その依頼断ります
私は三年前とあるコンビニの前の横断歩道で人を引いてしまった。
あの日は昨日と同じような黒い雲が空を覆う雨の日だった。
いつもの通り車に乗って職場へ向かう途中でこんな雨の日にもかかわらず雨具をつけずにびしょぬれになりながら歩いている男を見かけた。
あまりにも不自然だったので車に乗りながらでも目についた。
その男は何を思ったのか突然私の前まで走ってきて。
ドカン
その時はあまりスピードを出していなかったはずだ。
私が奇妙な男を引いた瞬間0.3秒の間彼と私は目が合っていた。
しかし彼はとても遠い目をしていたのを覚えている。
あまりにも一瞬のことだったが私の人生にとってこれほどまでに鮮明な記憶はないだろう。
なぜなら、彼の目に私の顔が反射していることまで見えてしまったのだから。
私はすぐさま車を止めた。
傘もささずに急いで車を降りてひかれた男を確認しようとした。
しかし、その男はどこにもいなかったのだった。
代わりに本が置かれていた。
「作られた新世界への扉」
奇妙な本だった。
どこかオカルトめいていたその本は異様な気配を放っていた。
その時はあまりにも恐ろしくて手に触れようなどとはみじんも思わなかった。
その後、警察に連絡を入れた私は事情を話すときに突然消えたなどと言わなかった。
しかし、車の傷を見ると明らかに人を引いてしまったことが警察にはわかるらしい。
そういうものらしいのだ。
結局のところ、ドライブレコーダーにははっきりと映っていたし、証拠だけなら十分あったと思ったが、私はたいしては特にお咎めがなかった。
私のことを訴えるべき人間は消えてしまっていたし、
同時に私が男性の遺体を隠しただとか、そんな疑いをかけようがなくなってしまったのだからこの事件に関して、始まった瞬間迷宮入りが確定していた。
こんな気持ちの悪いことがあった後、私はあの本のことを警察に聞いた。
「あの本はもともと図書館から借りられていた本らしくて、事件の少し前に行方が分からなくなっていたらしいんですよ。そのあと、色々調べた後図書館に返却して、まあ特に手掛かりはなかったんですけど。」
ということらしい。
なので私は本を探しに図書館へ行った。
「作られた新世界への扉」は宗教オカルトに分類されていた。
どうやら思っていた通りの内容らしい。
私はその本を盗むつもりですぐに借りた。
しかし不覚だったのは図書館のカードを作るときに氏名、住所、電話番号を入れなければいけないことを考えていなかったことだ。
事故を起こして以来時々事件現場を見るために車を止めさせてもらっていたコンビニで本を全ページコピーして写しをとってから本の中身を確認することにした。
何か手掛かりはあったのかといわれるとそれどころではなかった。
すべてのことが書かれていた。
本の内容はこうだ、
「異世界転生」と「異世界転移」
大まかにこの二部構成で書かれている。
あの男が試そうとしたのはどうやら
「異世界転生」
新しく異世界で生まれ変わりをしようとしたのだ。
一度真実を知ってしまうと探究心は恐怖へと変わった。
それ以来、通勤途中であの事故現場確認する習慣は変わらなかったが特に何かしようとは思わなくなった。
それからしばらくして私はいつものコンビニへ行くといつの間にか探偵事務所が立っていた。
もう、あの事件からしばらく時間がたっている。
ふと思った。
なぜ私はいまだにここにきてしまうのだろうか。
その答えは単純で、まだ事件は解決していないからだ。
最初のころ私は自分で事件の真実を探そうとしていたが。
私だけではどうにもならない。
しかし、普通の探偵に「異世界について調べてください」なんて言えるはずがない。
では、こういうのはどうだろうか。
私が未解決事件について調べてほしい。
と、お願いして。
一度依頼を受けさせることで、断られることを回避して事件について調べてもらえるかもしれない。
そう思うと、衝動的に探偵事務所の戸を叩いていた。
後日依頼したばかりだというのにすぐに探偵に呼び出されてしまった。
本当ならもう二三日してから、本のコピーをもって訪ねようと思っていたけれど、どうやら私は探偵を見くびっていたらしい。
「こんにちは今日はいい天気ですね。事件について何かわかったんですか?」
「そうですね…まずあなたはなぜ三年前の事件について調べようと思ったんですか?」
「その質問は最後にしてもらえませんか?」
「なぜですか」
「私はすでにこの事件の真相についてすべて知っています。すぐに話してしまってもいいのですがあなたがどこまでわかっているのかお聞きしたいので」
