああ、二人ともよくやってくれた。怪我はないか、ワトゥマ」
「はい、ですの!」
無事に再会を果たした兄妹に安堵しながら、ムギは物陰でひとり、声にならない叫びをあげる。
綿雲のようにふわふわでもこもこな毛並み、兄を「にに」と呼ぶ溶けるように甘く、ゆったり間延びした喋り声――。
想像通りに具現化した〈わたあめ〉の姿は、悶絶卒倒必至の可愛さで、ムギの胸を射抜いた。
***
「獣人のような見た目をしているが、貴様も妖犬か? ふん、ならば簡単なこと。力を封じて、躾け直してやろう」
「生憎だが、俺に魔法の類は効かない。それに……自分の無力なら、ついこのあいだ自覚したばかりだ」
弱さを知った戦士は強い――マムートの凛々しい立ち姿に、狼たちが巨躯をかがめて唸る。
一戦交えないことには、事態が収束しそうにない緊張感が張り詰めた。
そんな状況にあって、物怖じせずに二者の間を駆け回る毛玉がいる。
「喧嘩はよくないですの。平和的解決いたしましょう」
ワトゥマはローディスに向き直って、ぺこりと頭を下げる。
「ローディス坊っちゃま。ご覧の通り、お迎えが来ましたの。そろそろお家に帰してほしいですの」
「ならん! お前たちは僕の犬になるのだ」
「でもぉ、ワトゥマもそろそろいつもの枕で眠りたいですの。お願いしますの」
ワトゥマはごろんと転がる。雪の原のように真っ白なお腹を見せて、可愛く首を傾げた。
「ワトゥマ、よせ。こんな卑劣な人間におもねる必要なんかない」
「言わせておけば、犬の小僧め。我が君になんたる無礼! 許すまじ!」
狼たちが荒々しい咆哮をあげる。
いよいよ放っておけなくなって、ムギは立ち上がった。
「お、お待ちください!」
「まだ侵入者がいただと? 見張りは何をやっているのだ!」
「も、申し訳ございませんっ。わ、わたしたちがあれこれやらかして、勝手にここまで参りました!」
赤べこのように上へ下へと、ムギの頭は止まらない。
「公爵家の皆様に対する数々の無礼を、どうかお許しください。そして使用人さんたちには、どうか寛大なご措置を……」
「娘、貴様なにものだ」
「わわわ、わたしは名もなき、ただの犬好きですっ!」
絶対に名乗りたくないムギは、寧ろ清々しいまでに簡潔に言い切った。虚をつかれてローディスも返答に詰まっている。
「ご、ご説明させてください。この子は、そちらの妖犬さんたちと同じ里のものです」
マムートのそばまで降りてきて、ムギは言う。
「おつかいから帰ってきた彼は、もぬけの殻になった故郷を見て、妖犬狩りにあったのだと肝を潰しました」
「妖犬狩りだと? そのような下賤なものらと一緒にされては、僕も黙っていないぞ!」
「ひゃいっ、ごめんなさい!」
ムギはすでに涙目だが、大切なマメタのために頑張った。
「きっとお互いに、思い違いがあるんだと思いますっ……。妖犬さんたちを無事に帰してくださるなら、この子も牙を剥くつもりはありません。ねっ、マメタ! そうだよね!?」
「俺の怒りはおさまらないが」
「だめっ! 今だけでもそうと言って!」
「わ、わかった……」
普段がおとなしいムギだけに、強く出られるとマムートは弱い。尾をしおれさせて、引き下がる。
それをワトゥマは興味深く見つめた。
「わたしたちは、公爵家の方々が妖犬さんたちを連れ去ったのだと思っています」
「連れ去ったとは聞き捨てならん。僕は彼らを保護しただけだ」
「眠らせて連れていったというのは?」
「暴れて怪我でもさせてしまったら、元も子もないではないか」
ローディスの言にも一理ある。だがマムートはつい先ほど、恐ろしい部屋を見てきたばかりだ。
「嘘をつけ。毛を削いで、爪を剥いだ痕が、そこの部屋に残っていた。拷問して、何をするつもりだったんだ」
「毛、爪……? ああ、身だしなみを整えてやりはしたが……拷問などした覚えはない」
「それなら、夜な夜な聞こえてくるという、妖獣たちの悲痛な声はなんだというんだ」
「夜な夜な? 声?」
ローディスは身に覚えがないようだったが、ややしてふと何かに思い当たった様子で、狼の一頭を呼び寄せた。グリズリーほどもありそうな狼は、従順にお座りする。
「一日の終わりには、こうして……」
主人であるローディスに、マズルと顎を撫でられた途端、狼のぴしりと伸びた背筋は軟体生物のように溶けた。
ころんと腹を天井に向け、ローディスに身を任せる。脇から腹、脚の付け根まで撫でられ、揉まれ、狼の口から蕩けるような吐息がこぼれた。
「ふあぁあ、ご主人そこぉ! 痛いけどたまらない! もっとしてください!」
「妖獣たちの体を揉みほぐして、労ってやっているだけだが? ほら、ここだな? もっと強くしてやろう」
「はふぅぅぅうん……っ」
確かに切なげな声だ。これだけ聞けば、妖獣が泣いているように聞こえてもおかしくはない。
だがその声をあげている本人の表情は、どう見ても極楽にいる心地を味わっている。
(このひとはもしかして……発言や態度が悪役っぽいだけで、本当はただのもふもふ好きでは――!?)
妖獣との信頼関係といい、妖犬を保護するという発言といい――、ムギにはそうとしか思えなかった。
そうなると、妖犬の保護を強行した彼の真意が気になるところだ。




