オルティナに仕える、とある執事の話
わたしはクリム辺境伯家に代々仕える執事です。
オルティナ様が帝立学院に入学する際、当主様からのお目つけ役として同行いたしました。
もっとも……それは表向きのこと。
わたしの本当の主人は、別の方なのです。
そう、わたしは金のためにスパイをやっているのです。
それもこれも、辺境伯家に見切りをつけたため。
家族の、お家のためにも、このまま沈没する船に乗り続けるわけにはいかないため。
なにより、お金のためです。
家族が困窮しているとき、手を差し伸べてくれたのは代々お仕えしていた辺境伯家ではなく、あのお方だったのですから……。
裏切り者にならなければ、ふくれあがる借金の利子すら返済できなかったのです。
ほかの使用人たちも同様に、それぞれ本来の主とは別の方々からお給金を頂いています。
オルティナ様は、それに気づいておりません。
このままでは、遠からず破滅が起きること、必定。
そのはず、でした。
………。
あるときから、オルティナ様は変わりました。
外遊で、さる国の貴族のパーティに赴いた、そのときからです。
同行した侍従によると(その者も他所の貴族のスパイなのですが)、オルティナ様は他国の貴族の娘ふたりと意気投合したそうです。
なにやら、長いこと話し合っていて、よくわからない話を延々としたとのこと。
あくやくれいじょう、とは果たして何なのでしょう……。
テレポートの魔法で帝都のお屋敷にお帰りになったオルティナ様は、わたしたち使用人を見て、ひどく慌てた様子でした。
なにか粗相があったのか、メイドたちが噂したものです。
わたしも、お咎めがあったらどう謝るべきか頭を悩ませました。
結果からいえば、お咎めはありませんでした。
それからというもの、かつては毎日のようだったオルティナ様の勘気を被る者はいなくなりました。
オルティナ様は長い時間、自室にこもるようになり、その間は誰も部屋に立ち入らせないのです。
奇妙なことに、おひとりでいるはずの部屋からは、時折、オルティナ様の話し声が聞こえてきます。
オルティナ様以外の女性の声も聞こえてくるのです。
しかしオルティナ様が扉を開けても、そこにはオルティナ様以外、誰もいないのでした。
メイドたちはその正体を確かめたくて仕方のない様子でしたが、わたしは迂闊なことをしないよう、屋敷の者たちに厳命しました。
もしオルティナ様が月に触れて(※)しまったなら、それもよろしい。
そういう噂が流れることで、わたしの本当の雇い主に有利となるからです。
しかし、それからまたしばらくして。
オルティナ様は、わたしたちに隠れて、なにかしていたようでした。
わたしが訊ねても、曖昧に笑って、言葉を濁します。
彼女が幼いころからお仕えしていたわたしでも見たことがない表情です。
オルティナ様に都合の悪いことであれば、癇癪を起こしてちからづくで黙らせてくる。
あのかたは、そういう方だったのですから。
あのかたの命令にだけ従う自立型人形が、その半分以上も姿を消しました。
確認してみたところ、「維持管理だけでもお金がかかるでしょう」と傭兵に出したのだそうです。
自立型人形は身の安全を保障する切り札であると、これまでずっとそばに置きっぱなしであったというのに……。
「そんなことより、お金ですわ」
ぐっと拳を振り上げてそう断言したオルティナ様は、自立型人形の傭兵契約で手に入れたという資金を使って、あれこれと動き始めました。
わたしにも商家との取り引きを命じてきます。
いったいなにが狙いなのか、さっぱりわからなかったのですが……。
数日後のことです。
わたしはオルティナ様の部屋に呼ばれ、そこで目が飛び出るほどの金額が書かれた小切手を渡されました。
「あなたの家の借金を、これで清算しなさい。このまま、あちらに情報を流し続けて構わないわ。あなたが急に変節すると、怪しまれるもの」
わたしは信じられない思いでオルティナ様を見つめました。
主に対して失礼とわかっていても、まじまじと観察せずにはいられません。
オルティナ様はわたしのそんな態度に対して、微笑みを浮かべています。
「これだけの金額があれば、わたしなどよりもっと信用できる方を雇えるのでは?」
思わずそんなことをいってしまいました。
事実上、向こうにとりこまれていることを認める発言です。
この場で殺されても仕方がありません。
「驚くのはわかるわ。でも、あなたがここで抜けられても困るの」
オルティナ様は、そうおっしゃいました。
「すぐにやらなければならない仕事はたくさんあって、わたくしの指示をきちんと理解して動いてくれる人なんて限られるのだから。他の使用人も同じよ。それぞれに必要なだけ、お金を配るつもり」
彼女がいう「すぐにやらなければならない仕事」というのがなにかは、このあとすぐにわかりました。
都の貴族たちに連絡を入れ、オルティナ様みずからが交渉に赴き、いろいろな約束をとりまとめはじめたのです。
いったいなにが起こっているのか、オルティナ様はなにを考えているのか、そもそも彼女はなぜ、こうも変わってしまったのか……。
さっぱりわかりませんでしたが、それでも。
ひとつだけ、理解できることがあります。
いまの彼女は、仕えるに値する主君であるということです。
わたしは誇りをもって、彼女に仕える。
いずれ彼女のいう「そのとき」が来たら……。
わたしはどうすればいいのでしょうか。
誰に対しても誠実になれないというのなら、この罪はどうやって償えばいいのでしょう。
※帝国では月は狂気の象徴である