2.隣の席の娘の好きな人が自分かもしれないということを、俺は考えている。
(夕日に照らされているおかげで、私の顔が真っ赤に染まっていることはバレていないはずだ。でも、目が見れないよ)
『わ、私の好きな人はバスケ馬鹿で、不器用で……でも一生懸命なんだ。めったに優しい言葉なんてかけてくれないけど、優しいところもあってーー』
『ふーん。そんな奴のどこがいいの?』
『……鈍感馬鹿』
(私の好きな人は、君なのに……気づけ、ばか。)
体育館の裏で体育座りをしながら、並んで座る1組の男女。告白できないヒロインは、匂わせる様にして好きな人に好きな人のことを語る。その表情は真っ赤に染まっていた。
少女漫画はフツーに面白い。いや、フツーにというのは失礼かもしれない。純粋に面白い。だが、今の俺は物語そのものを楽しむどころではなかった。
持ち主が居なくなったーー大学に進学して独り暮らしをしている姉の本棚に漫画を戻し、俺はその場にごろんと転がった。
イマジナリー彼氏の話を続ける隣の席の女子、有馬奈緒。
有馬奈緒の彼氏の話は彼氏ではなく、“好きな人の話”だということを俺は確認した。
俺はその会話の中で、その好きな人であるたぁ君が、俺・大塚宝ではないかという仮定を思いついた。
いや、でもそんなことあるのか?
有馬奈緒は楽しくなっちゃてイマジナリー彼氏の話を続けるイタ……変わったところもあるが、それ以外は普通の女子高生である。明るくて優しい奴で、背が高くスタイルがいいし、顔立ちも整っている。普通にモテるだろう女子だ。
そう考えると、彼女が俺のことを好きな可能性はどのぐらいあるだろうか。自分で言うのもなんだが、俺は平凡な男子生徒だ。誇れることは成績ぐらいだが、別に全国で戦えるほどではない。普通に自意識過剰の可能性もおおいにある。
美人の同級生に好意を寄せられているかもしれないドキドキと、遠回しに仕掛けられた会話の罠に対する恐怖。そして困惑。俺の脳内はぐるぐると忙しなく稼働していた。
これから有馬奈緒に対して、俺はどういう対応をしたらいいんだろうか。彼女は隣の席だ。うちのクラスは担任の「テストの度に出席順にするのめんどくさい」という考えから、席替えが無い。
席が隣だと、グループワークや小テストの交換丸付けもあるから、全く話さないというわけにはいかない。
「おはよう。た、……大塚君」
「……おはよう。有馬さん」
しかし学校で会うよりも前に、行きの電車で俺は有馬奈緒と鉢合わせた。がっつり運動部の彼女とゆるゆるボランティア部の俺では、登校時間が重なることは少ないはずなのに。……これは自身の課題を手伝わせるため、朝早くに俺を学校に呼び出した中山の所為だ。
朝の電車は人が多い。しかし、ほぼ最初の駅で乗る俺たちは結構座れる。俺たちは自然と隣の席に座ったが、俺と有馬奈緒の間に会話はない。
何か話すべきだろうか。しかし、何も思いつかない。
これまでだって電車で一緒になったことはあったはずだが、その時は何を話していただろうか。いや、そこまで話していなかったわ。時々、本当に時々、記憶に残らないぐらいの話しかしていない。
やっぱり、こんな薄い関係性の俺が有馬奈緒の好きな人のはずはない。
そう結論付けて、俺は窓の外に視線を向けた。外の風景が勢いよく過ぎ去る。電車には段々と人が増えていき、俺たちの頭上には影が重なっていく。
「あれ? 大塚と奈緒?」
「「小倉」君!」
「やっぱりそうだ。久しぶりだな」
影の一つは俺と有馬が知っている人物だった。筋肉があることがわかる体に、爽やかな顔立ちの男。同じ中学校だった小倉大志。
彼は、中学の時の雰囲気を残しながらも、大人びた影があるように成長していた。小倉は、俺たちの中学と三波高校の中間にある喜田高校に進学しており、今もその喜田高校の制服に身を包んでいた。真っ白なブレザーで、良く目立つ。
俺たちの名前が間違っていなかったことに対し、安心したような表情を見せた小倉は、カラッとした笑いを浮かべて話を続ける。
「中学の時と雰囲気違くて、最初は分かんなかったわ。特に奈緒は髪伸びたな」
「あー、うん。そうかも」
「2人は電車で三波高校まで通ってんの? 俺、いつもは電車じゃないから、時々電車に乗ると人多くてビビるんだよねぇ」
「まぁ、通勤時間だからな。人が多いのはしょうがない」
明るく会話を続ける小倉に相槌を返す。静かな電車内で会話を続けることは、何か悪いことをしている気がするが、小倉はそんなことはないらしくずっと話し続けた。
昔からコミュニケーション能力が高い奴だと思っていたが、久しぶりに会った同中と会話できるのは感心してしまう。
