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第十七話 己が使命は -5-

 一旦寝入ると、ハキムの眠りは深い。しかしこれまでの経験や生活はしばしば安穏な休息を許さなかったので、なにかあったときはすぐに目覚め、素早く行動に移ることができるような身体になっている。


 時刻は夜半。早く寝床に就いたハキムの意識を、鋭敏な聴覚が揺さぶった。


 なにか不自然な音が聞こえたぞ。起きろ。


 この種の警告は常に信頼できる。ハキムは目を開け、動かずに辺りの気配を窺った。どこかでドアが開き、閉まる音。玄関の方だろうか。誰かが外に出ていったようだ。


 明らかな異常や危険ではない。眠れない夜だから、と散歩に出た者がいるのかもしれない。ただこのときのハキムは直感に従って、様子を見ようと思い立った。


 習慣として枕元に置いてあった短剣を手に取る。身を起こし、トーヤとドウルの寝息を聞きながら、手探りでゆっくりと部屋を出て、広間に向かう。


 そうこうするうち目が闇に馴れてきて、うっすら物の輪郭が判別できるようになった。


 広間を見渡す。ひとまずは異常なし。


 いや、部屋の扉が一つ空いている。リズとエシカが使っている客間。ほんのわずか、室内から明かりが漏れていた。


 足音を立てずに広間を横切り、扉の隙間から遠慮なく室内を覗く。


「リズ……!」


 うつ伏せで床に倒れるリズの姿が、小さなランプに照らされていた。


 嫌な予感が的中してしまった。耳の奥に氷を入れられたような感覚を味わいながらも、ハキムは冷静さを失うまいとする。リズの傍らに跪き、小さく呼びかける。


「おい、無事か。生きてるか」


 頭と首、胴体をまさぐる。脈あり。呼吸あり。大きな傷や出血はなし。


「ハキム……、エシカが……」


 リズが気だるげな声を出した。エシカの名前を聞いて、ハキムはその存在を失念していたことに気がついた。ベッドは空だ。どこに行った?


「聞いて、ハキム……。私たち、毒を盛られたんだと思う。頭と身体が重くて……、うまく動かない。エシカが連れていかれたけど、止められなかった……」


 あの夕食か、とハキムは思い至った。言われてみれば妙な味だった。塩気の強さも、毒の違和感をごまかすためだったのだ。あのとき全員に警告しておかなかったのが悔やまれる。だが、どうして町長に毒を盛られなければならない?


「多分だけど……、死ぬような毒じゃない。眠りを深くするだけの。ただ、毒消しを飲んでも、ちゃんと動くには少しかかると思う」


「大丈夫だ。エシカは俺が探す。自分ことは、自分で何とかできるな?」


「ごめん……。あとでちゃんと追いかけるから……」


 とりあえずリズの身体を表返し、薬が入っているらしい荷物を傍に置いてやる。あまりゆっくりしてはいられない。ハキムは一旦自室に戻る。


「トーヤ、ドウル、起きろ。まずいことになった」


 二人を揺さぶるも、反応が鈍い。辛うじてドウルが目を開けた。その頬を叩きながら、更なる覚醒を促す。


「エシカが攫われた。分かるか? 姫様が攫われたんだよ」

「なんだと……!」


 ドウルはがばりと起き上がったが、重心が定まらず倒れかけ、腕で身体を支える羽目になった。それでも、リズとトーヤより症状は軽そうに見える。二人よりも図体が大きい分、毒の回りが弱かったのだろう。


「一服盛られたらしい。動けるか?」

「今動かんで、いつ動く」


 ドウルは右の拳骨で自分のこめかみをごんごんと叩いて気合を入れ、大剣を支えにしながらおもむろに立ち上がった。本調子には程遠いが、荒事となればそれなりに頼れそうだ。


 ハキムは荷物から短剣を一本取り出し、腰に挿した。もう一本は逆手に握ったままだ。

まずは締め上げるべき人間がいる。


 ハキムはもう一度真っ暗な広間に出て、町長の寝室と思しき部屋を探した。こういう家屋の間取りは、大体どこも同じだ。


 目当ての部屋はすぐに分かった。中では誰かが身じろぎしつつ、息をひそめているようだ。自分のはかりごとで騒ぎが起こっているのだから、眠っていられないのは当然だ。だからといって、ノコノコ顔を出すこともできない。


