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第八話 アンデッドの夜 -1-


「街にはもうアンデッドが入り込んでいるようです。おそらくはクィンズの手引きで」

「出会い頭に殴っとくべきだったな」


 クィンズの裏切りを事前に看破することはできなかったが、ハキムはどこかのタイミングで、あの余裕ぶった顔を叩き潰してやろうと決意した。しかし今は状況を把握しなければ。


 外では散発的に騒ぎが起こっている。ほかの宿泊客も異変に気づいたようで、周囲の部屋から囁き声や足音が聞こえはじめた。ハキムたちは混乱に巻き込まれる前に急いで荷物をまとめ、宿から飛び出す。


 満月の光に照らされた、深夜のカラマス旧市街。本来ならば市井の人々は灯りを落として寝静まり、泥棒を除けば起きてなにかをするような時間ではない。しかし今は死と暴力の臭いを孕んだ気配が、不穏な速度で街路を走っていた。


 なにが起こっている? それを正確に知るカラマス市民は、この時点でおそらく皆無だっただろう。都市を攻めるのに必要な人数が移動すれば、当然どこからか情報は洩れる。対策ができれば、さほどの混乱は起こらない。


 しかしメサ導師によれば、街に入り込んでいるのはアンデッド。ヤツらは食事もしなければ、移動に灯りも必要としない。武器を用いずとも容易に人を殺すことができ、その異形は見る者に強い恐怖と動揺を与える。


 この怪物たちは、一体どこから湧いて出たのか。情報が乏しい中、パニックは野火のように広がる。


 組織された部隊を相手に白昼の決戦を挑み、最大の成果を上げることはできなくとも、寝静まった拠点を襲って混乱させるのに、アンデッドは極めて有用だ。それはハキムたちもネウェルの地で嫌というほど経験した。


 もちろん、手引きがなければアンデッドの材料を運び込むことも、作ることも難しい。しかし、実際にそれはクィンズの手によって為されてしまった。


 つまるところカラマスの領主や伝統派の魔術師たちは、東方に展開し、実際に刃を交えているオヴェリウスの尖兵たちに注意を向けるあまり、見えない部分で影響を及ぼしていた彼の政治力や狡猾な戦略への対策を欠いていたのだ。


 とはいえ、今更その怠慢を責めてどうなるものでもない。ハキムは周囲の気配を探りながらも、ここ数日で把握したカラマスの地理を頭の中で展開した。


 ハキムたちがいる場所から東に行けば新旧の市街を隔てる門があり、西に進めば代官の城館がある。大規模な兵舎は旧市街の北に一つ、そこから城壁を隔てた新市街に一つ。


「騒ぎは東からだ」

 ハキムは風に乗ってきた音や煙のにおいを捉え、そう見当をつけた。


 旧市街においても、いくつかの建物から火が上がっているようだった。アンデッドの跋扈以外にも、人間による破壊工作がおこなわれているのだろう。街路で襲われた者は、火災で焼け出された人々なのかもしれない。


「兵力は城館に集まるはずだ。僕らもそこに行った方がいい」


「でもクィンズが裏切ったなら、城館にも敵がいるんじゃ?」


「だったらなおさら行った方がいいだろ。味方の魔術師が全滅したら、夜の火を知ってる人間はお前だけになるぞ、リズ」


 そう言って、ハキムは夜の街路を進みはじめた。今日が満月だったのは幸いだ。肩を並べるリズが指先に小さな火を灯して全員の足元を照らすと、急いで行くのにも大して困らなくなった。


 旧市街の道は入り組んでいる。門から大きな通りを進む場合、城館に辿り着くまでに、必ず二回以上は角を曲がる必要があった。おそらくは戦乱の時代に造られた名残で、敵が町の中心部へと容易に到達できないような工夫なのだろう。


 しかしバラバラの敵が大した統制もなく動き回っている場合、この構造は掃討を困難にする。迅速に味方兵力を集中させる時間も、若干ながら伸びることになる。敵もおそらく都市の特性を知った上で、この襲撃を仕掛けているに違いなかった。


 散発的な悲鳴のほか、閉め切られた家屋から漏れる不安そうな囁き声、子どものすすり泣く声が聞こえる。住民たちは夜明けまでの三刻あまりを、ひどく怯えながら過ごすことになるだろう。


 駆けるハキムたちの前方、突然暗い横道からなにかが飛び出してきた。立ち止まり、腰の短剣を抜く。


 人か、アンデッドか、二足で立つ影は、手に持った長い棒を振り回して一行を牽制した。その怯えたような動きは人間のそれだ。


「に、人間じゃないか、脅かさないでくれ」

 青ざめた男の顔が、リズの灯りで浮かび上がった。


 ハキムは舌打ちして、再び城館を目指す。広い通りでさえこうだ。もっと狭く入り組んだ場所では、同士討ちさえ発生しているだろう。ハキムにしたところで、味方と一緒でなければ、人影の正体を見極めずに攻撃を仕掛けていたかもしれない。


 進むにつれ、道に転がるアンデッドの残骸や、燃えさしの松明などが目に入るようになった。それは既にこのあたりで、小規模ながら戦闘が発生したことを示していた。首や四肢を折られたり、強い力で殴られたりした死体も少なからずあった。


