スズランをあなたに
プロットも何もなく。
またしてもつらつらと書き連ねました。
「いいこと。見えることは誰も言ってはだめよ」
「はい。お母様」
「あなたは病気になって目が見えなくなったの。これはあなたを悪い人から守るためよ」
「はい。お母様」
母の言葉は愛だと理解して。
「お庭を見ることができなくなったのはざんねんだわ」
「では。お嬢様の眼が見えなくても楽しんでいただけるように、香りのあるお花を植えましょうか」
「お花同士で香りが混ざってしまわないかしら」
「ああ……そうですね。では父さんと相談して、旦那様にもお許しいただけたら、俺作ります」
「あら。内緒のお話かしら」
「奥様」
「お母様! あのね。ロイお兄様が私のためにお庭を作ってくださるって」
「そうなの? ありがとう。この子は病気で目が見えなくなってしまったから。見て楽しむ方法ではない庭づくりになるわね」
「しょうじんいたします」
いつからだろうか。
その人の頭上に文字が浮かんでいた。
それをお母様に伝えると、それはその人の心の中の言葉だと言われた。
そして、それは視てはいけないものだと。
お母様は私に目隠しをして、瞼を閉じているようにと。
言われたとおりにした。
でも。
視えていた。
お母様には言わなかったけれど。だから自分で視ないように眼を閉じた。
そうして、それが当たり前になって。
瞼は開かなくなった。
そのころには、杖も補助もなく屋敷の中を歩けるようにはなっていて。
幸せだった。
お母様、お父様のお顔を見ることができなくなったけれど。
そうなった私をみてロイお兄様は嘆かれたけれど。
それでも幸せだった。
「ああ。ああああ。どうして」
「だまれ。うるさい……」
「あなたのせいよ! あなたが」
「だまれといってるだろう! お前に何がわかる!」
……。
穏やかで、暖かいお母様の声はどこにいったのだろうか。
重く圧があるけれど、包み込んでくれるお父様の声はどこにいったのだろうか。
お父様とお母様のいがみ合う声。
しばらくしてお父様の声が聞こえなくなって。
お母様のすすり泣く声だけが響いていて。
貿易を生業とする貴族だった。
お父様が詐欺にあった。
莫大な損害がでた。
屋敷と領地を隣の領地の貴族に売って、どうにか補填した。
結果なにもなくなった。
救いは、働いてくれていた方がみんなそのまま雇ってもらえることになったこと。
ロイお兄様たちが路頭に迷うことにならなくてよかった。
着の身着のままお母様につれられてここまできた。
「……ああそうだ。そうよ」
……お母様が私の手をつかんだ。
「私にはこの眼があるのよ」
え……。
「ああ。そこの方。紳士の方。ちょっと寄ってくださいな。この子。あなたの考えていることがわかるのです」
「は? なにいってんだ?」
「ほら!」
……。
「……お仕事帰りで。お酒……ですね。度数の高いものですね」
「……なんで……」
「近くの酒場で買われたんですね。……少し値引きもしてもらえた」
「ほら! あっているでしょう? この子は病気で盲目になって、それから考えていることが見えるようになったんです。特別な子なのです!」
声高らかにお母様がおっしゃっている。
……気持ち悪い。
没落貴族がきたことをあたりの人は知っていて。
騒ぎを聞きつけてあつまってきたのだろう。人の声が多くなったし。
文字も増えた。
お母様から視ないようにと言われてから、ずっと読んでいなかった。
こんなにもたくさんは視えたことはなかったから、気分が悪くなったけれど。
お母様の声がとても明るかったから。
しばらくお母様に言われるがまま読み続けた。
そうしていると。
「これがそれか」
お父様の声ではない男性の声がした。
「ええ。そうですわ」
「……最後は売れるか」
ジャリンと何か音がして。
「あああ」
お母様がそれを拾いあげたのだろう。
横でジャラジャラと音がしている。
「この眼がありゃ、もっと仕事の幅がひろがるな」
ぐっと腕を引っ張られた。
……。
視てはだめだ。
そう直感した。
多分後ろにいるのだろうお母様の方に顔を向けたけれど。
お母様は私を見ていないだろう。
「……最後は売るのであれば。その分上乗せをしていただけませんか」
「は? なにいってんだ」
「もう少し上乗せを」
膝をついて、頭をさげた。
そのお金がお母様が生きていけるのなら。