 部屋には鍵が掛かっていた。臆病者め、とハキムは心の中で毒づく。解錠するのは難しくないが、今は別段こっそりする必要もない。


「ドウル、破ってくれ」


 巨体が足裏で蹴り飛ばすと、錠が派手な音を立てて壊れた。正面に置かれたベッドの中では、町長夫妻の怯えた顔が、ランプにぼんやり浮かび上がって見える。


 ハキムはずかずかと寝室に踏み込み、町長の枕元に立った。


「誰に頼まれた?」


「い、一体なんのことだ?」


 芸のない態度にうんざりする。ハキムは町長の腕を掴んでベッドに押し付け、掌を短剣で縫いつけた。情けない悲鳴が響く。妻の方は凍ったように動かない。


「誰に頼まれた?」


「助けて、助けてくれ。脅されただけなんだ」


 手に力を込めて刃先をねじる。掌からどっぷりと鮮血が溢れてベッドを汚した。


「目玉をほじくれば頭がはっきりするか? 誰に頼まれたって聞いてんだ」


「魔術師だ!」

 町長は泣きそうな声で言った。


「キエスの魔術師だ。若い男で、金髪の。お前たちに薬を盛ればみ、見逃してやると」

「余計なことは言わなくていい。そいつはどこにいる?」


 掌から短剣を抜いて、血濡れのそれを首筋に突きつける。


「街道沿いの、市街の北にある廃屋だ」

「目印は」

「家の前に荷車が置いてあったはず……」

「よし」


 ハキムは町長の掌から短剣を抜くと、その柄で思いきり顎を殴りつける。不意を突かれた彼は、ベッドから半身をはみ出したような姿勢で意識を失った。


「俺の仲間が聞きに来たら、同じことを教えろ」


 傍らで震えている妻に言うと、彼女はガクガクと首を縦に振った。


「貴様ら、覚えておれよ」


 ドウルが怒りに満ち満ちた低い声で吐き捨てる。彼の調子が悪いのは、夫妻にとって幸運だ。身体さえ元気なら、二人の頭を掴んで叩き潰すぐらいのことはやっていたかもしれない。


「急ぐぞ」


 怒れる騎士を急かして、ハキムたちは町長の屋敷を飛び出した。



 街道沿いは暗いが、少し離れた場所には野営の火が見える。これまでポートで過ごした夜に比べれば空気はいくらか暖かく、風は湿りけを含んでいた。


 それは単に温暖なグランゾールの地が近いことを意味するのだが、今のハキムにはどうにも不吉なものに感じられた。天気は曇りで、一つの星も見えない。


 二人は厩舎に繋がれていた馬を盗み、町長に教えられた場所へと向かった。


「吾輩がいながらなんという……」

 道中、ドウルが苦々しく呟く。


「後悔は先の役に立たねえぞ」


 ハキムとしても、もっと警戒すべきだったとは大いに思う。しかしそういう感傷は、するべきことが終わってからじっくりやればいいのだ。


 町長に策を持ちかけた魔術師は、クィンズで間違いない。この場合は、キエス王位の継承者であるエシカを追ってきたということになる。しかしここはまだポートの勢力範囲。強引な手段で騒ぎを起こすよりも、小手先の計略を用いた方が得策と判断したようだ。


 実力は未知数だが、〝遠窓〟という二つ名、立ち居振る舞い、リズやメサ導師を前にしたときの態度からして、武闘派ではないように思える。もちろん事を起こすにあたって協力者はいるはずだから、彼一人を相手にすれば済むという話ではない。


 まあ、何人だっていい。どのみち諦めるという選択肢はないのだから。


 シャラはたかが五百人程度の町だ。建物の数は百五十かそこら。市街に固まっているのはさらに少ない。軒先に荷車が置いてある家は、ほどなくして見つかった。


 家の周囲に人はなし。漏れる光はなし。廃屋らしいとはいえ窓や扉はまだ用を為しており、自由に出入りできるというわけではなさそうだ。馬から降りて、軒先で耳を澄ます。内部に複数の気配あり。


 どう不意打ちをかけてやろうか考える。しかしあまり時間をかけてもいられない。ハキムが首のうしろをこすりながら考えている間に、ドウルが先走って扉を叩く。


 大声で止めるわけにもいかないので、短剣を構えつつ成り行きを見守る。


「合言葉は?」

 扉の向こうから、低い男の声が聞こえた。


「合言葉? 合言葉なんぞ深淵アビスに叩きこんでやるわ!」

 ドウルが言った。次の瞬間、その太い右脚が扉に前蹴りを食らわせていた。

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