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第九話 アンデッドの夜 -2-

 門が閉じられる大きな音が中庭に響いた。兵士が閂をかけ、振り返る。


「きっとアンタたちで最後だな。あとは応援が来るまで待つしかない」


「街でなにが起こってるのか知ってるか?」

 ハキムは尋ねたが、兵士はかぶりを振った。


「分からない。いきなり襲われて、何人かとここに来るのが精一杯だった。怪我は?」


 ハキムたちは互いに顔を見合わせた。少なくとも、動けなくなるような傷を負っている者はいない。


「すまんが、水をくれ」

 ドウルがどっかりと地面に腰を下ろして、心底疲れたという風に言った。


「ああ、なら中に行って誰かを見つけてくれ。俺はここで見張りを続けないと」


 門を開けてくれた兵士に礼を言い、ハキムたちは静まり返った中庭を進んだ。避難民でごった返しているかもしれない、と想像していたが、中にいる人間は思いのほか少ないようだった。


「ドウル、本当に怪我はないのですか?」


 ハキムの隣で、少女が声を発した。彼女はフードを取り、ドウルに心配そうな目線を向けた。気品ある線の細い顔はまだ恐怖で青ざめていたが、精一杯気丈に振舞おうとしているように見えた。以前ドウルが口走っていた、姫という人物に違いない。


「お気遣い痛み入りますが、これしきのことでへたばる吾輩ではありませぬ」


 ドウルも強気に笑って見せているが、消耗しているのは明らかだった。ひとまずは休息が必要だ。城館の入口まで行くとまた見張りの兵士がいて、神経質な口調でハキムたちを誰何した。


「学院の者です。東の前線の様子を伝えに来ました。必要があれば、ベルカに確認するといいでしょう。まだ生きていればですが」


 メサ導師が毅然とした態度で答えた。兵は一瞬戸惑った様子を見せたが、それ以上問いを重ねることなく、扉を開いて屋内に入ることを許可した。


 城館の玄関ホールには、近隣から避難してきたと思われる、数十人の市民が息をひそめ、肩を寄せ合っていた。ランプの灯で照らされた不安げな顔が、一斉にハキムたちの方を向いた。


 敵ではなく、また状況を打破してくれるだけの味方でもないことが分かると、彼らはすぐ目を伏せ、落ち着かない沈黙状態に戻った。


「確かこっちに厨房があったはず」


 リズの先導で、一行はひとまず水にありついた。蓄えが潤沢というわけではないが、何日も籠城するのでないかぎり、渇きに悩まされることはないだろう。


 それからハキムたちは人気のない一角を見つけ、腰を落ち着けた。メサ導師は学院の人間と話してくる、と言ってその場を離れ、リズもそれに従った。


 互いの顔もよく見えないような暗闇で、ハキムたちは頭を突き合わせる。


「まず、ハキム、トーヤ、例を言わせてもらおう。先程は強がって見せたが、お主らがいなければ、吾輩も姫も危うかっただろう」


「まあ、行きがかり上な。そっちのは、やっぱりキエスの王族なのか」


 ドウルは一旦少女を見て逡巡したが、今更隠しても仕方がないと思ったのか、ハキムの言葉を認めた。


「いかにもこの方は、キエス王のご息女であらせられる」


「エシカと申します。先程は助けていただいてありがとうございました」

「ああ」


「そして吾輩はキエス王より、姫をお守りする使命を賜った者」


 ドウルの口調からは、彼が与えられた任務にこれ以上なく誇りを持っているのが分かった。もっともそういう人物でなければ、アンデッドの群に一歩も退くことなく剣を振るうことは難しかっただろう。


「やはりキエスはもう、完全にオヴェリウスの手に?」

 トーヤが尋ねると、エシカとドウルが小さく息を呑んだ。


「ええ。父と二人の兄は何者かによって殺されました。私にも刺客が差し向けられましたが、ここにいるドウルと、数人の近衛によって、なんとか王城を脱出することができたのです」


「首都テトンを出て、秘密の間道を通り、ポート公国の領に出てきたはよかったが、その過程で三人が落伍したのだ。しかも先程、もう一人……」


 二人が悲痛な様子で顔をうつむけたのが分かった。ドウルが先日ハキムたちに酔わされたことは秘密にしておこう。そのときには少なくとももう一人の仲間がいて、姫を任せることができたのだ。しかし残念ながら、その人間は先程犠牲になってしまったようだ。


