拷問のあと……?
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やがて全員に茶が行き渡ると、侍従も侍女も広間の隅に控えて、いないもののように振る舞った。公爵がお出ましになるまで、静かに待てということだろう。
他にできることもないので一人、二人と温かい茶に口をつけ始める。ムギたちもそれに倣った。
公爵家を騙して大それた計画を実行中のムギには、せっかくの上等な茶の味もわからなかったが、疲弊して助けを求めてきた獣人たちは、久方ぶりの人並みのもてなしにほっと息をついているようだった。
全員が茶を飲み干し、焼き菓子を食べ終えたのを確認すると、使用人たちは隣同士目配せして頷き合った。
また、先の侍従が進み出る。
「申し訳ございません。少々、皆様を試させていただきました。こちらをご覧ください」
使用人たちが足元の紫紺色の敷物を、端からくるりと丸める。
毛足の整った厚い敷物の下から姿を現したのは、磨き抜かれたマホガニー色の床と、そこに描かれた大きな魔法陣だ。
「近頃、獣人を装って不当に保護を求める人間の報告があがっておりまして、見極めるために、この広間には変化等を解除するための魔法を施してあります」
ムギとマムートはどきりとして、互いに目だけ見合わせる。マムートの魔法耐性と、ムギの獣人へのこだわりが幸いして、つまみ出される最悪の事態は回避できたようだ。
「十分な時間、観察させていただきましたが、どなたにも変わった様子は見られませんでしたので、公爵閣下のもとへご案内いたします」
彼らは一糸乱れぬ一礼で無礼を詫びると、侍女らを残して別室へ向け歩き出した。それについていく獣人たちの最後尾に、従卒が連れ立つ。不測の事態はいろいろと鑑みているのだろう。
ムギは緊張で汗の滲む手を、ぎゅっと胸の前で握りしめた。
城の内部を移動している、まさにこの瞬間が妖犬救出の最大の要であった。
ちらりと隣を見上げて確かめたマムートの瞳が、頷くように一度まばたく。決行の合図であった。
マムートの懐に潜んでいたピノが、服の中を潜り抜けて、表へ飛び出した。その慎重で静かな挙動は誰の目にも咎められることなく、ピノは人々の足元をすり抜けて、廊下の奥へ躍り出る。
そこで初めて、我はここにありと大きな声を出した。
「やい! 公爵家の犬たち! オイラ、里に帰るぞ! 出口はどこだ! どこにあるんだー!」
キャンキャンと甲高い声で鳴きながら、ピノは辺りを走り回る。妖犬狩りに心当たりがあれば必ず食い付くはずだと、カマをかけた。
すると狙い通り、侍従と従卒の顔色が変わった。
「ローディス様のもとから逃げ出してきたのか!」
「大変だ。一頭でも逃してしまったら、後で我々がお叱りを受ける!」
「捕まえろ!」
きびきびとしていた彼らが、一頭の妖犬に振り回されている姿は滑稽であった。
ピノは小さな四肢を一生懸命動かして、とんでもない速さでその場から姿を消した。
「あっ!」
取り逃がし、行方の知れなくなってしまった妖犬に侍従らが焦りを露わにする。
そこでマムートが一声。
「大変だ! 俺も一緒にお探ししましょう!」
そう言って、走り去る。
続いてムギも、慣れない芝居を頑張って演じた。
「ま、まぁ、あなたったら! いいところをお見せすれば、公爵様に特別に取り計らっていただけると思って、そ、そんなに張り切って……! 恥ずかしいわ、おやめになって……!」
マムートの後を、目にも止まらぬ速さで追いかける。呆気に取られるあまり、従卒も彼らを止めることができなかった。
おまけに、ムギの甘言に助平心を刺激された者たちが、我も我もと妖犬探しに乗り出してしまったため、侍従らはその場を御しきれなくなってしまった。
こうしてムギとマムートは計画通り、侍従らの包囲を抜けてヴァルド城への潜入を果たした。
***
合流したムギとマムートは、城内を忍びのごとく走り回った。
妖犬たちの捕らえられた場所に、大方の目星はついている。
街で聞き込みしたところ、妖獣たちの声は決まって城の西側から聞こえてくるらしい。そして同じ西側には、公爵家嫡男ローディスの居室が設けられていることも調査済みだ。
「ピノくんは大丈夫かな」
