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第六話 交易都市カラマス -3-

 ドウルは世慣れぬ人物のようだったので、ハキムは先程の若者たちとはまた別の意味で、彼を丸め込んでしまうことにした。


 近くの酒場に連れ込んで、遠慮はするなと高い酒を勧める。はじめは固辞していたドウルだったが、どうやら酒好きの上、近頃はほとんど飲んでいなかったようだ。そのうち彼は自制の鎧を脱ぎ捨て、蜂蜜酒で満たされた杯に手を伸ばした。


 やがてドウルの大きな身体はたっぷり桶一杯分の酒精を吸収した。そのころになると、彼の舌もかなり滑らかになっていた。


「そうか、二人ともネウェルの地を越えてきたのか! それは難儀な旅だったな!」


 彼は髭を震わせて愉快そうに笑う。その姿はいかにも好漢といった風で、先程までの厳めしい雰囲気はすっかり酒に溶けてしまっていた。


「こんなこと言うと気分を害するかもしれないけどな、キエスの兵ども、相当好き勝手やってくれたぜ。守り人の住処が滅茶苦茶だ」


「ふーむ。それは非道い。キエス王より騎士の位を賜った身として、謝罪せねばな。しかし吾輩、誓ってもいいが、ネウェル侵攻には指先ほども関わっておらん。陛下とても、それは本意ではなかろう」


「アンタ、騎士だったのか?」


 ハキムは空いた杯を給仕に返し、また新しい酒を持ってこさせる。


「いかにも。しかしやんごとなき事情により、今はこちらに逃れているというわけよ。実に理不尽な事情だ。まったく腹立たしい」


「なんだよ。言えよ」

「ぬう。そればかりは言えぬ。騎士ドウル、腹を裂かれても言えぬ」


 ドウルは充血した眼をテーブルに落とし、勢いよく頭を振った。体格と力のせいで、テーブルと食器がガタガタと揺れた。


 ハキムはそろそろ頃合いと見て、かねてから持っていた手札を切った。


「どうせオヴェリウスが関わってんだろ?」

「オヴェリウス! 貴様、その名をどこで聞いた!」


 がばりと顔を上げたドウルが、ハキムの頭を掴んで激しく揺さぶった。


「ああああああ」


「ドウルさん。酔い過ぎ、酔い過ぎ」

 トーヤがドウルの腕を掴んで止める。


彼奴きゃつこそすべての元凶……! 吾輩の目の前に現れたあかつきには、その背骨へし折ってくれるわ!」


 客たちの注目を一身に浴びながらドウルは咆哮し、勢いよく立ち上がる。


「こうしてはおれぬ! 姫、今参りますぞ!」


 唐突に駆け出したドウルは、ハキムたちが止める間もなく、テーブルと椅子を跳ね飛ばし、扉の横の壁に衝突してから、よろよろと屋外に出ていった。


「マジかよあいつ」


 ハキムは呆れながらそれを見送り、酔わせ過ぎたことを後悔した。しかし彼が口に出したいくつかの言葉には、おそらく少なくない量の真実が含まれており、そこからはキエスのただならぬ情勢が垣間見えたような気がした。


「悪い、ちょっと吐きそうだ」


 ドウルに付き合って数杯の酒を飲んだせいで、頭に靄がかかったようになっている。おまけに先程揺さぶられたせいで、気分が悪かった。ハキムは給仕に水を持ってこさせて、思考に染み込んだ酒精を洗い流そうとした。


「キエスの騎士が国を出なければならない理由、か」

 トーヤが呟いた。彼もほんの少し酔っていた。


「ありゃ罪を犯したって風じゃない。けど、国にいられなくなった。そしてオヴェリウスが関わってる。反対派として排除されたとか、粛清されかかったとか、そんな感じだろ」


「姫とか言ってたけど」

「そんなこと言ってたか?」

「言ってた言ってた」


 ハキムは杯に残っていた水を一息に飲んだ。普段はほとんど酒を飲まないので、酔いを覚ますのに苦労しそうだった。


「なら、オヴェリウスによって王族が追放されたんだ。あいつはその護衛。キエスはもう乗っ取られてるってことだ」


 学院の影響力が十分に強いならば、国王を傀儡として国を差配することもできる。もっと強力に国を掌握したいならば、自らが君主となるほかない。そしてキエスから大陸全土を席巻し、アルテナムを新生させる。


