異世界転生者に好きな娘をかっさらわれた男たちの悪意のない感想
本当に取り留めもないよもやま話です。
ある店の待合室に、最近よく顔を合わせ半ば顔見知りとなってしまった三人の男たちがいた。
名を仮に「エイ」「ビー」「スィ」。
普段なら顔を伏せ、自分の順番が来るまで一言も口をきかずジッと押し黙っているのだが、今夜は店側で水回りのトラブルが起きたらしく予定の時間から既に一時間以上余計に待たされていた。
さほど広くもない部屋の中に三人押し込められ、いつになるかも分からず待たされていれば誰だって不満の一つも言いたくなるもの。店員もそれを察して近づこうとしないので、三人は誰からともなく愚痴を漏らし、いつしか雑談を始めていた。
本名は伏せて、互いの年齢や恋人や結婚相手、子供の有無、誰それがお気に入りだとか、本当に取り留めのない話。ちなみに全員独身で恋人もいない。
それが身の上話にまで発展したのは、ビーの発したエイへの軽いお世辞からだった。
「いやいや、そちらいい体つきしてらっしゃるし、その気になれば何時でも嫁さんぐらい見つかるでしょ?」
「はは、そう言ってくれるのは嬉しいけど、俺なんて全然さ」
エイはそう謙遜するが、実際に彼の肉体は持久力に優れた細マッチョ体型で、まだ年齢も若く顔も悪くない。少なくともこの場にいる三人の中では一番女性受けする見た目をしているように思えた。
「ちなみにお仕事をお伺いしても?」
「冒険者だよ。──と、これでもBランクでそこそこ稼いでるんだぜ?」
世間一般に冒険者と言えばまともな職に就けないクセに夢だけ立派な社会不適合者──ならず者といったイメージが強いが、Bランクともなれば望めば騎士としての仕官も叶うレベルの成功者だ。当人の言うように女性に縁が無いとは思えないが……
「多少稼いでるとは言え、いつ死ぬか大怪我して働けなくなるとも限らない不安定な仕事だ。女からすると、結婚相手としちゃどうしても、ってな」
「なるほど」
「……まぁ、そういうのを気にしないでいてくれそうな女もいないわけじゃなかったが」
エイの独り言のような呟きに、他二人の視線が集まる。それを受けてエイはほろ苦く笑ってみせた。
「──ああ、そうだな。実のところ、そんなことを考えて相手がいなかったわけじゃない。だが、そういう女は俺の手には余るみたいでね……まだまだ時間がかかるみたいだし、退屈しのぎに昔話でも聞いてもらえるかい?」
そう言って、エイは自分の失恋を語り始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あれは今から二年ぐらい前かな。
当時の俺はC級に上がったばかりで、一番ブイブイ言わせてた頃だ。
俺はパーティーのリーダーでアタッカー。
仲間はエルフの斥候に、ドワーフの盾役、ノームの魔術師、それと僧侶で俺の幼馴染だった女の五人組だった。
……先に言っちまうと、この僧侶ってのが結婚を考えてた女でね。別にハッキリ口に出して好きだなんだと言ったわけじゃないんだが、わざわざ俺のことが心配だっつって故郷を捨てて着いてきてくれた女だ。いずれ腰を落ち着けて一緒になるつもりでいたし、周りもそう思ってた。
あいつも同じ考えだと思ってたんだが……俺の勘違いか、それとも単に気が変わっちまったのか、どうなんだろうな……
ともかく、ことの切っ掛けは二年前のある護衛依頼さ。
何てことのない隊商の護衛だったはずなんだが、運悪く岩巨人の一団に出くわしちまってね。何とか依頼主は逃がしたが、仲間のエルフが足をやられちまってちょいとしたピンチに陥った。
まあ正直、俺らの商売じゃ珍しいことでもないんだが、最悪全滅もあり得るかと覚悟した時だったよ──そいつが現れたのは。
異国風の顔立ちの俺とそう歳の離れてない男でね、そいつがまぁ、とんでもなく強かった。岩巨人をあっという間に全滅させて俺らを救い出してくれたわけさ。
そこで終わってりゃ、誰にとっても良かったんだろうが……ここまで話せば大体想像がつくんじゃないかい?