「ここの領主を信用して、もっと大胆に動くべきであったわ」

「後悔したところでどうにもなんねえよ。実際、この中にも裏切り者がいたわけだしな」


 ハキムは先程から持ったままだった短槍の石突で床を叩く。


「それで、アンタらはこれからどうするつもりなんだ?」

「どう、とは?」

「心中する気じゃないんだろ?」


「ああ、ああ。そうだ。ここの領主に根回しをして、ポート公国に正式に保護してもらうつもりだったのだ」


「けど、カラマスも陥ちるかもしれないぜ」

「そうなれば、南のハートラッドを目指してグランゾールに入ろうと思っておる」


 そのとき、軽い靴音とランタンの灯を伴って、メサ導師が戻ってきた。背後にはリズと老婆――カラマス到着の日に会ったベルカ導師の姿もある。


「事態を説明しましょう」

 メサ導師が言った。


「領主は既に西へと逃れました。少数の同朋もそれに従っています。数人が殺され、残るはこのベルカと、ほかには二人だけ」


「無責任な連中だ」

 ハキムは毒づいた。ベルカ導師が不快そうに顔を歪めるのが分かった。


「責めても仕様がありません。戦える魔術師ばかりでもありませんから」

「夜の火があるだろ」


「それについては、リズから簡単に教えてもらいましたが、どちらにせよ敵と相対するためには勇敢さが必要です。それから、街の北方にある兵舎には半刻前に馬を送っていますが、まだ戻りません。朝まで救援は期待できませんね」


「この中にはどれくらいの兵がいるんです?」

 トーヤが尋ねる。


「数十というところでしょう。避難民はほぼ戦力になりません。扉を押さえるくらいがせいぜい」

「どれだけ少なかろうと、やるしかない。降伏したところで無駄だろうしな。バアさん。アンタも、今更秘儀書がどうこうとは言わないだろうな?」


 ハキムはベルカ導師に声をかけた。


「オヴェリウスの手勢に奪われるよりはましと考えましょう」


 態度は相変わらず冷淡だったが、この非常時に協力を拒むほど、彼女は頑迷な人物ではないようだった。


「なら、こっちからも一つ提供するものがある。正直、俺には利用の仕方が分からん」



 ハキムたちは場所を城館の北側にある一室に移した。そこはカラマスに着いたとき、ベルカ導師と面会した部屋だった。城館の外に蠢いているであろう悪意に神経を尖らせながら、テーブルの中央に燭台を置き、思い思いの席に腰かける。


 ベルカ導師は既にクィンズの裏切りを知っていた。どのような手段によってか、城館内には既に数体のアンデッドと暗殺者が侵入していた。撃退には成功したが、戦闘によって数名の魔術師と兵士が死傷した。


 ハキムはエシカの許可を得て、彼女らの素性を話した。それからクィンズがこちらに接触してきたこと、星渦の玻璃球についても伝えた。


「これだ」

 荷物から玻璃球を取り出し、テーブルの上に置く。


「聞いてるんだろ? 出てこいよ、ウェルテア」


 焦らすような数呼吸分の沈黙があった。しかしハキムは、ウェルテアが出現することを確信していた。果たして玻璃球はその内に宿した星の渦を明滅させ、再び青白い光を放ち始めた。球の外に流れ出した光は文字となり、テーブルの上に悠然とあぐらをかく女性の輪郭を形作った。


『呼んだか、ハキム』

 月光色の瞳が、きらりと瞬いた。


「ああ。ちょっとは落ち着いて話ができそうになったからな」


 そう言いながら、ハキムはメサ導師とベルカ導師の顔色を窺った。二人とも、あまり感情を表に出すタイプではなさそうだが、それでも思わずにじみ出るものが見て取れた。


「これが幻術でないのだとしたら、大層なものですね」


 普段、全てを知ったような口ぶりで話すメサ導師がこのような態度を取るのは珍しいことだった。声色には微かな興奮と、多分の戸惑いとが含まれていた。


「魔術師たちにとって、アークは遥か遠い場所の概念になったと思っていました。その一端に触れるだけでも、人生を賭けるに値するものだと」


『以前はおそらく、そうではなかった』

 ウェルテアは面白がるように、テーブルの上に身を横たえ、首を巡らせてメサ導師を見た。


『色々と聞きたそうであるな? 今を生きる者たちよ。しかし質問攻めは好かんし、その時間もなかろう。質問は少なくせよ』

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