私がいなくなれば、お母様が生きていけるのであれば。
「……ふん。ガキが」
またジャリンと音がした。
「ああ。あああああ」
お母様だった女性の声がとても嬉しそう。
よかった。
これで。
この方は生きていけるのね。
少女は、詐欺や暴力、武器を取り扱う悪党に売られた。
少女は、男たちの言われるがまま、心を読み、利用された。
そんな生活がもうすぐ二年になるころ。
男たちは、それなりになりあがり、より大きな存在を商売相手にしようと動いた。
貴族に詐欺を働くと。
男尊女卑が色濃く残っているこの国で、珍しく女性が当主となった家があった。
それもまだ二十歳という若さで。
男たちは身ぎれいにし、少女も最低限整えて。
「この子のような孤児を救いたいのです。衣食住を整え、教育を受けさせます。そうすれば、この子たちもこの国のために、仕事ができます。そのために、この地区に院を建設しようと。そのためのご協力をお願いしたいのです」
流れるように出てくる嘘。
寄付を求める詐欺である。
そんなことをするつもりもなく。
場所もなく。
少女は、小さく座って、ときどき当主である女性を見るかのように顔をあげる。
当主の心を読んで、うまくいっていれば、隣にすわるボスの服をつかむように指示されていた。
けれど。
いっこうに少女が服をつかむことはなかった。
なぜなら。
少女は何も視えなかったからである。
当主の心の文字は浮かんでいなかった。
「その子は、目が見えないようだが」
「ええ。そうなんです。病気で」
「……そうか」
当主の声はとても冷たく、なにも感じ取れない声だった。
「顔を見せてくれるか」
「ほら。顔をあげなさい」
ゆっくりと顔をあげた。
「……まちがいないか」
「はい」
若い男の声。
当主の後ろに控えていた男がうなづいた。
「そうか。ならば掃除をしてくれ」
当主がそういうと。
先ほどまで話していたボスと、同じように後ろに控えていた男の首が飛んだ。
「他の場所も掃除をたのむ」
「承知いたしました」
少女は何が起きたのかわからなかった。
ただ。
当主と若い男の声しかしないことだけはわかった。
「片づけてくれ」
当主がそういうと、何かがうごいたのか。
どこからともなく人が出てきて。
ボスと男はなくなって。
何事もなかったかのように部屋が元通りになった。
「なんだおま」
「は……」
……。
こんなところにお嬢様が。
……。
「片付けをお願いいたします」
俺がそういうといつもの方が何事もなかったように。
男たちの根城はキレイに掃除された。
「申し訳ありません。お嬢様」
「おかえりなさい。はい。こちらに受け取ります。お部屋の前にまたおいておきますね。ご当主は執務室に一緒におられますよ」
この屋敷に先代当主からメイド長を務めておられるリリー様が、出迎えてくださった。
「ありがとうございます」
剣を渡して、俺は執務室に向かった。
……。
お嬢様と一緒なのか。
何をされているのだろうか。
……こんこんこん。
「はいれ」
「失礼いたします」
わざと音を当てて部屋に入る。
お嬢様に誰かが入ってきたことを気づいてもらえるように、足音も立てる。
「掃除はすんだのか」
「はい」
「ならよかった。さて。私は紅茶を淹れ直してもらいにいく。冷めてしまったからな」
お嬢様は……。
小さく座っておられる。
「……お食事をされていたのですか」
机の上には軽食。
しかしどれも手をつけられていない。
「……どうされたのですか」
「……申し訳ありません。とてもよく似た声の方が知り合いにいたので、おどろいて」
……ああ。
お嬢様だ。
ほそく痩せこけておられるが、白く顔色がわるいけれど。
このお声は。
「……そうですか」
よく似た声。
それが俺であるのなら。
庭師のロイだと名乗りたかった。
手を伸ばして触れたかった。
目と耳だけじゃなく。
お嬢様が目の前にいることを確かめたかった。
でもそれはできない。
俺の手は、赤黒く染まっている。
こんな手でお嬢様に触れてはいけない。
「当主と何かお話をされましたか」
「……いえ何も」
「そうですか」
……どうしたらいいのだろうか。
何を話したらいいのだろうか。
「あけてくれ」
ちょうどご当主の声がした。
「ただいま」
ドアを開けると、ご当主が淹れたての紅茶のポットを持たれて。
「ああ。食べていないな。毒も何もはいっていないのだが」
毒?
