愛の無い婚約と理解していたけど私が全部悪いことにされて学園追放はやりすぎよね?
「アリア・ルミエル……お前には失望したぞ。まさか……光の幻惑を利用した精神支配魔法を使ったのか? 心に作用する魔法は禁呪とされているというのに……卑怯者め」
青空の下に青年の声が響き渡った。
学園恒例の定期魔法決闘トーナメント。女子の部三回戦。
観覧席の全校生徒の視線が、中央競技場の私と黒髪黒目の青年に集まった。
背が高くすらっとした美丈夫。
王族の縁戚にあたるナイトシェイド公爵家の嫡男、ヴィルヘルムだ。
名目上……私の婚約者。
彼は試合の最中、競技場に飛び入って進行を妨げた。
少女を守るために。
庇うのは婚約者の私……ではなく、青年の足下で震える別の人物だった。
私はヴィルヘルムに弁明する。
「そんなことしていません! 信じてくださいヴィルヘルム様!」
「くどいぞ……」
まるで汚物でも見るような冷たい眼差しのヴィルヘルム。彼は制服の上着を脱ぐと、うずくまる金髪碧眼の美少女の肩にそっとかけた。
私の対戦相手。『水撃の女帝』こと、伯爵令嬢のイザベラだ。
「無事かイザベラ?」
美女は小さく頷いた。
長いまつげの先に涙を一杯溜めて、与えられたヴィルヘルムの上着の端をぎゅっと握った。
「ヴィルヘルム様……ありがとうございます。ああ、怖い。恐ろしいですわ。アリアがまさか禁呪を使うだなんて。『水撃の女帝』のあたくしを相手に、まともに勝負にならないからといって、おぞましい魔法で心を支配して……聴衆の前で肌をさらさせるなんてあんまりですわ!」
私は禁呪なんて使ってない。光の魔法で相手の視界を奪おうとしただけ。
なのに、この魔法が成功した瞬間――
イザベラは聴衆の目の前で制服の上着を脱ぎ、シャツのボタンを外したのだ。
気位の高い伯爵家の生まれの、プライドの塊のような彼女がストリップショーを始めた。
男子生徒たちは大盛り上がり。まるで私がそれをさせたみたいに「いいぞいいぞ、もっとやれ!」って、もう! 信じられない。
それを止め、会場を「鎮まれッ!!」と一喝したのがヴィルヘルムだった。
気まずい空気が辺りを包む。
私がやった。私が悪者。客席の沈黙が私を責める。
ヴィルヘルムは私を指さした。
「イザベラはトーナメントの優勝候補常連だ。万年一回戦負けのお前が勝てる相手ではない。だからといって、彼女の名誉を傷つけ辱めるような魔法を使うとは」
「使っていません! 知りませんそんな魔法!」
「見苦しいぞ……アリア……こうなってはやむを得まい……お前との婚約を破棄するッ! この学園からも退学……追放だッ!」
一方的な通告だった。
本当に、私には身に覚えが無い。禁呪なんて知らない。
婚約者なのに、ヴィルヘルムは守ってくれるどころか私を糾弾した。
元々――
愛してくれていないのは、わかっていた。
公爵家にとって光魔法の才能をもった人間は、喉から手が出るくらい欲しいみたい。
この国――アウローラ王国で王位に就けるのは光魔法の因子を持つ者だけだから。
公爵家が一族から王候補を輩出するためには、どうしても私の光魔力の素質が必要だった。
田舎の男爵家の娘が、公爵家の跡取りと婚約なんて本来ありえないもの。
最初に出会った時、二人きりの部屋でヴィルヘルムが私に言った。
『俺が欲しいのはお前の光魔法の才能だけだ。学園では好きにすればいい』
それでも――
彼と将来結婚することになるのならって、こっちだっていっぱいがんばって、距離を詰めようとしたり、好きになってもらえるように努力したのに。
振り向くどころかヴィルヘルムは私を突き放し続けた。
上級貴族たちのクラブにも籍だけはあったけど、いつも私は孤独だった。
上級には上級の空気がある。田舎者の私。だけど、公爵家嫡男の婚約相手。だから、みんなからは腫れ物扱い。
ヴィルヘルムは私を放置。お茶会でもガーデンパーティーでも、夜会でも。
構って欲しいなんて、入学して一週間とかからず思わなくなった。
諦めた。自分の家……ルミエル男爵家のためと思って、我慢した。
一年半。ずっと。
でも、あんまりだ。
今日、この場で起こった事故に対して、ヴィルヘルムは私を守るどころか……犯人扱いした。
暗い闇色をした青年の瞳を、私はじっと見つめ返す。
「私は禁呪なんて使っていません!」
ヴィルヘルムは黒い前髪を左右に揺らした。
「どうだかな。おおかた、お前が通っている下級貴族たちのクラブで、偶然出来てしまった禁呪なのだろう? なんだったか……ああ、そうだ新魔法開発クラブか。禁呪を復活させるような危険分子どもめ。すぐに学園長に掛け合って、潰す必要があるな」
「そんな……ひどい。あんまりです! 証拠もないのに! みんなは関係ありません!!」
新魔法開発クラブは、上級貴族たちの集まりに馴染めない私にとって、大切な居場所だった。バカみたいなアイディアで、変な魔法を生み出す。宴会芸みたいなものばかり。
保守的な上級貴族たちには無駄だとばっさり。だけど時々、すごいアイディアが生まれたりもした。
役に立つ魔法ばかりじゃないけれど、失敗も、たまにある細やかな成功も、楽しい。
それさえも奪うというの?