「ああ、かくれんぼなら里一番だ。万が一、捕まったとしても行き先が同じなら、一緒に救出できる」
マムートが自信を持って答えるので、ムギもそれを信じて走る。
西棟への回廊前には見張りが二名立っていた。こんな時のための対処法も、打ち合わせを済ませてある。
マムートが物陰に隠れ、遠吠えを響かせると、それに続いてムギも叫ぶ。
「き、きゃあああ! ど、どうして妖犬がこんなところに……!? お、お助けぇぇー!」
下手すぎる演技がむしろ、ドジっ娘メイドのようでリアリティがある。見張りがどちらとも慌てて駆けてきた。
二人はじっと息を潜めて彼らが行き過ぎるのを待ち、西棟へと潜り込んだ。
「うまくいってよかったな」
「寿命が百年は縮んだよ……」
「そうか。ムギは長命種なんだな」
「もののたとえだよぉ……」
などと言い合いながらも、マムートは周囲への警戒を怠らない。そしてふいに、ある一室の前で足を止めた。
中から、妖犬の匂いが強く漏れているという。
緊張の面持ちで、二人はその部屋に忍び込んだ。
「なんだ、これは……」
目の前に広がる光景に困惑した様子で、マムートの耳がぴくぴくと動く。
それほど広くない部屋の中央に、作業台のような長机が置かれていて、奥の壁には広々としたキッチンシンクのようなものが作り付けられている。
そしてなぜか床には、大量の犬毛が山を作っていた。その存在感と言ったら、大型犬が一頭そこに佇んでいるように見えるほどだ。
マムートはそれに鼻を近づけて、ざわざわと毛を逆立てた。
「ワトゥマ! 母さんの匂いもする! これはみんなの毛だ!」
さらにその周りには、硬い爪の欠片がたくさん落ちている。
「これは……まさか毛を刈られ、爪を剥がれた痕か……?」
「えぇと……」
ムギは何か違和感を覚えて首を傾げるが、マムートはやりきれぬ焦燥を拳に握って、壁を叩きつけた。
偶然にもそこには何かの装置があり、手が触れるとともにかちりと音を立てて、部屋の仕掛けを作動させた。
突如、壁付けのキッチンシンクのような台に、水が溜まった。
「これは水責めのためのものか!」
「うーん……」
続いて、中央の作業台には温かな風が吹き付ける。炎と風を掛け合わせた魔法が組み込まれているようだ。
「水が駄目なら熱風だと――!?」
「えっと……」
「こっちの道具は? これでみんなの体を痛めつけたのか?」
壁にぶら下がった道具を手に、マムートは唸る。
針金がたくさんついたブラシ、工具でいうペンチに似た形をした刃物、刃先の異なるハサミが複数……。
ムギは室内の〈設備〉も含めて、それらに既視感を覚えた。生前、実家で犬を飼っていた頃の記憶が呼び起こされる。
(どう見てもスリッカーブラシに爪切り、ヘアカット用のハサミ……向こうはシャンプー台で、この温風はドライヤーの役割だよね……。つまりこの部屋って……)
公爵令息による妖犬狩りという不穏な雰囲気が、ムギのなかでどことなく違うものに変わり始める。
だがマムートは、相変わらず悲壮感を滲ませたままだ。
「ワトゥマ……みんな、ここでどれほど恐ろしい目にあったというんだ……。どうか無事でいてくれ」
「えぇっと……きっと大丈夫だよ」
「ああ、早く見つけ出そう」
マムートは毛の山から一部をつまみ上げ、大事に懐へしまった。
ムギからしたらトリミング、マムートにしたら拷問のためと思われる部屋を出ると、その少し先に地下へ続く階段があった。妖犬の匂いはそちらに続いているという。
さらに――周囲の壁の、足元に近いところに小さく傷がついているのを、マムートは見落とさなかった。
「これは、ワトゥマの爪の痕だ」
「わかるの!?」
「匂いが残っている。見ろ、ムギ。等間隔で下に続いている……!」
階段を降りきった先で道が二又に分かれていたが、ワトゥマの爪は右だと示している。
「誰かが――、ううん。マメタが見つけてくれると信じて、ワトゥマちゃんもここでできることをしてくれていたんだね」
「ああ、こういうところはしっかりしているんだ、本当に……」
マムートは爪痕を撫でて、立ち上がる。あとは一本道の先に、大きな扉があるのみだ。
家族と仲間の姿を求め、マムートは扉の奥へと飛び込んだ。