なんのことだ。
当主が席につかれた音を聞いて、お嬢様が立ち上がられて、手探りをしながら机やソファから離れた場所で膝をついて、頭をさげて。
……何をされているんだろうか。
「他の男たちがどうなったのかわかりませんが。私はあの男たちと共にご当主に詐欺を働きました。私はあの男たちと共犯です。罰を与えられたのであれば、私にも同様に」
……何をいっているのだろうか。
「……そうだな。お前はあいつらとともに悪事を働いてきた。その罪は確かにある。お前の命は私が握っている」
乱暴に胸倉をつかまれて、ぐっとひっぱりあげられた。
お嬢様はされるがままで。
力もなくただ立たされているだけの様子で。
「お前は私に服従だ。私がその命をいらないと思うその時まで。お前は私の物だ」
「……承知いたしました」
そう答えた声は、平坦で感情のない声だった。
パッと手を離されて。
「今日からこの屋敷の使用人として働いてもらう。メイド長であるものの指示にしたがえ。とりあえず。まずは食事を」
「承知いたしました」
お嬢様はそう答えて、食事を始められた。
「リリーを呼んでくる。みておけ」
「承知いたしました」
俺を一瞥されて、当主は部屋を出られた。
……顔をあげたくなかった。
見たくなかった。
これは俺の罪だ。
目の前にいるお嬢様は、心を閉ざされた。
母親に売られたことをこの方は知っていて、俺も知っている。
旦那様が俺たち使用人に新しい主人を紹介されて。
あの時俺は何が何でも皆様についていくべきだった。
親も仕事も捨てて、探した。
どうにか聞きつけて、見つけた時にはもう遅くて。
お嬢様が売られた後だった。
奥様と呼んだ女性の方だけいて。
そこでお嬢様の眼の事をしって。
盲目になられたこと。その目で売ったこと。
発狂した。
目の前で狂ったように笑い、硬貨を見つめる女性は人の形をしていなかった。
そこから覚えていない。
次にあるのは、きれいなベットの上にいた。
「あら。眼を覚まされたのですね。では当主をお呼びしましょうか」
そばにいたのが、リリー様だったようで、音もなく当主を呼びに行かれて。
入ってこられたのは、若い女性の方だった。
「私がこの屋敷の当主だ。行き倒れていたお前を拾った。なぜそんなことになっていたのか聞いてもいいか」
同情も哀れみも好奇心もない声に。
「……ただもうどうでもよくて」
「何がどうでもいいんだ?」
ぽつぽつと話始めた。
「すべてだった。俺の。世界だった。あの方の眼になると。あの方を守ると決めたのに。もう二度とあの方に会えないのかと思うと。……俺は……」
「お前はその方の死体をみたのか」
「……いえ」
「なら、なぜ二度と会えないと考える。生きている可能性があるのであれば、それにすがることはないのか。お前の決めたことはそれで終わるのか」
……。
「お前が何でもする気でいるのであれば、手をかそう」
「え……」
「その方を探す手助けをする。守るという誓いをはたせるように手をかそう。その代わり私に従え」
「……何を……」
「私は貴族で、当主だ。だが残念なことにそれをよく想わない一族のものが多い。それに若くして女性が当主となったということで、よくないものも近づいてきたりもしている。お前には私の剣として私を守れ」
……何をいっているのだろうか。
お嬢様を探す手つだいをするから、この家に仕えろということだろうか。
「お前が望むならばだがな」
……。
この方の言うことは正しい。
本当にこの世界からいなくなられたかはわからない。
わからないのならどんな手を使ってでも、皆無でないのならかけろと。
……。
…………。
「俺はどうあなたを守れはいいんですか」
俺はそういてこの屋敷に入って。
今願いが叶った。
が。
俺が絶望したせいで。
諦めたせいで。
お嬢様を見つけるのに時間がかかったせいで、ご自身を守るために、心を閉ざされたんだ。
だからこれは俺への罰。
こうなってしまったお嬢様から目を背けてはいけない。
コンコンコンと軽やかなノックの音が響いた。