「本当にやるつもりなのかね……」


 ハキムは空になった杯の底をぼんやり見つめながら、剣呑さを増しつつある情勢に思いを馳せた。



 ハキムたちはそれから二日、カラマスの市街を散策がてら、戦争に関する噂を集めた。それによると、まだ大規模な会戦はおこなわれておらず、ネウェルから繰り出される兵力と大公の兵とが、散発的に小競り合いをしているだけのようだった。


 しかし異形の兵たちや昼夜を問わない攻撃により、兵たちの間に不安と恐怖が蔓延し、士気は低下の一途らしい。事実、カラマスまで戻ってきた負傷兵の表情は暗く、戦況が芳しくないことを示していた。


 それとは別に、ポート公国の南に面する諸領でも、不穏な動きがあるという噂が多く聞かれた。学院に和する領主と、それをよしとしない領主との緊張が高まり、グランゾール全土が政治的に安定を欠きつつあるようだ。


 国々が乱れ、治安が悪化すれば、盗賊としては仕事がしやすい。しかしハキムたちには、オヴェリウスや学院との因縁がある。やはり心穏やかではいられない。日が経つにつれ、焦燥に似た思いがハキムの奥底に積もっていった。


 そして満月が煌々と光を投げかける、明るい夜のこと。リズがいつもより早く宿に戻ってきた。


「解読がひと段落ついたから」


 ランプに照らされた彼女の顔は青白く、野営を繰り返していた時期より疲れて見えた。もう十日も続けていたら、アンデッドのようになっていたかもしれない。


「おう、お疲れさん。オヴェリウスを殺す方法は見つかったのかよ」


 リズはベッドに腰を下ろしてため息をついた。もそもそと靴を脱ぎ、ベッドの上で胡坐をかく。それからおもむろに人差し指を立てると、いつもとは響きの異なる言葉でなにかを唱え始めた。彼女の前腕から手首にかけてエーテルが渦巻き、指先に集束する。


 青白く、しかしどこか柔らかい色の火が灯った。風もないのに揺らめき、上下左右にうねっていた。


 ハキムはその色に見覚えがあった。夕暮れの竜が纏っていた青白い火、上空から降り注ぎ、アンデッドを焼き尽くした火だ。


「それは?」

 トーヤが尋ねた。


「秘儀書には〝夜の火〟と。アンデッドの身体に巡るエーテルを媒介として、激しく燃える炎を発する。一抹の火からアンデッドの群を焼くことができる……らしいけど、実際やってみないことにはね」


「魔術師じゃなくても使えるのかい?」


「うーん。それはさすがに無理だと思う。でも、術式はそこまで複雑じゃないから、道具に組み込んで、アーティファクトとして使うことはできるかも」


「ちょっと頼りねえなあ」

 ハキムはベッドにごろりと身を横たえた。


「有効ではあるけれど、頼りきることはできない。結局は人間の知恵でなんとかするしかない、ってことでしょ」


「ふうん……。で、玻璃球のことは分かったのか?」


「確かにそれらしい記述はあった。鍵であり門であるものだとか。混沌を発するものであり、なおかつその中心であるとか」


「なにを言ってるのかわからん」


「まあ、もともとオヴェリウスが持ってたアーティファクトみたいだから……」


「〝アーク〟とはなにか関係が?」


 トーヤが尋ねた。国によって様々な形をとる信仰。大陸北部、特に学院の影響力が強い地域では、世界の理をアークと呼ぶ。火が起こるのもアークあればこそ、水が流れ、植物が芽吹くのもその理が存在するからである。