結論から言えば、俺の好きだった女はその馬鹿強い男について行っちまった。
つっても、女を寝取られて悔しいとか恨んでるとか、別にそういう話じゃねぇ──いや、全く悔しくねぇとは言わねぇよ? ただそもそも付き合ってたわけでもねぇし、そいつが無理やり奪ったとかってわけでもねぇしな。
ただなんつーか、女の方が男の強さの虜になっちまったのかね? どうしてそんなに強いのかとか、凄いとか、その男がソロだったってのもあって熱心に仲間に誘ってたんだ。
俺が言うのもなんだけど、あの女は見てくれも良かったし、男の方も言い寄られて悪い気はしてなかったと思う。俺らと組むことに関しても前向きだったよ。
それを拒否したのは俺を含めた他のメンバー全員だ。
別に女を取られそうになったからとか、男が嫌な奴だから拒否したって訳じゃない。短い付き合いではあったが、むしろ深入りせず普通に付き合う分にはいい奴だったんじゃねぇかな。
──え? どうしてそんな含みのある言い方をするのかって?
そりゃ、得体が知れなかったからだよ。
その男はとんでもなくアンバランスな奴でね。強いくせに実戦経験が浅いのか立ち回りが下手くそで、ちょっとした血や悲鳴にも大げさに反応してた。それにこの国の生まれじゃないとかで全然常識がなくてさ、ガキでも知ってるようなことに一つ一つ驚いたり躓いたり、奇行も目立った。
実際どこから来たとか、これまで何してきたんだとかって話も、誤魔化してる感じだったな。
分かるだろう? んな得体の知れない奴と組むなんざ正気の沙汰じゃねぇ。過去も背景も目的も分からない、何かあって敵対したら俺らじゃ止めようがない化け物と、ちょっと話して“いい人そう”なんて理由で組めるほど、頭お花畑じゃいられなかったのさ。
だけどあの女はそうじゃなかった。
何かあいつにしか分からないもんがあったのか、惚れただけなのか、その辺りのことは良く分からんが、とにかくその男にベッタリでさ。とても口で言って引き剥がせるような雰囲気じゃなかったし、男を悪く言って当人に伝わるのも怖かった。
結局、他のメンバーとその男と話をして、俺らはあいつを男に預けて別れることにした。
あの男にとっても、常識を補ってくれて回復もできるあいつはありがたい存在だったみたいでね。大切にすると何度も約束してくれたよ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「そいつらとはそれっきりさ。その後どうなったのかは知らんし、知ろうとも思わん」
「……見返してやろうとは思わなかったんスか?」
それまで黙って話を聞いていたスィが疑問を口にする。
「……うん。ないな」
エイはそれに、しこりのない笑みを浮かべて応じた。
「女を取られた負け惜しみと思われるかもしれんが、ホントにそういう感情はなかった」
「どうしてっスか?」
「ふむ。どうしてと言われると……多分、住む世界が違うと思ったからだろうな」
「その男と?」
「女の方ともさ」
首を傾げるスィに、エイは自分自身の考えを整理しながら続けた。
「男の方は間違いなく化け物だった。強い上に得体が知れない。人の皮を被った別の何かだ。穏やかで人のよさそうな顔をしていても、いつどんな理由でこっちに牙を剥くか分かったもんじゃない。さっきも言ったろう? 正気の沙汰じゃないって。つまり、そんな正気じゃないとしか思えない行動がとれるあいつは、俺とは住む世界が違う。──いや、ハッキリ言えば俺も含めて当時の仲間は全員ドン引きしたんだよ。あんな得体の知れない化け物と楽しそうに話ができるあいつに」
女に対する好意が無くなったわけではないし、悔しさが全くないわけでもない。
ただそれ以上の断絶がそこにあった。
「……何となくですけど、分かりますよ。その気持ち」
語り終えたエイに共感を示したのはビー。
「私も昔、女性に捨てられて、似たようなことを感じたことがあります」
その顔に“誰かに吐き出してスッキリしたい”という自分と同じ感情を見て取ったエイは、敢えて好奇心を表情に出して言った。
「ほほう。せっかくだから聞かせてくれるかい?」
「……ええ。お耳汚しかもしれませんが、それでも良ければ──」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私の仕事は行政官──所謂、役人というやつでしてね。
まぁ、役人といっても平民出身の私の仕事なんてのは貴族の下働き。上司の反感を買わないように言われたことを無難にこなすのが一番のお役目です。