ヴィルヘルムは眉尻を上げた。
「禁呪を使った証拠だと? 現にイザベラがこうして被害を受けているではないか? ルールがあるから決闘なのだ。それを破ったお前のどこに正義がある? 勝つことさえも放棄して、相手を辱める禁呪を使うなど言語道断だ」
なんでそこまで言われなくちゃいけないのよ。
「だから……私は……」
イザベラが震えながら立ち上がった。私を問い詰めようと、悲鳴じみた声が響く。
「その禁呪で今度は誰を辱めるつもりでして? あなたのような汚い人間が同じ学園の空気を吸っているなんて、不快極まりないですわ!」
思えば学園に入学してからずっと、伯爵令嬢イザベラにはことあるごとに目の敵にされてきた。
彼女の家――ブライトリ伯爵家は代々、光魔法の因子を持った子供が生まれる名門。
本当ならイザベラとヴィルヘルムが婚約していてもおかしくない。
なのに選ばれたのは、私だった。
だからか、ずっと勝手にこっちの気持ちなんておかまいなしに、イザベラから嫌がらせとかイジメとか、陰湿なことを私は影でこっそりされつづけた。
こちらがやり返さないのをいいことに。
ヴィルヘルムは「好きにさせておけ」とだけ。
酷い。あんまりよ。
客席のどよめきの中に、私への非難の声が混ざり始める。
貴族の面汚し。いつかやると思っていた。下級貴族や平民出身者とばかり一緒にいた卑しい女だ。などなどなど。
そうこうしているうちに、決闘審査会の運営委員の生徒たちまでもが競技場に降りてきた。
試合は中止。今日、この後のトーナメント予定もすべて白紙になる。
全部、私のせいってことになった。
寮の自室で謹慎を言い渡されたあと、今回の事故は事件として扱われて……あっという間に私の退学処分が理事会によって決定された。
理事会なんてみんな、上級貴族の親たちの集まり。イザベラの親も名簿の上の方に名を連ねている。
退学処分。しかも、私の魔法資格までも剥奪。
もし勝手に魔法を使えば、今後は厳しく罰せられる。
終わりだ。何もかも。
一週間とたたず、寮を追い出される格好で、私は荷物をまとめることになった。
・
・
・
思えば、十五歳になって受けた魔法鑑定がすべての始まりだ。
私の家――ルミエル家はかつて栄華を誇った大貴族で、ご先祖様は侯爵だった。
それもこれも、光の魔法因子を受け継いでいたからだ。
だけど、代替わりを重ねるうちに土属性が強くなっていった。王家との繋がりも他の貴族に取って代わられて、ルミエル家は降爵を繰り返し、今では地方の男爵家。
私の両親はともに土魔法因子の持ち主だった。
魔法使いは十五歳になるまでは、どういった因子を持つか定まらない。
大方の予想を裏切る形で、私の鑑定結果は土ではなく……高レベルの光魔法の才能あり。
たまに先祖返りが起こる。
私の魔法力は侯爵家の頃のそれと同じなんだとか。びっくりした。あんまり自覚もないけれど。
平民の中からも、遠い祖先に魔法因子を持つ人間がいて、魔法に目覚める者がいるのだとか。
ともあれ、私の光魔力の噂を聞きつけて、ヴィルヘルム――ナイトシェイド公爵家から婚約の話が持ちかけられた。
ナイトシェイド家は王家の影とも言われていて、闇魔法の因子を持つ者が多い。
私とヴィルヘルムの間に子供が生まれ、その子が光魔力を受け継げば、次世代の王になるかもしれなかった。
彼が「俺が欲しいのはお前の光魔法の才能だけだ」と言った理由。
私が愛されていないのに、彼のそばに居続けなければならない理由。
もう、そんなの関係ないわよね。
少ない荷物を抱えて、一年半お世話になった寮を出る。
誰も見送りには来なかった。みんなヴィルヘルムとイザベラが怖いのかな。
それとも、私が禁呪を使ったと信じてしまって、幻滅したから。
ううん、くよくよしてはダメよ。終わったことでしょう。前を向かないと。
もう、魔法を自由に使えなくなるのはつらいけど。
泣きはらして、吹っ切れたもの。
敷地を出ると――
一人だけ、私を待ってくれていた。
薄い茶髪にエメラルドグリーンの瞳をした青年だ。
少し垂れ目気味で、本人曰く「僕は東の果ての島国に住む珍獣の狸に似てるそうだよ」とかなんとか。
そんな希少生物に似ていると言われても、実物を知らないからよくわからない。
我らが……なんて、今の私が言うべきではないかもしれないけれど、彼こそ新魔法開発クラブの発起人にして部長を務めるフェリクス・エアハートその人だ。
「やあ、遅かったねアリア」
「フェリクス部長。ええと、その……こ、このたびは大変ご迷惑をおかけしました」
「君のせいじゃないさ。といっても、新魔法開発クラブは無期限活動休止になってしまってね。暇を持て余していたんだ」
うう、やっぱり私のせいなんだ。
フェリクスは柔らかい声でノンデリなことでもさらりと言ってしまう、変わり者だった。
間違い無く美男子だけど、クール系でもキラキラ系でもない、ゆるふわ系。
実家は海運貿易商で、平民。先祖返りで魔法力が発現した人だった。
しかも留学生。海を隔てた島にあるウィンデリア王国からやってきた。友達作りの一環として新魔法開発クラブを始めたみたい。
フェリクスが私の顔をのぞきこむ。
「あれ? 泣いてないんだ。思っていたよりも元気そうだね?」
「謹慎中に涙は出尽くしましたから」
「そっか。君がカラカラのミイラにならなくて良かった……いや、良くないんだ。このままじゃ、副部長の名誉を回復できない」
「副部長って……私がですか?」
「みんなクラブを辞めてしまったからね。僕と君しか残っていないんだ。早晩、部員数が足りないということでクラブは取り潰されてしまうだろうけど、それまでは君が副部長だよ」
「もうっ! 私は学園を退学になったんです」
「けど、僕はまだ君の口から新魔法開発クラブを辞めるって、聞いてないし」
ちょっとウザい。本人に悪気は無いんだろうな。そういう人。
「じゃあ、辞め……」
フェリクスは人差し指を立てて私の口元にぴたりと寄せた。
「まだ辞めてなくてホッとしたよ。さあ、部室に行こう」
「ええッ!? どうしてですか?」
「このままじゃ終われないからね。君の冤罪を晴らすんだ」
周りはみんな敵ばかり。フェリクスは実家がお金持ちだけど、公爵家や伯爵家に異議申し立てできるような家柄じゃない。
下手に逆らえば、フェリクスを巻き込んでしまいかねない。
「だめよ部長。私だけで済んで良かったと思わないと」
「けど、君は禁呪なんて使ってないんだろ? もし禁呪を発見していたら大会じゃなくて部室で披露してくれたはずさ! この僕を実験台にね。ああ、部員たちの前で服を脱がされて……恥ずかしい」
何を想像したの!?
