8.他人の失恋の話の聞き方を、俺はまだわかりかねている。
今日は残暑が続いていた先日から一転、急に寒くなった日だった。俺は寒い寒いと肩をすくめながら、電車に乗り込む。朝の電車とは違い、帰りの電車は人が少ない。もう少し夜に近づくと、帰宅ラッシュで変わってくるかもしれないが。
春も夏も秋も冬も、電車から見える景色は変わらない。……いや、雨とか雪とか降ったらまた物理的に変わるが、俺の気分的なものは何も変わらない。山、山、山。田舎のぼろい電車。
この電車は、田舎から少し都会(※この県比)を往復する牢獄のようなものだ。
いつかここから出ていく日がくるのだろうか。
俺はいつか他県のちょっといい大学に入るために、態々長い通学時間に目をつむって三波高校へ進学した。でも、どこの大学に行きたいとかは今はまだない。
俺が少しだけノスタルジックな気分に浸っていると、家までの道のりが3分の2ぐらいを過ぎた時に、見知った顔が車両に乗り込んできた。
「大塚じゃん! お疲れ~」
「お疲れ、小倉。また会ったな」
「ふぃ~。隣良いか?」
「もちろん」
小倉大志。
俺と有馬奈緒と同じ鷹矢中学校出身の男。俺が以前、たぁ君候補だと思った人物だ。(※それは有馬奈緒直々に否定された)
塩顔に鍛えられた体。爽やかな性格。教科書に書いたような、ストレートにイケメンではないがめちゃくちゃモテるやつ。
小倉はニコニコとした笑みを浮かべながら、空いていた俺の隣の席に座った。斜めかけのカバンがズシリとシートに沈む。
……いや、ニコニコとはしているが、前回あったときよりどこか固い気がする。どうしたのだろうか。まぁ、学校終わりは疲れているか。
「今日部活は?」
「急遽、休みになった~ 午後の授業の中で、熱中症で数人の生徒が倒れて」
「え、やばいな。今日は涼しかったのにまたアレだな」
「急に涼しくなったから、じゃあないか? あーでも、ニュースになっちゃうかなぁ」
小倉は冗談ぽくチャカしたが、その表情はどこかさえなく心配そうであった。
そうか、これが小倉の笑顔が硬かった原因かもしれない。どこか納得した俺は、そのまま話を変える事にした。
が、それよりも先にガバッと俺の手が何かに捕まれた。小倉がかなり強い力で俺の手をつかんでいる。全く動かせない。
な、なんだ?
「小倉、どうしたんだ? 俺の手に何かーー」
「俺さ、今日フラれたんだよね」
「は?」
「付き合ってた彼女と別れたってこと。……話聞いてくれるか?」
その行動と声色は頼みではなく、「話を聞け」という命令のようだった。
小倉からは先ほどまでの笑顔の武装は剥がれ落ち、ふつふつと闇のオーラが漏れ出している。
俺は命の危機を感じ、高速で首を上下に振った。
「えっと、話を聞くのは良いんだが、彼女って俺も知っている人か? それとも高校からの彼女? 今の小倉のことをあまり知らない俺が話を聞いてもーー」
「高校からの彼女。あんまり知らない大塚だからこそ聞いて欲しい。余計な詮索とかなさそうだし。知っている奴は、なんか、うん」
「わ、わかった。とりあえず落ち着こう」
俺の抵抗も空しく、電車の一角は小倉大志君失恋慰め会の会場になった。
小倉は俺の手を離すと、いそいそとスマホを取り出し、俺に1枚の写真を見せてきた。それは小倉と彼女らしい人との2ショットだった。制服デートのようでス〇バを掲げている。正しく青春の1ページだ。彼女はふわふわの髪を二つに結んでおり、その袖は萌え袖であった。
ここは、「かわいらしい人だな」とか言えばいいのか?
いや、でも、小倉はフラれたんだよな?
じゃあ、「どうしてフラれたんだ?」って聞くべきか?
それとも小倉の出方を待つ?
