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無力の王  作者: 言代ねむ
1/9

1《血溜まりに片足を浸した王子は》

 それは日下国(ひしたこく)の第四十八代大波和王(おおはわおう)の葬儀の最中に起こった。

 王の遺体を乗せた台の後ろで、魂鎮めの祈りを捧げていた三人の巫女と二人の神官の動きが止まった。

 白い垂れ幕で囲んだ葬儀場に整列して、王の遺体に向かって礼をしていた多くの臣下がいっせいに顔を上げた。

 辺りは静まりかえり、葬儀に参加したすべての人間は驚愕の眼差しで王の遺体の御前の二人を見つめた。

 そこで亡き大波和王の第一妃である行呼妃(ゆきこひ)が、十一歳になる我が子、建成王子(たけなりおうじ)の顔を容赦なくひっぱたいたのである。

 建成王子は吹っ飛んで地面を一回転したが、やがてゆっくりと上半身を起こし、虚ろな黒い目で鬼のような表情で涙を流している母親を見上げた。

 ヒステリックな行呼妃の叫びが空に響いた。


「なんて子供なの!! 自分の父上が亡くなられたと云うのに一粒の涙も見せないなんて!!」


 行呼妃の後ろで建成王子の弟である九歳の天弥王子(てんやおうじ)が、火のついたように泣き出した。


「ほら見なさい、天弥はこんなに泣いているわ!! どうしてあなたは泣かないの!!」


 だが建成王子は何も云い返さない。行呼妃の顔は一層険しくなり、倒れている建成王子の胸ぐらを掴んで右手を空高くふり上げて叫んだ。


「泣きなさい!!」


 男でも顔を背けたくなるような鋭い音がした。


「泣きなさいっ!!」


 返す手で反対側の頬にもう一度。

 突然の事態にあぜんとして、その場にいた誰もが動くことが出来なかった。ましてや臣下にとっては止めるべき相手が、手を触れることも許されない王妃だった人である。

 行呼妃や二人の王子に付き添っていた侍女達もいたが、行呼妃の激しい怒りに脅えて声も出ない。


「あなたの父上が亡くなられたのよ!! 泣けと云っているでしょう!!」


 力なく後ろに垂れた十一歳の子供の顔は、母親のふり下ろす手の動きに合わせ、右を向き、左を向く。

 建成王子の両頬は真っ赤になったが、その瞳の中では周囲の何物も形を成していない。


「そう……あなたは泣かないの。大波和王が亡くなられたのが悲しくないのね。この母と弟が胸が張り裂けんばかりに悲しんでいると云うのに、あなたはちっとも悲しくないのね。……もういいわ。私が死ぬときも、天弥が死ぬときも、ずっとそうしていらっしゃい。でも、肉親が死んでも悲しまないのは人間じゃない!!」


 行呼妃が手をふり上げる。侍女達は服の袖で目を隠す。顔を背けた臣下達の視界の端を赤い色が横切る。

 そして同じ場所から今まで以上に大きな音が響いた。


 バンッ!! 


 板戸を叩き割るような激しい音と共に倒れたのは行呼妃だった。上等な白い絹の喪服が地面を滑り、天弥王子が悲鳴を上げて母親に走りよった。

 顔を背けた者も、目を隠した者も、異変に気づいて視線を戻した。

 行呼妃と建成王子の間に立ちはだかっている者がいる。結われていた長く艶やかな黒髪を乱し、まぶしいほど白い上着の袖を風になびかせ、足首まで届く赤いスカートに濃い色の皺を作って行呼妃に向けて一歩踏み出している。王の遺体の後ろより進み出て行呼妃の頬を打ったのは、青い目に強い意思を宿した一人の若い巫女だった。

 若いがただの巫女ではない。幼さを神を呼ぶ力の一つと考えるこの日下国では、高位の巫女は全員が十代の少女である。特に葬儀の始まりと同時に王の遺体の後ろに立ち、魂鎮めの祈りを捧げていた三人の巫女は、日下国の一位から三位の巫女であった。