「私が昨日までに調べた範囲では、あなたが青い軽自動車の運転手だということは間違いないですね?コンビニの監視カメラの映像で車のナンバーまでは確認できませんでしたが、あの日コンビニの前に止まっていた車と同じ車種でした。それと、あなたがこのコンビニに通っているのは消えた男について気になっているから、ということでしょうか。」
「その通りです。調べられる範囲は一通り調べたようですね。多田さんの唯一の心残りはなぜ三年も過ぎているのになぜこのような事件について今更調べる気になったのかということでしょうが、これについてはうまく説明できる自信がありません。あえて言うとすれば探究心でしょうか」
「探求心?」
「話を続けますね。そもそも事件の記録はコンビニの監視カメラだけではありませんでした。私のドライブレコーダーには映っていると思いますが、彼はある一冊の本を持っていました。引かれても手ばなさいほど大切に、とりあえず何も言わずにこれを読んでください。これは彼がいなくなる瞬間まで手放さなかった本の写しです。」
「作られた新世界への扉。著者の名前は書いていませんね。」
「どう思いますか」
「確かにこれを実際にやろうとしたなら彼の動機は明白ですね。」
「私が本当に気になっているのは。本当に異世界はあるのか。ということです」
「つまりあなたが探していたのはこの本にも書かれている異世界への扉、ということですか」
「まあ、そういうことです」
私に最初に何も伝えずに大雑把に事件の名前だけ伝えたのはいきなりこんなわけのわからない本を渡したりしたら断わられるのが目に見えていて、
しかも、三年も前の事件だから詳しく話したところで断られる可能性が高かったから。
誰が見たってこの事件が迷宮入り事件だってことぐら簡単にわかるわけだし。
「それで、改めてお願いしたいことがあるんですけど…」
彼女が話しかけようとも常に頭はフルスピードで回転していた。
この本をざっと読んだところ。まず異世界転生するには条件があるらしい。
手順その一、この本をもって白い塗料の上に立ちます。
あの男の場合白線の上に立つことでこの条件を満たしている
手順その二、体に強い衝撃を与える。骨折する程度の力をかけなければならない。
ここが少し問題なのだが、この本では高いところから飛び降りて白いペンキか何かの上に落ちることを促す絵が添えられている。
これではまるで自殺をするのと同じようなものだ。
男も同じことを思ったに違いない。
自分で飛び降りるような勇気はなかったのだ。
きっと自殺しようにも自分で死ぬ勇気がないままこの本にすがったに違いない。
結局のところこれだけではどうしようもなくなって最悪の手段をとってしまった。
もしこれがいたずら書きのような類だったら許せるような代物ではない。
しかし、実際に男は消えた。
誰かのいたずらだったらまだよかった。
それならけがをする程度で済んだかもしれない。
この部屋ではしばらくの間沈黙が流れていた。
窓から日が差している。
俺は何度もコピーを読み返しその様子を原は真剣なまなざしで見つめている。
原はまだ言葉の続きを発しようとはしない。
言おうか言うまいかまだ悩んでいるのだ。
最初からこれを言うためにここに来たといっても過言ではない。
しかし、それと同時に彼女はおびえていた。
おびえながらついに声を発した。
「これは私にとっての呪いなんです。」
「呪い、ですか?」
「わからない。という呪いです。私はある日突然とてつもない恐怖と疑問を背負わされました。本に書いてあることへの恐怖心。消えた男がどうなったのか、という疑問。私はこの三年間息苦しくてしょうがなかった。この息苦しさから解放するためだったら何でもやる覚悟があります。報酬は好きなものを提示してください。私ができる限りのことはします。だから、異世界転移を手伝ってください。」
彼女には頼れる人間はいない。
俺に頼ってきた理由は俺が探偵という特別な立場の人間だからだ。
この苦しみを他人に理解してもらうのは不可能だろう。
探偵は事件を解決する。
探偵は謎を解き明かす。
探偵は真実を追求する。
探偵はなんて頼りがいがあるのだろうか。
彼女の目の前では事件が起きた。
いったい何が起こったのか分からない。
彼女は真実を知りたかった。
探偵に頼る心理は恋心とよく似ている。
だれにも頼れない状況の中自分を助けようとしてくれる人がいて自分は何を差し出しても構わないと思ってしまう。
この状況を分かりやすくいってしまうと告白だ。