「はい。ただいま」
「リリーです」
ドアを上げると、リリー様と当主だった。
「この子だ」
「あらあら。はいはい。承知いたしました。さてお嬢さん」
リリー様がお嬢様の横に座られた
「コハクだ。メイド長のリリーだ。彼女に仕事を教えてもらえ」
「リリー様。……コハクと申します。よろしくお願いいたします」
「はい。リリーです。よろしくお願いします。コハクさん」
当主がコハクとおっしゃって驚いた。
お嬢様の名前は違うけれど。
なぜコハクなんだろうか。なぜ偽名なのか。
当主には当主の考えがあるのだろうか。
「食事……はされたようですね」
「はい。いただきました」
「では。先にお風呂に入って着替えましょうか。そのあとお屋敷の中を案内します。その道中でほかにいる使用人に挨拶をしましょう」
「はい。承知いたしました」
リリー様がお嬢様……コハク様を連れてお部屋出られた。
当主と俺だけになって。
「当主」
「なんだ」
「お嬢様のこと。感謝いたします」
「あれがお前の探していたものなのか」
「え?」
「私は話に聞いた感覚と異なるように見える。本当にお前が探していた、リアという少女なのか」
「間違いありません。お嬢様です。……なぜそのようなことをおっしゃるのですか」
「コハクに心がないからだ。リアという少女の見た目をしただけの抜け殻のように見えた。だから別人だと」
当主のおっしゃるとおり、お嬢様は心を閉ざされて、何も感じておられないのか感情も声色も何も読み取れなくて。
俺の知っているお嬢様はいないように感じた。
「私が手助けするのは生きたいと願うものに対してだ。リアという少女がそう願うのならばだ」
「当主! 間違いなくリア様です。俺のお嬢様です!」
「あの子がリアだというのなら。お前が眼となる娘なら、今のままではだめだ」
……当主のおっしゃる通りだ。
「承知いたしました」
守ってみせる。
もう二度とあきらめない。
もし、お嬢様の事を当主がいらないといったとしても、お嬢様を守る。
今度こそ、お嬢様のそばから離れない。
コハクが働きだしてから、半年がたったころ。
当主が私を呼び出された。
「リリー。あの子の様子はどうだ」
お仕事の関係で、この半年、当主がコハクと話をする時間はなかった。
お忙しくされていたからねぇ。致し方ないけれど。
「とても優秀な子ですね。あっという間に、屋敷の中を覚えられて、普通に歩いています。仕事は掃除をお願いしていますが、とても丁寧で。覚えもいいです」
とてもいい子だ。
屋敷に住む人数に比べて、部屋数が多すぎる。
つかっていない部屋だってあるけれど、どの部屋でもきれいに掃除されている。
「そうか。ならいい」
「はい。当主」
……。
「……なぜそんなにわらっているのだ」
「あら。いつもの顔ですが」
「二やついている」
「それはそれは。……お嬢様がたいそうコハクのことを気にしているようなのでつい」
「お嬢様と呼ぶな。私は当主だ。お前に認められないことは何よりも耐え難い」
あらあらあら。
拗ねてしまわれた。
こういうところがまだお嬢様なのですけれど。
「コハクですが。当主に言われた心が読めるということ。読まないように訓練をしたとのことでしたが、母親の教えだとか。健気な子と思いました。ロイとは昔馴染みのようで。あの子はあの子で、とても気にしています。手を出すことはしないけれど、それでもそわそわと見ていますね。あの子は本当にいい子です」
ロイとのことは言わないけれど。ロイも詳しくは話さないからただただ一方的に、ロイがそわそわとしている。そんな姿をほほえましく見ている。
他の使用人たちもみな、コハクのことを高く評価している。
生まれやどうして同僚となったのか。当主より聞いていたけれど。
「そういえば」
「なんだ」
「ロイより聞きました。コハクとは本名ではないと。当主がお与えになられたと。由来などはあるのですか?」
「目の色が琥珀色だったから。それだけだ」
そういってカップを口に運ばれた。
……目の色?
