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第七話 交易都市カラマス -4-

「あんたみたいな人間に覚えはないな」


 玻璃球から突如現れた女に対して、ハキムは言った。内心は動揺していたが、それを悟られたくはなかった。一体この人物は誰なのか。レザリアでは数えきれない人間を見たが、その中に白銀の髪を持つ女などいなかった。


『この瞳もか?』

 女は窓際にいるハキムに歩み寄り、顔を近づける。


「……」


『混沌、原初、渦、運命、因果、様々な名はあれど、かつて我をウェルテアと呼んだ人間はいた』


「ああ」


 ハキムの脳裏に、同じ満月の晩にあったことが思い起こされた。ヘザーとその手下に攫われたリズを奪還したあの夜。


「お前、あのときの娼婦か」


 ウェルテアはそれを肯定するように微笑んだ。


「ハキム、知ってるのか?」


「アルムで似た雰囲気の女を見た。そのときは世話話をしただけだ。……色々と聞きたいことはあるが、まずは――」


「あなたは魔術師じゃない。人間でもない」


 リズが言った。彼女はこういった超常現象への順応が早い。


「けど、オヴェリウスの時代を知ってる。いえ、世界のはじまりから在ることわり。学院の魔術師たちがアークと呼ぶ存在。そうでしょう?」


 彼女の声には、抑えようとしてもなお湧き出す好奇と興奮があった。しかし魔術師が日々追求する魔道の深奥に触れているのだとしたら、それも無理からぬことなのかもしれない。


『そのような理解でも構わない』


「こんなにはっきりとした形で顕現するのを見たのははじめて。でも、なんで今になって? 玻璃球を通して、ずっと私たちの存在は知っていたんでしょう?」


『知っていたとも。今は、危機を伝えにきたのだ』


「危機?」

 トーヤが聞き返した。彼は抜き身の刀を手に持ったまま、背後の扉にちらりと目を遣った。


「襲撃があると?」

『ああ。おそらく、汝らの想像を超える規模でな』


「毎度毎度の忠告は感謝するが、あんたはなんの目的があって――」


 ウェルテアはハキムの質問に答えず、口元に手をやって沈黙のジェスチャーを作り、身体を光る古代語に分解させて消えてしまった。


「俺の話を聞けよ……」


 ハキムは舌打ちするが、すぐさま気を取り直して、辺りの気配に耳を澄ませた。


 多くの者が寝静まった深夜。宿の階段を上がり、廊下を進む足音が一つ。その慎重でしっかりとした足取りは、これから寝床に向かう酔客という風ではない。

足音の主はハキムたちがいる部屋の前で止まり、控えめに扉を叩いた。


「クィンズだ。起きてるか?」

 部屋の外で、若い男の声が言った。


「ビックリさせんな。なんの用だ」

「少し話がしたい。ここには僕一人だ」


 トーヤがハキムの方を見た。扉を開けて招くそぶりを見せてから、いきなり斬りかかることもできる。しかしハキムは、まず様子を見ようと手振りで示し、扉を開いた。


「ありがとう」


 クィンズはハキムがはじめて出会ったときと同じ、紺色のローブを纏っていた。ランプも持たずに来たらしい彼の衣服は闇に溶け、顔だけがぼうっと浮かび上がっているように見えた。表情は少しだけ強張っている。


「金貨一万枚、払う気になったのか」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 クィンズの視線が室内を走り、ベッドの上に置いた玻璃球に留まった。


 迂闊だったとハキムは後悔したが、今更隠そうとしても遅かった。


「なるほど、それが星渦の玻璃球か」


「それがどうした? これはネウェルより前の冒険で手に入れたもんだ。秘儀書と直接の関係はないぜ」


「レザリアだろう? なら、無関係とは言えないね」


「交渉ってのはそのことか」


「うん。秘儀書と玻璃球を渡してほしい」


「それを交渉とは言わない。いいから金貨を持ってこい。……それともアレか? 力づくってヤツか?」


「なるべくならそれは避けたいんだ」


「クィンズ。あんたどういうつもり?」


 リズが多分に怒気を孕んだ声で質した。返答次第では焼き焦がすぞ、という意思が込められているように思えた。


「どうしてそういう自明のことを聞くんだ? リズ。いいかい、秘儀書も玻璃球も、君たちが持つにはあまりに重大な品物なんだよ。金貨一万枚は無理としても、今のうちに手放しておけば、色々と便宜を図ってあげられる。話がこじれてからじゃ遅いんだ」


