事故紹介
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友達が死んだ。
崖からの転落死、二十三歳の誕生日のちょうど翌月の五月十八日、月曜日の朝だった。彼の大好きな酒とタバコのせいで毎日胃痛と胸痛が起こると言っていたから、もう十年も生きられないのではないかと思っていたが、こんな愚かな死に方をするとは思っていなかった。
友達と言っても、中学とか高校の同級生というわけではなく、大宮のスーパー銭湯で会い、意気投合して外で朝まで飲んでいたときに連絡先を交換しただけの仲だ。しかし、彼の名前を知らない。チャットアプリの名前は「解体」となっていた。過去に解体工をやっていたからだと彼は言っていた。
半年に一回ほど連絡を取って飲みに行っていた。一度だけ終電を逃して彼の家に行ったことがある。
部屋の壁全面に漫画のポスターやポストカード、レコードのジャケットなどが飾られていた。それよりも目立ったのは平積みされた文庫本と写真だった。旅先で撮った写真と、今年に入ってから読んだ本だという。どちらも、彼が大切にしていたものだった。
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彼の死から何日か経ってなんとなく彼の家に行くと、彼の父親に会った。遺品整理に来たようだ。
「三年ぶりに息子の名前を聞いたと思ったらこれだよ」
と呆れていた。驚いたことに彼がここに住んでいたことを親ですら知らなかった。彼のチャットアプリには友だちが六人しかいなかった。
「身内が三人、高校のころから連絡取ってない友達が二人、あとお前」
彼が言っていた友だちの内訳。ほとんどの人と何年も連絡を取っていなかったのだから、彼の近況を知っていたのは自分だけということになる。
彼と一緒によく行った焼き鳥屋で、今日は一人で飲んでいる。そういえば彼は三十代から先、生きているビジョンが見えないと言っていた。
「三十代にもなって未婚フリーターなんか生きてる価値ないよ」
と、酒が入ったこの席で、本気なのかどうかわからないことを。
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会計を済ませ「ごちそうさま」とひと声かけて店を出て、家路につく。
玄関を開けて、めずらしく家にいた父に「何してるんだよ」と声をかけると
「息子が残した物が多すぎる」と泣いていた。
そのとき、ふと気づいた。
これは自分の話ではないか。
さっきから鉛筆を持ってこの話を書いているのは自分自身ではないか。
崖からの転落事故を装った。
死んだ年齢と死んだ日、自分が好きだった歌手をならった。死に方まで真似をすると、親に自分の意思で死んだと思われるからやめた。親を悲しませたくなかった。事故なら仕方ないかなと思ってくれる気がした。
部屋に置いてある写真の束は、自分が生きていた証拠を残すために行った場所や見たもの、好きなものを撮影してプリントしたものではないか。しかし最近、撮った建物などが解体されて消えてしまうから、文字でも見たことを残そうと、作文もしていた。紙にこだわった理由は、燃えない限りなくならないから。
部屋に平積みで置いた文庫本は、少しでもおもしろい作文にしようと、好きな表現や言葉を盗むために読んでいたものではないか。
写真や作文は、インターネットで公開していた。閲覧数は少なかったが、生きた証拠を載せられるだけで十分だった。コンテンツの発信者を気取れるだけで満足だった。
自分が死んだ理由、そして自分がここで生きていたことを、自分と、この作文を読んだ人以外に、誰も知らない。
お父さんお母さんさようなら。今までありがとう。
風呂屋で体を洗いながら鏡に写る自分に話しかけていた時に思いついた話
前に連載で載せたものを短編にしました。
事故の紹介と自己の紹介をかけています。
書いた当時憧れていたイアン・カーティスの年齢を追い越し、生きた証を残さないまま生きている自分を憎悪しています。