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第十八話 己が使命は -6-

 夜の街路に派手な破壊音が響いた。


 ハキムはドウルが示した直情っぷりに呆れかけたが、こうなってしまったら仕方がないと腹を括った。


 しかしこの短いやりとりで、廃屋内部にいるのが間違いなく敵だということが分かった。合言葉を求める堅気の人間などいない。相手が何人かはともかく、無実の人間を巻き込まないための遠慮は必要なさそうだ。


 枠から外れた扉板とびらいたを踏み倒すようにして、ハキムは室内に躍り込む。家具のない小さな部屋には、人影が五つ。反撃の態勢を整えられる前に過半を倒しておかなければ、こちらが危なくなる数だ。


 正面の男は蹴りの勢いをまともに受け、横ざまに転倒している。ハキムは彼が前後不覚から立ち直る前に、脇腹から心臓を一突きにした。くぐもった呻き声が漏れる。短剣を引き抜くと、鮮血が噴き出した。


 残る男たちは怒号を上げてこちらを威嚇する。


 五人のうち三人はドウルに任せることにした。今の状態でも後れを取ることはないだろう。ハキムは殴り掛かってくるもう一人の腕をくぐり、太腿を斬りつけて牽制した。しかし組み合うことはしない。優先する標的は、部屋の奥で腰を上げたローブ姿の男。


「コソ泥が」


 足元に置かれたランプの灯をわずかに反射する金髪と、その下にある白い肌。眼には端正な顔に似合わぬ嫌悪が揺れる。


 コソ泥はどっちだ? 挑発しようとしたハキムは、視界の端で閃く金属の光を捉えた。辛うじて首をひねると、長い杖の石突が耳を掠める。一息に間合いを詰め損ね、心中で舌打ちした。クィンズも苛ついた様子でこちらを罵る。


「薄汚い障害物め」


 背後ではドウルが剣だか鞘だかで戦っているようだ。なにか硬いものを砕く音がする。


 クィンズが踏み込み、大雑把な打撃でハキムを狙った。腰が引けていないのは大したものだが、その技量は戦いを生業としている者には遠く及ばない。ハキムも白兵戦は苦手とするところだが。この程度の攻撃をいなすのは難しくなかった。


「なんの信念も、見通しもない」


 戯言は吐くが、クィンズが魔術を使う様子はない。彼の魔術が高度な集中を要求する可能性もあるが、おそらく当初考えた通り、戦闘向きのものではないのだろう。ならば、脅威は杖の拙い打撃だけだ。


「お前たちみたいな人間が、世界を停滞させる」


 振り下ろされた杖を躱して、中ほどを手で押さえつける。懐に入り、みぞおちに向けて短剣を突き出した。クィンズが咄嗟に杖を離して身体をひねったので、刃はローブの布に絡まり、肋骨あたりの肉をそぎ落とす程度に終わった。ハキムが力任せに短剣を引くと、ローブがビリビリと破れた。


 クィンズは苦痛に顔を歪め、傷ついたのとは反対側の懐に手をやる。


 不利を悟れば必ずそれをやってくる、とハキムは踏んでいた。同じ手を食うと思われるのは心外だから、絶対に潰してやろうと決めていた。黄金のキューブを取り出そうとする指先に見当をつけて、短剣を鋭く一閃させる。


 ローブが切り裂かれ、キューブが音を立てて床に落ちた。


 ハキムは身体を沈め、クィンズの下半身を抱え込むようにして押し倒した。馬乗りになり、逆手に握り直した短剣を振り下ろす。


 しかし敵も必死だった。ハキムの両手首を掴み、致命の一撃を辛うじて防いだ。生温かく、ぬるぬるした感触。血にまみれた右手には小指がなく、薬指も半ばまで切断されていた。


「見通しだと?」


 短剣に体重をかけながら、ハキムは眼下の相手に吐き捨てた。


「〝遠窓〟で見たのか、選良エリート様にしか分からん理屈か。高い塔の上からなら見えるのか」


 倒れたランプの灯が、じりじりと消えていく音がする。ハキムの脳裏には一瞬、死の街と化したカラマスの情景が浮かんだ。


「これが俺たちの視点だクィンズ。今、なにが見えるか言ってみろ!」


 ハキムは大きく背中を反らせ、短剣の柄に頭を打ち付けた。ハンマーで釘を打つのと同じ要領で、鋭い切先をクィンズの鼻先に埋めた。相手の力が緩んだところで再び短剣を握り直し、狙いをあやまたず首に突き立てる。