本当に変な人。
彼は正面に立って私の両肩にそっと手を当てた。
「どうなんだい?」
「……ません」
「もっとはっきり言って」
「使って……ません」
何度訴えても、誰もまともに相手をしてくれなかったのに……部長は優しい瞳で「うん、そうだよね」と頷いてくれた。
・
・
・
四階の空き教室。フェリクスのおもちゃ箱。ガラクタ置き場みたいな一室が新魔法研究クラブの部室になる。
下級貴族のクラブの中でも、校舎の隅っこにあった。
部室につくまでに、何人かの生徒に見られたけど、そのたび「忘れ物があってね。彼女一人にはできないから」と、フェリクスが返す。
事情を知らない生徒からすれば、彼は監視役に見えただろう。
無事、部室にたどり着く。
二人きりになるのは初めてだ。
部長は内鍵を閉めた。
あっ……これって、もし何かあっても、誰も外から助けにこられないやつ。
ど、どどど、どうしよう。
ただでさえ校舎の隅っこで、人通りもないのに。
「どうしたの副部長?」
「え、ええと……」
「じゃあさっそく始めようか」
「始めるって……な、なな、なにをですか!?」
声がひっくり返った。
「落ち着いて。別に取って食おうなんて思ってないさ。君の潔白を僕は信じることにしたんだ。すべての出発点は、まずそこだからね」
六つ机を並べた会議用のテーブル。青年はお誕生日席に座ると、私に対岸の席を勧めた。
ひとまず、怪しいことにはならなさそう。
着席する。
部長は微笑んだ。
「よし、じゃあ考えていこう」
「考えるって……それだけですか?」
「そうだよ。というか、君が謹慎中の間に僕はずっと君のことばかり考えていたんだ。足りない情報は足で稼いだ。けど、どうしても話を訊けない人間が三人いてね」
「三人……ですか?」
「ヴィルヘルムとイザベラ……そして君さ」
私が退寮するのをフェリクスはずっと、待ってたんだ。
いつ出てくるかもわからないのに……。
ちゃんと答えよう。
「私の話が必要なんですね」
「君を救うためにも、君の協力が必要なんだ。いいかな?」
「も、もちろんです!」
考えるだけでどうにかできるなんて、正直、信じられないけど。
この人が納得するまで付き合おう。それが私にできる恩返しで、一年半の感謝だ。
フェリクスは人差し指を立てた。
「仮説1。君は意図せず禁呪を使ってしまった」
「私が……意図せずですか?」
「君の使った光魔法は閃光系だね。敵の視界を奪うことができる、使い方次第では地味に強力なものだ」
「は、はい。優勝候補常連の『水撃の女帝』イザベラに通用しそうなのって、これしかなくて」
「偶然、閃光魔法の発光パターンが相手に暗示を掛けてしまうものだった……というのはどうだい?」
私は胸の前で小さく挙手した。
「はい、部長」
「なんだい副部長?」
「それだと観客みんなが脱ぎ始めたりしませんか?」
もちろん、偶然イザベラがそういう暗示に掛かりやすかったみたいなことは、あるかもだけど。
部長は人差し指をちょこんとお辞儀させた。
「おみそれしました。確かにこの仮説じゃない気がするよ」
うーん、こんなんで大丈夫なのかな。
「部長? 仮説2はないんですか?」
「無いんだ。実はね」
だめかもしれない。
「じゃ、じゃあ! 用具に仕掛けがされていたとか?」
模擬戦用の杖は学園が用意した共通のものを使うことになっていた。
「あとで監査が入ったけど、結果は異常無し。すり替えも確認されてないってさ」
「そう……なんですね」
と、諦めのため息を漏らしそうになったところで――
「けど、他に不思議なことがいっぱいあってね」
「いっぱいですか? 例えばなんです?」
「アリアのこれまでの定期魔法決闘大会トーナメント成績は?」
「ひ、ひどいです。知ってるくせに。全部一回戦負けでした」
私ってば光魔力に偏りすぎているせいで、回復とか補助の光魔法は得意だけど、決闘で使えるような攻撃系の魔法はからっきし。
だから、一度も勝ったことがない。
再び人差し指を立てて、部長は左右にリズミカルに振った。
「それは違うよ。君は前回に限っては、三回戦に駒を進めたじゃないか」
「偶然です。直前に対戦相手が体調不良になって……しかも連続で。不戦勝が二度あったから、三回戦に出ることになったんです」
口にしてから「あっ」と声が漏れた。
「そういうことだよ副部長。こんな偶然が無ければ万年初戦敗退の君が、優勝候補で第一シードの『水撃の女帝』イザベラと対戦することなんて無かったんだ」
「ということは……あの試合は……」
「仕組まれていたことになる」
もし、偶然でないなら残る可能性は必然って……こと?
「誰が何の目的で、あの試合をセッティングしたんですか?」
「現状から逆算してみよう。君はヴィルヘルムから婚約破棄を言い渡された。このシルヴァリア魔法学園を退学になった。魔法資格を剥奪された」
「改めて並べられると心にずっしり響きます」
「ごめん。けど、がんばろうアリア。恐らく仕組んだ人間にとって、今の状況はもくろみ通りなはずなんだ」
顎に手を当て青年は微笑む。
私が居なくなることが目的……か。
「イザベラが私を追い出すために仕組んだんですか?」
「あり得るね。君が閃光魔法を使うことも、きっとイザベラには想定内だったと思うよ。だから禁呪をかけられたフリをして脱ぎ始めたんだ。彼女の自作自演さ」
そんなこと……考えもしなかった。だって、イザベラはプライドがドレスを着て歩いているような人間だもの。
人前で裸になろうとするなんて。
ヴィルヘルムが止めに入らなかったら、どこまでするつもりだったんだろう。
切りが良いところで脱ぐのを止めて、私に禁呪をかけられたって騒ぐつもりだったのかしら?
「自作自演だとして、途中で禁呪が解けた……みたいにするつもりだったんですか?」
フェリクスは指を鳴らした。
「そこなんだ。禁呪というのはかけられた本人が、認識できない。だからこその禁呪さ。術者が解くか、第三者の介入でも無い限り、止められるものではないんだ」
そんなルールがあるなんて初耳だった。部長は常識外れなところもあるけど、魔法に関する知識は底なし沼みたいな人だ。
「けど、私は禁呪なんて使ってないんです」
「そうさ。だから君の口から『使っていない』と聞きたかった。そこがすべての出発点なんだ。イザベラの自作自演という説を始めるためのね」
部長は嬉しそうに目を細めた。そのまま――
「あの場では誰も君の閃光魔法を禁呪と断言はできない。だが、言い切った人物がいる」
ヴィルヘルム――
一方的に決めつけて彼はただの閃光魔法を禁呪にしてしまった。
「待ってください部長。それじゃあヴィルヘルム様が……私を陥れたんですか?」
「君には辛いかもしれないね。元婚約者だもの」
「いいんです。最初から……愛のある婚約ではなかったですから。それよりも教えてください! 部長が考える真相を!」
青年は目を見開いて真っ直ぐ私を見つめる。
「本当に……大丈夫?」
「もう、何もありませんから。私には……失うものなんて……」
居場所も。魔法使いとしての未来も。何一つ。
「そんなに悲しいことを言わないで。僕がついているよ」
心の中がふわっと温かくなった。思えば新魔法開発クラブに私がいたのって、フェリクスの声や言葉に安心感を覚えていたからなんだ。
彼はゆっくりと語り始めた。
「色々考えた結果、今回の陰謀の黒幕は共犯。ヴィルヘルムとイザベラだと思うんだ」
「二人が共犯……でも、どうして? イザベラは私を嫌ってましたけど、ヴィルヘルム様は……ううん、ヴィルヘルムには、私の光魔法の因子が必要なはずです」
「不要になったんだよ」
フェリクスの口から出た言葉に悪い意味で胸がドキッとなった。
「急に……どうしてですか?」
「ヴィルヘルムには弟か妹がいるんじゃないかな?」
確か……婚約が決まった時にナイトシェイド家のタウンハウスで、妹さんを紹介されたっけ。名前は確かフレデリカちゃんだったかな。
明るくてハキハキしていて、とっても良い子だった。
「います! 妹が」
「その子が今年、十五歳になったんだ」
「はい? ええと……はい?」
「出たんだよ。光の因子がヴィルヘルムの妹に。だから君の因子でなくても良くなったんだ」
「じゃあ……私は……いらない……と?」
部長は手を組み机の天板に乗せた。
「ヴィルヘルムが君を愛すれば丸く収まる話だったと思う。ただ、そうはならなかった。ナイトシェイド家としては、君も手に入れて王候補の予備を確保しつつ、後々一本化できれば良かったんだと思う。大事なのは……君が必須ではなくなったということなんだ」
言い終えてからフェリクスは「ごめん。君を傷つけることばかりだ」と、しょんぼりしてしまった。この人が悪いわけではないのに。
「部長はただ、状況を整理しただけですから」
「いいや、伝え方がよくなかったと思う。反省だよ」
逆に気を遣わせちゃったかも。
「どうして……こんなことになっちゃったんですかね」
「婚約破棄のためさ」
「そんな!? 正直に話してくれたら……私だって」
「公爵家の嫡男の彼が、男爵家の君に頭を下げて取りやめたいなんて、できなかったんだろうね」
だからイザベラと共謀して、私を学園から追放して婚約破棄の理由まで作った。
それが、先日の事件の真相……なの?