 その額に確かな印がある。一位から三位の巫女は位を受けたときに、その額に赤い色で大きく菊の花のような印を入れ墨することが決まっている。三位の巫女は花弁を上下に二枚。二位は上下左右で四枚。最高位は上下左右の四枚の間に、さらに小さい四枚の花弁が入る。

 行呼妃と建成王子の間に立ちはだかる巫女の額には、目の上でそろえられた前髪に少々隠れながらも、上下四枚の花弁が確認された。二位巫女である。

 二位巫女は背後に倒れている建成王子に心配げな視線を投げかけると、すぐに駆けより服を汚すことを躊躇せず傍らに膝をつき、小さな体を抱き上げた。建成王子の頬は腫れ上がり、唇は切れ、二つに分けて左右の耳の上で束ねられていた黒髪の片方は解けていた。

 しかし建成王子の顔には何の表情もない。

 内出血して赤く変色した指を震わせその頬に触れた二位巫女は、侍女の手を借りて体を起こす行呼妃を睨つけた。


「あなたは抵抗できない我が子を殴って、我が子の心を砕いて、それで満足ですか!! 我が子を悪者にするとは酷すぎます!!」


「お止めなさいっ、二位巫女!」


 王の遺体の後ろから顔を青くした金髪の美少女、額に八枚の花弁を開かせた一位巫女が叱りつけた。


「早く建成(たけなり)から離れ、行呼(ゆきこ)様にお詫びしなさい!」


 二位巫女は一位巫女を一瞥した。


「一位巫女の命令でもそれはきけません」


「いけません! 行呼様にお詫びしなさい!」


 二位巫女はもう一位巫女を見ない。

 地面に座り込んだ行呼妃は頬を押さえ、怒りで顔を真っ赤にさせていた。


「無レヒな……巫女ごとヒが」


 頬を力一杯殴られたせいか、口に出した言葉は音が変わっていた。

 二位巫女は行呼妃を見据えている。

 一位巫女がハッとして行呼妃に向かって叫ぼうとするが間に合わない。


「行呼様、お待ち……っ」


「あの者ホ捕らヘよ!!」


 その場に居合わせた一同に動揺が走った。葬儀場内に配置されていた衛兵が集まり、二位巫女を囲む。


「二位巫女様、失礼致します」


 衛兵達は二位巫女の両腕を捕らえて建成王子から引き離す。


「巫女のわたくしに触れるでない! この手をお離しっ!」


 ざわめく葬儀場で二位巫女の叫びがむなしく響く。


「二位巫女……っ」


 見かねた一位巫女が行呼の前に飛び出した。


「行呼様、二位巫女には天の神殿にて我が罰を与えますので、どうか、どうか彼女をお許し下さい」


「黙りなさヒ一位巫女! このわたヒに手を上ヘるなんて許されるものでワないわ! そう……殺してしまヒなさい! ここで!」


 行呼妃はまっすぐに腕を伸ばし衛兵に捕らえられた二位巫女を指さす。

 一位巫女が悲鳴のように行呼妃の名を呼び、葬儀場はさらに大きくざわめいた。

 衛兵達は互いの顔を見合わせて躊躇していたが、その内の一人が意を決して剣を抜いた。

 目を見張った二位巫女が自分を捕らえる手を払い、必死の形相で衛兵の中を飛び出して、引き離されたときのままぼんやり座っている建成王子に向かって走り出す。

 剣を抜いた衛兵がそれを追いかける。

 建成王子の横で二位巫女は背後から背中を斜めに切られた。

 侍女達の悲鳴が上がる。

 倒れた二位巫女の鮮血が建成王子の髪に降りかかる。黒髪にまぎれて消えたように見えた血は、すぐに前髪を伝い落ちて青白いこめかみから目尻へ流れた。

 背中をスカートと同じくらい真っ赤にして起き上がろうとした二位巫女の胸から、剣の切っ先が飛び出す。渋面を作った衛兵がそのほっそりした背中から剣を引き抜くと、血が噴き出し、二位巫女はもう動かなかった。


 建成王子を気づかって様子を窺った衛兵が顔をしかめた。


 鉄錆臭い血溜まりに片足を浸した建成王子は、息絶えた巫女の体をいまだに虚ろな目で見下ろしていた。








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