 問いに対するクィンズの答えはなかった。ハキムも期待していたわけではない。気道からふいごのような音が漏れ、血が湧き水のように噴いて辺りを濡らす。


 泥臭い戦いだ。自慢できるようなものではない。

興奮が徐々に醒めていく。気づけば背後でも乱闘の音が止んでいた。ハキムは完全にクィンズが動かなくなるのを待ってから、ドウルの無事を確認した。


「大丈夫か?」

「他愛もない」


 そう言ってはいるが、様子を見る限り案外苦戦したようだ。膝立ちのまま脇腹を押さえ、息を荒くしている。


 ハキムはクィンズの死体を脇に押しやり、ランプの灯をつけ直した。


「額から血が出ておる」

「ああ、これは心配ない」


 手で拭うとべったりと血がついた。傷は深くない。すぐに止まるだろう。


 ハキムは部屋を見渡した。改めて内装を確かめると、廃墟とはいえ荒れ果てた様子はなく、多少ながら生活感もある。もしかすると、自分たちがシャラに到着する前から、キエスの密偵が潜り込んでいたのかもしれない。


「おいおいおい。全員殺したのか?」

「当然だ。だが死ぬ前にちゃんと、姫様はここにいると吐きおったわ」


 ドウルは大きく息をついてから立ち上がり、部屋の奥にある扉に手をかけた。気持ちの焦りに身体の調子が追いつかず、よろけたところをハキムが支える。今回はハキムが偶然に毒を避けたからいいようなものの、そうでなかったら結末は悲惨だっただろう。


 扉を開けた先にはエシカがいた。手足を拘束され、猿轡をかまされた状態で転がっている。


「なんという……」 


 不憫な姿にドウルが嘆息する。ハキムは彼女の傍らに跪き、短剣で猿轡を外す。その白い首筋に触れて脈を確かめると、意識を失っているだけだと分かった。大きな怪我もない。


 彼らの目的が暗殺でなかったのは幸いだった。これならばまずまず無事の範疇と言える。


「姫様、大丈夫か」


 ハキムは頬を叩こうとして思いとどまり、肩を揺すった。エシカはそれに反応してうっすら目を開けたが、毒がしっかり効いているのか反応は鈍い。


「ドウル、エシカを運べるか?」

「そうしたいところだか……、すまん。今は落としてしまうかもしれん」


 落とすだけならまだしも、倒れた彼の下敷きになったらエシカが死にかねない。リズとトーヤに合流して、力を借りる必要がある。


 二人は回復しているだろうか? 表の荷車か馬を使ってエシカを運び、一旦戻った方がいいかもしれない。街道を進むだけだから、入れ違いになる可能性は低いだろう。ハキムはそう考えて、ひとまず彼女を背負い、屋外へと連れ出すことにした。


 ドウルにランプを持たせて明かりを確保し、血の臭いが充満した廃墟を出る。体調の悪いエシカとドウルを馬に乗せ、ハキムは歩くことにした。屋敷までの距離は長くない。


 まだぼんやりしているエシカを担ぎ上げようとしたところで、ハキムは屋敷の方向に松明の光を見た。しかしその下にある顔は、リズのものでも、トーヤのものでもなかった。ガラの悪そうな男が五人、いや六人。三人は無骨な槍、もう三人はクロスボウで武装している。


 廃墟に入ろうとしたとき、中にいた男は合言葉を求めた。それは即ち、まだ別に仲間がいたということだ。それが今、誰かからの警告を受けてこちらに向かってきた。誰か? 町長に決まっている。今度顔を合わせたら殺してやろう。


「敵だ」


 こちらが飛び道具に対抗するとしても、短剣を投げるのがせいぜいだ。それも今は二本しかなく、両方放ってしまえば近接戦闘の手段がない。一方的に射られるのを防ぐためには、灯りを消して闇に紛れるしかなかった。


「ドウル、早くランプを――」


 エシカを馬上で伏せさせたところで、ハキムの耳元に飛来したクォレルが空気を裂く。ランプが地面に落ちて、火が消えた。男たちの足音が迫る。


「ぐうう……」


 近くでドウルが膝をつく気配がする。運悪く矢を受けたのか。


 ハキムは焦った。ドウルが戦闘不能なら、自分だけで五人を相手にしなければならない。ポケットに入っている亡霊の指輪を探る。


 やれるか。いや、やるしかない。

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