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無力の王  作者: 言代ねむ
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7《その者を王は『無力の王』と呼ばせた》

 日照り続きによる凶作で農民達が飢えていた年のこと、日下国(ひしたこく)で凡庸な王以上に権力を持っていた田水豊則(たすいとよのりの)大臣(おおおみ)が、農民の起こした反乱を制圧に行き、運悪く流れ矢に当たって死んだ。

 長年、田水豊則に押さえつけられてきた他の大臣達は密かに喜んだが、時を同じくして始まった建成(たけなり)王の奇行がその密かな喜びに影を落とした。

 建成王は王宮に一人の奇妙な者を置くようになった。その者は、笑っているようで怒っているようでもある奇妙な表情の白い仮面を付け、赤と黒と青で染め分けた旅芸人のような派手な衣装を付けて、王宮の中を好き勝手に歩き回り、なんの権力もないが、好き勝手なことを誰にでも云うのだった。


 その者を建成王は皆に『無力の王』と呼ばせた。





「何が『無力の王』だ。どこで拾ってきたのか知らないが、無礼なただの気違いではないか」


 定例会議のために集まった臣達は、王宮の隅で囁き合う。


「建成王は何を考えていらっしゃるのか。田水大臣が大きな顔をしていれば田水大臣の云うなりで、いな

くなればこのように臣下を巻き込んで、奇妙な遊びをお始めになられるとは……」


 その中で、一人の痩せた中年男が太った中年男を相手に声をひそめる。


「仕方がない。元々普通の方ではなかったのだ。覚えていらっしゃるか? 七年前の先代の王の葬儀の最中に起こった出来事を」


「ああ、忘れられるものではない。頭に血が上った母親にあれだけ殴られて、十一歳の子供が顔色一つ変えなかった」


 太った中年男が答え、痩せた中年男はうなづいた。


「私が思うに、死刑になった行呼大妃(ゆきこたいひ)が王の毒殺を図ったのは、本当のところそれが理由ではないのか? 事故で亡くなった天弥(てんや)王子を、王に殺害されたなどと妄想したせいではな……」


 話を聞かせている痩せた中年男の顔の横に、音もなく一つの奇妙な顔が並んだ。笑っているようで怒っているようでもある、白一色の顔。


「ひっ!」


 二人の中年はそこから飛び退いた。近くにいた他の臣がそろってふり向く。

『無力の王』がそこに立っていた。

 臣達の間に緊張が走る。聞かれてはまずい話を聞かれてしまったのである。

 左右に飛び退いて自分から離れた二人の中年男を、無力の王は体をのけ反らせ、両腕を右と左にまっすぐに伸ばして指差した。

 甲高く下品な笑い声が仮面の下からもれてくる。


「ヒーヒヒヒヒッ、ヒーヒヒ! 愚か者! 愚か者! 愚か者達ィ! 異常な王子を王につけるその大いなる愚かさ! お前達はいずレェ! 間違いなくあの王に害を与えられるぞォ!」


 無力の王は歌うように云うと、兎のように跳ねて体を揺らしながら王宮の奥へ入って行く。


「ふ・ふ・ふ・不幸! みんっ、な不幸! この国は終わるゥ、ヒャーハハハハハハハハハハハ!」


 心に残る、耳障りな声。不吉な言葉。不快な態度。

 立ちすくむ臣達は一様に顔に皺をよせた。





 針金のような月が空に浮かぶ夜、王城の裏手に位置する無人の後宮の廊下で、建成王と無力の王は擦れ違った。

 窓の格子から届く月の明かりが廊下の影を模様のように切り取っている他は、蝋燭の明かり一つない。


「待て、無力の王よ」


 立ち止まった建成王の口から冷ややかな声で呼び止めた。

 足音が止まる。背を向けたままの二人の間に緊張感が漂う。


「道化師ごっこは楽しいか?」


「あなたがっ!」


 その言葉にピクリと反応した無力の王が、ふり向いて叫んだ。


「あなたが! あなたが! あなたが!」


 建成王もふり向いて温かさの欠片もない眼差しで無力の王を斜めに見る。


「うるそうございますね、母上。本当にまともな言葉を忘れてしまいましたか?」


「人でなしィ! 親をこんな目に合わせるあなたは鬼だあ!」


「何をおっしゃいますか。今のあなたの方がよっぽど人でないものに見えるではありませんか」


 無力の王は自分の震える両手を眺める。


「……このような姿はあなたが私にさせたのではないか! おかしな動作を強要し、本当の名を名乗ることを許さず、誰かが私だと気づくようなことをしゃべるのも許さず……だから私は馬鹿げたことしかしゃべれない!」


