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日常の朝

第三話:異世界転移


「兄貴、起きな遅刻するよー!」


 まだ寝ぼけ眼でベッドに横になるカケルは、階下から聞こえてくる妹、とばりの声にむくりと体を起こす。ベッド一つとサイドテーブルくらいしか置かれていない割にはだだっ広い部屋を出て、長い廊下を進み、階段をつたってリビングへと降りるととばりが朝食の準備を済ませてくれていた。


「はよー、朝ご飯さんきゅ」


 あくびまじりに朝の挨拶とお礼を済ませながらダイニングテーブルの席につく。今朝の朝食はシンプルにハムエッグとトーストだった。


「片付かないから早く食べてよね」


 とばりが洗い物をしながらキッチンから叫ぶ。どうやら先に食事を済ませてしまったらしい。えらく早いな、と思ったが自分が寝過ぎたのだと時計を見て気が付いた。徒歩で向かうなら、もうとっくに出てなければいけない時間だ。しかし、カケルはゆっくりとトーストにバターを塗りながら外を眺める。


「今日も良い天気だなあ」


 リビングの一面はガラス張りになっており、そこからは都内の景色が一望できた。雲ひとつない晴天がまぶしく目を細める。


「のんびりしてないで、早く食べてって言ってるでしょ!」


 とばりから怒鳴られ、カケルはキッチンの方に向き直る。


「片付けくらい俺がやるからいいよ」


「ダメ、ここにタダで住まわせてもらう代わりに家事は私がやるって自分で決めたんだから」


 お嬢様学校で久々の再会を果たしてから一ヶ月、とばりはカケルの住むタワマンに居候するようになっていた。学校から近い、という理由と、その内装や設備の豪華さに惹かれたとばりの方から同居生活を申し込まれ、ワンフロア全てを所有するカケルとしては持て余して仕方がなかったのでそれを快諾し今の生活がスタートすることとなった。

 とばりはグラスを吹きながら独り言のように続ける。


「だってジムに温水プール、サウナにジャグジー付きのひっろいお風呂、それにホームシアターにカラオケルームまでタダで使わせてもらってるんだよ。家事くらいちゃんとしないと落ち着かないよ」


「でもとばり、運動も映画もそんなに好きじゃないだろ」


「せっかくタダなんだから、使えるものは使わないともったいないでしょ」


 やっぱお嬢様って柄じゃないんだよなあ


 と、その言葉は心の内にとどめておいた。


「しっかし、ヒーローってのは儲かるんだねえ」


 テキパキと食器を片付けつつ、とばりはまるで主婦の井戸端会議のような口調でしみじみとそう口にする。カケルはパンを一口かじり、コーヒーで流し込んでからそれに答えた。


「まあな、一応体張って世界救ってる訳だし、それなりのお金はもらってるよ」


 CATAに世界最強のヒーローとして勧誘されてからはや二ヶ月、幾度も世界の危機を救った功績が世界から認められるようになり、CATAにもカケル個人にも寄付や投資といった形でお金が集まるようになっていた。今住んでいるタワマンは、そのお金で買ったものだった。


「ねえ、おにいちゃん。わたし、おこづかい欲しいな〜」


 途端にとばりはまた口調を変え、猫撫で声で甘えた声を出す。


「いや、きっつ」


 思わず寒気が走るカケルはつい本音を漏らす。とばりはへの字に口を曲げ吐き捨てるようにつぶやいた。


「へっ、冗談だよ。これ以上兄貴から施し受けちゃ頭上がんなくなるし何か気持ち悪い」


「いや、まあ、小遣いくらい全然いいけどさ」


「だから冗談だって言ってんでしょ。ほら、早く食べちゃって」


「分かった、分かった」


 また怒鳴られないうちにカケルはさっさと食事を済ませると、いったん自室に戻り学生服に着替えまたリビングへと戻った。とばりはすでに家を出たようで姿はなく、洗った食器が丁寧に食器カゴに並べられている。


「もうそんな時間か」


 時計を見れば、始業時間がもう間近に迫っていた。カケルが通う学校へはここからだと徒歩と電車で一時間以上はかかる距離にある。けれどカケルは焦ることもなくテレビの電源を付け朝のニュースをチェックする余裕すらあった。