部長はしょんぼり俯いた。
「大会前からどうもイザベラとヴィルヘルムが何度か密会していたらしいんだ」
「そんなことまで調べたんですか?」
「噂半分だよ。ただ、答え合わせになってしまったね」
私がヴィルヘルムのそばにいれば。ううん、ダメ。結局同じこと。
一度、新魔法開発クラブに一緒に遊びにいかないかとヴィルヘルムを誘った時なんて「そんな暇はない。お前の好きにしていいと言ったが、俺の足を引っ張るな」だもの。
遅かれ早かれだったと思う。
フェリクスは続けた。
「元々、幼少期からイザベラとヴィルヘルムは面識があったようだね。伯爵家と公爵家。イザベラが十五歳になって光の因子を持っていれば、ヴィルヘルムと結ばれる。両家の間にはきっとそういう筋書きがあったはずさ」
異国からの留学生はそんな事情まで把握していた。
情報源……どこなの!?
「でも、私が婚約することになった……い、いったいどうしてですか?」
「イザベラには光の魔法因子が継承されていなかったんだよ。なにせ『水撃の女帝』だ。彼女の過去の試合結果を調べたけど、一度も光魔法は使っていないんだ。もっぱら、使えば圧倒してしまうからとか、そういう話にしていたようだけどね」
得意なのは水魔法だから。それに光魔法は補助的なものが多くて、魔法決闘向きではないからと思ってたけど、イザベラって……光魔力の因子をまったく受け継いでいなかったの!?
「だから君がヴィルヘルムに選ばれて、イザベラに目の敵にされてしまったんだ」
聞けば聞くほどしっくりきてしまった。
そっか……そういうことだったんだ。
ヴィルヘルムはイザベラが好きだった。だから私を冷たくあしらった。妹に光魔力の因子が発現して、彼は自由になったんだ。
「すべては私と別れてイザベラと結ばれるためだったんですね」
「それは……どうだろうね」
正解しか言わない部長が言葉を濁す。
「まだ、何か秘密があるんですか?」
「君が謹慎している間に噂が広まったんだ。イザベラが新しいヴィルヘルムのパートナーになるかもしれないって」
「ああ、やっぱり」
「不思議には思わないのかい?」
フェリクスは首を傾げた。あれ? 違うのかしら?
「だって、二人が密かに愛し合っていたなら、そうなるものじゃありませんか」
「あのヴィルヘルムが噂にするとは、僕には思えないんだ。正式な場で上級貴族の生徒たちを集めて、堂々と発表すると思うよ。どういうわけか、イザベラがこの噂を広めて既成事実化を進めているみたいでね」
「それも……調べたんですか?」
「勘」
たった一言。この人の頭の中をのぞいてみたいと、素直に思った。
・
・
・
真相に当たりを付けたところで、フェリクスは私の手を取ると学園長室に向かった。
これから直接訴える……って、相手にされるわけないのに!
と、思っていたら、すんなり部屋に通された。
応接室も兼ねた学園長室。奥に大きな机があった。
ゆったり椅子に掛けた学園長は品の良いおばさまだ。
つい、頭を下げた。
「す、すみません! 私、退学者なのに……」
「いいえアリアさん。あなたの籍は今月いっぱいまで残してあります。まだ、我が校の生徒です」
柔らかい口ぶりで言われた瞬間、涙が溢れそうになった。
まだ、何も解決していないのに。というか、解決の見込みがあるかもわからないのに。
学園長は視線を私の後ろに向けた。
「ところで……そのご様子ですと、何か掴んだのかしらフェリクス様?」
「様はよしてください学園長」
あれ? なにこの二人。学園長が部長を様付けで呼ぶなんて。
挙動不審になる私を見かねて学園長が目を細めた。
「あらあら、まだアリアさんには伝えていなかったのですね」
フェリクスが答えた。
「はい。その前に……アリアの退学の件、ぎりぎりまで引き延ばしてくれたことと、新魔法開発クラブの廃部を無期限活動休止に留めてくださった恩義には、必ず報います」
「いいんですよ。あなたのお父様とは古い友人ですから」
なにやら、ただならぬ仲みたい。けど、学園長のおかげで、私はまだ首の皮一枚、生き残っているみたいなことに、なっているらしい。
首の皮一枚って、普通に死んでると思う。
青年が前に出て、私に振り返る。
「君にはすべて話すよアリア」
「は、はい?」
「僕はずっと偽名でね。まあ、名前は変わらないんだけど、姓を隠していたんだ」
「そ、そうなんですか?」
フェリクスは背筋をただすとピシッと一礼した。
「改めまして。僕はフェリクス・ウィンデリア」
「は、はぁ……ウィンデリア……ウィンデリア?」
どこかで聞いたような響きだった。
学園長に視線を向けると――
「その方こそ海を隔てた先の島を治めるウィンデリア王家の王太子殿下です」
フェリクスは「殿下も勘弁してほしいな」と苦笑い。
って――
はいいいいいいッ!?
