第十四話 己が使命は -2-
ベリーとナッツ、血の滴るウサギ肉を戦果として、ハキムとリズは元いた街道沿いまで戻ってきた。
エシカの様子を見る。半刻ほど横になっていた彼女の顔色は、はじめに比べてかなり良くなっていた。汲んできたばかりの冷たい水を飲ませ、もう少し休ませる。
交代でトーヤとドウルを水場に行かせている間、ハキムは火を起こしてウサギを焼く準備に取り掛かり、リズは薬草を調合して傷薬を作りはじめた。慣れない食べ物で姫様が腹を下したときのために、毒消しも用意しておくとのことだ。
「ドウルは本当によくやってくれています」
パチパチと爆ぜる小さな焚火の傍ら、横になったまま、エシカが誰に話しかけるともなく呟いた。
「彼は決して地位の高い家の出ではありません。それでも今の立場にいるのは、ひとえに抜きんでた忍耐力と実直さがあるからです」
「てっきり腕っぷしだけで上り詰めたんだと」
ハキムが言うと、エシカは小さく笑った。
「確かに、ドウルに剣で勝てる人間を私は知りません。でも騎士として必要なのは、力の強さだけではなく、心の強さでもあるのです」
「付き合いはどれぐらいなんだ」
「ドウルは私が七歳になったときから、警護の任に就きました。だから七年か、八年ぐらいでしょうか」
父と娘ほどの年齢か。ハキムがそう指摘すると、エシカは頷いた。彼女と父王がどれだけ親密だったのかは知らないが、王族の生活を考えると、関わる時間はそう多くなかったはずだ。
「彼もそういうところに気づいているからか、私のために、兄や父上に食って掛かったこともあるんですよ」
エシカの顔はどこか自慢げで、なるほど父の仕事を誇る娘のようにも見えた。彼女がどこかに嫁ぐまでの、あいまいな真似事であったとしても、今となっては、縋るべき美しい思い出となっているのかもしれない。
傍らの焚火を反射して揺らめく瞳の中には、失われた過去への悲哀が浮かんでいるような気がした。
彼女は過酷な旅を強いられ、幾多の死を目にした。王国に戻る日が来るのだとしても、それはいつになることか。
「今は、辛い思いをさせてしまっています」
エシカはゆっくりと身を起こした。自分も辛い思いをすることで、罪悪感を減らそうとしているようにも見えた。
「計略で多くの人間が死にました。キエスでも、カラマスでも。それでもドウルは、並外れた忍耐で、私の傍にいてくれています。自分の使命だから、と。本当に申し訳ないことです」
鉢の縁をすりこぎでコンと叩き、それまで黙っていたリズが口を開いた。
「それがあの人の使命なら、守られてでも生き延びることが、あなたの使命なんじゃないの? 王女なんて代えが利かないんだから」
「そうでしょうか」
「うん。自分で選んだわけじゃないから、納得いかないかもしれないけど」
そうだろうか。ハキムは無闇に口を挟んでみたくなった。
「使命うんぬんなんて所詮思い込みじゃねえの。カネ貰ってる分働くならともかく」
「なんでそういう余計なこと言うの」
「そういう役割みたいなもんで自分を縛んのは下らねえって話だよ」
「ああ、二人とも喧嘩をしないで」
言い合っていると、茂みの向こうからトーヤとドウルが戻ってきた。
「なにやら盛り上がっているようであるな」
臭いも取れて多少すっきりした男二人が加わり、五人が揃った。赤いベリーを摘まみつつ、ウサギ肉を切り分ける。それに真っ直ぐな枝を挿して、各自の責任で炙るのだ。
ナッツはともかく、木苺の類など食べたことがないのか、エシカはそれを掌に載せたまましばらく逡巡していた。リズに促されて一粒食べ、酸味にぎゅっと目を閉じる。
「甘く育てた果物とは大分違うけど、悪くないでしょう」
「そんなにうまいうまいって食うもんでもないけどな」
はじめに比べれば、若干ながらエシカの態度は柔らかくなってきていた。彼女の王宮生活がどんなものだったのかは知らないが、元々気取らない性格なのかもしれない。改めて見てみればその顔立ちも、貴族特有の近寄りがたさよりは、どこか愛嬌を感じさせる。
ウサギ肉が焼けた。木の実を食べてむしろ空腹に火のついたエシカは、塩も振っていないそれをはふはふと頬張る。
