『私のヒーロー』 その一
一挙三話更新の三話目です。
彼女には憧れているヒーローが居る。
そのヒーローに出会ったのは、彼女がまだ中学一年生……12歳だった頃。
臆病で、外の世界に全く足を踏み出す事も出来ずに居た彼女の、唯一と言ってもいい心の拠り所だった。
『ッッしゃあオラァ!!【Elemental Quest】Any%RTA、WR更新!!前回WRから2.7秒の更新だな!でもこのタイムだとまたすぐ別の走者に抜かれるかもしれねえし、余韻に浸る前にガバッた所を詰めてリトライするぜ!』
彼女は半透明な画面の向こう側にいるそのプレイヤーに、強い憧憬を抱いていた。
そのプレイヤーの名は『ライジン』。
VR、AR技術の発展と共にゲーム配信はテレビに変わる一種のエンタメとして広く普及されていた。
何年か前にゲームが一種のスポーツとして正式に認められた事によって、元より競争率が高かった配信業界は更に苛烈を極め、そこで成功した人間はほんの一握り。
そしてそんな配信業界で成功した男――――今、彼女が眺めている画面に映っているライジンもその一人。
一年前、配信業界に彗星の如く現れ、チャンネル登録者ゼロ、広告一切無しの無名の状態で放送を始め、初生放送から同時接続数30000人を叩き出した逸話を持つ配信者。
気まぐれに生放送を漁っていた物好きな一人の人間がそのプレイを見て仰天し、SNSで拡散した結果そんなお祭り騒ぎになった。
かくいう紫音もそのお祭りに参加していた一人で、『凄い凄い言うから見てやろう』ぐらいの気持ちで見たが最後、彼のチャンネル開設初期からの生粋のファンへと変貌した。
因みに、ライジンのチャンネルは一年経過した現在、放送を重ねるうちに規模がぐんぐんと拡大していき、彼のチャンネル登録者数は100万人を超えている。
興奮した様子でゲームをプレイしているライジンを見て、紫音はくすりを笑う。
彼のプレイは見る人を魅了し、思わず声をあげてしまいそうになるほど大胆で、呆れが出てしまいそうになるほど危なっかしい。
でも、そのプレイを見ていると、心の奥底からワクワクしてくるようで。
本当に楽しそうにゲームをしているから、その様子を見ているのが心地よくて。
最後には望みを実現して見せる、そんな彼がかっこよくて。
そんな背景から、紫音はライジンの配信が生きがいになっていた。
『あ~開幕からガバッた、はい再走決定!いや~、完全にWR出したから気ぃ抜けちまってるな!え?もう今日は別ゲーやっとけって?バッカ、ここからが楽しい所じゃん!生放送一回で二回WR更新の伝説残そうぜ!』
ライジンが再びRTAに挑むと、すぐさまミスをしてしまい、手慣れた手つきでゲームをリセットする。
ミスをしたというのにも関わらず、彼は苛立つことなく、心の底から楽しそうに笑っていた。
そんな楽しそうに笑う彼を見て――――彼女は一つ涙を零した。
「どうして、そんなに楽しそうに生きられるんだろう」
蝉の声が鳴り響く、中学一年の夏。藤咲紫音は、学校に通っていない引きこもりだった。
◇
紫音は幼少の頃から容姿に非常に恵まれていた。両親や兄から非常に可愛がられ、手入れの行き届いたストレートのロングヘアは同性なら羨む程の艶と光沢があり、大きく可愛らしい栗色の瞳が目元まで伸びた髪の毛の間から見え隠れしている。
小ぶりな鼻と唇は綺麗に整っており、小動物的な可愛らしさと庇護欲を掻き立てられるような顔立ち。
少し釣り目気味な目元も、愛らしい顔立ちとのギャップがあり、そこもまた彼女の魅力だった。
小学校では当たり障りも無く振舞い、成績は常にクラスのトップを張るほど優秀だった。友達こそ少なかったが何も問題無く卒業した。
だが、中学校に入ってから、彼女の周囲を取り巻く環境が一変した。
最初は、些細なキッカケだった。
「ねぇ、振るのならさっさと振りなさいよ。最低女」
入学して二か月程経ち、落ち着いてきた頃。クラスを仕切るリーダー格の女子に目を付けられたのだ。
その女子が紫音に目を付けた理由は、彼女が好意を向けている男子が、紫音に好意を向けていたから。思春期の男女にありがちな些細な理由だ。
紫音からしたらいい迷惑だった。特に好きでもない人間に言い寄られ、その対応に困っているとたぶらかしていると言われ。
自分の言葉で人を傷つけたくない、でも、他人に嫌われるのも嫌だ。
そう内心で思っていた紫音がどっちつかずな対応をしている内に、どんどん状況が悪化していった。
今も、その女子にその件について呼び出されていた所だ。
