二人目の器
第二話:二人目の器
とある日のとある夕方、とある河川敷に複数の人影があった。
学ランを着たむさくるしい男たちの中に、白のブラウスに長めのプリーツスカートを履いた少女が一人。
「おらあ! 次かかってこいや!」
拳を振るいながらそう叫ぶのは、少女の方であった。
少女の動きに合わせて彼女の燃えるように赤い髪がふわりと揺れる。
「くそが! 女のくせに調子乗りやがってこれでもくらえ!」
男のうち一人が勢いをつけて拳を振りかぶり、渾身の右ストレートを放つ。しかし少女はそれをいとも簡単にかわすとカウンターのアッパーを男の顎にたたき込んだ。男の足が地面から離れ、そのまま後ろに倒れると気を失ったのか動かなくなる。
「うちの学校のやつにちょっかい出してくれた礼だ、ありがたく受けとれよな」
それを見た男連中はひるみ、完全に腰が引けてしまっていた。
「面倒だ、全員まとめてかかってこい」
少女がそう挑発すると、男らは顔を見合わせこくりと頷くと一斉に少女へ向かって駆け出した。
多勢に無勢、大勢でよってたかれば勝てるとでも思っていたのだろう。
「遅えんだよ雑魚共がァ!!」
しかし、そんな人数差をものともせず少女は俊敏に、そして自由に体を動かしていく。
真正面から迫ってくる男には顔面に拳を放ち、その直後には背後を取っていた男に対し回し蹴りで応酬。両サイドから男二人が少女の動きを封じようと掴みかかってくるが、少女はそれを屈んで避けると円を描くようにして足払いをかます。不意打ちを食らった男二人は転倒し、立ち上がろうとするところに一人へは顔面へ靴底をおみまいし、もう一人には地面に叩きつけるような拳を打ち付ける。
「いいかお前ら、今度うちの人間に手ェ出したらこんなもんじゃ済まないからな」
一人の少女を中心に、地面に倒れる男の山が出来上がっていた。
**
「おはようございます、不知火お姉さま」
そう四方八方から声を声をかけられるのは、燃えるような赤い髪をした少女、不知火アカネだった。
不知火アカネは自身が通う学校の中庭を歩いているだけなのだが、同じく登校中だった女子生徒は道を空け脇によって立ち止まり「おはようございます、不知火お姉さま」と羨望の眼差しと挨拶を投げる。
「おう、おはよ」
もはやそれが日常となっているアカネは周囲の反応も気にせず堂々と歩き笑って挨拶を返す。
笑みを返された女性とはきゃあと黄色い声を上げ、熱っぽい眼差しでアカネの背中を見つめていた。
はーあ、ねみいなあ。
そんな乙女の気持ちも知らずアカネはあくびをこぼす。校舎まで続く無駄に長い道のりをだるそうに歩きながら、飛んでくる挨拶には律儀に返していた。
「はあ、不知火お姉さまはいつ見ても素敵ですわ」
「ええほんとに。見てくださいましあの凛々しいお顔。惚れ惚れしてしまいますわ」
「それに聞きましたこと? 昨日も不埒を働く不良どもをコテンパンにしてのけたそうですわよ。なんでも私たちの朋輩をお守りするためにやったことだとか。ほんと頼りになりますわよね」
「見た目だけでなく中身もお美しいなんて、はあ、なんて罪なお方なのでしょう」
そんな声が飛び交うが、アカネは意に介した様子もない。何やら色々噂されていることは知っているが、周りからどう思われていようとアカネには興味がなかった。
しかし、どうにもあの堅苦しい喋り言葉にはなれねえな。やっぱあたしがお嬢様学校って、柄じゃねえよなあ。
そう、アカネが通う学校は正真正銘、清廉潔白、純真無垢なお嬢様学校だった。それも超がつくほどの。
今彼女が歩るいている中庭にもそれは随所に現れており、レンガ敷の道の両サイドには芝生が綺麗に生え揃え、庭師による手入れの行き届いた色とりどりの花が咲く花壇もあり、噴水や洋風の外灯に、なんと広い校内を移動するための路面電車まで敷かれている。レンガ道から続く大きな校舎は豪奢な装飾に真っ白な壁とその堂々たる姿はまるでお城のようにも見えた。
