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彼女の仕事03

 


 カタリと物音がして、ウルティアは目を覚ます。

 重たい瞳を開けて上体を起こすと、カザムの姿が目に入って一気に意識が覚醒した。

 彼はすぐそこで、声も上げず前屈みになって、右手で必死に左肩を押さえつけていた。


「カザムさん、痛むんですか?」

「あ、ごめ、起こした……?」


 苦痛のにじむ表情で、カザムは彼女に言う。

 酷く痛むのか、じっとりと嫌な汗が額に浮かんでいた。

 ウルティアはそれどころではないと、部屋の明かりをつけて店の方へと消えていく。少し大きめの箱を小脇に挟み戻ってくると、キッチンに寄ってコップに水を注いできた。

 カザムの前に座ると、箱の中から薬を取り出す。


「痛み止めです。とりあえず今はこれで」

「……いや、いいよ。薬は効かない。最近朝はいつもこうなんだ。しばらくすればおさまるから……」


 カザムはそれを拒んだ。なくなった腕が痛むのだから、痛みを抑える薬など効くわけがない。そんな彼の様子に、ウルティアは持ってきた薬を置いた。


「こんなに強く握ったら、肩が壊れちゃいますよ」


 彼女はカザムの手首を掴む。

 ハッとウルティアの表情を見れば、彼女は真剣に自分のことを案じてくれているのがよくわかった。

 その間も竜に噛まれた時のような痛みが、ない左腕をむしばむ。


「幻肢用の薬なんです。ちゃんと効きますから」


 揺るぎない緑の瞳に、彼はぐっと息を飲み込んだ。


「……わかった……」


 これ以上の醜態を晒さないためにも、カザムは薬を飲むことを選んだ。渡された水を勢いよく飲み干し、しばらくするとウルティアが出した薬はすっと痛みを攫っていく。


「落ち着きました?」

「この薬は……?」


 あれだけ痛んだのが嘘のようで、彼はかなり驚いた。王宮の医者に治す方法はないと言われたのに、何故彼女がこんな薬を持っているのか。問わずにはいられない。 


「西国のものです」


 そう答え、ウルティアは少しためらいがちに、それでも見過ごせはしないという面持ちでカザムに問う。


「ずっと、そうやって痛みを耐えてたんですか」


 カザムは何も答えなかったが、無言は一番の肯定だった。ウルティアはちらりと時計を見やり開店まで十分時間があることを確認すると、カザムに向き直る。


「カザムさんが嫌でなければ、肩の状態をみせてはいただけませんか……」


 興味半分で言っているのではないということは、少し硬くなった声色から分かった。しかし、自分自身ですらまだ傷と向き合えないのに、人に見せるということを、快く承諾できるほど彼に余裕はない。


「気持ちのいいものじゃないから」


 せっかく彼女から一歩踏み出してくれたのだが、カザムは首を縦に振らなかった。いや、振れなかった。ウルティアにこの傷を引かれたら、当分立ち直れる気がしなかったのだ。


「……わかりました。で、でも。これだけは言わせてください」


 彼女は持ってきた箱の中から色々取り出すと、カザムに説明し始める。


「患部のケアはできてますか? 朝と夜、優しく洗って、そのあとの保湿も大事です。これ、塗り薬なんですけど、よかったらマッサージするように塗り込んでみてください。肌の調子が良くなると思いますし、感染症も防げるんです。それから、感覚が敏感になっていたら、このタオルか、こっちのブラシでこすって感覚を鈍らせてください。少し楽になると思います。あと、肩だけじゃなくて、もし体の不調が気になるなら遠慮なく言ってください。腕の重さがない分、バランスが崩れやすいんです」


 ウルティアの説明はとても詳細だった。カザムはその知識量に驚いたが、話は半分ほどしか頭に入ってこない。


(なんでウルがそんな顔をするんだよ……)


 ウルティアの表情が彼の思考を奪っていた。

 腕のない肩を見せたくないと拒絶してしまったのは自分なのに、何故かウルティアがカザムを恐れる様子はそこになかった。しかし、彼女はまるで他の何かに追い詰められたような顔でそう語るのだ。


「すみません。長々と。……でも、わたしにはこんなことしか出来ない」


 ウルティアが俯く前にみえたのは、自分の無力を心の底から憎む怒りだった。強く唇を噛みしめ、膝の横に置いた拳をぎりぎりと握りしめているのが、カザムを戸惑わせる。


「どうしてそこまで」


 断端の扱いについて詳しいのか。そして、自分を責めるのか。聞きたいことが一度に溢れて、彼は言葉をそこで止めた。

 ウルティアは一度目を瞑ると、またゆっくり開いて彼に言う。



「わたしの父も利き腕を失った人でした」



 カザムの中で引っかかっていた謎がひとつ、ストンと落ちた瞬間だった。

 ああ。だから、この人は隻腕についてこれだけ真摯なのかと。そう理解する。


「カザムさんのことは、どうしても人ごとだとは思えなくて。迷惑……です、よね……。すみません」


 自分には分かりようもない人のキズに触れようとすることを、彼女は罪だと思っていることがひしひしと伝わってきた。

 ウルティアは握っていた拳を開くと床に手をつき、彼から離れていこうとする。


「待って」


 痛みを分かち合うことを諦め、自分の能力を見切った彼女を放って置くことができなくて。カザムは立ち上がった彼女の手を掴む。


「オレの腕を、君はどう思ってる……? 正直に言って欲しい。嫌じゃない? 痛々しくて見てられないとか、不快に思わない?」


 溜まっていた不安が吐き出た。

 せっかく昨日歓迎してもらったというのに、こんなことを聞く自分に呆れる。


(答えを聞いたからって、彼女の側を離れたくないくせに……。馬鹿だ)