「え、お、王子様って……こと? この変人が……はうっ! し、失礼しましたぁ!」
フェリクスは「いいよ、今まで通りの方がありがたいな」と、はにかんだ笑みを浮かべた。
学園長が言うには――
フェリクスは王族であることを秘密にして、お忍びで留学してきた。
ウィンデリア王国で学べる魔法学はすべて修めてしまったからだという。
だから禁呪についても知っていたのね。
アウローラ王国とウィンデリア王国は同盟関係にある。フェリクスが留学していることを知っているのは、アウローラ王家の一部の人間と、学園長だけだった。
その秘密の輪の中に、私は強制的に加えられてしまった。
なんてことを私がぼんやり考えている間、フェリクスは学園長に彼のたどり着いた真相を語った。
聞き終えたところで――
「にわかには信じられませんけれど、理事会の動きがあまりに早すぎたことも考えると、フェリクス殿下の仰る通りかもしれませんね」
私の無実を学園長も信じてくれた。
「アリアさん。こちらに」
「は、はい!」
手招きされて学園長の机の前に立つ。
学園長は机の引き出しから小さなハンドベルを取り出した。
「あの、これ、なんですか?」
「禁呪を封じ込めたマジックアイテムです。本来であれば、危険なものですから封印しておくべきものなのですが……」
「そ、そんなものを出しちゃって大丈夫なんですか!?」
「国王陛下から使用の許諾は得ています。今回は特別措置です」
見た感じ、本当にただのハンドベルだ。
「ど、どういったものなんですか?」
「手に取ってみてください」
うっ……ちょっと怖い。呪われたりしないかしら。フェリクスに助けを求めると、彼はうんと頷いた。
逃げ場無し。
「わかり……ました」
取っ手を握る。特に何も起こらない。
学園長が言う。
「これから質問をします。必ず『いいえ』と答えてください」
「はい! あっ! じゃない、いいえ? ですか?」
「まだ質問していませんから、落ち着いて。大丈夫ですよ」
優しく告げると一拍置いて。
「アリアさん。あなたは禁呪を使わなかったですか?」
「い、いいえ」
特に振ってもないのに、チリリリンとハンドベルが涼やかな音色を奏でた。
「あれ? 勝手に鳴ったんですけど」
説明を求めると、異国の王子様が颯爽と解説した。
「そのベルは嘘に反応するんだ。ただし、質問を受ける者が手にした状態で、質問者は必ず相手に『いいえ』と答えさせなきゃいけないというのが、ちょっとやっかいなんだよね」
嘘を見抜けるなんて、恐ろしいマジックアイテムだ。
愛想笑いと建前がどれほど世の中を円滑にしているか。このベルはすべてを破壊してしまいかねない。
って、えーと、つまり今の学園長の質問はというと……。
「私が禁呪を使わなかったですか? って質問だから……それに『いいえ』と答えてベルが鳴ったので……つまりどういうこと?」
フェリクスがくすりと笑う。
「君がもし禁呪を使っていたら、ベルが鳴らなかったね。ここらへんがややこしいけど、慣れてほしいな」
なにがなにやら。もし私が禁呪を使っていたとして、使いましたよね? と質問される。それに「いいえ」と解答した場合、使っていたのに「偽証した」ことになる。
その場合はベルが鳴る。
で、今回は禁呪を使って「いない」ですよね? という質問だった。
これに「いいえ」と解答した場合、使っていないのに使ったと「偽証した」ことになる。
だから、ベルが鳴った。
で、合ってるわよね? うん、たぶん。
ともかく、私は禁呪を使っていないし、ベルもそれを証明してくれたみたい。
フェリクスが腕組みをする。
「では学園長。このベルを使って、今回の事件の関係者に聞き取りをしたいと思うのですが、許可いただけますか?」
「ええ、先ほど殿下の語られた内容に、わたしも大変興味があります。まずは先日のトーナメント戦当日、アリアさんと一回戦、二回戦で当たるはずだった生徒から、わたしが直接事情を訊きましょう」
フェリクスは組んだ腕を戻すと深くお辞儀をした。
「どうか、よろしくお願いします。僕やアリアが動けば本命に警戒されてしまいますから」
「ええ、そうですね。明朝、臨時の全校集会を開きます。そこで決着をつけてください」
ええええッ!?
決着って……つまり、相手はヴィルヘルムとイザベラって……こと?
・
・
・
魔法決闘トーナメントで、私が対戦するはずだった女子生徒たち。二人がイザベラから頼まれて病欠したことが、学園長の調べで判明した。
共に下級貴族で、イザベラから「一度アリアと直接手合わせしてみたかったの」と、頼み込まれたらしい。
優勝候補『水撃の女帝』は常にシード権を与えられていて、初戦敗退常連のアリアとは絶対に戦えないから……と、二人とも押し切られたそうだ。
謝礼として上級貴族のクラブに招待してもらう約束だったそうな。
こうして――
試合はイザベラによって仕組まれたことが、証明された。
日が暮れて下校時刻となる。
その日、帰る場所のない私はフェリクスの計らいで、彼のセーフハウスで一泊させてもらった。
王都に七つの隠れ家があると茶髪の青年は笑った。なんだか王子様というよりも、スパイみたい。
彼は学園の寮に戻った。知らないベッドで、独りで夜を過ごした。かすかに彼の匂いがして、包まれている気がする。
昨日まで泣いてばかりだったけど、不思議とその日の夜はぐっすり眠ることができた。
明けて朝がやってくる。
支度を済ませ、早朝にフェリクスと合流。学園長の手引きで裏門から学園の敷地に入った。
時間まで講堂の控え室で待つ。
そして――
幕が上がった。
講堂に全校生徒が集められ、学園長が登壇する。
臨時集会に生徒たちがざわついている。
私とフェリクスは舞台袖の闇に潜んで待機した。
薄暗いステージの脇から講堂を見ると、イザベラとヴィルヘルムの姿を見つけた。
一瞬、ヴィルヘルムがこっちに向いた……気がする。
背筋が寒くなった。見られているのかと思った。
「大丈夫だよ。きっと上手くいくから」
隣で王子様がそっと囁く。怖くなってつい、私は彼の手を握ってしまった。
なにも言わずフェリクスは受け入れてくれた。
優しいんだから……もう。
学園長が演説台の天板にハンドベルを置いた。
「イザベラ・ブライトリさん。壇上まで来てください」
名前を呼ばれて少し驚いた顔をしたイザベラだけど、すぐに気を取り直して講堂のステージに上がってきた。
「あら学園長。あたくしを表彰でもしてくださるのかしら?」
「いいえ。ただ、いくつか質問をしなければなりません。先日の痛ましい事故について」
「事故ですって?」
途端に『水撃の女帝』の表情が険しくなる。
学園長が舞台袖の私を手招きした。
「さあ、いらっしゃいアリアさん」
うっ……やっぱり怖い。足がすくんで動かない。
けど、そっと背中を押された。
フェリクスだ。
「大丈夫だよ。きっと上手くいくさ」
きっと上手くいくは、彼の口癖だ。毎回、新しい魔法の開発実験で失敗ばかりなのに。
当たって砕けろともいうけど、砕けてしまったら終わりじゃないの。
ああそっか。
私はもう、砕けてしまった後なんだ。これ以上、何も無いなら――
「はい。行ってきます」
壇上で学園長が私の名を呼び、全校生徒がざわついた。
冷たい視線、軽蔑の眼差しが全身に突き刺さる。
なによりイザベラが忌々しげに私を睨んだ。まるで呪い殺すように。
「どうして退学者がここにいるのかしら?」
「今月いっぱいまで在籍ということになってますから」
「今更なんの用?」
「私は身の潔白を証明しに来ました」