そんな超お嬢様学校に通う生徒たちもまたお嬢様然としており、話し言葉から仕草から身なりまで、何から何まで清楚で高貴な雰囲気を漂わせている。その中で唯一髪を真っ赤に染め、高い身長を持ち凛々しく逞ましいアカネは皆から「お姉さま」として慕われていた。
「し、不知火お姉さまっ!」
そんなアカネのもとへ、一人の少女が慌ただしく駆けてくる。
「不知火お姉さま、おはようございます」
何か急ぎの用でもあったのだろうに、わざわざ律儀に立ち止まり頭を下げて丁寧に挨拶をする辺りがお嬢様らしい。
「おう、おはよう。どうしたそんな慌てて」
「は、はい。昨日は不知火お姉さまが私のために他校の不良生徒たちと決闘をなさったとお聞きになりまして。おかげさまで嫌がらせを受けていた男性方からは今朝方に直接謝罪がありました。……あの、本当にありがとうございました!」
少女はガバと深く頭を下げ、涙声でアカネに向かって謝辞を述べる。
「お姉さまは私の、いえ、私たち学校のヒーローですわ」
「おいおい、頭上げろって。別にあたしは何もしてねえよ。その不良どもがただ改心しただけじゃねえのか」
こうやって面と向かって持ち上げられるのはアカネにとってどうにも面映く、つい誤魔化してしまう。
「あたしはヒーローなんて柄じゃねえよ」
「いいえ、何を仰るんですか。私たちにとってお姉さまは憧れの存在であり、私たちを守ってくださるヒーローですもの。お姉さま以上にヒーローという言葉がふさわしい方はいませんわ」
ヒーロー、ねえ。
そういえば、とアカネの脳裏に一人の男の顔が浮かぶ。
「地球最強のヒーローとかいうやつがいただろ。ほら、一ヶ月くらい前に突然現れた。それに比べたらあたしなんて全然だよ」
始めアカネはそのネットニュースを見た時ただのオカルト話だと思っていたが、日が経つに連れてその印象は変わって行った。ネットに上げられる動画をいくつか見たことがあるが、奇妙な化物と戦うその姿は確かに人間の域を超えた動きをしており地球最強と言っても過言ではないものだった。
「そんなことありません! 確かにあいつ──、あの殿方はお強いかもしれませんが、私たちのために戦ってくださるのはお姉さましかいませんもの。いつも皆お姉さまに感謝していますわ」
この学校の性質上、世情に疎いお嬢様たちが他校の悪い男にたぶらかされたり金銭を狙った嫌がらせや脅しが行われたりと悪い虫が寄ってくることが多い。それをアカネはただの正義感から、事あるごとにその悪い虫を退治し退け女子生徒たちを守ってきた。
「これからも頼りにしていますわ、お姉さま」
にこりと微笑む少女。
その頭上に脅威が迫っているとは、露知らず。
**
そのころ異世界からの脅威に対する対策本部、CTAではけたたましいアラートがいくつも鳴り響いていた。
「ユイ、状況を報告しろ」
職員が慌しげに駆け回る中、優雅にコーヒーカップを片手にして机の上に腰掛けるロバートは、白衣を着た女性、ユイに向かってこちらへ来いと指で合図する。
「日本で同時に三箇所、異世界反応が現れています。一つはD級、一つはB級、そしてもう一つはA級です」
A級、つまりそれは世界滅亡レベルを意味する。
ロバートは頭の中ですぐに判断を下し、ユイに指示を出す。
「すぐカケルに連絡しろ、A級の方はカケルに対処してもらう。B級は我々の戦力だけでやるしかなさそうだな」
「ではD級はどうしますか」
D級は人間でいえば複数人での強盗レベルの脅威を指す。つまり、それは人間でも対処可能ということだ。
「戦力が足りん、それは後回しだ。一応警察にでも連絡しておけ」
「分かりました」
ユイはそれを近くの職員に言伝すると、ロバートの方に向き直って深刻そうに口を開いた。
