ぽんこつポンちゃんお引越し 終わり。
近日中、とは(哲学)
「迷惑じゃ無ければうちにいったん上がるか?玄関先だと立ちっぱなしでつらいだろ?」
傭兵君は突然そんな事を言い出したので、私の心臓ははちきれんばかりにバクバク鳴り出しました。口の中が急速に渇いて、いますぐにでも水分補給したい気分です。
顔が紅潮していくのを感じます。ただでさえリアルで、しかもまさかこんな所で遭遇するとは思ってもみなかった私にとって、この展開に頭が追いつきません。
「あ、えとえと!う、お、男の人の部屋に入るのは初めてなので……」
気が動転してしまっている私の口からついて出てきたのはそんな言葉でした。
バカバカバカ!折角好意で招待してくれているのに、拒否するなんて馬鹿なんですか!?
それを聞いた傭兵君は、少し残念そうな顔をしながら、頬を掻いて。
「あー、迷惑なら別に良いんだ。ごめんな、んじゃまた後で」
そう言って扉に手を掛けようとして、そのまま部屋の中に入ろうとしたので慌てて止める。
えーと、えーと。ど、どうしよう。…と、取り敢えず!
「迷惑だなんてそんな!じゃ、じゃあせっかくですのでお邪魔します……」
わたわたしながらも、私がそう言うと、傭兵君は「そう?」と言って私を部屋の中に招き入れました。
ど、どうしてこんなに気軽に他人を自分の部屋に招待出来るのでしょうか。私ならちょっとは整理したりするのに…。
ふわ、と香る優しい匂いの部屋に入っていき、私は思わずわぁ…と声を漏らします。
すごく、優しい匂い。落ち着いていて、それでいて男の人らしいといか…なんというか。
こうして異性の部屋に入るような男性経験が皆無な私にはちょっとばかり刺激が強いような気がしますけど…。でも、私は好きだなぁ…。
「そんな襲ったりとかしないから緊張しなくても平気だよ紺野さん」
「は、はひっ」
困ったように苦笑する彼を見て、ようやく自分がぼーっとしていた事に気付く。
危ない、他人の家の匂いを気にするような変質者と思われるところでした。うう、初対面から印象を悪くするのは嫌だなぁ…。それを抜きにしても恥ずかしい…。
すると傭兵君は私をリビングに置いてあるテーブルへと招き、椅子を引いて「ここで座って待っててもらえるかな?」と優しく言ってくれます。
こういう気遣いできる人って素敵ですね…。傭兵君の株がぐんぐん上がります。うなぎ上りです。
椅子に座った私は改めて部屋の中を少しだけ見回します。あんまり他人の部屋を物色するような嫌な女の子と思われたくはありませんが…。やっぱり気になっちゃうのは仕方ないと思います。
綺麗に整頓されていて、生活に必要な物と、娯楽用の雑誌がいくつか。
離れた机の上にはこれから食べるのでしょうか、カップラーメンと割りばしが。
そしてVRゲームのお供、エナジードリンク。この組み合わせは体に悪そうです。私も割と飲むので人の事は言えませんが…。
私の想像ですが、てっきり男の人の部屋って散らかっているものばかりと認識していました。
少なくともお父さんが結構ズボラだったもので…お母さんも結構投げやりな人だし。
こうして改めて傭兵君の部屋を見てみると…年頃の男の子にしてはすっごく几帳面なんじゃないでしょうか。…また、株が上がっちゃいます。
「はいお茶。えーと、こんなもので良かった?」
「ははははははい!」
と、部屋の中を見ていると背後から声を掛けられ、思わずびくりと肩を震わせます。
慌てて差し出されたお茶をつかみ取り、喉が渇いていた事もあって一気に飲み干してしまいます。