学園長がベルを手にした。
「本当の禁呪について今日は全校生徒のみなさんに知ってもらうため、集まってもらいました。このベルは嘘に反応して鳴る禁呪が込められたマジックアイテムです」
掲げられたそれに生徒たちの視線が集まった。
ヴィルヘルムは……微動だにしない。
不気味だ。もし嘘が曝かれれば、共犯の彼だってただでは済まないのに。
学園長にイザベラが食ってかかる。
「そ、そんなオモチャで何がわかるといいますの? だいたい、禁呪のマジックアイテムなんて使えば犯罪ですわ!」
「今回の件を収めるため、国王陛下から使用の許可は頂いていますから、安心してください」
「うっ……」
「何もやましいことがなければ、問題はないでしょうイザベラさん」
明らかに『水撃の女帝』が動揺している。
このステージに上がった時点で、勝負はついていた。
学園長が私にハンドベルを手渡して言う。
「ではイザベラさんにわかるように、まずはアリアさんに実践してもらいます。アリアさん、このあとの質問に『いいえ』と答えてください。もし嘘をつけばベルがひとりでに鳴るでしょう」
無言でコクリと頷いた。
学園長が問う。
「アリアさんは先日の魔法決闘トーナメントにおいて、イザベラさんとの試合で禁呪を使いましたか?」
「いいえ」
ベルは沈黙。嘘は無い。
イザベラの顔が耳まで真っ赤になった。
「そ、そんなのデタラメもいいところですわ! ただのオモチャのベルでしょ!? 振らなきゃ鳴らないんだもの! 嘘つきよ! アリアも学園長も嘘つきだわ!」
私はベルの持ち手をイザベラに向けた。
「だったら、できますよね。ほら、ベルを持って」
「い、嫌よ」
「どうして?」
「あたくしの時にだけ鳴るように、何か仕組んでいるんでしょ!?」
他人を陥れる人間は、相手もそれをすると考えている。イザベラの怖がり方をみれば、そんな心情が手に取るようにわかる。
学園長がそっと首を左右に振った。
「こちらのハンドベルは王国が認定したマジックアイテムです。異議申し立てをするということは、国王陛下を疑うのと同じことになりますよ?」
イザベラは黙り込んだ。視線がステージの下に向く。助けを求めてさまよったイザベラの眼差しの先に、黒髪黒目の青年の姿があった。
ヴィルヘルムは……助けに入る素振りさえ見せない。
魔法決闘トーナメントの最中に、イザベラを救おうと颯爽と競技場に降りたった彼が、腕組みしたまま微動だにしない。
私はイザベラに詰め寄る。彼女は半歩下がった。
「逃げるの?」
「に、逃げるですって!? この伯爵令嬢のあたくしが?」
「なら証明して」
潮目が変わった。全校生徒の疑惑の眼差しは、今やイザベラへと注がれている。
逃げ場が無くなったのは、今度はイザベラの方だ。
「い、嫌よ」
「じゃあ、何かやましい嘘をついているのねイザベラ?」
学園長が「拒否するということは、何かあるのですかイザベラさん? 自白とも受け取れますよ」と優しく問いかけた。
生徒たちからも、なんでやらない? イザベラ様どうして? もしかしてアリアって無実なんじゃないか? と、声が上がり始めた。
イザベラにとって、耳を覆いたくなるような状況。因果応報よね。
ついには生徒たちから「やれ!」「証明しろ!」「どっちが悪いのかはっきりさせろ!」と、直接的な声までステージに向けられた。
ついに逃げ場はないと観念したのか、イザベラは私からベルをふんだくる。
「あ、あたくしが正しいと証明すればよろしいのでしょう! ああああああもうううう! お黙りなさい外野ども!」
キレた。ベルを手にしてイザベラはフーフーと息を吐く。まるで手負いの獣ね。
学園長が「では、アリアさん。質問してください」って、私がするの!?
舞台袖に視線を向けると、闇に紛れたフェリクスが握った拳の親指を立てて……それをすうっと下に向けた。
うわぁ、笑顔でこの人、怖い。
けど――
イザベラはハンドベルを手にしたことで、自分自身の死刑執行書類にサインをしてしまったのだ。
呼吸を整え私は問いかける。
「イザベラ……貴女は私の閃光魔法を受けた時に、さも自分が禁呪にかかった振りをして被害者になろうとしましたか?」
「い、いい、いいえ……」
チリリンと、ハンドベルが涼やかな音色を響かせた。
イザベラが首を傾げる。
「ち、違うの。これは……ふ、振ってしまっただけ! ベルを! 緊張で手が震えて……だって、そうじゃない? こんなにたくさんの人間に敵意の視線を向けられて、誰も助けてくれなくて、みんながみんな、あたくしだけを悪者にしようとして……怖くて……」
大きな瞳に涙をいっぱいに溜めた彼女に、誰もが冷たい視線を送る。
勝負あったわね。
舞台袖からフェリクスが姿を現した。
「それと同じ気持ちをアリアは味わったんだよ。無実なのに。けど君は違うよねイザベラ。自分で蒔いた種じゃないか。なのに、自分だけがかわいそうだなんて言うべきじゃないよ」
そのままフェリクスは全校生徒の前に出て――
「みんなこれでわかってくれたと思う。アリアは無実だ。彼女を誹謗中傷してしまった人間は、後日、ちゃんと謝ってほしい」
ちょ、ちょっと待って。そんなことしてもらわなくても別にいいのに。
止めようとしても王子様は止まらない。
その言葉はヴィルヘルムに向けられた。
「もちろん君もだよヴィルヘルム」
「……」
黒髪黒目の青年は無言だ。
フェリクスが出てきたのって、ヴィルヘルムをこの場に引っ張り出すためだったの!?
イザベラが泣き顔で訴える。
「そうよ! ヴィルヘルム様よ! あたくしじゃないの! 全部、ヴィルヘルム様の考えたことよ!」
会場が静まりかえった。全員の視線を公爵子息が一身に浴びる。
「イザベラが勝手にやったことだ。俺は彼女の異変を感じて、アリアが禁呪を使ったと勘違いをした。この件については謝罪する。すまなかったアリア」
え? 私に謝るの? 声には感情が微塵もないけれど。
イザベラは大荒れだ。
「あ、あたくしを捨てるの!? アリアとの婚約を破棄するために、下民どもに肌を晒すようなことをさせて!」
「知らないな……」
ヴィルヘルムは冷たく言い放つ。
私を突き放した時と、同じように。
完全に切り捨てた。イザベラを愛していたのなら、見捨てたりなんてしないわよね。
イザベラは――
「いやああああああああああああああ! どうして! どうして! どうしてッ!? なんでアリアなんかに謝るのよ! どうして、あたくしを救ってくれませんのおおおおお!!」
手にしたハンドベルを床めがけて叩きつけた。
取っ手が折れてベルがひしゃげる。
フェリクスが拾い上げるが、首を左右に振った。
「だめだ。壊れてる。これじゃあヴィルヘルムには使えないよ」
瞬間――
イザベラはハッとなった。自分がした事の重大さに、今更気づいたみたいね。もう手遅れだけど。
ヴィルヘルムの悪事を暴けるはずのマジックアイテムが壊れてしまった。
かすかに黒髪の青年の口元が嗤ったように見えた。
・
・
・
イザベラが主犯ということで、事件は幕引きになった。
私に科せられたものが、そのまま伯爵令嬢に移る格好だ。
イザベラは学園を退学処分。さらに魔法資格も剥奪となった。伯爵家に戻っても、もう居場所はない。
悪評は王都のみならずアウローラ王国の隅々にまで響いて、彼女は生涯を孤独に暮らすことになるだろう。とは、フェリクスの言葉。
地位も名誉も恋人さえも、二度と得られない。なにせ無実の少女に罪を着せて、その人生を終わらせようとしたのだから。
少女――