それでも半年ほど前までは王都でボンボン上司のお守をしながら、上が馬鹿やり過ぎないようにコントロールして、偶にちょっとした企画を通して実現して、そこそこに充実した日々を送ってました。
当時の私には婚約者もいましてね。
いや、婚約者といっても正式なものじゃない。新任の時の上司の娘さんで、男爵家の次女。家はお兄さんが継ぐそうで、本人はどこかに嫁入りするのが普通ですが、彼女は中々変わり者でしてね。男に頼らず自分の力で生きていきたいと父親と同じ官僚の道を選んだんだそうです。
どのみち領地もない法衣男爵の次女じゃ、まともな嫁入り先を見つけるのは難しい。上司も妾同然の側室か死に掛けの爺さんの後家に押し込むぐらいなら、本人の好きにさせてやろうと考えてたみたいです。
ただそうは言っても、娘が一生独り身ってのも親としては風聞が悪い。同じ役人同士なら相性は悪くないじゃないかと、上司の勧めで見合いをしたんです。
実際色々気が合いましてね。貴族相手の正式な申し込みをしたわけではないんですが、結婚前提のお付き合いを、というやつでした。
当時の彼女との関係は婚約者、恋人と言うより、気の合うビジネスパートナーと言った方が近かったかもしれませんが、今でも悪くない関係だったと思ってますよ。
……風向きが変わったのは、私の部署に中途採用で同僚が入ってきてからでした。
普通役所ってのは中途採用はほとんどないんですが、その男は侯爵家の領地で内政官としてかなりの実績を上げたらしく、新たに国務尚書に任命された侯爵に引きずられる形でついてきたそうです。
実際、そいつは優秀でしたよ。
単純な実務能力や交渉力は凡庸でしたが、とにかく発想がずば抜けてた。まるで千年先の世界を知っているみたいというか、施策のアイデアとそれに付随して発生する問題、解決策を最初から知ってたみたいにポンポン出してくるんです。
それにそいつ自身は平民で、普通ならどんなアイデアを出そうが上に握りつぶされて終わりなんですが、バックに侯爵がいましたからね。凄い勢いで成果を上げていきました。
私自身は彼に対して、凄い奴がいるなと思うぐらいで特に含むところはなかったんですが、私の婚約者はそうじゃなかったみたいでね。
いや、最初は好意を持ったとかじゃなくむしろ逆で。何が気に食わないのか色々そいつに文句を言って、施策の穴を指摘したり政策論議を吹っ掛けてやり込めたり──正面からの議論じゃ彼女の方が弁が立ったんで、私としちゃそいつを気の毒に思ってましたよ。
ただそいつは彼女の指摘を受けても腐らず施策をしっかり改善していってね。彼女も徐々にそいつのことを認めていったって感じだったなぁ。
その様子は当然、私以外に他の人間の目にも留まってましてね。侯爵から彼女の父親に、彼女をそいつの嫁にどうかという打診があったんです。
そいつには諸々の施策を実現した功績で騎士爵の授与も予定されてて、侯爵からの信任も厚い。普通なら迷うことなく承諾するところだったんでしょうが、彼女の父親は私の元上司で、しかも自分が私に娘を紹介したという負い目がありました。
悩んだ末に、私に相談されましてね──私のことは気にしないでくれと言いましたよ。
彼女に対する愛情や、悔しさのようなものは勿論ありましたが、元々私が選ばれた理由は仕事に対する取り組み方や相性が大きかったですからね。彼女とそいつのコンビが素晴らしい成果を上げている以上、自分を選んでくれと抗弁することはできませんでしたよ。
──いえ、これは建前です。
実際は私が引け目を感じて逃げ出したくなったんですよ。その男からではなく彼女から。
それまで私には、例え他にどんなに優れた男がいようと、彼女を理解し、彼女に一番相応しい人間は自分だという自負がありました。……ですがあの男に真っ向から突っかかっていく彼女の姿を見て、それが勘違いだったと思い知らされたんです。
あの男の施策はこれまでのところ大きな問題なく最大級の成果を上げていますが、前例がなくあまりに革新的に過ぎる。どんなに完璧な施策に見えても、実際に実行してみるまでどこにどんな落とし穴があるのか分かったもんじゃありません。
私では仮にあの男と同じアイデア思いついても、リスクや問題の洗い出し、改善、試行、検証と何倍もの時間をかけなければ実現できなかったでしょう。
我々の仕事の失敗は、時に数千、数万、あるいはそれ以上の数の人を苦しめ、命を奪いかねない。そしてかかわり、意見を述べるということは、その仕事に責任を負うということでもあります。
