11.何も知らなくてもスポーツ観戦はなんだかんだ面白い、と俺は思う。
その日は平和にいつもの日常をこなした。部活も何もないし、さっさと帰るに限る。いつもより終礼が早く終わったので、頑張ればいつもより一本早い電車で帰れるかもしれない。
俺がいそいそと帰宅準備をしていると、隣から軽やかな声がかけられた。有馬奈緒だ。
横に流れている髪を弄りながら、こちらを伺っている。
「どうかした?」
「いま、ちょっといい?」
「あー、うん。大丈夫」
電車チャレンジが待っているので、できるだけ早くして欲しいが、それをぐっとこらえる。
「今週の土曜日さ、部活の練習試合を安原の方でやるんだ」
「へぇ、わざわざこっちから安原の方まで行くんだ」
安原市は俺たちの暮らす鷹矢町が存在する市だ。田舎。
駅から少し歩いたところに、有り余った土地を活用した大きめのテニスコートがあることは知っているが、比較的都会の三波高校の生徒がわざわざ安原まで来るのはなんか変な感じだ。そもそもこの高校の近くにも大きなテニスコートがある。そこでやるのがスタンダートな気がする。
「練習試合って安原高校と?」
「えっと、安原高校ももちろんいるんだけど、いくつかの学校で集まって練習大会みたいな感じ……それでさ大塚君、見に来ない、かな?」
「へ?」
「練習試合、時間があったら見に来ない?」
俺の脳が有馬奈緒の言葉の意味を処理することを拒否したため、時間が止まったように感じた。
ミニコナイカナ? レンシュウジアイ?
俺が目をパチパチしていると、有馬奈緒が慌てた様に言葉を続ける。
「朝から夕方までやる予定で、その、時間が合う時にちらっとでもいいから」
「……あー、うん。行けたら、行ってみようかな」
「ほ、本当? 時間があったらでいいから! その、近いからどうかなって思っただけで……。そ、それじゃぁ、私部活あるから、また明日!」
俺が「また明日」と返す間もなく、有馬奈緒は教室から出ていった。
結局、俺は電車チャレンジに失敗した。
× × ×
なぜ俺は、ほぼ帰宅部なのに休みの日にわざわざテニスコートまで来ているんだろう。しかも、一日中やっているという話なのに、まだ時間は朝早い。
有馬奈緒に誘われた時は「行けたら行く」という断りテンプレートを述べたのに、結局俺はここまで来てしまった。
天気は快晴だったが、風が冷たくて肌寒い。
安原運動競技場のテニスコートを見渡すと、学生らしき人物が多くいた。県内の女子テニス部数校で合同練習大会だと聞いていたが、思ったよりも“ガチ”な空気が流れている。
客席には保護者らしき大人が何組かいた。中には小さな子供もおり、キャッキャと楽しそうだ。
俺は客席でも端の方に座り込み、見学を始めた。暫く探しているとうちの学校らしき生徒を見つける。部長の神田が通る声で部員たちに指令を出している。いつもとは違う声色に、あんな声も出せるんだななどと思う。
だが、どうしても有馬奈緒を見つけることができない。
「どこにいるんだ? ……あ」
有馬奈緒は俺が見つめていた集団の中にいた。しかし普段の彼女とは違い、髪を一つに纏めていた。ずいぶんと雰囲気が違うため、有馬奈緒だと認識できていなかった。
神田などの部員と話しながら、何かを準備している。俺はテニスの知識はアニメで見た『テニスの王〇様』の知識しかないので、全く何をしているのかわからない。それでも、部活という青春の一ページを眺めているのは、中々退屈しなかった。
ボーっとしている間に、試合が始まる。有馬奈緒も試合が始まり、コートに入っていた。
気迫が違う。いつもはのほほんとした感じなのに、今はアスリートと言った風だ。大きな瞳は獲物を捕らえるかのようにジッと細められ、体の動きからは無駄が削ぎ落されている。
試合は終始、有馬奈緒優勢のようだった。
有馬奈緒が放つ弾丸のようなボールが、コートを蹂躙する。
……なんか、すげぇな。そんな感想しか浮かんでこない。肌寒く感じていたことをすっかり忘れるほど、俺の体は熱に浮かされていた。
有馬奈緒は勝負の世界にいる。俺が入っていこうとも思わなかった世界に。
運動部でいい成績を残しているとしても、全員がスポーツ選手になるわけではない。でも、なる人もいる。
有馬奈緒はどうだろう。
やがて試合は有馬奈緒の勝利で終了した。
対戦相手と握手する時、有馬奈緒の表情がよく見えたが、先ほどの気迫ある姿から一転、穏やかで明るいいつもの有馬奈緒がそこに居た。そのことに、なぜかホッとする。
次の試合は有馬奈緒が休みのようだった。別の部員がコートに入ってくる。
……最初から一日中いるつもりはなかったし、さっさと帰るか。
ジッと座っていたために凝り固まった体をぐっと伸ばす。秋晴れの空からは雲が消え去り、まっさらな青いキャンパスに飛行機雲が横断していた。
俺は席を立ちその場を離れようとして、再び立ち止まった。
帰る時、挨拶とかすべきなのだろうか。いや、でも、ただの観客だしな。そもそも、有馬奈緒は俺が来ていることさえ知らないだろう。それに俺たちはただの同級生でーー
「宝君!」
俺が帰るために足を踏み出した時、人一倍大きな声が俺に向けられた。
有馬奈緒だ。
元気よくこちらに手を振っている。あまりの勢いに、周りに見られて恥ずかしいという感情よりも、ほほえましさに笑みがこぼれた。
「頑張れ」
呟くような音量だったから、有馬奈緒まで届いたかわからない。でも、自然と口から出ていた。俺は小さく手を振り返し、会場を後にした。