私の名誉は回復した。生徒の何人かは本当に、わざわざ謝罪に来た。上級貴族は誰も来なかったけど。
事件が一段落したあとで聞いた話が一つ。
新魔法開発クラブの部員について。
累が及ばないようにと、部長が私以外の全員を辞めさせていたことが発覚した。
それでも――
みんな私が無罪だと信じて、結局はフェリクスの手足になって色々と調べてくれたみたい。
救われた気持ちになった。他の部員たちからは、すぐに声を上げられなかったことを謝られたけど、全然気にしてない。
むしろ、ありがとうって返しちゃった。
クラブは無期限活動休止を解かれて、今まで通り。
下級貴族や平民出身者を中心に、前よりも多くの参加者が集まるようになった。
教室一つ分ある部室が足りなくなる勢いだ。
で、私の役職はというと副部長に据え置きになった。
休日はフェリクスと二人で出かけることが増えた。ヴィルヘルムと婚約していた時にはできなかったことが、全部できてしまった。
なんだか……恋人同士になったみたい。
古物商巡りや、がらくた市が二人のお気に入りのデートスポットになった。
彼が王子様だなんて一緒に居ると忘れてしまう。無邪気で子供っぽい。何か珍しいものを見つけると、あっという間に行ってしまう。
こらこらフェリクス君。女の子を置いて行くんじゃありません。
なんだか大きな弟ができたみたい。
ゆっくり彼を追いかける。露天でフェリクスは片手に収まるくらいの巻き貝を手にして瞳を輝かせた。
綺麗な桜色のそれを耳に当てて「故郷の潮騒が聞こえる」なんて、本当に変な人。
無事、お買い上げだ。こうして新魔法開発クラブの部室に物が増えていくのである。
王都の街路を並んで歩くと、不意に青年が足を止めた。
「そうだ! この貝に音を染みこませられないかな?」
「急にどうしたんです部長? ウィンデリアが恋しくなったとか?」
「時々思うよ。今は、君のおかげで寂しさなんて微塵も感じないけどね。そうだ! いつか招待するよ」
「期待しないで待ってます」
「いいや期待して欲しい。食べきれない海の幸でもてなすからさ……って、違う違う。貝だよ貝! これに例えばそう……君の声を染みこませることができたら、寝る前に聞くことができると思うんだ。おやすみって」
うわ。また変なことを思いついてる。
けど、声を形に残すマジックアイテムか。似たようなものは誰かがもう、発明しているかもしれないけど、貝にして耳を当てた人にだけ聞かせるなんて、囁き声とか入れたら面白いかもしれない。
私もだいぶ部長に毒されているみたい。
「明日、クラブのみんなと検討しましょう」
「そうだね。楽しみだ」
こんな日々がずっと続けばと、心から思った。
・
・
・
新魔法開発クラブは学内でも評価されるようになった。
私は光魔法で絵を空中に浮かび上がらせたりする技術を開発。フェリクスが風魔法でそれに音楽を加えた。リズムに合わせて浮かんだ絵を動かすみたいなこともできるようになる。
遊びの延長線上だったけど、人を楽しませる魔法として評判も上々。
一方――
ヴィルヘルムは婚約解消した私に、全校生徒の前で謝罪したことで上級貴族たちからの評価がガクンと下がったみたい。
公爵家の嫡男なのに誰もが彼から距離を置く。人心って離れる時はあっという間ね。
もともと下級貴族のことは無視同然だったから、ますます嫌われた。
疑惑が疑惑として残る限り、彼が学園の盟主みたいに幅を利かせることはもう、無いわね。
公爵家が黙ってなさそうとも思ったけど、フェリクスの人脈(王子様級)からの情報だと、ナイトシェイド家の中でもヴィルヘルムの立場は危ういみたい。
妹のフレデリカに期待が集まっていた。
私を捨てた人が、今は自分の家に捨てられている。
同じ学園にいるけど、もうヴィルヘルムと話すこともないわね。
そう、思っていた。
寮の郵便受けにヴィルヘルムから私宛の手紙が届いた。
封蝋の刻印はナイトシェイド家のものだ。
封を開けるのも気が引ける。というか、怖い。
だけど、破り捨てる勇気も私には無かった。
自室でベッドの縁に座って、恐る恐る開く。
手紙にはこれまでのことを謝罪する旨と、誤解についての釈明が並んでいた。
それから新魔法開発クラブの評判についても、素晴らしい成果……だなんて。
無駄と切り捨てておいて、手のひら返しじゃない。
そして――
『お前の事が本当は好きだった。だが、素直になれなかった。照れ隠しなどという言葉で済まないことは自分でも解っている。お前を信じてやれなかったのは、俺の不徳とするところだ。一度は破棄すると宣言したが、撤回させてほしい。やり直したい。これからは自分の心に素直になって、お前を幸せにする。ヴィルヘルム・ナイトシェイド』
手紙はそう、締めくくられていた。
復縁? もう……遅いわよ。最初から始まってすらいなかったけど。
きっと――
彼が学園で立場を回復するには、私の許しが必要なのだ。
それだけじゃない。家族に対しても。ナイトシェイド家で影響力を再び持つために、私が必要なんだと思う。
このまま離れてくれれば良かったのに――
そっとしておいてくれないというの? ヴィルヘルム・ナイトシェイド。
・
・
・
その日の新魔法開発クラブの活動が終わった。外はすっかり暗い。
いつも部室の鍵を閉めるのは、私か部長のフェリクスだ。
他の部員を帰して二人きりになった後――
送られてきた手紙を彼に読んでもらった。
彼は「うん」と一度、小さく声を漏らす。
「君の気持ちをないがしろにして、よくもこんな見え透いた手紙を送れるものだね」
私の代わりにフェリクスは怒ってくれた。
「私……どうしたらいいのかわからなくて」
「君を再び手に入れようと、つきまといだすかもしれない。どうやら僕たちは、彼と決着をつけなければいけないみたいだ」
二人で相談して、考えた。
手紙の返答をするというていで、ヴィルヘルムを呼び出すことが決まった。
ただ、今回はイザベラの時のような衆人環視の状況は難しい。
きっとヴィルヘルムは警戒している。
彼の本心を引き出して、証拠になる形で残す。
作戦立案はフェリクス。主演女優は私だ。
上手く出来るか不安だけど、やるしかなかった。
・
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・
数日後――
人払いをした新魔法開発クラブの部室に、私はヴィルヘルムを呼んだ。
密室に、二人だけ。
「アリア。俺の申し出を受けてくれるんだな?」
「お話があるとしか言っていません」
「だが、こうして二人きり。他に何がある? 俺を呼び出したのだから、良い返事がもらえるのだろうな?」
ああもう。自分が一番偉いという意識が透けて見えて嫌になる。
私は部室の戸棚からハンドベルを取り出した。
「それは……なんのつもりだ?」
「禁呪の込められたマジックアイテムのハンドベルです」
「……あの無能女が叩き壊したはずだが」
イザベラの名前を口にするのも嫌みたいね。私にまた利用価値がなくなったら、あしざまに言うのかな。
笑顔を絶やさず、続ける。
「実はあのあと修理したんです。使用許可も学園長から取ってます」
「俺を試すつもりか?」
「私を信じさせてください」
これで諦めてくれればいいと思った。
ヴィルヘルムはベルを手にする。軽く振るとチリリンと涼やかな音色が響いた。
「質問にはすべて『いいえ』で答えるんだったな」
もしかして、本当にヴィルヘルムは無関係だったの? イザベラが暴走しただけで、ヴィルヘルムは何も知らなかったっていうわけ?