「ぉぉぉおおおおおお!」


 ハキムたちが城館前の広場に至ろうというとき、道の先から野太い咆哮と、肉の潰れるような音が響いた。先頭のハキムは一旦足を止めて建物に身を寄せ、様子を窺った。


 満月の光と、城館から漏れるわずかな灯りと、落ちた松明とが、広場を不穏に照らしていた。辺り一帯に漂う煙と血と臓物の臭いは、今まで通ってきた道とは比べ物にならないほど濃く、ハキムに死と暴力を強く予感させた。


 そこではどうやら一人の男が身の丈ほどもある大剣を振るい、迫るアンデッドと戦っているようだった。肉の潰れるような音は、彼の武器が刃の切れ味によってではなく、膂力と重量によって敵を叩き斬る種類のものであることを示していた。


「あのままだとまずい」


 ハキムの背後から様子を見ていたトーヤが、広場に踏み出した。男を救うつもりなのだ。彼がそうすることはもはや分かっていたので、ハキムも深く考えることなく、続いて広場に躍り出る。


「リズ、師匠、援護!」


 広場の地面には思いのほか障害が多かった。半分はアンデッドの残骸、もう半分は人間の死体だ。おそらく彼らも避難のため城館に向かい、あるいはその避難者を守ろうとして、集まったアンデッドの犠牲になったのだろう。


 ハキムは死んだ兵士が握っていた短い槍を拾い、穂先に刺さっていたアンデッドの腕を引き抜いて自らの得物とした。


 そうしている間にトーヤが広場を横切り、蠢く群に斬り込んだ。白刃が月光に煌めくと、次の瞬間、胴体を離れた四肢が空中に舞う。腐った血がその断面から撒かれ、漂う死の臭いを一層濃くした。


 遅れたハキムも槍を振り回しながら、トーヤの背後が脅かされないよう立ち回った。肉薄したアンデッドの喉を突き刺し、胴体を蹴倒して刃を引き抜く。


 奮闘の甲斐もあり、はじめ十数体いたと思われるアンデッドはすぐにその数を減らしていった。


 その乱戦の中、ハキムは大剣を振るう男の背後に、地面にへたり込んだ格好でいる、フードを被った小柄な人物の姿を見た。負傷しているのかどうかまでは分からないが、少なくともまだ生きているようだ。


 なるほど。男がとっとと逃げてしまわないのは、この人物を護るためか。自分たちが来なければ危うかったが、どうやらその目的は果たせそうだ。


 斃されたアンデッドが累々と重なり、残るは二体となった。長い間大剣を振るっていたらしい男は、もはや息も絶え絶えである。そこに躍りかかろうとした一体の胴をハキムが突き、トーヤが首を刎ねた。


「ぬうぅぅえい!」


 男が最後の一息を吐き切って、残る一体に大剣を振り下ろした。熟れすぎた果実にナイフを入れたときのように、アンデッドは脳天から派手にひしゃげて肉塊となった。


「ぜぇー……、ぜぇー……。ようやっと、片付きおったわ……」


 少々余裕を取り戻してから見ると、男の姿には覚えがあった。先日街中で出会い、しこたま酔わせて情報を吐き出させた騎士だ。確かドウルという名前だった。


 こんなところでなにをしているのか尋ねようとしたところで、ハキムは周囲の闇がどろっとした質量を持ったことに気がついた。


 月光に照らされて、巨大などろどろの表面がわずかにぬらつく。


「ルトゥムだ!」


 ハキムは鋭く警告した。人型のアンデッドに気を取られて、忍び寄る危険な存在を察知するのが遅れた。


 いくつもの偽足が素早く伸びて、ハキムの手足に絡みついた。苦し紛れに槍を突き出すが、その穂先は輪郭の不確かな実体に呑み込まれるだけだった。核となる人骨を破壊すればルトゥムを倒すことができる。しかしこう暗くては、その位置を判別するのも容易でない。


 ルトゥムが体を伸びあがらせ、大波のようにハキムたちを押し潰そうとしたとき、その突端の一つに小さな火が灯った。


 夜の闇に灯る青白い火は、アンデッドに巡るエーテルを燃料として、瞬く間にルトゥムの全身を覆った。リズの放った魔術が命中し、狙った通りの効果を挙げたのだ。


 夜の火が偽足に燃え移ると、それは急速に力を失ってハキムを解放した。どろりとした実体が溶け落ちて、核となる人骨を露出させる。柔らかく揺らめく火に照らされた頭蓋骨は、まるで表情を作るように動いて見えた。ハキムはそれを狙い、手に持った短槍を投げつけた。


 バキン、と音がして骨が砕ける。放っておいても斃せたかもしれないが、これによってルトゥムは完全に沈黙した。こちらの無事を確認したリズとメサ導師がこちらに走ってくる。


「おいアンタら、早く入れ!」


 城館の門がわずかに開かれ、中から松明を持った兵士が手招きしていた。ひとまず、話は落ち着いてからでもいいだろう。


 トーヤがドウルに肩を貸し、ハキムはへたり込んでいた人物に手を貸す。差し出した手が握られたとき、ハキムはそれが少女であることに気づいた。フードの奥で、恐怖に染まった瞳が小刻みに揺れている。


「しっかりしろ、行くぞ」


 乱暴に手を引き、叱咤する。なんとか立ち上がった少女の腕を掴み、リズと導師に背後を護られながら、ハキムは門の内側に飛び込んだ。 

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