「それにしても三箇所同時発生なんて、初めてですね。それにここ最近B級以上の脅威が異常に増えてませんか? 今まではせいぜいC級程度が最大だったのに」
ユイは難しげな表情で頬に手をあて眉をひそめる。しかしそんな未曾有の自体でもロバートは相変わらず悠然とした態度を崩すことはなかった。
「例えば君は、近所にアリの巣が出来ていることに気がついたらどうする? 君の生活に何か影響を与えるか?」
突然の例え話にユイは困惑を顔に浮かべるが、ロバートが何も言わないのでとりあえず思いついた回答を口にしてみる。
「ええと、特に何もしないと思いますが。普通に存在すら忘れて生活してると思います」
「そうだろうな。私だってそうだ。ではもし仮に、それが猛毒を持つ凶暴なスズメバチの巣だとしたらどうなる?」
「そうですね、……業者に依頼してすぐにでも駆除してもらうと思います。だって放置してたら危ないですし。ていうかこの話、今の状況と何か関係があるんですか?」
謎かけのような会話にしびれを切らしたユイが降参とばかりに肩をすくめる。
「簡単な話だよ。今のを異世界から見た地球の話として置き換えてみればいい。異世界が君で、地球がアリの巣やハチの巣と考えるんだ。今まで異世界から見れば地球など取るに足りない、存在すら忘れるような無害な存在だったが、今はもう違う」
そこまで言われてようやくユイがロバートの言わんとしていることを理解した。
「つまり、カケルくんの存在が先の話で言うスズメバチに相当する、ということですね。A級以上の力を持つ彼がこの世界に存在することで、異世界が近隣に脅威が出来たと認識し始めた、そういうことでしょうか」
「そうだ。我々が異世界からの脅威を恐れているように、異世界もまた我々が持つ力を、カケルとアダムが持つ力を恐れている。だからこそ実害が出る前に駆除してしまおう、そう考えているのだろう」
なるほど、とユイが相槌を打っているとき、室内にまた一段とけたたましいアラート音が鳴り響いた。
「新たな異世界反応です!!」
職員の一人が叫ぶ。
「四つめ!? まさか四箇所同時なんて……。レベルはいくつ?」
そうユイが確認するも、職員は言いづらそうに口ごもる。
「そ、それが、ええと……」
「まさかまたA級なんて言わないでしょうね!?」
「いえ、なんと言いますか、今まで見た事のない反応でして、恐らくですがこれは――」
「どけ、見せてみろ」
職員の煮え切らない反応にロバートは舌打ちして机から飛び降り、職員を押しのけてモニターを確認する。
「これは、まさか……」
いつもの余裕がロバートの表情から消えていた。ばっとモニターから顔を上げると、ユイに向かって大声で指示を出す。
「すぐにカケルに連絡しろ! S級が現れたと!!」
S級、それはアダムが現れてから新たに作られた等級だった。地球滅亡レベルのA級を超える、宇宙滅亡レベル、それがS級だ。
「ダメです、繋がりません! 恐らく先に連絡したA級とすでに戦闘中かと思われます!」
ユイが叫ぶ。
「ではB級に向かわせた我々の戦力をすぐに戻すんだ!」
「それも出来ません。すでに戦闘中ですし今離脱すれば該当都市が壊滅する恐れがあります」
「こっちは宇宙の存続がかかってるんだぞ! 都市一つくらい放っておけ!」
「ダメです!! 人命がかかってるんですよ! その命令は受け入れられません!」
ユイはきっぱりとロバートの命令に反対する。それにロバートはまた舌打ちをすると、上着を取りサングラスをかけ外に出る準備を始めた。
「ちくしょう、仕方ない我々だけでも向かおう。せいぜい訪問者様が友好的であることを祈ってな」
ロバートは室内に備え付けられているラックからいくつか銃器をひっ掴むとその内一つをユイに放り投げ部屋を飛び出した。