──私は、次々と実行されていくあの男の施策が恐ろしかった。そのリスクも、あるいはリスクを恐れ否定することで損なわれるかもしれない国民の利益も、そのどちらもが想像しただけで怖くて仕方がなかった。
そんなことを当たり前のように実行できるあの男も、そこに関われる彼女も。私とは住む世界が違う。そう思ったんです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「結局その後、上司と相談してそのまま王都に残るのは私にとっても彼女にとってもやりづらいだろうという話になりましてね。上司の伝手でこの街に赴任してきたというわけです」
そう言ったビーの表情に暗いものはなく、傍目には既に吹っ切れているように見えた。
「……その後、彼女とその男は?」
「さあ? 後の調整は上司がするということだったので、私は直接彼女と話をしていませんし。正直、知りたいことでもなかったので何も」
エイの問いかけにビーは苦笑して肩を竦める。
「まぁ、もしまた会うことがあれば、その時は彼らの施策に文句の一つも言ってやりますよ」
「そうか……そうだな」
ほろ苦くも穏やかに笑う二人を、羨ましそうに見ていたのはこの場で最年少のスィだった。
「……いいっスね。お二人はちゃんと吹っ切れてて」
「どうした、急に?」
呟きに反応した二人に顔を覗き込まれ、スィは少し気恥ずかしそうに頭をかいた。
「いえ……実は俺にもその手の経験があるんスけど、俺の場合は最初から最後まで意味わかんないままで……」
「ふむ……?」
スィは小さく溜め息を吐き、迷子のような表情で続けた。
「お二人と比べたら詰まんない話かもしんないすけど、良ければ俺の話も聞いてもらえないっスか」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
どっから話したらいいもんか……えと、俺はお二人みたいに立派な仕事にゃ就いてなくて、ガキの頃からずっと商家で丁稚奉公してたっス。
三年ほど前に年季が明けて手代(=番頭の下、正式に雇用された使用人)にして貰ったんスけど……その、俺が働いてる商家ってのか所謂奴隷商で──つってもちゃんと許可取ってやってる真っ当な奴隷商っスよ?
普通の借金奴隷や犯罪奴隷もいれば、戦争に負けた国の連中、用途別に家内奴隷、生産奴隷、戦闘奴隷まで色々。ちゃんと国のルールに則ってシノギやってるっス。
だけど真っ当にやってても時々ヤバイのが混じることがあって、そういう商品は中々はけなくて処分に困ることが多いんスよ。
──具体的にどういう連中かって? まぁ、色々あるんスけど……多いのは貴族っスね。一番ヤバイのが他の貴族の目をくらますために平民に偽装してるケースで、深入りしたら泥沼。下手したら口封じに殺されるかもしれないっス。
性質の悪い店だと食事を与えずワザと殺して処分したりするとこもあるんスけど、ウチの旦那さんは真っ当な人なんで、俺の知る限りそういうことはしてなかったはずっスね。
で、手代に昇進してから俺はそういう連中の世話を任されるようになったんスけど、そこに貴族のご令嬢っぽいのが交じってたっス。
詳しい話は俺もよく分かんないスけど、五年くらい前に東部貴族が反乱を企てたってんで大規模な粛清があったでしょ?──そう、結局三年以上経ってから軍の勇み足だったって発表があったあれっス。
一族滅ぼされて領地没収された貴族もかなりいたらしいっスけど、そのお嬢さん、どうもタイミング的に平民に偽装して逃げだしたところを金が無くて奴隷落ちしたんじゃないかって旦那さんたちは話してたっスね。
きな臭い話で中々売れる相手も見つからない。だけど殺すのは寝覚めが悪い。
なんで長いことそのお嬢さんは商談のテーブルにものらず、ずっと離れの牢で飼い殺しにされてたっス。
……ここまで話せば大体想像がつくと思うんスけど、俺、世話してる間にそのお嬢さんに惚れちまったんス──勿論、変なことはしてないっスよ!?
ただ、時々時間を見つけて話し相手になったり、お菓子や本を差し入れたり……まぁ、お嬢さんも悪い気はしてないように見えたんスけど、今から考えれば向こうは奴隷で、俺は彼女をモノとして扱う商人っス。例えどんなに不愉快だろと愛想良く振る舞うのが普通っスよね。
ただまぁ、その時の俺はお嬢さんが笑ってくれるだけで嬉しくて舞い上がっちまって……お嬢さんに自分がどうにかしてやるなんて約束したりしてね。
──いや、逃がしてやるとか身請けするとか、そんな大げさな話じゃないっスよ?