この屋敷に来てから、あの子の眼が開かれたことはないはず。だから目の色を知らない。
お嬢様はどこでそれをお知りになったのだろうか。
どこかであの子とお会いになっている?
お屋敷でのお茶会など招待した方の中にいただろうか。
メイド長となって、本邸も別邸も。お客様だけでなく、出入りする業者も全て把握している。
コハクが来たことはないはずだ。
では。
お出かけされた先で?
……それもないだろう。
一族の方が足を運ばれた先、お招きを受けた家、その場に参加された方々。
それも把握している。
当主になる前であるのなら、もっとコハクが小さかった時。
そのような年の子がいたという記憶はない。
「どうした?」
「いえ……。当主はどこであの子の眼を見たのかと思いまして」
ピクリと動きが止まった。
あらあらあら。
何かあるのね。
「当主?」
素直な反応につい意地悪をしたくなってしまう。
年甲斐もないわね。
「……あの子には昔助けられた」
不服そうに話し始められた。
「リリー。お前だから話すが」
顔が険しいけれど、お声は優しい。
「お茶会だった。その屋敷には他にもいくつか来ていたが、私よりも小さい年の子はあの子だけだった。あの子は私の処にきて、お茶を飲むなといった。私についでくれた者の心が読めたそうだ。命に書かわるほどのものではなかったが、体調を崩すような毒を入れていたらしい。それを教えてくれてた。そっと同席だった他の方のカップと交換したよ。その方には申し訳なかったが」
視線が下がられた。
やわらかい表情になられた。
「驚いた。私よりも小さくて。愛らしいものが」
……お嬢様は気づいていないんだろうな。
今。
とても幸せな顔をされていることを。
「特別だと思った。あの子は私を特別だといったけれど。……今はその影もないがな」
ああ。
この子がこの子であれるのは、そこが軸なのかと。
生まれた時から見てきたけれど。
こんなにも穏やかな表情は見たことがなくて。
そんなにも影響を与えられたコハクがどんな子だったのか。知りたくなった。
「後から調べて分かったが。一族の者が仕掛けた事だった。……まさか外でそんなことをしてくるとは思わなかった。屋敷の中だけだと思っていたのに」
……。
お仕えしている家を悪く言うことは使用人としてしてはご法度だけれど。
一族の者でもっとも優秀なものが当主となる。
性別も、生まれの順も関係なく。
当主が一族の中から選ぶ。
お嬢様は早いうちから先代が眼をつけておられた。
それを周りは気づいていた。
四人の子どもとその配偶者。そして十二人の孫のなかから。選ばれた方。
故に、みながその地位を望み、互いを蹴落とす。
時に非道な手を使われる。
間違った姿と思う。
この方は、そんななか生きてこられて。
いつからか心を閉じられるのが上手になられて。
「あんなにも純粋無垢な子どもがいるのかと驚いた。心が読めない私を、特別だよといって耳打ちしたときの顔は天使のようだった。心を閉ざしたことを許してもらえた気がした。私は救われた。……だから。恩返しだ」
「とても良い出会いをしたのですね」
この方にとってあの子は特別なのね。
恩返し。だからロイのことを助けるのね。
「ばあやはうれしいですわ」
「やめろ。お前が私のばあやでは困る。リリーにはこれからもこの家でしっかり務めてもらわねば。……私が選ぶ次の当主に仕えてほしいのだから」
「あらあらあら」
それはそれは。
「長生きしなくてはいけませんね」
嬉しいことをおっしゃってくださる。
使用人冥利につきるというもの。
コハク様は相変らず心を閉ざされている。
話をしてくれるけれど。俺が話しかければだ。