こうして、一行は多少なりとも滋養のある食事を摂ることができた。時刻は昼前。リズはエシカを連れて、もう一度水場に行った。
残った男たちは頭を突き合わせ、旅の計画について話し合う。
「ここから南の街道沿いに二日歩くと、シャラという小さな町がある。馬があれば、そこからハートラッドまでは一日だ」
ウサギ肉が挿してあった枝を使って、ドウルが土にごりごりと線を引いた。
「意外と近いな」
「近い、が、それは敵も同じ。やつらは既に、グランゾールを目前にしているということだ」
「ただ、そこまで早く行軍してはこない気がする」
トーヤが言った。
「カラマスを失陥させて、東の主力を孤立させた。けど、ここでカラマスの手勢を動かすと、また補給路が繋がることになる。東の主力が頑張っている限り、キエスを経由した本格的な南下ははじまらないはず」
「一万人の兵士は来ないにしても、カラマスにやったみたいなのはできるだろ。なにが起こってもおかしくはないぞ」
「うん。それはそうだ。でもオヴェリウスも支離滅裂な考えをするわけじゃない。戦略家として優秀であるほど、作戦がどれほど有効かは考えるはずだ。まあどのみち……」
「我々は愚直にハートラッドを目指すほかにない」
トーヤの言葉を、ドウルが引き取った。そう。敵の進軍が早かろうと遅かろうと、数が多かろうと少なかろうと、自分たちにはそれをどうすることもできない。そして既にハートラッドに進路を取っている以上、計画を変更したところで時間を浪費するだけだ。
ならば身の回りの安全を確保しながら、南へ南へと行くしかない。馬が手に入ればそれを使って。手に入らなければ二本の脚で。
「そういえばハキム、玻璃球のことだけど」
「ああ。この役に立たない球っころな」
「役に立たないかどうか、決めるのはまだ早いと思うんだ」
「今のところ、危ないときに光ったり光らなかったり、わけ分からん女が妙な事言ったりするだけだぞ」
もちろん、ハキムはそれがまったく無意味なものだとは思っていない。しかし玻璃球によって起こる出来事があまりに魔術的過ぎて、どのように利用すればよいのか分かりかねているというのが正直なところだ。
「直接聞いてみればいい。君にはなにができるのかって」
「正気か?」
「昔よりはね」
笑っていいのだろうか。
「ハキム。少なくともオヴェリウスは対話をしたはずだ。そしてそれは無意味なお喋りなんかじゃなかった。ただの睦言なら、玻璃球は寝室にでも置いてあったはずだ。けど、これは天象儀の中にあったんだ。宮殿の最上部に」
「話を切ってすまん。テンショウギとはなんだ?」
ドウルが口を挟んだ。彼を置いてけぼりにしてしまっていたことに気がつき、ハキムとトーヤはこれまで潜り抜けてきた出来事のあらましを語った。それはつまりオヴェリウスと玻璃球がどこからやってきたかの説明でもあった。
「にわかには信じられんが」
「嘘ついてもしょうがないだろ」
「それが本当だとすると、あのオヴェリウスとやらは古代の皇帝だったというのか。道理で得体が知れぬはずだ」
「大体、アンデッドをどうこうしてる時点でヤバい奴なのは決まりなんだ。たださっきトーヤも言ったとおり、冷静で頭が切れるってのが厄介極まりない」
「ぬう」
「オヴェリウスはキエスという国家の後ろ盾と、アンデッドの軍団。それから一度は大陸を手中にした知略を持ってる。正攻法で勝つのは容易じゃないし、そうだとしても、それは僕らができることの範疇を大きく超える話だ」
「だから玻璃球を使うって?」
「場合によっては、オヴェリウス攻略の鍵になるかもしれない」
「どうだかなあ」
「食わず嫌いはダメだよ、ハキム」
自分の考えを見透かされてしまったようで、ハキムは若干ばつの悪さを感じた。トーヤの言うことはある程度まで正しいのだ。
玻璃球になにかしらの利用価値があるのならば、それを試さない手はない。荷物から玻璃球を取り出し、手中にあるそれを眺める。球の中で渦状にちりばめられた粒子が、陽光を反射してキラキラと煌めいた。
「まあ、あとで相談しよう」
リズとエシカが戻ってくるのを待つ間、ハキムはごろりと横になって目を瞑った。