「……鮎田さん、ごめんなさ……」
「ちっ、トロくさいわね。あんた謝る気あるの?謝る気が本当にあるんなら少しは申し訳なさそうな顔ぐらいしなさいよ!」
鮎田と呼ばれた女子がドン、と強くその場で足踏みすると、紫音はビクリと肩を震わせた。
震えながら、紫音は話が無事に終わる事を懇願するように視線を向ける。
「何よその反抗的な目は。……直接、身体に教えないと駄目かしら」
紫音は生まれつき、目つきがあまり良くない。
真っすぐ見つめようとしても、そんなつもりは全くないのに睨んでいると言われる時が大半だ。
鮎田がポケットに手を突っ込むと、すっと安全ピンが取り出される。それを見えた瞬間、その先を想像した紫音はゾクリと肌を泡立たせ、足がすくんでしまう。
「……あ……」
「良い?あんたが傷つかずに助かる方法は一つ、彼の告白を断る事。そうしたら、この場は穏便に済ませてあげる」
そう言って、その鮎田は醜悪な笑みを浮かべると、安全ピンを外し、鋭利に尖った針先を紫音に向ける。
針先を向けられた紫音は顔色が真っ青になり、後ずさりするように下がっていき、やがて壁にぶつかる。
「……嫌ァ!」
「ちょっと、待ちなさい!まだ話は終わってないわよ!」
紫音は完全にパニックになってしまい、鮎田を押しのけて一心不乱に逃げ出した。
その後、保健室に逃げ込んだ彼女は、養護教諭の先生に色々と聞かれたが応対する事が出来ず。
震える身を抱き、布団に包まりながら一日を過ごし、そのまま帰宅した。
彼女はそれを機に、精神的に追い詰められてしまい、不登校になってしまった。
◇
紫音が部屋に引きこもるようになって数日。
他者からの干渉を拒んでいた彼女の部屋の扉がノックされた。
紫音が布団の中で震えていると、扉の向こうから声が聞こえてくる。
「なあ、紫音。昼飯、持ってきたぞ。……少し、話さないか?」
「……にぃ」
「……その、どうしたんだ?俺で良ければ力になるぞ」
「……関わらないで。……私が悪いだけなんだから」
紫音の言葉に、紫音の兄――――藤咲冬馬は言葉を詰まらせる。
普段甘え上手で、何をするにしても兄である自分の後ろをついて回っていた紫音の、突き放すような発言に胸をズクリと痛ませた。
だが、このまま彼女を放っておくわけにはいかない。兄として、たとえ彼女に嫌われてしまってでも助けてあげたかったのだ。
冬馬が言葉に迷っていると、扉を隔てて掠れたような声が聞こえてくる。
「……それに、にぃ。聞いたよ。プロからのオファーが来たんだって?……おめでとう。にぃ、プロゲーマーになりたかったんだもんね」
「……確かに、その通りだけど……今の話とは全く関係ないじゃないか」
「……だったら、尚更。……プロとして活躍したいのなら、もっと、練習に時間を注いだ方が良い。私なんかに時間を割くべきじゃない」
「紫音……!」
冬馬は、握りこぶしを作りながら、歯噛みする。
紫音が何に頭を悩ませているのか、分かってあげる事が出来なくて、力になってあげる事が出来なくて。
そんな自分が憤りを感じるほど情けなくて、悔しくて。
思わず爪が掌に食い込み、地面に血が垂れている事に気付く事が出来ないぐらい悲しかった。
紫音は元々、感情表現が得意な人間では無かった。笑顔を見せる事も滅多に無く、無表情で居る事が多く、愛想が無い人間だと周囲の人間から言われがちだった。
だが、伊達に長年兄弟をやっているわけではない。
冬馬や紫音の両親は、その感情の起伏が薄い彼女の事をしっかり分かっている。
だから、彼女の些細な変化に気付けていた。
――――気付けていた、はずだった。
「……にぃ、私なんかにかまわないで。……出来損ないな私の事なんか気にしないで」
その言葉を聞いて、冬馬の中の何かがぷつりと切れる音がした。
思わず扉のドアノブを鷲掴みにし、ねじ切りそうなほど強引に捻った。
「紫音!!」
バン!と扉を思い切り開くと、布団に包まりながらARデバイスから映し出される画面を眺めていた紫音がビクリと肩を震わせる。
そして、紫音から注がれる、心の奥底から怯え切ったような視線を浴びて冬馬は冷や水を浴びせられたような気分になった。
「しお……」
「来ないで!!!!」
思わず手を伸ばした冬馬に、紫音が今まで聞いた事の無い程の大声で拒絶する。
これまで一緒に生きてきた中で始めて感じる、明確な拒絶。
冬馬は大事な妹に拒絶された事に内心ボロボロになりながらも、こちらに向けられた視線で何となくの事情を察した。
(……どうして俺は、妹がこんなになるまで気付けなかったんだ……!!)