「んんっ!?」
一気に流し込んだせいで喉に詰まって、けほけほと傭兵君の前で情けなくむせてしまいました。
ううう…どうして恥ずかしい姿ばかり…。これでは悪い印象を植え付けかねません。ここらへんで少しはマトモな姿を…。
私が落ち着いたのを見て、傭兵君は口を開く。
「あー改めまして自己紹介を。傭兵Aこと俺の名前は日向渚。よろしく、紺野さん」
傭兵君…もとい、日向君は、こちらに微笑みかけながら自己紹介してくれました。
凄くぴったりな名前だと思います。大人しめで、優しい声音の男の子…。なんかゲーム内の傭兵君とは少し離れている気がしますが、こっちも素敵だと思います。
ええと、日向君と呼べば?いや、ここは敢えて…。
「渚君…ですね。私は紺野唯と申します。よろしくお願いします、渚君」
そう言って私も微笑み返すと、渚君は顔を赤らめました。ちょ、ちょっと大胆だったかな?いきなり名前呼びは引かれたりしなかったかな…?うう、男の子に名前呼びなんてしたことないから加減が分からない…。
ごほん、と渚君はひとつ咳払いをすると。
「なるほど、一人暮らしを始めたとは聞いてはいたけどまさか同じマンションとはなあ……。すごい偶然だな」
「そうですね。まさか傭兵君…こほん、渚君が住んでるマンションだとは思いませんでした」
本当に、予想外でした。何故かお母さんは引っ越せ引っ越せを貫くし…。お父さんもそれに賛同している理由が分かりませんでした。てっきりゲームのしすぎで愛想を尽かされたのかと…。少し泣きそうになったら慌てて否定してくれたのでギリギリ泣きませんでしたが。
うう、黒歴史です。封印です。弱い自分におさらばです。
「慣れないなら傭兵もしくは村人でも構わないよ。それなら俺もポンって呼ぶし」
「あ、は、はい。では傭兵君と呼ばせていただきます……!」
あ!考え事をしていたら脊髄反射で答えてしまいました…。私は渚君呼びで構わないんだけどなぁ…。でもこう答えた以上、仕方ないか。…そ、それに…名前で呼ぶの、少しだけというかその…かなり恥ずかしいですし。
「どうして引っ越しを?ご家族は?」
「私の親の仕事の都合で一人暮らしすることになりまして……。あ、そういえば傭兵君のお母さんはプロゲーマーって言ってましたよね?それでしたら『レディーズ』っていうプロゲーミングチームはご存知ですか?」
私の母親が所属しているプロゲーミングチーム、『レディーズ』。お母さんの場合はFPS部門だけど、いろんなジャンルのゲームの大会に参加している、女性だけで構成されたチームです。
もしかしたら…と思いながらそう言うと、渚君は驚いたように目を見開きます。
「知ってるも何も、うちの母親がリーダーやってるプロチームだよ。結構いい成績残してるみたいだね。……っていうかAimsでも準決勝で当たったじゃないか」
その言葉を聞いて、私も思わず口に手を当ててしまいました。
ああ、そういう事だったんですね…!なんか、納得いきました。
「わ、私の母親もそのチームに所属しているんですよ!それで仕事が忙しくなるからという理由で一人暮らしの方がいいんじゃないかと提案されてこっちに引っ越してきたんです!」
思わず早口になりながらそう言うと、渚君は顎に手を添えて思案し始めます。
ど、どうしたんでしょうか?
「ん?……ちょっと待て、ごめんポン、少し待ってて」
「え?あ……はい」
徐に渚君はARデバイスを操作し始めると、何かを入力し始めます。
どうやらSNSアプリっぽいですが…。宛先は誰でしょうか。も、もしかして女の子だったり?
