ムギの責任
「はっ……!」
チートスキルは備わっているが、対人スキルは最弱なので、異様な早口と距離感のバグった心境を吐露してしまった。
気付いた時には、夫婦そろってあんぐり口を開けて見つめられていて、ムギはまたやってしまったのだ――と縮こまる。
「偉そうにすみませんっ。どうぞ、忘れてください、もう今すぐにっ。わたしのことは記憶から消してください、さぁ!」
「いえっ、いえいえ、とんでもない!」
宿の主人は自らをロン、夫人をルエルと紹介した。
「ありがとうございます、ムギさん。あなたの言葉が、とても心強く感じます。わたしたちは商売柄、都会のお客様と触れ合う機会が多くありますが、自分たちに向けられたわけではなくても、心ない言葉に傷つく瞬間が多々あるんです」
「子供が生まれてからは、もういっそ宿を畳んでしまおうかとも話していたわ……」
「あなたのような方がいらっしゃるなら、いつかまた分かり合える日が来ると信じられる気がします。ありがとうございます」
夫妻にそろって頭を下げられ、ムギは恐縮するばかりだ。
何か言わなければ、と焦る喉がむず痒い。そもそも何をしにきてこうなったのか、ぐるぐると考えて、ムギの口から滑り出た言葉は――。
「あ、あ、あ、あの……ご迷惑でなければ、お水を一杯いただいてもいいですか!?」
口にした後で、ムギはまた間の悪さを悔やむ。
だが、その突拍子のなさにこそ、ロンとルエルは救われる思いで吹き出した。肩の力が一気に抜けたようだった。
「ご主人、奥さん。あとは俺が見ておくから、今夜くらいはゆっくり休んだらどうだ?」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
妖犬は与えられた仕事を、きっちりこなしたらしく、すっかりロンの信頼も得たようだ。
フロントカウンターにちょこんと佇む姿は愛らしくも、横顔は一流のガードマンさながらに凛々しい。
彼に見守られながら、ムギはいただいた白湯に口をつけた。
「わたし、変なこと言ったよね……。お二人の気を悪くさせちゃったんじゃないかな」
「そうか? 礼を言われたんだから、素直に受け取ればいいんじゃないか?」
「そう思えたら、ムギじゃないんだよぉ……」
「おいおい、さっきの勢いはどうしたんだ。獣人が好きだ、ってやつ」
マムートは椅子からぴょんと飛び下りる。ムギの足元にやってくると、伏せるように頭を下げた。
「実は俺も、聞いていて嬉しかったんだ。俺たち妖犬にとって、獣人族は一つ上の憧れみたいなものだからな。ありがとな、ムギ……いや、お客さんだからムギさんだな」
「そんなっ、やめて! わたしなんて、お礼を言われるような人間じゃ……むしろ謝らなくちゃいけないことだらけで」
「いいから素直に、聞いておけよ」
呆れたように言いながら、マムートの口角が上がる。極上の柴犬スマイルに、ムギの「でもでも」もなりを潜めた。
白湯を必要以上にちびちびと飲むムギに、彼は文句も言わずに寄り添った。
時々、寒くはないか、おかわりはいるか――など甲斐甲斐しく問いかけてくる。
(優しいな……)
その温かさに、ムギはどうしても既視感を抱いてしまう。
(あなたはやっぱり……)
既視感があるからこそ、ムギにはどうしてもはっきりさせておきたいことがあった。
少し卑怯だと思いながらも、ムギは言葉を選ぶ。
「マムートくんは頼りがいがあって、なんだか……お兄ちゃんみたいだね」
柴犬の耳がぴくりと動いて、くりくりの黒目が穏やかに細められる。
「妹がいるからな」
その答えに、ムギは「やっぱり」と心で頷いた。
「どんな子か、聞いてもいい?」
「妹は……五つ違うんだが、体は俺より大きい。真っ白で、綿雲みたいな見た目だ」
それも知っている、とムギはまだ見ぬ彼の妹の姿を思い浮かべた。
真っ白でふわふわな大きな犬――サモエドのわたあめのことを。