『またも黒夜カケルが世界を救う』


 ニュース番組では昨日の夜にカケルが異世界の敵と戦ったときの様子が報道されていた。今では異世界の存在は世界共通認識であり、そしてカケルの存在も全世界が認めている。


「さて、そろそろ俺も行きますか」


 カケルはテレビの電源を消すと、カバンを掴み玄関で靴を履き、ドアノブには手をかけずその場に立ってただ口を開いた。


「上位魔法 -転移-」


 次の瞬間、玄関にいたはずのカケルの目の前には自分が通う学校の校門があった。


**


 教室に入るやいなや、わっと人の群れがカケルの元に押し寄せてきた。

 女生徒の一人が目を輝かせながら口を開く。


「ねえ、見たよ今朝のニュース! 昨日もすごかったんだってね。あんな巨大な怪獣を一人でやっつけちゃうなんてかっこいいねえ」


 うっとりとした憧憬の眼差しで女生徒はカケルを見つめる。他のクラスメイトからも、あれやこれやと質問や感想が飛んでくるが、その中でも一際熱い視線を投げかけてくる存在にカケルは気がついた。人の群れから離れたところで一人、早瀬ナナという名の少女がカケルへちらちらと視線を送っている。

 早瀬はカケルが魔王の魂を体内に宿したその日、巨大なオークによって潰され、そしてカケルの魔法によって蘇生した女生徒だった。全裸となっていた早瀬に貸した上着は未だ返ってきておらず、返してもらおうにも近づくと逃げられる。


「ねえ私たちにも魔法? ってやつ見せてみてよ、おねがーい」


 女生徒の一人がカケルの手を取り上目遣いでおねだりする。気のせいか、早瀬の視線が鋭くなった。


「まあ、ちょっとくらいならいいけど」


 ちやほやされることに満更でもないカケルは、なるべくそれを表に出さないよう冷静さを装いながら手のひらを上に向けて差し出す。


「下位魔法 -ファイア-」


 ぼわっ、と手のひらの上に小さな炎が灯される。

 それだけでクラスメイトからはやんややんやと喝采が起こった。


「すごーい!」


 感嘆の声を上げる女生徒はその炎を間近で見ようとカケルに体を寄せてくる。ふわりとした髪の毛から香る、柔らかく甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「っち、調子に乗りやがって」


 アダムの力によって強化された聴覚にそんな声が届く。それは早瀬の独り言だった。


 やっぱ俺、嫌われてんのかなあ。いやまあ裸見ちゃってるし仕方ないのかもだけど、一応命の恩人なんだけどなあ。


「ほらほらみんな、授業始まるから席につきな」


 そういって間に割って入ってきたのはクラス委員の桜美月だった。みな名残惜しそうにしながらも、美月の人徳なのか素直に従って席に戻っていく。


「黒夜くん、今日こそ宿題やってきたでしょうね」


 美月がジロリと睨む。それに対しカケルはギクリと目を逸らした。


「いくら世界を救うヒーローだからって、ここの生徒であることには変わりないんだからね! 他のみんなも部活とかで忙しい中ちゃんと宿題やってきてるんだから」


 と、いつもの説教が始まる。カケルはヒーロー活動を理由によく宿題をサボっていたのだったが、それをヨシとしないクラス委員長は遠慮無しにカケルに詰め寄る。誰であろうと特別扱いはしない、と。

 さて今回は何と言い訳したものか、と頭を巡らせていたカケルだったが、運の良いことにタイミング良く割り込みが入った。


「ほら、授業はじめるぞー。そこの二人席につけ。そんでクラス委員、号令」


 一限目を担当する教師の声によってカケルは公開説教から何とか解放された。

 世界を救うヒーローといえど高校生であることには代わりない、カケルも大人しく先生の言うことに従い自分の席につく。


 あれ、何だこれ?


 教科書を取り出そうと引き出しに手を突っ込んだとき、何かが手に引っかかった。


 手紙、か。


 取り出してみるとそれは白い封筒で、裏を見ても表を見ても何も書かれていない。たまにファンレターが届くことはあるが、こんな形でこっそりと手紙を送られたのは初めてだった。

 カケルは教科書に隠れながら封筒を開き中身をあらためてみると、白い便線に丁寧な字で一行だけの簡潔な文章が書かれていた。


『放課後に校舎裏で待っています』


 もしかして、ラブレター……? いやいやまた、そんな訳――――、あるのか?