 力のある魔術師はアークの力を借りて魔術を扱う。ハキムが元々の知識と、道中リズと話すうちに得た理解はそのようなものだ。


「確かレザリアでも、アークがどうとか言ってたよな」


「神々の抵抗に遭ったと言ってた。同格になろうとしてたのか、超えようとしてたのか。存在を意識してたのは間違いなさそうだけど、オヴェリウスはこれを、なにに使ってたのかな? 攻撃とか封印とか、そういうこと? でもそれって門じゃないよね」


 リズは荷物から星渦の玻璃球を取り出し、手に載せてまじまじと眺めた。


「この渦みたいな形にはなんの意味があるのか、とか……。秘儀書を読んでも分からないことだらけ」


 全員がため息とともに玻璃球を眺めていたとき、ふいにそれが光を発しはじめた。


「……リズ、尾行はあった?」


 トーヤが得物の長刀を手繰り寄せ、刃を抜く。鞘に彫られた花弁が翻り、刀身がランプの灯を鋭く反射した。


「なかったと思うけど……」


 ハキムも短剣を手に握り、ポケットの中に入った亡霊の指輪を確認した。二階から飛び降りて逃げられるよう、窓の鎧戸を開けておく。柔らかい月光が、張り詰めた雰囲気の室内に差し込んだ。

じりじりと時が過ぎる。


 いっそ宿から出て周囲を偵察してみようか。ハキムがそう考えていると、また玻璃球に変化があった。しかしその変化は、今までに見たことのないものだった。玻璃球の中にある星の渦が漏れ出すように、ごく小さな光源が球の外に漂い始めたのだ。


 それは渦巻き、うねり、粗密を作り、月光と混じり合い、不可思議な文字列を成した。ハキムたちが普段使うような言語ではない。レザリアで見つけた金貨や、秘儀書に記されていたいにしえの言語らしかった。


「〈我は混沌である〉」


 リズが呟いた。文字を読んでいるのだ。


「〈這い寄り、与え、造り、破壊し、奪い、そして荒廃を残し去りゆく混沌である〉」


 渦巻く文字同士が、共鳴し、音を発しはじめた。星の層の遥か上から響いてきたような音だった。それは頭に直接響いて、ハキムの精神を揺さぶった。音自体が意思を伝える言葉であるようにも思えた。


「〈我は原初の終末であり、白痴の賢者であり、寄り集まった孤独である〉」


 渦巻く文字がその速さを増す。リズがそれを目で追い、瞬時に翻訳しているとは思えない。彼女は熱に浮かされたような表情で、口から音を紡いでいた。声さえ魔術的な響きを帯び、文字の共鳴と交じり合った。


 文字列が光の粒を放ち、また別の形を作り始めた。光は明滅しながら次第に弱くなり、その代わり物理的な存在感を帯び始めた。


「〈事象は絶えず巡るも、再び同じところには還らず。繰り返す拡大と集束の輪廻は、際限なく螺旋を描く〉」


 光が弱まり、暗い輪郭が形作られた。ゆらめくランプの灯で照らされるそれは、長い髪をした若い女のものだった。


「あなたは……」


 リズが自分の言葉を取り戻して、茫然としたように呟いた。あまりに唐突な出現だったので、ハキムは言葉を失い、警戒することも忘れていた。魔術師の襲撃だとは考えなかった。それは理屈ではなく、直感的な判断だった。


 女の髪は白銀で、その下にある肌は褐色に近かった。しかしハキムのそれとは微妙に異なっていたし、そもそもハキムの故郷であるラウラに、白銀の髪を持つ人間はいなかった。


 それどころかこんな容貌を持つ民族は、グランゾール、キエス、ポート、東方のナーフ高原、どこを探してもいないだろうと思われた。


 瞳は月光と同じ薄い黄色で、なお一層彼女の姿を特異に見せていた。異形か、魔性か、あるいは神性の存在か、ハキムには分からなかった。


『久しいなハキム。レザリア以来か』

 女が言った。


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