うう、気になっちゃいます…。
彼が何度かメッセージを入力し、やり取りを終了させると深いため息を吐きました。
「ど、どうしたんですか?」
「ポンは知らなくていいこと。はぁ、ごめん、迷惑かけて」
「???」
ど、どうしたんでしょうか。私が何か不快な気分にさせてしまったんでしょうか。
うう、緊張で胃痛が…。
ですが、すぐに渚君は表情を変え、先ほどのような優しい顔に戻ると、再び口を開きます。
「ポンのお父さんもプロゲーマー?」
「いや、お父さんは普通のサラリーマンです。ゲーム自体は好きですけど」
私がそう言うと、何故か渚君は露骨に安堵したような表情で息を吐きました。
確かお父さんとお母さんが出会ったのはMMORPGだって言ってたっけ。仲のいいフレンドから、そのままリアルでも会うようになって…って感じで。
…あれ?今、この状況って…。
いけません、このまま思考を持っていくと、にやけそうになっちゃいます。邪念排除です。
すぐに頭を振り、会話を続ける。
「それにしても世の中すごい偶然もあるものなんですねえ…。オフ会もしたいなとは思ってはいましたけどこんな形で実現するとは思いませんでした」
「ああ、うん。まあVRあるから正直オフ会は開かなくてもいいんじゃないかと思ってたのが本音だけど…」
なんとなく予想はしていましたが本当に渚君はリアルに関しては無頓着というかなんというか…。これではずっと会いたいなーって思ってた私が馬鹿みたいです。
「それとこれとは別じゃないですか!」
「まあそうだけど俺もポンも超がつくほどゲーマーだし、どっちかっていうと向こうがリアルみたいなもんだろ」
「うぅ~そうですけども…」
少しだけ強く言ってしまうと、渚君がごもっともな意見を言うので論破されてしまいます。
確かに休日はどちらかというと向こうの世界に居る時間の方が長いですが…。
と、私がもごもごしていると、渚君は悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「まあポンがリアルの俺に会いたかったっていうなら話は別だけど」
「ふぇっ!?」
思わぬ反撃に、私の心臓は跳ね上がってしまいます。
ももももも、もしかして私の気持ちに彼は気付いて居るのでしょうか。
たたた、確かに自分でも分かりやすいぐらい動揺はしていますけども!
ででで、でも、心の準備が…。あばばばば。
「冗談冗談」
手をひらひらさせながら渚君はそう言うので、からかわれていた事に気付きます。
本当に心臓に悪いからやめてほしいです!心臓がいくつあっても足りません。
と、とにかく。何とかしてこの話題から切り替えないと。
「もう!……あ、急に話変わりますけど生活費とかはどうしてるんですか?」
「ほんとに唐突だな……Aimsの優勝賞金と動画の収益かな」
ちょっと話題の切り替え方が雑だったかな?で、でも、何とか話題を切り替えられた。
それにしても動画の収益かぁ…。アフィリエイトって奴かな?広告収入?
私はその方の知識が疎いのでよく分かりませんが…。
「はー、やっぱりすごいですね。私は親の援助がほとんどです」
「ポンも優勝賞金あるだろ?」
引っ越してきて、すぐに親から指定の口座を作られて。
そこに当面の生活費と、お小遣いの金額が入っていたのを思い出す。
両親に聞いてみたら、ええっと、確か…。
「私の場合は将来のための貯金だーって親が言ってて。まあ私自身もあんまりお金使わないので良いんですけど」
お小遣いも、洋服とか身の回りの道具をたまに買ったりするぐらいで、あまり使いませんからね…。VRゲームの良いところは周辺機器さえ揃ってしまえば幾ばくかの電気代で後は賄えてしまう所です。
科学の発展って素晴らしいですね。偉大です。最初にVRゲームを作成した人は天才です。
渚君は、あーと何か言いたそうな顔をしていましたが、すぐにやめて。
「まあうちは基本的に親が両方とも放任主義だからなぁ…。自分の趣味に没頭して家族サービスが疎かになっちゃうタイプ。だから金の管理も自分でしやがれ!って感じなわけで」
凄くしみじみとそう言ったものですから、私は思わずくすりと笑ってしまいます。
「ふふふ、なんか傭兵君の親らしいですね。なんだか想像出来ちゃいます」
「親があれなもんだから流石に俺は家族サービスしっかりするつもりだし」
「か、かぞっ!?そ、そうですか……っ」
わ、わぁ…!渚君って、そういう所はしっかりしてくれる人なんだ…!
