町を救った少女の逃げ足は妖犬のごとく。謝る仕草は麦穂のごとく。
ポーラが降りてこられるように、ムギは障壁を消した。男たちには、少女を怖がらせないように手にした農具を下ろしてもらった。
「くそっ、ウタロの連中め。ただじゃおかねぇ!」
夜明けを待たずに乗り込むつもりか、ヤックはこめかみの青筋をぴくぴくさせる。
「あ、あ、あ、あのっ……」
血気にはやる若者をムギの頼りない声で引き留めるのは難しい。仕方なく、ムギは彼の袖をぐいっと引っ張った。
「あのっ……! ヤックさんは、その前にやるべきことがあると思いますっ」
「なんだって?」
「兎の獣人さんたちを解放して、きちんと……、しゃ、謝罪してくださいっ」
じっと見つめると、ヤックが眉を寄せる気配がした。よそ者が生意気な口をきいては手をあげられると思って、ムギは両腕を交差させて身構える。
しかしさすがにヤックも、そこまでの恥知らずではなかったらしい。
「まずは倉だ……行くぞ、お前ら」
彼は、見張りに立てる数人を残すと、若衆たちを引き連れて山を下り始めた。
ポーラはムギにしか懐かず、べったりとくっついて離れなかったので、ムギが連れていくことになった。
一段落して、ようやくムギは木陰の様子を覗くことができた。マムートが無事でいてくれるか気が気でなく、確かめるも怖いようだった。
「マムートくん、大丈夫……?」
「ああ、まだ少し痺れているが動けそうだ」
マムートは思ったよりもしっかりした声で答え、ゆっくりとだが自分で起き上がる。
ぶるぶるっと全身を震わせると、刺さった羽根はすべて抜けた。血も止まっているようだ。
ポーラがおずおずと口を開く。
「イヌ……ごめんね」
「気にするな。謝るなら俺ではなく、カポルを育てたユナのひとたちに謝ってやれ。できるな?」
「する、できる」
「よし。ポーラはいい子だな。さすがはカーラのお姉さんだ」
気丈に歩き出すマムートではあるが、まだ足を引きずっている。
「だ、抱っこしようか?」
「よしてくれ。これ以上、俺を惨めにするな」
マムートの矜持に応え、ムギは彼の後ろについて歩く。そうしてムギたちは、ゆっくり慎重に山を下りた。
夜明けを迎えたユナの町に戻ると、兎の獣人一家と町長が待ち構えていた。
セイレーンを従えたムギに町長は驚きを露わにしたが、町の窮地を救ってくれたことに深く謝意を示す。彼は、ポーラのたどたどしい謝罪も温かく受け入れ、カーラを必ず救い出すと約束してくれた。
「わたしたちの言葉を信じて、誤解を解いてくださってありがとうございました」
兎の一家は涙を流して、ムギの手を取る。
小さな男の子も元気そうで、マムートのことを追いかけながら、目一杯 外の空気を堪能していた。
「このご恩は決して忘れません」
「我が家の……いいえ、ユナの町史に大切に記しましょう。ね、町長さん」
「おお、そうだ。ぜひそうしよう。妖犬のマムートさんと……、お嬢さん。ぜひあなたのお名前を」
「へっ!? いえ! 名乗るほどのものでは……!」
望まない展開に、ムギは全力で回避行動を選ぶ。
「そう仰らず! もてなしの宴も三日三晩開かせていただきます!」
「いえいえっ! 本当に! 本当に結構ですので! 出しゃばってすみませんでした! 先を急ぎますので、これで失礼しますっ!」
ムギは脱兎のごとく駆け出した。その逃げ足の速さときたら、妖犬のマムートもびっくりの超速だ。
もう町を抜け、街道にまで出ている。
「おいっ……。すまない、町長。連れが行ってしまったから、俺も行くぞ」
マムートは先に言われていた通り、カポルが半分入った袋を咥えて、ムギを追いかけた。そのあとを、ポーラもついてきてしまう。
「待て。アタシもあの娘と一緒がいい。行かないで」
「悪いな、あいつは人間のくせに、人間に囲まれるのは苦手らしい。ここに戻るつもりはなさそうだ」
「アタシだって、ニンゲン怖い……これから、カーラとここで暮らすの? 不安……」
王命で討伐された生き残りとあっては、生きにくいことは多々予想された。カポル泥棒の真相がどうであれ、町のものの中にはセイレーンの姉妹をよく思わないものがいてもおかしくはない。
「生きる場所は自分たちで決めればいい。だが世話になったひと、迷惑をかけたひとたちには、ちゃんと挨拶をしてから飛び立つんだぞ。獣も人も、それが礼儀だ。覚えておけ」
「わかった。カーラにも、そう教える」
「もし、どこに行けばいいか迷ったら――東の大きな風車のある村を目指せ。あそこなら、お前たちでも受け入れられるかもしれない」
なにせ宿屋は、猫の手も犬の手も借りたいほど忙しい。鳥の翼だって、なにかの役に立つかもしれない。
マムートはそう言って荷物を咥え直すと、ポーラに別れを告げて再び走り出した。
***
「ああ、行っちまった」
物見櫓に登ったヤックは、街道に水色の髪の少女と黒い犬の姿を認めて、歯噛みをした。
獣人たちに謝罪はできても、過ちを正してくれた彼女たちには、まだなにも言えていない。それが心残りだ。
心を改めた青年は、一人と一頭に深々と頭を下げた。
そうして次に頭を上げたとき、彼は思いも寄らぬものを目にした。
街道から、あの少女がユナの町に向かってぺこぺこと頭を下げている。
その背後では、街道を取り巻く麦畑が朝陽を受けて黄金色に煌めいた。実り豊かな麦の穂は、少女と一緒になって頭を垂れるようだ。
ヤックが傾倒するノルファリアの聖女リリベルと並べるには、ぱっとしない少女だった。
だが袖を引っぱられて振り向いた瞬間、深い青の瞳から目が逸らせなかった。吹いたら折れてしまいそうな頼りない見かけをしているくせに、その瞳に映り込んだヤックの心まで澄ませてしまいそうな力強さが、そこには宿っているようだった。
「麦穂の乙女――なんて、似合いじゃないか」
ヤックは、腰の低い救世主をそう呼ぶことに決めた。
その名は後々まで語り継がれることになり、名付けたヤックは年老いてからもそのことを誇らしく語り継ぐのだった。