それなら、俺はどう答えればいいのか…
「その依頼お断りします。そもそもあなたを呼んだのは依頼を断るためだったんです。」
「でも…」
「それとは別にあなたに頼みたいことができました。俺の助手になりませんか。俺がこの事件を解決するには人手不足です。」
「なんでわざわざそんなことをする必要があるんですか?」
「理由は二つあります。一つ目は俺も異世界に行くと決めたから。二つ目はもし成功してしまった場合、異世界で探偵をするためです。」
彼女は安心した顔をしている。
身長は俺と同じくらいで、髪の毛は茶色身を帯びていて、ロングスカートをはいている。
改めてみると少しドキドキする。
俺の探偵としての初めての仕事は彼女を異世界に送り届けること。
そして、俺が異世界での生活を手伝うこと。
最後はこの世界に彼女を無事送り戻すことだ。
探偵というのは思ったより楽しいのかもしれない。
「正直本当に異世界に行けるかわかりませんが。原 美音さん一緒に事件を解決しましょう」
「私は助手なので原でいいです。あと、もう客じゃないんですから、敬語を使うのもやめてください」
「じゃあ、原には早速やってもらいたいことがある。ここに書いてある異世界転移の材料をそろえてくれ」
「赤いペンキと、筆ですね」
異世界転移の方法は異世界転生よりも簡単だ。
まず、転移門という魔法陣を書かなければいけないらしいのだが、
これがかなり複雑な模様をしている。
また、本の表紙に書かれている魔法陣は魔法門と呼ばれるもので、魔力をこちらの世界に流したり、あちらの世界に流すことができるらしい。
この二つが組み合わさることで初めて一つの魔法陣として機能する。
ということだ。
「先生、魔法陣の道具買ってきましたよ」
「ありがとう、いま部屋のものをちょうどかたずけ終えたところだ」
「あらためてありがとうございます。私一人だったらここまでする勇気はありませんでした。」
「そこまで感謝されるようなことじゃない」
「なんでそこまでやってくれるんですか?」
「これが俺の記念すべき初仕事だったから、かな。とりあえず買ってきたペンキをくれ」
「私がほかに何かできることとかありませんか。」
「ここで見てるだけでいい」
「そうですか」
「いろいろと聞きたいことがあるんです。あなたはなぜ探偵をやっているんですか」
「それは…事件に出会うため。もしくは、逃げるために」
「何から逃げたら探偵になるんです?」
「多分俺は今までの自分から逃げたかった。もしかしたら、異世界に行こうと思えたのも、この世界から逃げたいからかもしれない。逃げるのを止める人間もいないし、捕まえようとする人間もいない。それでも、誰もいなくて自分すらいな。そんなところへ行きたかった」
「つまり、変わりたかったんですね」
「どうだろう」
「自分のことを知っている人を避けて。ある日突然新しい人生を歩めたらいいと思ったんじゃないんですか」
「新しい人生…」
「私お茶入れますね。せめて助手らしいことをさせてください」
「ありがとう」
魔法陣を書いている間、何度も彼女の言葉が頭の中をめぐっていた。
俺は今何になろうとしているんだろうか。
「お茶どうぞ」
「ああ、」
「俺も一つ聞きたいことがある」
「なんですか?」
「探偵が居る意味って何だと思う?」
「いきなりですね」
「別に何でもいいから答えてくれ」
「そうですね…私は探偵が好きです。小説の中の探偵は強くて頭がいい。理想のような存在です。私にも探偵にあこがれていた時期がありました。もしかしたら、私も探偵になりたいと思っているのかもしれません。完璧な存在だからこそみんな探偵が好きなんですよ。探偵が居る意味だとかわざわざ考えなくてもいいんです。探偵が誰かにとって必要な存在なんだから」
「なんか、ありがとう」
「別にお礼を言われるようなことじゃないですって」
もう少し話していたいと思ったが、いつの間にか魔法陣は完成していた。
「さあ、行きましょうか。異世界へ」
「私が先に乗りますから。先生はそのあとで本をもって魔法陣の真ん中に立ってください」
俺がが本をもって魔法陣へ近づくと空気の流れが変わった。
魔法陣を書いている間にすっかり夕方になり。
赤い光が壁を照らす中。
ぼんやりと魔法陣が光り始める。
なんとなく過ごしてきたこの部屋も今までにないほど美しく見える。
俺は魔法陣の真ん中に立つと。
最後に魔法陣は夕日のような赤色に光った。
次回から異世界編が始まります。
残念ですがもうコンビニのおじちゃんは出てきません。