 身に覚えのない呼び出しにドキマギしつつ便箋の下に目をやると、しっかりと署名がされてあった。その名前にカケルは思わず腰を浮かす。


 は、早瀬!?


「ん、どうした黒夜急に立ち上がって」


 教師がカケルの不審な挙動に目を吊り上げる。

 どう言い訳したものかと考えあぐねいているその時、タイミングよくカケルのスマホから着信音が鳴り響いた。


「あ、もしもしユイさんですか」


 もちろん授業中に電話に出るなど普通の生徒であれば許されることではないが、カケルの場合は特別だった。


「はい、はい、分かりましたすぐ向かいます」


「なんだ、また仕事か」


 世界の危機に昼も夜も関係ない。授業中に呼び出されることも頻繁にあり、教師の対応も慣れたものだった。


「はい、という訳で行ってきます」


「気をつけてね、カケルくん」


 美月が席を立ってカケルのそばに寄る。小さな柔らかい手で、ぎゅっとその手を握り締めた。

 ドキリとカケルの心臓が跳ねる。しかしそれは美月による接触ではなく、遠くから投げかけられている殺意高めの視線によるものだった。


 うわあ、めっちゃ早瀬が睨んできてるよ……。放課後俺、殺されるんじゃないのかこれ。


 とにもかくにも、まずはユイから報告のあった現場に向かわなければとカケルは急いで屋上へ向かう。魔法で直接移動できれば良いのだが、転移魔法は予め決められた位置にしか移動できないため現場へは飛行魔法で向かうことにしていた。

 屋上の扉を開けると、元番長である番頭と長田がサボりなのか屋上で寝そべっていた。二人はカケルの姿を目にすると起き上がって姿勢をただし頭を下げた。


「うす、お疲れっすアニキ!」


「ちーっす、お疲れっス!」


 初めは上級生に頭を下げられることに戸惑いを覚えていたが、このやり取りにも今では慣れたものだった。


「おう、お疲れ」


「どしたんすかこんな時間に、あ、もしかしてアニキもさぼりっすか?」


 そう言って笑うお調子物の長田に、しっかり物の番頭が拳を振るう。


「馬鹿! お勤めに決まってるだろうが!」


「ってえ……。すんませんアニキ、お勤めがんばってください! アニキが不在の間は俺らが学校守ってるんで」


「あ、うん、よろしく頼んだよ」


 二人がカケルの舎弟となってはや二ヶ月、とくに番長らしいことは何もしていないのだが、二人の舎弟らしさは板についたものだった。何もせずとも勝手に慕ってくれているのでカケルとしては気楽だが、何だか騙しているような気がして少しだけ罪悪感もある。


「今度俺らにもお勤めに同行させてください。俺らもアニキみてえに強くなりたいんす」


 番頭が頭を下げるが、偶然力を手に入れただけのカケルには何もしてやれない。


 まあもし、もし二人に魔力適性があれば少しは手ほどきしてやることも出来るかもしれないけど。ま、あり得ないよな。


「悪い、危険な任務に二人を巻き込むことは出来ない」


 だからそう言って、カケルは騙し騙し二人の頼みを断ってきた。


「さすがアニキ、俺らのようなクズの身を案じてくれるなんて……」


 そんな誤魔化しの言葉に番頭は感動してくれたようで目頭をおさえる。


「ご武運を、気をつけていってらっしゃいませアニキ」


「いってらっしゃいっス、アニキ!」


 二人は揃って頭を下げる。カケルはそれに「おう」とだけ返事を返すと、空を見上げた。


「中位魔法 -フライ-」


 カケルの体が宙に浮く。おお、と舎弟二人から感嘆の声が漏れた。


「上位魔法 -フライアクセラレーション-」


 飛行速度の上昇魔法が適用されカケルの体がわずかに光る。


「じゃ、学校のことは任せたからな。悪さするんじゃないぞ」


 それだけ言い残してカケルは空の彼方へと飛び立っていった。


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