カポル泥棒あらわる!
風もなく、虫も鳥も鳴かない、静かな夜だった。
寄り添うマムートの温かさにムギがうとうとし始めていると、不意に体を揺さぶられた。
マムートが突然、耳を震わせて起き上がったのだ。
「ど、どうかしたの……?」
「なにか声がしないか?」
「声? どんな……」
「小さな女の子の声だ。これは……歌、か……?」
「マムートくんっ!?」
かくりと肩から崩れ落ちるように、マムートは地に伏してしまった。気絶したかのようだが、口元には心地の良い寝息が通っている。
突如として、不自然な眠りに落ちたのは明らかだった。
ムギは周囲を見渡したが、若衆の誰も眠っていないことに困惑が深まる。
(どうして魔法が効かないはずのマメタだけ――!? 考えて、考えて……想像するんだ、ムギ! なにかある。きっとヒントがあるはずだ――!)
ムギは必死に考えた。
魔法を用いず、意図的に相手を眠らせることのできるわざなどあるか、と――。
(ある……というか、いる! エンシェンティアにいることは想定していなかったけど、獣人のモチーフとして調べた覚えはあるよ。ほら、あの神話の……!)
ムギは図書館の本の挿絵で見た姿を思い浮かべて、夜空に目を凝らした。そこには星々が瞬くのみ、なんの姿もない。
(じゃあ、じゃあ……眠ってしまうものと、起きているものの違いはなに?)
そしてはっとした。
(妖犬、兎の獣人――どちらも耳がいいよね……)
結界は張っているが、不安に駆られたムギは咄嗟に両耳を塞いだ。
(人間には聞こえない程度の声でも、彼らには聞こえていて、それで眠らされてしまったんだとしたら――。カポル泥棒は今も、歌いながら近づいてきているはず!)
上空で風がそよいだ。微かに、優しい調べが聴こえる。
見えない手で竪琴を奏でるように、風は木々を撫でた。枝は優雅にしなり、歌声と踊る。
それに魅了されるように、畑を囲んだ若衆が次々に夢の世界へといざなわれていった。
ただ一人立っているムギを不思議がる様子で、あどけない顔の少女は宙を旋回している。
腕と翼が一体となったヒトの上半身に、下半身は羽毛に覆われた猛禽の足。生まれ持った歌声は、直接神経を撹乱する魔性の声――。
半人半妖のそれは、ギリシャ神話にも登場する。カポル泥棒の正体は――。
(セイレーンだ!)
鳥の少女はすうっと息を吸い込むと、ムギのために子守歌を聴かせた。
しかし、いくら歌って聴かせても、結界によって守られるムギを眠らせることはかなわない。歌声はますます高らかに奏でられる。
(どうしよう……どうしよう――!)
ムギもムギで、眠らずにいられるだけで戦いかたなど知らない。
眠ってしまったものたちを起こせばどうにかなるかと安易に思うも、歌が続く限り再び眠らされてしまう。
(何か、止められる方法は……魔法は……そうだ!)
心当たりに行き合った途端、女神の祝福で付与された魔法の使い方が、瞬時に頭に閃いて口からするすると呪文が滑り出す。
『汝、理を説き精霊の奇跡を垣間見るものなり。理は言の葉、言の葉は声の音――精霊の息吹通わぬ、驕れる力を戒めよ』
ムギの呪文とともに、セイレーンの喉に枷がはめられた。途端に、ぴたりと歌が止む。戸惑う声さえ出せずに、少女は不思議がった。
本来は魔法使いの呪文の詠唱を防ぐためのものだが、声が出せなくならば――と効果を期待したのが正解だった。
この隙に、ムギは眠ってしまったマムートたちを起こしにかかった。
大きな声で呼びかけても揺さぶっても、マムートは深い眠りに落とされて目覚めない。
「うう……! ご、ごめんね!」
ムギはとても心苦しく思いながら、マムートのつやつやと濡れた黒い鼻めがけて、ぱちんと指弾きを喰らわせた。
くしゃみとも喫驚とも取れる短い声をあげ、マムートは面食らった顔で飛び上がった。
「ムギ!?」
「ごごごごめんね! あのね、泥棒がね、セイレーンでねっ」
動転するムギの話では要領を得ない。
マムートは鼻をくしくしと前足でこすりながら、ちらりと空を見上げた。瞬時に状況を把握して、こくりと頷く。
「理解した。ムギは周りのやつらを起こせ。町長の息子は絶対にだ。兎の一家の無実を、その目で確かめさせるんだ」
「わ、わかった!」
マムートは疾風のごとく駆け出した。周囲の木々を足掛かりに、段々飛びで宙へ躍り出る。
宙返りからの後ろ蹴りで、セイレーンの少女を怯ませた。
少女は威嚇するように、くわっと口を大きく開く。本来なら金切り声で気絶させることも可能なはずが、声が出ない。苛立つ様子で、大きく羽を羽ばたかせた。
巻き起こった風が、カポルの実を揺らす。
煌々とたかれた灯りに鈴飾りが揺れるようだ。
こんな状況でもなければ、さぞ美しい景観だったに違いないと思いながら、ムギは若衆を起こして回った。
「ヤックさん、皆さん、起きてください! 畑が襲われています!」
根気よく声をかけ、ヤックを含めた数人を目覚めさせることができた。
寝ぼけ眼でもカポル泥棒の正体は理解したらしい。次の瞬間には、農具を空に掲げてセイレーンを追い立て始めた。
こうなったらもはや分が悪いと諦めて飛び去ってもいいはずだが、少女は真っ向から戦いに臨む姿勢で地上に強風を打ちつけた。
しかし強風と言えども、筋骨隆々の若者を吹き飛ばすほどの威力はなく、頼みの綱はやはり得意の歌というところのようだ。
思い通りにならない苛立ちから、少女は自分の喉を戒めている元凶たるムギに狙いを定めた。
「えっ――」
急旋回でムギを射程圏内に収めると、少女は翼を大きくひとつはばたかせた。
翼から射出された羽が、矢のようになってムギ目がけて飛んでくる。
「ムギ!!」
咄嗟のことに身動きできなくなったムギの前に、マムートが飛び込んだ。