コハク様からは仕事の話しかされない。
……俺がロイだと思われていないのか。
はたまた。
ロイだからだろうか。
……この方が生きている。
それだけで十分なはずなのに。
側にいられることが幸せなのに。
もとに戻ってほしいと。
笑ってほしいと。
瞼を開けていただきたいと。
幼いころ見た。
あの宝石のように輝いていた瞳に映されたい。
そう願いながら。
俺はただただ見ていることしかできなくて。
コハク様は他の使用人の方からも評判で。
リリー様もその働きぶりを評価されている。
人形のように。
決められたことをする。
それ以外の時は、庭を眺めておられる。
……約束した。
お嬢様が楽しめる庭を造ると。
当主に頼むか。
俺にできるのは、お嬢様との約束を守ること。
あの時のお嬢様の声はとても嬉しそうで。
楽しみにされていたから。
「でこの区画をほしいと」
「はい」
「お前は庭師ではないが」
「ちゃんと剣としての務めは果たします」
「……わかった。いいだろう」
許可がおりた。
早速、いただいた区画に花を植えた。
これからの季節咲くものを。
香りが甘く強いものを。
この屋敷にきてそれなりにたった。
食事も眠る場所も。
私の生活は一変して。
お父様とお母様の声も思い出せないほど、聞いていなくて。
私にかけられる声はどれも穏やかで。
怖いと思った。
ロイお兄様によく似た声を聞いた時。
自分の命はここで終わるだと思った。
それでもいいと思った。
聞きたかった声だ。
幸せだった時に聞いていた、幸せにしてくれた声。
神様が私に慈悲を与えてくださったのだと。
だから、あの時死を願った。
これ以上、誰かに利用されたくなかった。
……お母様の生きるために売られるのは耐えられた。
お母様のためだから。
……それ以外はダメだ。
けれど、当主はそれを与えてくださらなかった。
……不要となるまでここにいるのだと理解して。
ただただ与えられた仕事をこなした。
時折、鉄のにおいがした。
話したことも、紹介されていない使用人の方がいることは気づいていた。
ロイ様からもその匂いはした。
だれもその方については触れないから。私も聞かない。
このお屋敷と実家の違いが大きくて。同じ貴族でも違いがあるのだと知った。
私は何も知らなかったんだと痛感した。
この屋敷に来てから、新しいことだらけだ。
心が読めない当主。
……心が読めない方をどこかでお会いしたことがあった。
……あの時の方なのだろうか。だとすれば、お変わりないようで何よりだ。
私はこんなにも変わってしまったけれど。
そして、敬愛していたロイお兄様と同じ声のロイ様。
ふわふわと笑われているけれど、誰も頭が上がらないメイド長。
大きなお屋敷なのに使用人は見合ってなくて。
それでも屋敷は回っていて。
……ここに居続けたいと願ってしまう。
汚れた自分がそんなことを望んでいいはずがないのに。
人間らしい生活をおくっていると、望んでしまう。
また、ロイお兄様をお兄様と呼べる日がくることを。
生きていたいと願ってしまう。
「……咲いた」
よかった。
うまく咲いてくれた。
「さすが庭師なだけあったな」
「当主」
いつの間にか後ろにおられた。
「……剣の腕を磨くようにとさせたが、庭師としての腕が鈍っていないようでなによりだ」
剣となれと言われた日から、枝切はさみから剣に持ち替えて。
血反吐を吐きながら、身につけた剣術は使うことがあった。
当主の命を狙う者。
悪事を働く者。
当主が掃除を願えば、掃除をした。
「きれいに咲いたな」
「はい」
「あの子を呼ぶか」
「……はい」
この時間はお部屋におられるだろうから。
……ふぅー。
「はい」