うう、どうしよう、渚君の株の上昇が留まる事を知りません。天元突破です。
も、もしですが。仮に、渚君と、その、ええと、仮にですよ!?お付き合いすることになったら…。やっぱりリードしてくれるんでしょうか。うう、妄想が…。駄目です。邪念除去。
私がわたわたしていると、渚君は時計を確認してから。
「そろそろ時間もあれだし、ポンも挨拶回り行かないとだろ?また遊びに来たくなったらいつでも来てもらって構わないからさ」
「あっ!?本当だ!もうこんな時間!ごめんなさい傭兵君!夜のイン少し遅れるかもしれないです!」
本人から助け舟を出されて、私は思わずそのまま立ち上がる。
そして、すぐに空になったコップをキッチンに運び、後で洗うつもりでしょうから水ですすいでいると、渚君は「そのままでいいよ」と言ってくれます。
で、でも!このままだともし次に渚君がこのコップを使ったら、か、関節…キ…。
わー!駄目です!もう頭が真っ白になってきました!
すぐに衣服を正し、「お邪魔しました~!!」と言って渚君の部屋を飛び出します。
そして、別の人への挨拶に行かずにすぐに私の部屋へと戻り、そのまま自室のベッドへ直行しました。
「あああああああああああああああ、もう、情報量が多すぎて追いつかないよぉ!?」
毛布を頭から被り、私は枕に真っ赤になった顔を押し付けながら唸ります。
ずっと会いたかった人と、初対面。しかもそれが自分の隣の部屋の住人で、しかも、その。
す、すっごく紳士的で…。優しくて、理想的な人で。
いつまで経っても心臓が鳴りやむ気配がありません。
「わ、私はこれから一体どうしたらーーー!?」
と、私の思惑を読み取ったのか、誰かからメッセージが届きます。
差出人は――――母でした。
優菜:聞けい!我が娘よ!あやつを落とす為の策を授ける!
唯:エスパーなの!?ねえ、お母さんはエスパーなの!?
優菜:いや、多分そろそろ会っただろうなーって思っただけで…。で、どうだった?香織さんの息子君は。イケメンだった?
唯:やっぱりお母さん分かっててここに引っ越しさせたんだね!?ええと、その…。は、はい。凄く、理想的な人でした…
優菜:あ、やべ、口が滑った…。まあ良し!そいつぁ結構!それではまず第一の策を授ける!第一の策、『胃袋を掌握せよ』!多分彼はゲーマーだから食生活は乱れに乱れ切っている!そこで唯お得意の料理で勝負をかけるべし!
お母さんのメッセージを見て、思わずおぉ…と声を漏らします。
確かに、彼の部屋にはカップラーメンが置いてあった。恐らく今日の夕食はあれだけなのだろう。年頃の男の子の食事にしては少ないと思う。
流石人生の先輩と言うべきか。納得いく考えを聞いて、私は頷く。
優菜:あ、ただし徐々に慣らしていく感じね。いきなりがっつりしたもん作るとドン引きされるから。ソースは私。開幕生姜焼きは流石にアウトだったわー。
唯:体験談なんだ…。
思わずあきれながらも、有益な情報を得て私はやる気が出ます。
きっと、いつの日か、彼が振り向いてくれると信じて。
これから頑張るぞ!と気合を入れてガッツポーズすると、もう一つメッセージが届きます。
優菜:あ、あんまり誘惑しすぎて襲われても責任取れないからそこんとこよろしくー。
唯:お母さん!
こうして、餌付けが始まった。
傭兵の部屋は突発的に母親が襲来してきたりするので割とリビング方面は片付いてます。
自分の部屋は…少し散らかってる感じですね。