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第五話 交易都市カラマス -2-

 ベルカ導師と話をしたあと、クィンズは滞在中に使う部屋を案内する、と言ってハキムたちを城館の一室に招いた。城館の南に面したその部屋は、おそらく貴人が滞在するためのものなのだろう。


 ベッドには羽毛が使われ、床に敷かれた絨毯は分厚い。与えられた部屋の質だけで考えるならば、これは中々の厚遇だ。


 しかしハキムはそれを断り、街中で宿を取ることにする、と告げた。


「リズが一緒に解読作業をするなら、城館にいた方が楽だと思うけど」

「アンタたちはまだ取引の相手だ。便宜を図ってもらうわけにはいかない」


 本音では、学院がまだ信用できないからだ。クィンズもそれは察しているだろう。


「……まあ、そこまで言うならご自由に」


「じゃあリズ、頼むぞ。宿が取れたら場所を知らせるから」

「うん、わかった」


 秘儀書を抱いたリズを残し、ハキムはトーヤとともに城館を去ることにした。クィンズの視線を背に感じながらホールまで戻る。リズの付き合いはそれなりに長いようだが、クィンズが果たして信頼に値する人物なのかどうか、ハキムにはまだ判断がつかない。


 屋外に出ると、カラマスの市街はすっかり宵闇に覆われていた。建物の窓から漏れる灯りが、石畳にわずかな光を投げかけている。


 まずは寝床を見つけるとしよう。ハキムは兵士に道を尋ね、曲がりくねった小路に入る。そして背後を警戒しながら、宿屋の並ぶ通りへと歩いていった。



 その晩、宿を確保した二人は再び城館を訪れて、秘儀書と金貨の袋を携えたリズを連れ帰った。魔術師たちの様子からすると、ひとまずは穏当に解読作業がおこなわれることになりそうだ。リズは直前まで秘儀書を読んでいたからか、疲れた様子でしきりに目頭を揉んでいた。


 宿に戻ると、ハキムは早速金貨を確認した。床に腰を下ろし、一枚一枚並べていく。過不足なく五十枚。つつましく暮らせば、人ひとりが半年は食べていけるだけの額だ。


「金貨一万枚なんてふっかけ過ぎじゃない?」


 ハキムたちは万が一を警戒して、一つの部屋で寝ることに決めていた。学院が用意した部屋に比べれば格段に粗末で、今も乾いた隙間風がランプの灯を揺らしていた。


「うまくいけばレザリアで同じぐらいは手に入るはずだったんだ。トーヤも、それだけあればひとまず十分だろ?」


「まあ、そうだけど」


 トーヤの家を再興するのに、どれだけの金額が必要なのかは知らない。しかし金貨が数千枚あれば、少なくとも畑を耕さずとも生きていくことはできる。


「最終的に払ってくれるかは微妙だけどな」


「そういえばハキム。玻璃球はどうするの」

 リズが尋ねた。


「あのバアさん、球っころのことは知らない様子だった。なら今は伏せとくのが得策だと思う。交渉のテーブルに出すのは、秘儀書で色々分かってからでも遅くない。で、読めそうなのか?」


「三、四日あれば概要は分かると思う」


「それまで前線が粘ってくれることを祈ろうぜ。トーヤ、お前の見立ては?」

 ハキムは尋ねた。金貨を袋にしまい、ベッドによじ上る。


「逃げてくるときに少し見たけど、公国の兵はかなり多かった。そう簡単に突破できるような勢力じゃない。普通の戦闘ならね」


 復活派の魔術師、そしてアンデッド。ネウェル攻略に使われた軍勢がポート公国に襲い掛かることはほぼ確実だろう。通常の兵でまったく太刀打ちできないということはないだろうが、不意を突かれればそれも危うい。


 おそらく、時間的な猶予はあまりないだろう。秘儀書は大きな力になる、とベルカ導師は言った。しかしオヴェリウスの側も、対策を練らずにおくだろうか?


 ポート公国が陥ちるにせよ、長く持ちこたえるにせよ、安心するにはまだ早い。ハキムは短剣を枕元に置き、靴を履いたまま、ランプの灯を吹き消して身を横たえた。



 夜明けよりもかなり早く、リズがベッドから身を起こす気配がした。何度も何度もあくびをし、のろのろと身づくろいをしている。彼女はこれから、秘儀書を持って城館に向かうのだ。そして解読作業の間、秘儀書が勝手に持ち去られないよう、目を光らせることになる。