 無意識に、彼女の腕を掴む力がこもった。


「思いませんよ、そんなことはもう。父の治療をしている間に、そういう感情はどこかへ行きました」


「もう」と言うところに、ウルティアが隻腕の父親と向き合ってきた現実味を感じた。昔は父親の腕に戸惑ったこともあったのだろう。でもそれを隠そうとしないことが逆に今思っていることは本音だとわかるから、カザムの肩から力が抜ける。


「そっか。そうかぁ」


 ウルティアから手を離すと、片手で情けない顔を隠すように覆った。彼女の言葉を噛みしめるように、そう繰り返した彼からは安堵のため息が漏れる。

 少しして落ち着くと右手をずらし、オオカミの瞳を覗かせたカザムは、ウルティアを見上げた。



「……肩、診てもらってもいい?」



 彼女は、それは優しく微笑んで「はい」と肯くのであった。





 ◆





「予約のお客さんが来るまで、まだまだ時間はありますね。どうします? ご飯、先に食べちゃいましょうか?」

「そうだな。その方がいいと思う」

「わかりました」


 ウルティアはいつも通りキッチンで朝食を準備し始め、はたと気がつく。


「カザムさん! すみませんッ。昨日、わたし寝落ちして片付けを!」


 何故ダイニングで寝ていたのかを思い出し、彼女は慌ててキッチンから出てくるとカザムに謝った。


「いいよ。時間はかかるけど皿洗いはできるってわかったから。これから皿洗いはオレの担当にしてくれないかな」

「いいんですか? ありがとうございます。そうしていただけると、すごく助かります」

「うん」


 ダイニングテーブルの上に置かれた薬やらタオルやらを確認していた彼はそれを置く。


「あの、カザムさん。もしかして、ずっとここで寝てたんじゃ?」


 片付けや、布をかけてくれたことからカザムは寝落ちしたわけではないだろう。それならベッドで寝ればよいのに、同じように椅子で寝ていたかもしれないという可能性に気がつき、ウルティアは目を見開いた。


「あ、ごめん。嫌だった?」

「いえ。そうじゃなくて。ベッドで寝てくださってよかったのに……」

「ウルをおいて自分だけベッドで寝るのはオレが嫌だったんだ。気にしないで。……本当はベッドまで運べればよかったんだけどな」


 そう言われては、他に言葉は出てこない。彼女はこれからは気をつけようと、心で呟く。


「色々とありがとうございました。ご飯、準備しますね。よければその間、シャワーを浴びてください」

「そうさせてもらうよ」


 ふたりとも昨日の服のままで寝ていた。この後肩を診てもらうことも考えてカザムはシャワーを浴びにいく。体を洗って気分もさっぱりして二階から降りると、テーブルには温かい料理が並んでいる。


「薬、塗ってくださいましたか?」

「ばっちり」


 頷けば、飲み物を注いでいた手を止め、ウルティアは嬉しそうに眉を垂らした。彼の無くした腕に触れることは、彼女にとっても繊細なこと。決して嫌われてもいいと思って言っていることではない。ウルティアもまた、カザムの明るい表情に安堵していた。