逃がしたりなんかしたら色んな人に迷惑がかかるし、身請けも彼女の立場と俺の懐具合を考えれば現実的じゃないっス。
ただ旦那さんに頼んで、商品じゃなくて内向きの奴隷に変更してもらえないかお願いしてたんスよ──えと、要するに売り物じゃなくて使用人に変えてくれってことっスね。奴隷って立場は変わらないんで、隷属の首輪を着けられて命令には逆らえなくなるっスけど、いつ誰に売られるって不安定な立場じゃなくなるし、店の敷地内ならある程度自由に動けるようになるっス。
……それこそ、使用人同士なら結婚とかもできるっス。
話をしたらお嬢さんも悪くない反応だったし、旦那さんも最初は渋ってたけど、お前が責任持つならって考えてくれてたんスけどねぇ……
でもその話は突然立ち消えになったっス。お嬢さんに買い手が現れたんスよ。
──売れないから残ってたんじゃないのかって?
その通りなんスけど……要は、そういう柵を無視できる買い手が現れたんスよ。
そいつはどこぞの下級貴族の八男坊って話で、家を継げず商人として身を立てるつもりってことで、うちの旦那さんのところに挨拶にきたんス。実家に金があるとは思えねぇのに、そいつは随分身なりも羽振りも良くてね。後から聞いた話じゃ、いくつか画期的な商品を開発して大儲けしてるってことだったっス。
で、そいつが偶々その時、日に当たりに俺と一緒に庭に出てたお嬢さんに目を付けてね。学があって商売の手伝いができる奴隷が欲しかったって、旦那さんにお嬢さんの身請けを申し出たっス。
旦那さんも最初は断ってたんスけど、相当積まれた上に、自分なら貴族の干渉も跳ねのけられるって言われて……
いやもう、すげー悔しかったっス。
商人としちゃ仕方ないことだってのは分かるし、お嬢さんにとってもこんな場所にいるよりその男に買われた方がいいんだろうって頭では理解できるんスけど、やっぱりねぇ……
でもその一月後ぐらいに、正直目を疑うような出来事があったっス。
──何がって? いやその男が、隷属の首輪外したお嬢さんを侍らせて二人で街中歩いてたんス。ね? 正気じゃないっスよね?
いくら親しくなって信頼関係が築けたように見えても、あくまでそれは主人と奴隷としての関係っスよ。生殺与奪を握られた奴隷が主人に媚びるのは当たり前だし、腹の中で何考えてるかなんて誰にも分かりゃしないっス。
もちろん信じたい気持ちは分かるっスけど、隷属の首輪を外す意味なんてどこにもないでしょ。
お嬢さんからすれば周囲に余計な警戒を抱かせるだけだし、実際腹の中に何か思うところがあったとしたら、それが現実味を帯びてきちまう。もし思い余ってそれを実行したら、主人の男だけじゃなくウチの旦那さんとか色んな人に迷惑がかかるっス。というか普通に後ろから刺されておかしくないっス。
その男も商人なんだからそれが分からないわけないんスけど……もう自信満々と言うか、お嬢さんが何かしでかすなんて全然心配してませんてな態度で歩いてたんス。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それ見て俺、もう悔しいとか以前に『怖』とか『意味わかんね』って思っちゃって……あれぐらいぶっ飛んでないと、お貴族のお嬢さんをどうこうできやしないってことなのかなぁって……」
スィはそう言って、何かを思い出すような表情で軽く身を震わせる。
話を聞いていたエイとビーも、飛び抜けた能力と風変わりな感性を持つ男とそれについていける女というシチュエーションに身に覚えがあったため、遠い目をして呻いた。
「そうかもしれませんねぇ……」
「まぁ、貴族に限らずそういうところはあるかもなぁ……」
「やっぱそうスか……」
男たちの間にしばしの沈黙が訪れる。
三人に共通しているのは、過去思いを寄せていた女性を他の男にかっさらわれたという点。
そして彼らはその男たちの存在が自分たちの常識からかけ離れているが故に、悔しささえ感じることができずにいた。
その経験は彼らの心を恋愛や結婚から遠ざけ──
「すいませんお待たせしました!」
それまで水回りの修理をしていたのか、待合室に少し汚れたボーイが飛び込んできた。
同時に沈んでいた三人の瞳に光が宿る。
「キャストの準備完了しました。今日はお待たせした分、無料でお時間を三〇分延長か、オプションをどれでも一つ無料にさせていただきます」
『────!!』
それまで暗い話をしていたことなどどこへやら。三人は力漲る表情で互いに頷き合い、
『──いざ!』
ボーイに案内され、それぞれの馴染みの嬢が待つ個室へと足取り軽く向かっていった。
連載している話で使おうとしていたボツネタを、少し形を変えて吐き出しています。
女性サイドから見た話は気が向いたら書くかもしれません。