でなければ、こんなにあっさり承諾するはずがない。
……。
迷うな……私。
フェリクスが修理してくれた禁呪のハンドベルを……信じるんだ。
「じゃあ、質問しますね」
黒髪黒目の青年は静かに「始めろ」と頷いた。
私は深呼吸をして、フェリクスと二人で練った質問をヴィルヘルムにぶつける。
「イザベラと共謀していませんでしたか?」
「いいえ」
ベルが鳴る。
「手紙は真実ですか?」
「いいえ」
ベルが鳴る。
「私を幸せにしてくれますか?」
「いいえ」
ベルが鳴る。
イザベラと共謀はしていなかった。
復縁を迫る手紙は本当だった。
私を幸せにしたいと本心から思っていた。
ハンドベルはそう、教えてくれた。
そっか。
うん……これで全部……わかった。
部室のドアが開いて、フェリクスが姿を現す。すぐにヴィルヘルムの表情が険しくなった。
「取り込み中だ。出て行ってもらおうか」
「失礼。だけどひどいなヴィルヘルム」
「気易いな、お前は……誰だ?」
平民出身ということになっているフェリクスのことなんて、公爵子息は眼中にないみたい。
「昔から変わらないね君は。といっても、子供の頃にあったのは数えるほどだけど」
「何を言っている?」
「いや、なんでもないよ。ところで、どうだったアリア?」
神妙な面持ちのフェリクスに私は返す。
「三回、鳴りました」
「そうか。ところで……」
と、部長は視線をヴィルヘルムに向け直した。
「君のことだから、このハンドベルの対策も用意していたんじゃないかな? 例えば……禁呪を無効化するアミュレットなんてものを、手に入れたとか」
「言いがかりだ。第一……ハンドベルは鳴ったではないか」
そう……鳴ったのだ。
フェリクスが直したけど、禁呪の力までは戻らなかった、ただのハンドベルが。
私はヴィルヘルムの顔を指さした。
「ひとりでに鳴るはずがないんです。だって……そのハンドベルに込められた禁呪は……壊れたままなんですから」
「な……に?」
ヴィルヘルムの表情が醜く歪む。
私の隣にフェリクスが並び立った。
「そういうことさ。君が鳴らさない限りはね。少し難解な質問を口頭一発で理解して、ハンドベルを振るべきか否かを瞬時に判断したのはすごいと思うよ」
ヴィルヘルムがますます表情を険しくした。
私は小さく頷く。
「貴男は優秀な人です。だから、必ずこの状況に上手く対応できると思ってました。けど、ここでの正解は私の質問の内容に問わず、一度たりともハンドベルが鳴らないことだったんです」
だって禁呪は壊れていたのだから。自分で鳴らさない限り、ベルは涼やかな音色を奏でないのだから。
私を騙すため、ヴィルヘルムはハンドベルを操作した。操作したこと自体が、私への裏切り。
公爵子息の黒い瞳から光が消えた。
「それがどうした? また全校集会を開いて俺をバカな生徒どもの前でさらし者にでもするか? 何を言われようが俺は公爵家に守られているんだ。お前たちとは生まれが違うんだよ! 今に見ていろ。潰してやるからな。絶対に後悔させてやる……」
あーあ、ついに言っちゃった。きっとヴィルヘルムは凶暴な本性を抑え続けてきたのね。
ここに全校生徒や学園長がいたら、きっとこんなことは口にしなかったはず。
イキリたおしたヴィルヘルムに、フェリクスは優しく微笑み返した。
「君には無理だよヴィルヘルム」
「虚勢を張るな。お前たちはもう、おしまいだ」
捨て台詞を残して黒髪の青年は負け犬が尻尾を巻いて逃げるように、部室を後にした。
どっと疲れた。緊張が解けた瞬間、よろけて転びそうになる。
「危ないッ! 大丈夫かいアリア」
とっさにフェリクスが支えてくれた。腰に腕が回ってその……ちょっとドキドキ。
「あ、ありがとうごさいます部長」
「よくがんばったね。ところで、上手く音を拾えたかな?」
「たぶん大丈夫だと思います」
私はガラクタが乱雑に置かれた部屋の中に溶け込んだ、ピンクの巻き貝の貝殻を手に取った。
それを耳元に当ててみる。
ここで行われた会話がすべて収まって、一番重要な部分もきっちりと音の記録ができていた。
・
・
・
結局、私がヴィルヘルムの姿を見たのはこれが最後だった。
ヴィルヘルムの本性があらわになった。フェリクスはウィンデリア王太子として、アウローラ国王に事の顛末をまとめた文書と、証拠の音声が染みこんだ巻き貝の貝殻を送った。
誰が言うかというのは、本当に大事なのだと私は思い知らされた。
海運貿易商の息子がこういった告発を行っても、国王はきっと耳を傾けなかったと思う。
同盟国の王太子フェリクス・ウィンデリアから提出されたこと。
それが、なによりも大きかった。
だって、下手をすれば外交問題になるのだもの。
一歩間違えば戦争にもなりかねない。
けど、そうはならなかった。私たちの訴えが正しかったから。
アウローラ王家からナイトシェイド公爵家に査問官が送られて、きちんと捜査が成された。
学園長の証言などもあって――
ヴィルヘルム・ナイトシェイドは学園を退学処分となった。
査問官の調べでわかったのは、彼が私に冷たかった理由。
田舎の男爵家の娘だから。中身なんて関係ない。ただそれだけで、気に入らなかった。
イザベラもだ。伯爵家なら出自としては許せるけど、結局彼女に光魔力の因子はなかった。利用するだけして、捨てたという。
じゃあ、結局何がしたかったのかと言えば、家柄が良くて光魔力を持った令嬢が現れるのを待つつもりだった……なんて勝手すぎる。
十五歳になるまでは、誰でも先祖返りを起こして光魔力の因子が目覚める可能性があるのだから。
彼の望む通りになった。
妹のフレデリカに光魔法の因子が発現したのだもの。彼にとって最大の誤算だ。
ヴィルヘルムには魔法資格の剥奪よりも重い、魔法封印処置が決定した。公爵家は体面を保つため、彼の流刑を受け入れた。
そして――
私は今日も新魔法開発クラブの副部長として、部長の片腕を務めている。
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卒業まで二人でクラブを切り盛りし、フェリクスと深い信頼を築き上げた結果――
「君を愛している。一人の男として。君が望むなら僕は王太子の地位を捨てたっていい」
学園を卒業する前日に、ようやく彼からプロポーズを受けた。
待ったけど、待ち時間なんて無かったようなもの。
二人で駆け抜けた学園生活は、あっという間だ。
「はい……フェリクス様」
「様は恥ずかしいな」
「じゃあ、フェリクス」
「嬉しいな。アリア……愛しているよ」
卒業後、フェリクスは相続権を破棄してアウローラ王国に帰化した。
私たちは王都の片隅で、マジックアイテムショップを開店。
小さなお店だけど、彼との距離は学園の頃と変わらず近くて、ずっと、ずうっと幸せだった。
※7/7 終盤にヴィルヘルムの動機について自白させました。