後悔を力に変えて
そうして、次にわたしが目を覚ましたのは――宇宙空間といったていの……星々が瞬く、ただただ無限に広がった場所だった。ここはいわゆる異空間というところだろうか。
わたしはぼんやりした意識のなか、光を纏ったアール・ヌーヴォーな雰囲気の美女と対峙していた。自らを「変換の女神」と名乗る彼女に、第二の人生の存在を仄めかされ、あの鐘の音に苛まれていた……というわけだ。
こ、これは――。
「エブリワンスターになろうα(略してENa)」からアニメ化された作品でも、よく見る展開……。
転生または死に戻り確定演出だ!
ぼんやりしていた頭は途端に目覚めて、わたしは生まれて初めて……いや? 最期の土下座かな? とにかく誠心誠意で、女神様に懇願した。
「わたしはただの通りすがりの女に過ぎませんので、辞退してもいいですか!? いっそ一思いに眠らせてほしいんですが!」
だって、転生って、そういうのって……!
生まれ変わって変えたい何かがあるとか、どうしても成し遂げたい目標があるとか、譲れない信念を持った人に許される特権じゃないかしら。
わたしみたいなモブが「いえーい、今日はツイてるラッキー」って軽いノリで享受していいとは思えない。
女神様がきょとんと首を傾げる。美人がする無防備な仕草って、なんだかとても可愛い。羨ましいな。
「あらあら、それで本当にいいのですか? 悔いは残りませんか?」
やっても後悔、やらなくても後悔のわたしに、その質問は答えようがない。
女神様の、文字通り虹色をした虹彩がわたしを射抜いた。
「やり残したことはありませんか?」
そう言われると……。いや! 違う!
「そもそもわたし、生き返りたいわけではありませんし!」
「まあまあ、そう言わず。そうです、死の瞬間を振り返ってみてはどうでしょう?」
「え」
「そうしたら、あれもしたかった、こうすればよかったという後悔が溢れ出して、気も変わるかもしれませんよ」
女神様はにっこり笑って、ぱちりと指を鳴らした。瞬く間に、星々が散りばめられた贅沢なスクリーンに、死の直前のわたしの姿が映し出された。
玄関脇で不審な挙動を繰り返していたわたしは、慌てるあまり階段を踏み外し、ほとんど飛び降りるような格好で転落――。前傾姿勢のまま地面に激突したらしい。
うつ伏せになった頭部を中心に体液が逃げ出して、乾きかけのアスファルトを再びじわりじわりと濡らしていく。
死に顔は見れたものではない。それで目を逸らしたら、とんでもないものが目に飛び込んできた。
今日のわたしは、季節の変わり目にちょうどいい膝下丈のフレアスカートをはいていた。
転落時に煽られたスカートの裾は大胆にめくれ上がり、貧相なお尻が丸見えだ。
それを包むは今日のラッキーカラーの赤……。
毒々しいまでに鮮やかな真紅の総レースが、規格外の桃を無理やり贈答品にしようとしている背伸び感が否めない。
「まぁ、情熱的な色ですね。内に秘めたる闘志の表れでしょうか」
「違うんです! わたしの趣味じゃありません!」
誤解がないように言うと、たくちゃんの趣味でもない。
これはアウトレットの初売り福袋の中で眠らせていたものだ。ラッキーカラーを身につけたくても、他に赤色のものがなかったから、苦肉の策で引っ張り出してきた代物だ。
よりによって、何で今日こんな目にあったのかな!
あああ、なんてこと。これからこの転落死について語られるとき、きっとこの情報がついて回るんだ。
――あそこのアパートで人が死んだんだって。
――それがなんでも、あの一等ひき逃げ女だったって。
――地味なくせに下着だけド派手だったらしいよ。
――いやあねぇ!
わたしはこれから「赤パンのひき逃げ女」として、事故物件リスト入りするんだ。
「不運なうえに死んでも恥ずかしい思いをするなんて、あんまりだよぉ……。こんなことになるなら、はくんじゃなかった」
「ふむふむ――。転生先は、はかないスタイルの世界がよろしいですか? え、違う? ではあなたには、恥じらいを跳ね除けて幸ある未来を掴むための、特別な『幸運体質』を授けましょう」
女神様が何か仰っているけれど、羞恥からの困惑と、次第に騒々しくなっていく事故現場の声に紛れて、よく聞こえない。
とりあえず、はかないスタイルを回避できたことだけはわかったけれど。
アパートに、救急車とパトカーの赤いランプが近づいてくる。騒音で気がついた階下の住人が、通報してくれたようだ。
サイレンの音とともに少しずつ人が集まり始めて、わたしの痴態が人目に晒される。救急車到着までの間に、タオルをかけてくれた近所のご婦人、ありがとうございます……。何回かゴミ捨て場で見かけた方だと思う。
新品のタオルをお返ししたいけれど、もうわたしにはそれができないのが心苦しい。サイレンの音でやっと異変に気づいて出てきたたくちゃんたちが、気を回してくれるといいんだけど。
「そこまで、考えてくれるかな。なんだか、もう人間がわからなくなっちゃった……」
二人とも、わたしの死体に縋りついて泣くけれど、どういう気持ちでそうしているの――?
「わたしにひとを見る目があれば、二人の関係に気付けていたのかな。そうしたら、こんなことにはならなかったのかな」
口に出したら、鼻の奥がつんと痛くなった。
「承知しました。ひとやものの真価を見抜く、鑑定眼のスキルを授けましょう」
女神様がなにか、ズレたことを言っている。でもなんだか、何もかもが現実味を帯びていなくて、ツッコむのも疲れてしまった。
「こんなことにならなければ、ご飯を作って、お風呂に入って、ENaを覗いていたはずなのに……」
たくちゃんたちへの気持ちを閉ざしたら、こういう時にあれもこれもと出てくるのは、意外とどうでもいいことばかりだった。
冷蔵庫にしまってあるちょっといいお店のフルーツゼリー、まだ食べてない。明日発売のTL新刊、予約してあるのに読めないんだ……というか――。
「あやめ先生の連載、完結まで追いかけたかった……!」
もうあの世界に浸れない悲しみに、猛烈に襲われた。
あやめ先生の描くロマンチックな世界観と、獣の特性を生かしたリアリティ溢れる獣人さんたちの活躍が楽しみだったのに!
「ペット禁止のアパート住まいにして、本物のもふもふ感を体感できる貴重なナイトルーティーンが……」
「これはこれは、今までで一番強い念を感じます。わかりました。第二の生は、思う存分もふもふを堪能できるように、特別な魔法効果を添えて差し上げましょう」
……ツッコまないつもりでいたけれど、さすがにさっきから女神様の曲解が過ぎませんか!?
天然なのか故意なのかわからないけれど、何かズレているし、何としてもわたしを転生させるつもりの様子だ。
「あのっ、ですね! わたしはっ……神様の力を借りてまで、やり直したいこともなければ……次こそは幸せになろうと歩く気力もありません。できることなら、もう傷つかないように、ひとと関わりたくない気分です。
それにっ、転生して勇者になれとか、聖女万歳とか……! そういう展開を期待されても、絶対無理ですしっ。だからわたしじゃなくてもいいと思うんです……っ」
すると女神様は、またも無邪気に首を傾げた。
「麦。あなたは思い違いをしています。あなたはたまたま順番が巡ってきただけ。わたしはなにも、あなただからと選んだつもりはないのですよ」