「その馬鹿げたしゃべりで、誰かあなただと気がついてくれた者はおりましたか」


 腕を組んで建成王は笑う。


「誰にも私の正体を気づかれないように、豊則お兄様を殺したのでしょう!」


「人聞きの悪いことを申されますな。田水大臣は流れ矢に当たって死んだのです」


「自分の部下を使ってそれらしく装ったのでしょう! あなたには大妃だった私の部屋からこっそり毒を盗めるような部下がいるのですものね!」


「ああ、あれのことですか。あれは優秀ですのじゃ。あなたのお陰で侍女や舎人(とねり)には恵まれませんでしたから、わしは自分で忠誠心のある優秀な部下を捜してきたのですよ」


「十一歳の子供が幼い弟を殺し、母親まで罠にはめるなんて恐ろしい」


「恐ろしい?」


 建成王は腰につけた剣を抜き、それを見て驚いて逃げ出した武器も防具も持たない無力の王を追った。


「何が恐ろしいのじゃ! 部屋に毒入りの壺を隠して優しい母親の顔を作っている者は怖くないとでも云うのか!!」


 目の据わった建成王が無力の王の襟首を掴んで、土壁に投げつけ、腕で押しつけた無力の王の首の横に剣を刺した。


「王や侍女の目の届かぬ所で、我が子を日課のように殴り、つねり、たまに人前に連れていったと思えば恥をかかせて笑い、弟が生まれてからは憎んでいるかのように差別するあなたは、生まれてから十一歳までの子供に怖くなかったとお思いか!!」


 無力の王は悲鳴を上げる。


「叫んでいないで答えよ!」


 建成王は無力の王の仮面を剥いで、背後に投げ捨てた。月光にさらされたのは半分以上を火傷で赤黒く変色した顔。無力の王はより大きな悲鳴を上げて両手で顔を隠した。


「今更顔がなんだと云うのじゃ! あなたはわしを毒殺しようとした罰を受けて、すでに黄泉の国の住人じゃ。気にするような身分ではない!」


「私はこうして生きている! 汚れた黄泉の国の住人などではない!」


 泣き出す無力の王。


「はっ!」


 建成王は鼻先で笑い、ぼそりとつぶやいた。


「ミニクイバケモノ」


 剣を土壁から軽く引き抜いて、無力の王の頬の皮を、そこにあてていた指の肉ごと切った。


「痛い! 痛いっ、痛いィ!」


 とろりと血が流れて、涙と混ざる。

 建成王は冷たくそれを眺めていた。


「よい気味じゃ……でももっと姉上は痛かったでしょうな」


 無力の王はいぶかしげに建成王を見上げた。


「知っていたのでしょう? あなたを殴った二位巫女がわしの異母姉の方比楽(かたひら)姫じゃと。知っていて殺したのでしょう?」


「知らぬ! 知らぬ、知らぬ」


 無力の王は脅えた瞳で、血で汚れた顔を左右に揺らす。

 おや、という顔をする建成王。


「そうですか? 母上のことだからてっきり知っていたと思っていましたが。でも、したことは変わりませぬな。姉上を殺したことをつぐなって、そろそろ本当に死んでもらいましょうか」


 剣を構え直すと、無力の王は自分を押さえつける腕を引っかいて、建成王がひるんだ隙に逃れた。

 ヨタヨタ逃げる道化の姿を、建成王は見て楽しげに笑い、急に真顔になってやはり後を追いかけた。


「母上! 母上、母上の部屋にあったあの毒は、わしを殺すために残されていたのでしょう? 天弥(てんや)が死ななかったら、母上がわしに少しずつ飲ませたのでしょう?」


 必死で走る無力の王の背中を、建成王は弄ぶように浅く何度も切りつける。投げかける言葉は質問のようであったが、相手に答える時間を与えない。


「母上! 母上が父上の第二妃だった頃、第一妃だった葉希(はき)様を毒を盛って殺したでしょう? 姉上の母上だった方のことですよ! その少し前には、生まれたばかりの赤楽(せきら)王子をやはり同じ毒で殺しましたね? 姉上の同母弟だった赤子です! そして残された姉上を、誰かに嫁いで『王女の夫』と云ういらぬ権力者を作ることのないように、巫女にしたでしょう? あなたは第一妃になるために、自分の子供を次の王にして王の母となるために、二人の人間を殺したのでしょう? そうですよね、これは間違いないですよね? 薬に詳しいわしの部下が、二人が亡くなったときの様子を調べて毒を盛られたのだと云ったのです!」


 足がもつれて転がった無力の王を、建成王は捕らえて剣を握る手で殴った。

 母親の声で無力の王は云う。


「二人を殺したのはあなたのためよ! 弟とは云え、あなたは当時は第二妃の子で、あっちは第一妃の子よ! あのままでは次の王は葉希の産んだ王子になってしまったのよ! 葉希の産んだ王女だって、誰か有力者の妻となると邪魔になってしまうわ! あなただって母親が第一妃の方が王子としてよかったでしょう!!」