「名前はワトゥマというんだ」
「ワトゥマちゃん……可愛いね」
歴史が書き変わるくらいだ。名前が変わっていてもおかしくはないと、だんだんムギは冷静になってきた。
少なくとも「Oatmeal」のネーミングセンスより洒落ていることも、認めざるを得なかった。
「人懐っこいのはいいんだが、餌をもらったらついていってしまいそうな危なっかしさがあるんだ」
天真爛漫で人間が大好きな「わたあめ」の姿と重ねて、ムギは微笑ましく頷く。
「それでも、意外としっかり者なところもあってな。面倒見がいいから、里のちびたちにはお姉さん扱いされてるよ。俺には憎まれ口もワガママも容赦ないけどな」
「ふふ」
妖犬の兄妹が戯れる姿が、ムギの目に浮かんだ。
「俺がここに来たのだって、あいつがどうしてもカポルの実を採ってきてくれって言うから、あっち行きこっち行きして、おつかいの途中なんだ」
「ふふふ、おつかい? それでお願いを叶えてあげるんだから、やっぱりマムートくんはいいお兄ちゃんだね」
「よしてくれ。それじゃあ俺が妹に甘いみたいだろ」
マムートはぶっきらぼうに言いながらも、耳や尻尾に機嫌の良さが見え隠れする。
妹のことが大事なのだと伝わる表情の豊かさだ。
(やっぱり……マメタだね)
確信を持って、ムギは彼を見つめた。
「ねぇ、マムートくん。あのね……わたし、右も左もわからない状態でノルファリアに来ちゃって、これからどうするかも決まっていないの。一人で知らないところを旅するのも怖いし……」
いくら知っているキャラクター相手と言えども、不躾なお願いをしようとしている緊張から、声が震えてしまう。心臓の音も聞き分けられてしまいそうで、意識するほどにムギはどんどん早口になっていく。
「それでね。わたしにも、妹さんのおつかいの手伝いをさせてくれないかな……。あのっ、えっとね。カポルの実も見てみたいの! 本で読んだことしかなくて。食べたいとかそんなことは言わないよ! 妹さんに頼まれたぶんだもんね? あのっ、もしなんなら、お家まで運ぶのも手伝うし。だから、だからね、あのねっ」
「わかった。わかったから、落ち着け」
前のめりになりすぎて、犬に待てをされる始末だ。ムギは恥じ入ってしゅんとした。
「いやだよねぇ……」
「別にそういうわけじゃないんだが。中には、妖犬を騙して売ろうとするような連中もいるからな」
「そんなことしないよ!」
「ああ、それは見てわかる。だがもうカポルをもらって帰るだけだからなぁ。見聞を広められるほど、お前に得があるとも思えないが……それでいいなら」
「いい! 一緒に行きたいです!」
「わかった、わかった。まったく……落ち込んだり喜んだり、忙しい奴だな」
呆れられても、この時ばかりはそれでも構わないとムギは思えた。
(だってわたしは……あなたの行く末を知っているから……)
握手でもするかのように差し出された前足に、躊躇いがちに触れると、しっかりとした温もりを感じられた。
(あの頃は、それが物語に求められている形だと思っていた。でも、こうして生きているこの子に出会って、あの時の後悔が芽を出しているんだ……)
賢そうだが、無垢な瞳に見つめられ、ムギは胸の奥にちくりと痛みを覚えた。
(マメタは……物語が進むと、妹のわたあめちゃんを守って命を落としてしまうの)
そうなるようストーリーを紡いだのは、他でもない……ムギだ。
(でもそれは、本当に必要だったのかしら……)
この、ムギの知らない少しおかしなエンシェンティアで、同じように物語が進むのかはわからないが、書き手として責任を感じずにはいられなかった。
他人のために力は使わないと決めた。世界を変えるような覚悟も勇気もない。
だがせめて、彼の物語に悔いを残したくないと、ムギは自分のためにマムートと歩く道を選んだ。
一章一話「放っておけない異世界とムギの事情」終
二話「失いたくない温もり」に続く