 クィンズがこのような手段に出られるのも、伝統派の後ろ盾があってこそだ。彼は一人で来たと言ったが、多分宿の周りは味方で固めているだろう。


 ただそれを考慮に入れても、クィンズの態度にはどこか違和感があった。殺気立った三人を前にしてなお、自分は傷つくことがないだろうという見込みを持っているようだった。


「俺たちが嫌だと言ったら?」

「もちろん、言うのは自由だ」


「こっちは宿ごとお前を焼くこともできるんだぜ」

「試してみればいい。その覚悟があるならね」


 大した自信だった。そのどこまでがはったりで、どこまでが真実なのだろうか。


 クィンズに貼りついた余裕の仮面がわずかにひび割れたのは、ハキムたちとはまったく別の足音が、廊下の向こうから聞こえてきたときだった。


「驚いた。……なぜあなたがここにいるんです?」


 足音に対して、クィンズが尋ねた。彼は部屋の中でハキムたちに目を向けている。扉も閉じているので、廊下を歩くのが何者なのかは知りようがないはずだ。しかしその言葉の様子からして、クィンズは明らかに足音の正体について確信を持っているようだった。


 足音の主は誰何すいかも意に介することなく、扉に手をかけた。隙間から滑り込んできたのは、闇に溶ける黒いローブを纏ったメサ導師だった。蝋燭の灯で照らされたその表情は冷たく、死人のようにも見えた。


「聞きたいのは私の方ですよ、クィンズ。あなたがいながら、なぜこんなことになっているのか」


「師匠。部下の躾はちゃんとしてくれよ」


 メサ導師が突然現れたことには、ハキムも内心驚いていた。しかしここは努めて冷静な態度を保ち、クィンズに圧力をかける。


「詫びと説明はあとでしましょう。クィンズ、隠しても無駄ですよ。ほかの造反者はどこにいるのか、答えなさい」


 メサ導師の影が伸び、黒い蛇となってクィンズの脚に絡みつきはじめる。


「答えても構いませんけどね。知ったところでもうあまり意味はないと思いますよ」


 強力な魔術に捉えられてなお、クィンズは落ち着きを失わなかった。その手が懐に伸び、金属質のなにかを取り出すのを見た。投げナイフかと警戒したが、どうやらそうではない。


 クィンズが何事かを小さく唱えると、そのシルエットがどろりと崩れた。その金髪も、気取った顔も、細い手足も、紺色のローブも、全てが水っぽい泥のようになって、床にべしゃりと音を立てて落ちた。


 それとは別に、硬いなにかが床にぶつかる。ハキムはこれと同じような消え方を、レザリアで目にしたことがあった。


「逃げやがったな、クソ野郎」


 メサ導師はクィンズがいた場所にしゃがみ込み、キューブ状のなにかを拾い上げた。それを一瞥したあと、ハキムに投げて寄越す。


 蝋燭の灯を鈍く反射する黄金の正六面体キューブ。そのうち四面に刻まれているのは、土、水、風、火、そしてエーテルの五元素を示す花弁のようなシンボルだ。残る二面には、古代文字で書かれた文章が見て取れた。かつて読んだことのあるそれの意味が、ぱっと脳裏に浮かぶ。


〈皇帝オヴェリウスの偉業を讃えよ。一千年続くレザリアの繁栄を讃えよ〉


 ハキムは眉をひそめて、それをリズに放る。


「わっ」


 受け取ったリズも、クィンズがこのキューブを所持していた意味を悟ったようだ。トーヤと目配せして、頷き合う。


「彼は復活派と通じていたんですね」


「〝遠窓〟のクィンズ。有望な魔術師でしたが、残念です。しかし、悲しんでいる暇はありません」


「と、言うと?」


 トーヤが意図を尋ねたとき、宿の外で悲鳴が響いた。


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