ゆっくりと間をあけたノックにコハク様は顔を出された。
「……ロイです。天気が良いので、お庭を散策しませんか」
おかしくないだろうか。
こんなこと、言ったことがないから。
「そうですね。洗濯物もよく乾くほど天気がいいと聞いていますので」
静かに俺の後をついてきてくださった。
……腕をつかまれることもなく。
ご実家でも、杖などなく歩いておられた。
リリー様が、しっかりと屋敷の間取りと覚えているようで、とても優秀だとおっしゃっていた。
「足元にお気を付け下さい。石畳ですので」
庭は石畳でガタガタしている。
躓かれるかもしれない。
「ありがとうございます」
「ああ。来たか」
「当主もおられたのですね」
いつもの硬い表情でおられて。
「とても良い庭だ」
それだけおっしゃると、歩き出され、場所を開けてくださった。
気をつかってくださったのだ。
コハク様がしっかりと感じられるように。
「こちらへ。……花を植えまして」
数歩前に進んでいただき。
「以前のお屋敷では、庭師をさせていただいていました」
風が香りを運んで。
コハク様の表情が動いた。
「そのお屋敷には。一人娘のお嬢様がいました」
一歩さらに進まれた。
「お嬢様は父が手入れしていた庭をほめてくださいました。お嬢様は目が見えなくした方で。見れなくても楽しんでいただけるお庭を造るとお約束しました」
手を伸ばしながら、距離を測っているのだろう。
触れるかどうかの距離で膝をつかれて。
「……とても香りがします」
「はい。香りがはっきりするものをと。周りには香りのないものを」
「……触れても?」
「はい」
恐る恐る手を伸ばされて。
葉に触れて。
花に触れて。
「……スズラン……」
形と香りで当てられた。
……間違えるはずがないか。
「……どうして……この花を……」
あげられた顔は。
涙が頬をつたっていた。
「……この花は。……スズランの花はそのお屋敷のお花です。そのお屋敷はこの時期になると庭一面にスズランを咲かせるんです。白く、光の反射でキラキラと光るのです。その中に」
ああ。
お姿がにじんで見える。
「その中に。お嬢様がいたのです。それが初めてお姿を見た時です」
「……ロイおに……いさま……」
「ああ。あああ。また俺をそうよんでくださるのですね。お嬢様」
「ロイおにいさま……」
手を伸ばしたい。
触れたい。
抱きしめたい。
閉じられた瞳から涙が止まらない。
ああ。
ああああ。
「お約束が遅くなり申し訳ありませんでした……」
膝をついて、頭を垂れた。
「……いいえ。いいえ。……約束は無事。守ってもらえました。ありがとうございます。……ロイお兄様」
お嬢様も膝をつかれて、俺の手を取られて。
「幸せです」
その瞳はまだ、開かれていないけれど。
それでも確かに。
お嬢様の瞳を見た。
琥珀色の瞳が俺を見つめてくださった。
「あの子たち。よかったですね」
「……ああ。そうだな」
「当主。あの子の家の屋敷と領地を買うようにとおすすめされたそうですね。今でも、その庭はこの時期になるとスズランが咲き誇るそうですよ」
「……よい庭師がいるのだろうな」
「お嬢様。今日は庭でアフタヌーンにいたしましょうか。花の香りを邪魔しないように、香りの弱い紅茶を」
「……ああそうだな」
「すぐにご用意いたします」
「……リリー」
「……はい?」
「ありがとう。お前がいるから私はここにいる」
「……あらあらあら。素直なお嬢様だこと」
「だからやめろといっているだろう」
「はいはい。失礼いたしました」
ふふふっと笑い軽やかな足取りで屋敷に戻っていくメイド長。
その姿に息を吐く当主。
「さて。スズランの花を見に行くか」
5月11日 修正 加筆あり