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無力の王  作者: 言代ねむ
3/9

3《黒い瞳をぬらす涙は動かない》

 太陽が西の山へ近づく時刻、建成(たけなり)王は天弥(てんや)王子の手を引いて草原を歩いていた。


「兄上! 私は王宮を抜け出したのは初めてです」


 天弥王子が興奮した様子で建成王を見上げる。


「そうか?」


「供の者がいないのも初めてです」


「おらぬと嫌か?」


「いいえ! 供の者がいると、おもしろいことは全部危ないと云ってさせてくれませんから!」


「そうじゃの……」


 答える建成王は薄い笑みを浮かべている。


「野苺はどの辺りになっているのですか?」


「もうすぐ目印が見えてくるはずじゃ」


「たくさんあるのですよね!」


 天弥王子は目を輝かせる。


「ああ……」


「兄上はすごいですね、王宮の外に野苺がたくさんなっている場所を知っているなんて。やっぱりこの国の王だからですか」


「……」


「嬉しいな。兄上が初めて私を遊びに誘って下さって」


「そうか……」


「いつも兄上は私の所へも母上の所へも来て下さらないから」


「……そんなことはない。母上の側でそなたとわしで玩具の弓を使い、的当てをしたこともあるではないか。……天弥、青と赤の二色で染め分けたあのときの弓はどうしてある?」


 天弥王子はきょとんとしている。


「赤と青の弓、ですか? あれは飽きたのですいぶん前に捨てました」


「そうか……よい弓じゃったのにな」


「そうですか?」


「……目印が見えて来たぞ」


 建成王は小山のような白い岩の山を指さす。天弥王子は目を丸くした。


「なんですか、あの白い大きな石の山は」


「昔天の神殿を建てたときに余った建築材料じゃ。重くて運べぬから、そのまま置き去りにされておる」


「へえー」


「野苺はあそこじゃ」


「え、あんな所に生えているのですか?」


 大きな瞳で兄の顔を見る。


「よく見よ。白い岩のあちこちに緑のつるが伸びておる」


「うわー」


 天弥王子は建成王の手を離し、歓声を上げて走り出す。

 岩の周りには艶やかな野苺がたくさん実っていた。夢中で岩の隙間にまで手を差し入れてそれを口に放り込んでいた天弥王子に、頭上から声がかかる。


「天弥、そちらに野苺を投げてやるぞ」


「兄上?」


 建成王は積まれた岩の頂上から身を乗り出していた。


「いつの間にそんな所まで登られたのですか」


「そなたが一心に野苺を摘んでいた間じゃ。それより、ほら、受け取れ」


 建成王の両手からガラス細工のような赤い草の実が落とされて、下にいた天弥のいる辺りに散らばる。

 慌てて天弥王子がそれを広い集めるが、生い茂った草にまぎれて半分も行方がわからない。


「駄目じゃの、天弥は」


 天弥王子は涙を滲ませ、唇を尖らせた。


「兄上、私もそこへ行きます」


「そなたには無理じゃ。そこにおれ」


「行きます! 私にだって登れます」


 そう云って天弥は岩に手をかけた。


「止めておけ、怪我をするだけじゃ」


 案の定、天弥王子は足を滑らせて腰を打った。泣き出した天弥王子を見て、建成王は頂上で笑う。


「ほら見よ。そなたには無理だと云うたじゃろう。泣くな、ここには母上はおらぬ。諦めてそこで野苺を摘んでおれ」


 天弥王子は涙を拭いてもう一度岩に手と足をかける。


「危ないぞ」


 建成王が声をかけるが、天弥王子は何度か転びながらも意地になって登っていく。時間はかかったが、とうとう頂上までたどり着いた。


「登れました! 私にも登れました兄上!」


 周りを見回す天弥王子。しかし建成王の姿はそこにはなく、先ほどまで天弥王子がいた地上にあるのだった。


「えっ、兄上! どうして下に?」


 こわごわ下を除く天弥王子に、建成王はあきれたように答える。


「そなたが登る途中でわしは下りると云うたぞ」


「聞いていません!」


「早く下りて来るのじゃ。そなたが登る間に太陽が半分山に隠れてしまった。遅いとわし一人で城へ帰るぞ」


「嫌です、待っていて下さい兄上!」


 泣きながら天弥王子は下の岩へ足をかける。 見上げる建成王はあきれた表情のどこかに満足そうな笑みを隠している。


「そうそう、天弥! 気を付けよ、そこは蛇がよく出るのじゃ!」


 天弥王子が悲鳴を上げて足を引っ込めた。


「兄上! 兄上! 助けに来て下さい!」


「駄目じゃ。こんなに暗くなってはわしもそこまで登るのは怖い。一人でなんとかするのじゃ。わしは先に帰る」


 云い残して建成王は岩の山に背を向けて歩き出す。

 天弥王子はしばらくその後ろ姿を見送り、戻る気配がないと気づくと、何が潜むかもわからない岩の隙間に足を入れて、自力で下り始めた。涙で霞む目に兄の後ろ姿が小さく映る。