「この前の総体でさ、奈緒見かけたから話しかけようか迷ったんだよなぁ」
「え、声かけてくれたらよかったのに」
「いやー、なんか総体の時って難しくない? まぁ、そんな感じで奈緒の存在は認識してたけど、大塚はレアキャラって感じ」
「レアキャラって……ってか、小倉もテニス続けてたんだな」
「まぁね。下手の横好きって感じだけど。だから、結果残してる奈緒が羨ましいよ~」
「そんなこと……」
会話の途中、そっと有馬奈緒の表情を覗く。彼女は小倉に顔を向け、熱心に話を聞いていた。
有馬奈緒も小倉も中学からテニス部だ。男女の違いがあれど同じ部活だった2人は、同性な俺と小倉よりも仲がいいはずだ。今だって俺が知らないエピソードがちょいちょい出てくる。
「でもさ、俺ダブルスの方で上手い後輩と組むことになってさ、最近結構勝てる様になったんだよなぁ」
「へぇ。それはおめでとう?」
「ははっ、ありがとう。やっぱり環境が恵まれていると、部活も勉強も捗るよなぁ」
「確かに、中学の時よりもすっきりした顔つきだな」
「小倉君は喜田高校が合っているんだね」
昔話も交えながら今の話をする。小倉は、なんともまぁ充実した日々を送っているらしい。
『次は喜田~、喜田~。お出口はーー』
「お、俺ここで降りるわ。またな、2人とも!」
「ま、またね」
「じゃあな」
やがて小倉が降りる駅になり、また俺と有馬は2人になる。まぁ、他の乗客はいるが。
俺たちの通学時間はとにかく長い。うちの学校は寮もあるが、寮生になった方が楽だろうか。でも、もう1年以上通学しているし、寮生活は厳しい規則があると聞く。それはだるい。
そう言えば、小倉は普段どうやって通学しているのだろう。三波高校程ではないが、喜田高校も俺たちの住まいからはだいぶ距離がある。「普段は電車には乗らない」みたいな事言ってたが、いつもはバスや自転車通学なのか?
……小倉大志。たいし?
大志も、たぁ君候補なのでは!?
予想外のひらめきに俺は戦慄する。たぁ君の話(有馬奈緒談)の中には「一緒に通学している・電車で一緒になった」という内容があった。それが嘘なのか本当なのかはわからなかったので気にしていなかったが、小倉大志がたぁ君ならここの流れはスッキリする。時々電車に乗っている小倉の事に一方的に気が付き、その時のことをイマジナリー彼氏として話している可能性は大いにある。ちょっとストーカーぽいが。
でも、なぜ俺は小倉大志をたぁ君候補から外していた? 今は違う学校に通う同中、と言う点では思いつきそうなものだが。
……そうだ。小倉大志には中学生だった当時、彼女が居たのだ。今まで続いているかわからないが、だからたぁ君=小倉大志の図式は俺の中で成立しなかった。でも今は違う。たぁ君が有馬奈緒の彼氏ではなく好きな人なら、たぁ君=小倉大志の図式は成り立つ!
「なるほど、小倉か……」
「……!?」
同じテニス部で明るい性格。
ストレートにイケメンとはならないかもしれないが、小倉は整った顔立ちだ。最近流行りの塩顔ってやつだと思う。有馬奈緒も可愛らしい顔だ。身長差もいい感じだし、2人はお似合いと言えるだろう。
いや、そもそもなんで俺は有馬奈緒の好きな人を躍起になって探そうとしてるんだ。どうでもいいだろ。有馬奈緒の好きな人の話なんて、本人の好きにすればいいじゃないか。
あぁ、一瞬でも有馬奈緒の好きな人が、俺かもしれないと思った自分が恥ずかしい。
鬱々としていると、高校の最寄り駅に着いた。長い通学時間も考えこんでいると一瞬だ。人にもまれながら扉の前まで移動し、生み出されるように電車から飛び出る。汗が首筋を伝うのは気持ちが悪いが、文句も言ってられない。高校までの約5分の道を歩き始める。
すると、人ごみで一旦離れ離れになっていたはずの有馬奈緒がいつの間にか隣に立っていた。前髪を整え、ピッと姿勢を正している。人にもまれたせいかその顔は赤く染まり、しっとりと汗ばんでいるような気がする。
「あ、有馬さん? どうかした?」
「……私の好きな人、小倉君じゃないよ」
「あぁ、そうなのか……はっ!?」
有馬奈緒の一言を受け取った俺は素直に返事したものの、勢い良く二度見した。しかし、もう既に隣に有馬奈緒はおらず、俺を置いて先に歩き出していた。
俺はそんなに気にしたような顔だっただろうか。まさか俺の考えが口に出ていた? いや、恥ずかしすぎるだろ。というか、有馬奈緒が「好きな人は小倉ではないこと」を俺に告げる意味とは?
……やっぱり、有馬奈緒の好きな人は俺?
今は違う学校という情報こそブラフ?
有馬奈緒の背を眺めながら、俺は立ち尽くした。
そろそろ夏も終わるはずなのに、太陽は俺を突き刺さんと焼き付ける。