「あなたはそんな人ではない。これでもあなたの子供です。あなたのことはよくわかっております。すべて自分のためだったのでしょう?」


「建成! 謝ればいいの? あなたが私や天弥や豊則お兄様にしたことを許して、あなたに謝れば許してくれるの?」


 懇願する母親を建成王は暗く静かに見据えた。


「許して、謝って、わしの母親に戻るつもりですか? わしはあなたにもうずっと前から、あなたには何も期待していない。疲れて、何もかもどうでもよくて、自分にはなんの価値もないと思っていたわしに、庇われるほどの価値があることを教えてくれた人は、あなたに殺されてしまいました。あとからその人がわしの姉だったと教えられて、そこでやっと、わしには母上を憎む権利があることを知りました。あなたに殺されかかっているわしなら、同じようにあなたを殺してもいいのだとも、そのとき初めて気がつきました。あなたが憎くてなりません。ただ殺すだけでは、わしがあなたからもらった苦しみに足りません。愛する我が子を殺され、兄を殺され、苦しんで、苦しんで、死ねば少しはわしの苦しみに届くと思いました。わしはもうあなたが怖くありませぬ」


 無力の王は、信じられない、と云うような顔になる。


「……世の中は変じゃ。親が子をいたぶっても、子は親を憎まず愛さなくてはならない。親が子に『死ね』と云っても許されて、子が親に『死ね』と云うことは許されぬ。同じ我が子なのに、一人は憎くて、一人は愛しい。母親から惨い仕打ちを受けて、血の繋がりなど愛しさの理由にならぬと思えば、ろくに話をしたこともない半分だけ血の繋がった姉がわしの幸せを神に祈っている」


 建成王は無力の王の胸に、剣をつき刺して捻った。

 それでもう無力の王は動かなくなった。

 建成王は遺体から少し離れた場所で、黙って片膝を立て座り込んだ。

 しばらくそうしていると、いつの間にか鳥末(とりすえ)が建成王の近くに立っていた。


「死体を片付けましょうか?」


 建成王は鳥末を見上げた。


「どうしてここにおるのじゃ?」


「王がお部屋を出て行かれる音が聞こえましたので、後をついて参りました」


 ふい、と建成王は下を向いた。


「では、聞いたのじゃな。わしがそなたの主人だった天弥を殺したことを」


「はい」


「主人の敵討ちをするか?」


「いいえ。王が大妃様を罠にはめる手伝いをせよとおっしゃったときから、多分そうなのだろうと思っていましたから」


 落ち着いた様子の鳥末を建成王は訝しげに眺めた。


「ならばそなたはわしが命の恩人などではなく、間接的にそなたを窮地に追い込んだ人間だと知っていて、わしにこれまで仕えてきたのか?」


「王が天弥王子を殺害したのだとしても、天弥王子から目を離してしまったのは私の責任です。そのせいで窮地に立った私を助けて下さり、新たに働く場所を与えて下さったのは王でした」


 建成王はあきれたように目を細めた。


「意外と忠誠心がないのじゃな」


「そうでしょうか? 恵まれていた天弥王子よりも、王の方が私を必要として下さいました。より必要とされる方に仕えたいと思うのは、忠誠心ではないのでしょうか」


 考え込むように建成王は宙を凝視し、やや間があって「わかった」とだけ云った。

 鳥末はまだ温かい『無力の王』こと行呼大妃の遺体の始末に取りかかる。拾ってきた仮面を元どおり顔に被せ、抱え上げた。


「姉上に似た妃がほしい」


 廊下に仰向けになった建成王が、天井を見ながら唐突に云った。


「……先代の天の二位巫女様に似た女性ですか?」


「そうじゃ。ここの宮は寂しすぎる」


 鳥末は周りを見回して、少し考えてから答える。


「そうですね。十八歳になられた王の後宮がこうでは寂しいですね。わかりました。亡くなられた葉希様の血縁者の中から、先代の天の二位巫女様に似た女性をお探しします」


「真夏の空のように青い目で、わしに似た艶やかな黒髪の、心の強い女じゃぞ」


 念を押す建成王に鳥末はおかしそうに笑った。


「かしこまりました」


「それから」


 建成王は急に声を低くした。


「それから後宮の別の場所に子供を集めるのじゃ。遠巻きに眺めているだけで、わしを助けなんだ臣下共の子供達じゃ。そして親に見捨てられた子供達をいたぶって殺してしまおう」


 建成王は目を閉じる。

 その姿を鳥末が優しく見つめる。


「……かしこまりました」


「わしは……妃を持って愛したい。我が子を持って愛したい。見せかけだけではない幸せな家族を持ちたい。――しかしそう願うのと同じ強さで、誰かをいたぶって殺してしまいたいと思う。そしてこんな国など滅んでしまえとわしは……」


 黙って鳥末はそれを聞いている。


「願いと云うより……そうしなければわしは生きていけない気がする。そしてわしは生きていきたいのじゃ」


 建成王の目尻から涙が流れたようだった。 鳥末は「承知いたしました」と答えた。








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