 頑張れ、リズ。世界の命運はお前の双肩に掛かっている。ハキムは心の中だけで叱咤して、乱れた毛布を肩まで引き上げた。


 やがて鶏が朝を告げ、隣の部屋や廊下で物音がしはじめるころ、ハキムとトーヤはベッドを出た。大きく伸びをして身体をほぐす。


「どうも、旅の終わりって実感は湧かないな」

 トーヤが言った。


「じゃあ終わりじゃないんだろ」


 ハキムはぼりぼりと頭をかく。立ち上がって窓を開けると、白い光が室内に差し込み、新鮮な空気が吹き込んできた。今日はおそらく晴天だろう。


「どうせまた厄介ごとが起こるに決まってる」

「秘儀書と玻璃球のことはリズに任せるとして、僕らはどうしよう?」


「喰って寝るだけってのもなんか嫌だな。街の様子でも見てこようぜ。前金も貰ったし、ちょっと遊んでもいいだろ」


 あるいは東方でなにが起こっているのか、噂を仕入れるのもいいだろう。ハキムたちは一階で食事を済ませ、身づくろいをして、カラマスの市街へと繰り出した。


 ポート公国中央部にあるカラマスは、東西南北に伸びる街道の結節点である。普段もそれなりに騒がしいのだろうが、今は東に敵味方の大部隊がいるためか、街全体が浮足立っているようにも見えた。


 ハキムたちは入り組んだ造りの旧市街を抜け、城壁の外側に広がる新市街まで足を伸ばした。こちらは計画的に造られたからか、旧市街よりはるかに整然とした街並みになっている。幅の広い直線的な通りの左右には、様々な品物を商う店が立ち並び、商人が大声で客を呼び込んでいた。


 二人は手に入れた金貨でいくつかの物資を購入した。ここしばらくの旅で汚れたり破れたりした衣服を新調し、血脂で鈍くなった短剣を換え、疲れて帰ってくるリズに食べさせる菓子を仕入れた。少々散財したところで、金貨の袋はほとんど軽くならなかった。


 とはいえ、これから先なにがあるか分からないから、あまり豪快に使うのも考え物だ。ハキムが物欲と節制の間で揺れながら歩いていると、不意にトーヤが肩を叩き、脇の小路を指さした。


「なんだ?」

 そちらに目をやると、商店の陰で、数人の男がなにやら揉め事を起こしている。


「ほっとけよ」

「いや、少し気になることがある」


 理由を聞く間もなく、トーヤは荷物をハキムに押し付け、男たちの方へ行ってしまった。仕方がないとため息をつき、ハキムはそのあとをゆっくりと追いかける。


 揉めているのは四人。貧しそうな身なりの若者三人が、厳めしい顔をした男に絡んでいる。絡まれている男は若者たちよりはるかに屈強で、やろうと思えば相手を蹴散らすことも難しくなさそうだ。


 しかし気が弱いのか言葉が通じないのか、その男はほとんど無表情で腕を組み、されるがままとなっていた。


「失礼」


 トーヤが礼儀正しく、しかし鋭い声で声をかけた。振り返った若者たちは、まずトーヤの顔、それから腰の得物に目をやる。街中で長刀なんてものを帯びている人間が堅気のはずはない。三人の顔が強張った。


「そこの人に用がある。悪いけど、どこかに行ってくれないか」


 トーヤが指で刀の鍔をわずかに押し上げた。傍から見るとやりすぎの感がなくはないが、なにか考えがあってのことだろう。ハキムは彼の五歩ほど後ろから静観する。


 若者たちは少しの間顔を見合わせる。保身とプライドを天秤にかけているようだが、多少威張り散らしただけで斬られてはたまらないと考えたのだろう、彼らは怯えの混じった恨めしそうな顔をしながら、そそくさとその場を去っていった。


「かたじけない。実は不慣れな土地で騒ぎを起こすわけにもいかず、少々困っていたのだ」


 厳めしい顔で動かなかった男が、はじめて声を出した。背丈は長身のトーヤよりさらに頭半分高く、体重も五割ほどは多そうだった。日陰だったせいでよく見えなかったが、改めて観察してみれば、彼の髪も、口髭と顎鬚も、袖口から覗く太い腕に生える毛も、すべてが濃い金色をしていた。


「いえ」

 トーヤが若者たちを見送りながら、鍔を鳴らして刃をしまった。


「カラマスの守備兵……というわけではなさそうだが」

「旅の者です」


「旅のお方が、吾輩わがはいに一体どのような御用かな」

「失礼ですが、キエス王国から来たのではありませんか?」


 トーヤがわざわざ厄介ごとに首を突っ込んだ理由。それはこの男がキエス人だと直感したからだった。


 金髪の人間ならカラマスでもそれなりに見たが、男の身なりや顔つきはポートの人間と微妙に違っていたし、若者に絡まれているという状況から考えても、あまり地元に顔の利く人間ではないことが分かる。


 となればキエスからやってきた人間である可能性は高く、東方の戦況についてもなにか知っているかもしれない。


 男は口髭の中でフームとうなり、ハキムたちに身分を明かすかどうか思案するような素振りを見せた。しかしそれはごく短い間のことで、男はすぐに表情を緩めた。


「いかにもそうだ。吾輩はキエスの生まれ。名をドウルという」


「トーヤです。こっちはハキム。僕らも東から来たんですよ。今、向こうがどうなってるのか知りたい」


「なるほど、そういう事情であったか。吾輩が語れることは多くないが、できる限りで教えよう」

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