俺がそうやって悩みながら写真を見つめていると、小倉がスマホをスッと下げ、口を開いた。
「ホントそんな予感なくてさ、昨日までは楽しく付き合ってたんだよ。今日突然『別れよう。大志の事は友達にしか思えなくなちゃった』って言われて」
「あー」
「予兆あったらこんなにへこまないけどさ、なんか、突然だったから」
「うん」
「『なにかしちゃった?』って聞いても『別に大志は悪くないよ』って言うだけだし」
「そうなのか」
何とも言えない反応しか返せない自分の不甲斐なさに泣きたくなる。小倉の話に耳を傾けながら、昔、姉が失恋した時もこんな感じの反応しか返せず、後悔したのを思い出した。……成長してないな、俺。
「別れ話もあっさりとしててさ、ハハッ」
小倉は話すたびに、言葉を重ねるたびにぐったりとなっていく。なんとか小倉を励ましたいと思い、俺は言葉を探す。
下手に励ますよりは、詳細を聞きたい。詳細を聞くより先に励ますと、要らぬ地雷を踏むことがある。
「今日のいつ、言われたんだ?」
「帰る前。その子も運動部でさ、今日は運動部が全部なくなったから一緒に帰ろうって言いに行ったら、校舎裏に連れていかれて……そこで」
マジで失恋ほやほやじゃねーかという憐みの気持ちと、校舎裏での恋愛イベントって実在するんだという関心が、俺の胸中を二分する。
というか、別れるのってそんな秒で終わるんだな。そっか、フラれても家まで帰らないといけないもんな。小倉大志の失恋という道中に自分がいる事に、何となくそわそわする。
俺が労わりの意を込め小倉の背を撫でると、小倉はさらに続ける。
「その様子――俺がフラれている様子を偶々友達に見られてて」
「うわぁ」
「……それで、そいつら駅までの帰り道付き添ってくれたんだけどさ、『雪ちゃん、最近長谷川と仲いいらしいよ。捨てれられたんじゃね?』って言われて」
「……」
「あぁ、予兆が無いって思ってたのは俺だけだったんだぁ、って、思って。周りの奴からしたら納得の出来事だったんだぁって、思って」
もう何も言葉を返せない。
もう次の相手がいたのか、雪ちゃん。いや、それは噂話なのだが。
何でこんな爽やかでイイ奴が、こんな目に合わなくてはならないのだろうか。小倉は泣いてこそいなかったが、その声は弱弱しく今にも消えてしまいそうだった。
「なんか、やっとのことで受け入れたフリしたけど、内心は全然そんなことなくて……。俺のどこがダメだったのかな。雪……」
「雪」と呼びかけたその声には悲しい気持ちと愛おしさが乗った、霧の日の夕暮れみたいな声だった。
ここまでの経緯を聞き、俺には一つ気付いたことがある。
小倉は決して彼女を悪くは言わなかった。
浮気――とまでは言えないだろうが、他の男に心を移したかもしれない彼女を、決して悪く言わない。「俺のどこがダメだったのか」と自分を責めてすらいる。
そんな小倉がいじらしく、哀れであった。
「小倉は、彼女のことが大好きなんだな」
「……うん」
「どこが好きだったんだ?」
「最初は、日直が黒板消し忘れている時に何も言わず消すとこがいいなって思った。決まり事とかさ常識を守れる人なんだよね。品がある、って感じ」
「そっか。できた人なんだな。……小倉は、ちゃんと別れれて偉いな。別れたくなかったのに、彼女の気持ちを尊重してあげたんだろ?」
「……尊重できたのかな? 未練がましくすがって、これ以上嫌われたくなかったからってだけだけど。あと『別れよう』に『別れたくない』って言うのってハードル高くない?」
「あー、そうかもしれないな。俺はそんな経験ないからわかんないけど」
そこから小倉は、ダメになってしまった原因の考察や、ぽつぽつと彼女との思い出を語った。それを聞くと、雪ちゃんは小倉に大事にしてもらっているのに、もったいないことしたなって思った。
でも、彼女の言い分を――それどころか声も性格もーー知らないので、何かしらがあり気持ちが離れてしまったのだろう、と無理やり結論付けた。せめて雪ちゃんが、小倉をいいように使う悪女じゃ無ければいいと、心の中で祈った。
小倉大志君失恋慰め会の会場は風を切って進んでいく。曇天は夕陽を隠し、雨の気配さえ感じさせた。
やがて以前小倉が乗って来た駅を過ぎ去った。俺が小倉に降りないでいいのか聞くと「今日は父親の家だから……。その、家庭の事情で2つ家あるんだ。今」という返答が帰って来た。
そう言えばそうだ。同じ中学校区なので、本来なら同じ駅を使っているはずなのだ。以前に小倉が乗り込んできた時は、何も疑問に思ってなかった。
俺は普段、何も考えず暮らしているのかもしれない。
小倉の失恋話の所為か、俺の思考も暗くなっていく。全くのネガティブというわけでは無いことが、余計に不安定な感情を演出していた。
有馬奈緒は失恋したくないから、“たぁ君”に告白しないのだろうか。
ふと、そんなことが脳裏によぎった。