「兄上! 兄上……!」


 九歳の子供の小さな足に長い物が引っかかる。暗くて足もとが見えない。


『そこは蛇がよく出るのじゃ』


 足にからんだ長い何かを天弥王子は蛇だと思った。だから驚いて足をふった。小さな体はバランスを崩し、張りついていた岩から離れた。

 小石がいつくか音を立てた。続いて米の詰まった麻袋を落としたような重い音がした。

 ようやく草原を歩いていた建成王が足を止めて岩の山をふり返った。地面に近い大きな岩の一つに天弥王子の小さな体がのっている。建成王はゆっくりと歩き戻って天弥王子の傍らに立った。


「天弥? 遅くまでそなたの姿が見えぬと、母上が心配されるぞ」


 天弥王子の頭の下からは血が流れ出し、開いたまま焦点の合っていない黒い瞳をぬらす涙は動かない。


「また今度野苺を摘みに来よう。だから今日はもう帰ろうぞ」


 建成王は抑揚ない声でそう云い、天弥王子の肩を足の裏で押した。見下ろす顔に感情らしきものはない。


「……天弥?」


 反応はない。

 建成王は天弥王子に背を向けた。岩を降り、迷いない足取りで王宮へ向かう。

 二位巫女の最後を見たときのように、光のないその瞳は死人のようである。濁った深い沼のような、また無機物の黒曜石のような色をしている。





 行呼(ゆきこ)大妃(たいひ)は自分の部屋にこもり、天弥王子の遺品を手に取っては泣き暮らしていた。そこへ行呼大妃の兄である大臣の田水豊則(たすいのとよのり)が訪れた。


「行呼大妃よ、天弥王子の葬儀から十日経つぞ。いい加減泣き止め」


「そんなこと、無理ですわ。豊則お兄様」


 上等な紫色の子供の服を握りしめて寝台の枕元に顔を伏せていた行呼大妃は、鼻水をすすりながら返事した。


「だって、だって……あの子があんな所で死んでいるなんて、変だわ。一人で勝手にこの王宮から出るなんて、絶対に変よ」


 田水大臣(たすいのおおおみ)はため息をついて行呼大妃の肩に手を置いた。


「女にはわからないかもしれないが、男の子にはよくあることだ。大きくなれば母の元を離れて冒険して

みたくなることもある。あれは不幸な事故だ。もちろん天弥王子付きだった侍女と舎人(とねり)には死を与えて責任をとらせた」


 行呼大妃は首を横にふり、泣き腫らした目で空を睨んでいる。


「……あの子は誰かに殺されたのではないかしら?」


「行呼!」


 田水大臣はそろえた指先で軽く行呼大妃の頬を打った。行呼大妃は打たれた頬を押さえて兄を見上げた。


「豊則お兄様……」


「滅多なことを云うのではない! 天弥王子の遺体にも周囲の状況にも不審な点はなかった。天弥王子は一人で侍女や舎人の目を盗んで王宮を抜け出し、冒険心であの石材の山に登ったものの、怖くなって下りる途中で足を滑らせて落ちたのだ。本当に誰かが天弥王子を殺したなら、なぜわざわざ王宮と天の神殿の間まで連れ出したのだ? あそこは近くに王宮から天の神殿へ続く道がある他は何もない。一面の草原しかない。もし近くを誰かが通ればすぐに見つかってしまうだろう。第一、誰が天弥王子を殺して得をするのだ?」


 苦々しそうに口もとを歪めて行呼大妃は答えた。


「……建成だわ。あの子、私や豊則お兄様が自分を退位させて天弥を次の王に立てようとしていたことを知っているのよ」


「馬鹿な! あの頭の弱い子供に……あ、いや、君の産んだ建成王が父も母も同じくした幼い弟に、そんな恐ろしいことをするはずがないだろう。二度とそのようなことは口にするな。すでに君が侍女にそれを口走ったせいで、君が我が子を疑っているとの噂が広がっているのだ。落ち着いて状況を理解してくれ。もう建成王を病弱だからと云って退位させられる状況じゃない。我が田水家に縁の深い王家の男子は一人になったのだ。君の王母と云う高い地位も、田水家の権力も、建成王の存在にかかっている。君は建成王と親子本来のよい関係を取り戻せ」


「そんな……今更建成と仲良くしなくてはならないなんて……」


 行呼大妃はうなだれた。








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