 それから野菜がたくさん入ったスープを食べて今日の予定を合わせると、ウルティアもシャワーを浴びてくる。


「お待たせしました。店のほうへ来てもらっても?」

「ん。わかった」


 新聞を読んで待っていたカザムは、彼女に言われた通り店に入った。

 ウルティアがカーテンの仕切りを開き切ると、診察台と何かの器具や道具が姿を表す。


「そこの椅子に座ってください。上着は全部脱いで欲しいです」

「……うん」


 肩を診るなら服は邪魔だ。一瞬ドキリとしてしまう自分を悟られまいと、カザムはがばりと服を脱ぐ。服は適当に畳むと診察台に置いておいた。

 そうしてあらわになった彼の体は鍛えられた者のそれで。ウルティアはほんのわずかな時間、彼の姿を見つめた後、自分も椅子に座って彼の左肩を見た。


「さすが最上級回復薬ですね。綺麗に塞がってる……。状態は悪くないです。ちょっと触りますね」


 若葉を陽が照らしたような緑の瞳が、真剣に断端を捉えている。自分より細い手首がのぞく女性らしい手が、優しくそこに触れた。


「断端の感覚はどうですか? 無理して服を着たり、シャワーを浴びたりしてませんか?」

「起きたばかりの時は包帯を巻かれることにも違和感があって嫌だったんだけど、今は結構平気かな」


 なるほど、と答えるとウルティアは先ほどカザムに見せた荒めのタオルやマッサージボールを手に持つ。


「肌に合うものを選んで、これでこすったりして感覚を鈍くするんです。順番に試してみるので、嫌だったらすぐに言ってください」


 用意したものを順に試して、一番荒い布でケアすることが決まった。


「……お医者さまからは何も言われなかったのですか?」


 遠慮がちに尋ねられ、カザムは苦笑する。


「皮膚に異常が出たら回復薬を飲めとは」

「そうでしたか。間違いではないんですけどね……」

「あー。医者が悪いわけじゃないと思う。これだけ欠損が大きいと、義手はつけられないって言われてからオレ、病院に行かなかったから」

「それはカザムさんが良くないですよ」


 正論を返され、彼は笑ってごまかした。


(ムッとしているのも可愛いな)


 キズを見ても嫌な顔ひとつしなかった彼女に、カザムを囲っていた壁は崩れ去っていた。隻腕の自分を受け入れてもらえたことで、少し浮き足立っていたのかもしれない。彼の無垢な笑みにつられて、肩を竦めながらウルティアも笑った。


「これからは、体の左側を意識的に使ってあげたほうがいいです。それとカザムさん、最近腰に違和感がありますよね?」

「……よく分かるね?」

「それが本来の仕事ですから。どちらかと言うとカラクリを弄るのは副職だったんです」


 もう服を着ていいと言われ、カザムは着替えながら話を聞く。


「体に触られるのが嫌じゃなければ、マッサージとかしますけど、どうしますか?」

「それって、ノッカー団長もやってるんだよな?」

「はい」

「じゃあ、お願いしようかな。ウルの仕事、ちゃんと知りたいし」


 そういうことになり、次にカザムは診察台へ座った。

 左の肩甲骨を回すことから始まり、うつ伏せになって背中を押してもらったりと……距離が近い。不覚にも、自分と同じシャンプーの香りをさせる彼女に心臓が跳ねる。


「……ウル。いつも誰にでもこんな感じで“整体”をやるのか?」

「そうですよ?」


(勘違いって、そういうことかよ)


 マリカに言われたことを理解して、カザムは心中悶えた。ウルティアは真剣に仕事をしているのに、彼女の手つきやら、体の接触やらに、どうしても気をもっていかれる。


(こんなの男だったら勘違いするやつ、絶対いるだろ!)


 クラウスが追伸に悪い虫は排除しろと書いた理由が分かった出来事だった。

 施術が終わり診察台に座り直すと、彼は食い気味でウルティアに言う。


「ウル。男に施術するときは、必ずオレがいるときにして」


 危ないから。ホントにーー。

 カザムの真面目な表情に、ウルティアはきょとんと頭に疑問符を浮かべたが遅れて彼の言わんとすることを察する。



「心配はいらないと思いますよ。これは本当に信頼できるお客さんにしかやらないんです。この店に来るのにも、誰かの紹介が必要ですしね。まあ、ストレッチやマッサージって体に触れるから、この世界にはまだ普及していないし、不快に思われる人とか、そういうサービスだと思われる人がいるのは仕方ないことなので。護身用の武器は近くに置いてます」


(だから、それが危ないって言ってるんだよ……)



 こんな身近に危険があることを、今まで気がつかなかったとは。カザムは肝を冷やす。もし彼女に何かあれば、クラウスになんと言われたものか分からない。

 そんな彼を置いて、ウルティアは「ほら」と護身用のスタンガンを取り出す。


「これも自作したんですよ。効き目は実践で証明してるので、ご心配なく」

「実践?!」

「この店を開いたばかりのときなので、気にしないでください。魔獣を狩るのに比べれば楽なものですよ」


 さらに追い討ちをかけられ、カザムは一気に危うさを覚えた。

 ひとりで暮している彼女には、自分の身は自分で守ることが当たり前なのだろう。


「頼りないかもしれないけど、これからはオレがいるから。ひとりでどうにかしようとは思わないでほしいな」


 カザムが隠密だけでなく、自分の護衛も兼ねてここにいることを思い出したウルティアはハッとする。


「すみません。そうですよね。何かあったらカザムさんに相談させてもらいます」

「うん」


 彼女が頷いたのを確認して、彼は立ち上がった。


「……すごいな。体が軽くなった気がする」

「それはよかった」

「ありがとう。施術代、出すよ」


 施術の効果はすぐに感じられる。彼女の元に通う客の気持ちがよくわかった。カザムが金を払うと言えば、ウルティアはぶんぶん頭を横に振る。


「いらないですよ。狩護団から十分、お金をもらっています」

「いや。手を尽くしてもらった分、オレが何か返したいんだ」


 ウルティアは言いくるめられそうになるが、それでもお金はいらないと言う。


「もし気が咎めるなら、今度一緒にご飯でも行きませんか?」

「わかった。店を探しとくよ」


 そういうことで話はまとまり、彼らの一日は始まった。









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