学校に行きたくない、という事は学校で何かがあったのだろう。そして、恐らくは人間関係のトラブル。紫音は良い意味でも、悪い意味でも周囲の注目を浴びる容姿だ。
だから、恐らくは、男絡みの話。……大方、紫音の容姿に嫉妬した女子が何かしたか、それとも男に無理矢理言い寄られたか。
そう冬馬が予測をしている間も、紫音は震えたまま鋭い目つきで冬馬の事を睨み続ける。
「……ねぇ、にぃ。出てって。……関わらないで。……私を、一人にして」
「……悪い、冷静じゃなかったな。……また来る。昼飯、冷める前に食べろよ」
冬馬は、これ以上干渉しても逆効果だと悟り、踵を返す。
「ごめん……ごめんねにぃ……」
その背中を見ながら紫音は大事な兄を傷つけてしまったと悟り、また一つ涙を零した。
◇
「てな訳で、どうにかして妹を助けたいんだがどうすれば良いと思う?」
「噂の紫音ちゃんね。思春期の女の子はデリケートだもんねぇ、色々あるのは仕方ない」
そう言ってやんわりと苦笑する一人の青髪の女性。冬馬――――プレイヤーネーム串焼き団子と仲が良く、そして同時に新設のプロゲーミングチームにスカウトされた、SAINA――――本名、四条彩奈。
彼女はVRチャットルームにて、リアルの串焼き団子の相談を受けていた。
「一度トラウマが植え付けられた人間の心って、そう簡単に癒えるもんじゃないからね」
「SAINAも過去になんかあったりしたのか?」
「あったよー。陰で他の女子から陰キャだなんだと色々言われたりしたよ。私はどっちかっていうと現実の恋愛よりもゲーム一辺倒だったからさ、余計ね」
まあ、遠い昔だけどねーとSAINAは苦笑いしながらそう言う。
「ああ、SAINAは見てくれは確かに良いからな。ガワだけ見りゃ確かに惚れる人間もいるか」
「見てくれは良いって何?性格も聖人君子の私にそんな事言うんだ?ふーーーーーーん」
「あだだだだだだ!そういうとこ、そういうとこだっつの!!!お前は言動と行動を一致させろ!!」
半目になりながらぐにーっと串焼き団子の頬を引っ張るSAINA。
目の端に涙を浮かべながら串焼き団子が脱出すると、SAINAはぽつりと。
「本当に、つまらないよ。全く、世の中は不平等だよね。神様の采配次第で望んでも無い人生を歩む事になるんだからさ」
「SAINAは今の人生に不満があるのか?」
「まあ、昔は不満ありまくりだったけど、今はそんなにないかな。団子君と会えなかったら、多分プロにスカウトされる事は無かったし。……ありがとね」
SAINAは照れくさそうに笑いながら、口元を綻ばせる。串焼き団子はそれを見て、ハッと鼻で笑う。
「SAINAぐらいの腕前なら俺が関わらなくてもいずれプロにスカウトされてただろ。そこに俺が介入する要素はねえ」
「珍しい私のデレもそういうふうに受け流すかあ、相変わらずシスコン極まってるねぇ」
「馬鹿、この世で一番可愛い存在と比べる事自体おこがましいんだよ。紫音に比べりゃその他の存在など取るに足らん児戯だ」
「自分の妹の事をそこまで言っちゃうんだぁ……ちょっと素で引くわー」
自分の腕を抱いて串焼き団子から距離を取るSAINA。
全く、別の意味で堅物だなあと串焼き団子に苦言を漏らしてから。
「まあそれは置いといて。話を聞く限り紫音ちゃんは今、多分誰にも頼れない状況になってるんだよね。だから、心の拠り所を作ってあげるのが一番いいと思うの」
「心の拠り所?」
「あら、私達が今いるじゃない。……ここよ、ここ」
SAINAはにっこり笑いながら、自分の足元を指し示す。
それを見ても首を傾げたままの串焼き団子に、くすりと笑うと。
「リアルが嫌ならそこから逃避させてあげれば良いのよ。……ゲームなんて、うってつけじゃない?」
「だけどな……それで根本から解決するとは」
「あら?そうかしら?心の余裕を作ってあげれば、もしかしたら改善するかもしれないわよ?……だから団子君、貴方が最初にやってほしいのは――――」
SAINAの言葉に、串焼き団子はしばらく瞑目していると、やがて「分かった」と静かに頷いた。