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第十三話 己が使命は -1-

 カラマスは陥落した。決して狭くはない新旧の市街で、いくつもの火災が発生していた。焼けた建物や死体が黒い煙を出し、それが風で流れて暁の薄闇と混じった。

苦々しい敗北の臭いが都市全体を覆う。


 この夜にどれほどの人間がアンデッドに首を折られ、手足を捥がれ、叩き潰されて犠牲になったのかは分からない。数百かもしれないし、もしかすると数千かもしれない。


 どこからともなく現れた敵は、兵士に反撃の準備を整える暇すら与えず、街路という街路、区画という区画、施設という施設を蹂躙し、制圧してしまった。


 幸運にも死を免れた人々は家財すら持たずに逃げ出すか、見つかりにくい場所で息をひそめているのだろう。戦った者が、何十人も生き残ったとは思えない。


 都市を襲った惨禍の一方で、ハキムたちの脱出は拍子抜けするほど容易だった。一つはメサ導師が敵を引き付けてくれていたからであり、もう一つは、おそらく敵が市民を全滅させることに執着しなかったからだ。


 カラマスが機能を停止しさえすれば、東方に展開しているポート公国の主力軍は、大都市からの補給を断たれて孤立する。対峙しているキエス軍は戦闘を優位に進めることができ、公国がカラマスを奪回しない限りその状況が続く。


 だから、逃げる者は追わない。むしろ彼らが各地方に散り、恐怖を喧伝してくれるくらいで丁度よい、ということだ。


 しかしハキムたちが安心できるかというと、決してそうではなかった。こちらには秘儀書があり、玻璃球があり、ポート公国の王女であるエシカがいるからだ。自分たちの正体を看破されないよう、細心の注意を払う必要があった。


 城館を離れ、馬蹄の音に耳を澄ませ、角という角を警戒しながら、慎重に、それでも素早く、ハキムたちは城壁の外を目指した。


 リズを除く学院の魔術師たちとは、ここで別れることになった。ベルカ導師らはカラマス領主と同朋を追って、西方にあるポート公国の首都を目指すようだ。


 エシカとドウルは以前から予定していた通り、南方へと向かうことになった。当面の目的地は、グランゾール側にある国境の都市、ハートラッド。彼女はここで領主に保護を求め、キエスとオヴェリウスの脅威を伝え、諸侯の団結を訴えるつもりのようだ。


 ポート公国が陥ちれば、今度はグランゾール諸国への大規模な侵攻がはじまる。たとえ一つ一つは小さな領でも、力を合わせればキエスに対抗できるかもしれない、と。


 ハキムたち三人はエシカに同行すると決めた。秘儀書の内容を知る人間は分割した方がいい。そのために、リズはほかの魔術師たちと別の行動をするのが良いだろうという判断だった。ハキムとトーヤはそれに従う形となる。


 暁の薄闇に紛れながら旧市街の南端に辿り着くと、既に開いている門が見えた。大きく破壊された痕跡はない。混乱に乗じて内通者が門を開き、外の敵を招き入れたのかもしれない。


 ハキムは振り返り、追撃を警戒する。目に入るのは傷つき、怯え、絶望する市民の群だけだ。一行はそれに紛れ、門をくぐってカラマスを後にした。


 しばらくは言葉を交わすこともなく、うつむきがちな姿勢で、朝露で湿った道草を蹴った。夜は明けていくが、誰の心も明るくはならない。


 後頭部に光を感じ、ハキムはもう一度振り返る。太陽が東のネウェル山地から顔を出し、指先ほどの大きさになったカラマスの防壁を照らしていた。その場所からは黒々とした避難民の行列が、アリのように外側へと散って見える。


 いち早く逃げ出した領主は無責任だと思うが、よくよく考えれば、それは仕方のない判断だったのかもしれない。たとえ彼が残っていたところで、指揮すべき兵は混乱の極致にあったのだから。


 しかし、一体どこまで退けば安全なのだろう? ハキムはネウェルからポートに下り、それからカラマスに移り、今ハートラッドに向かっている。


 ではハートラッドが陥落したら? さらに次の都市ならば食い止められるのか? ハキムに答えを出すための材料はなかった。ただ今は秘儀書を携え、仲間と共に、すぐ背後に迫る危険から身を守るだけだった。



 夜明けから一刻。ハキムたちはカラマスから離れるため、街道沿いに歩き続けていた。道のりは平坦だったが、少しすると小さな森の中に入った。


 待ち伏せの恐れがないではないが、背後からの目線を警戒しなくていい分、いくらか気持ちは楽になった。しかしカラマスを出たとき以来続いていた興奮と緊張が冷めたせいで、渇きと疲労が改めて強く意識されるようになった。


 そんな中、まず限界に達したのがエシカだった。彼女は長いこと不平も言わず歩き続けていたが、その速度が目に見えて低下しはじめた。ハキムは振り返り、顔を覗き込む。その頬は赤く、息は荒く、表情はいかにも苦しげだった。


「これ以上は進めん」

 寄り添っていたドウルがそう主張した。


 エシカを無視したとしても、ハキムたちには休息が必要だった。昨晩は一睡もせず戦い通しだったのだ。男たちの身体は血と汗と泥と腐肉で酷い臭いだったし、小さな傷も熱を持ちはじめていた。


 そういうわけで、一行はその場で足を止めた。まずは簡単な寝床を作ってエシカを休ませ、野営の準備をする。


「すみません、私のせいで」

 彼女が弱々しく詫びた。


「どのみち頃合いだったんだ。ゆっくり行こうぜ」


 ひ弱な姫様を急かしてどうなるものでもない。体力回復のためのやむを得ぬ停止と割り切って、しっかりと旅の準備を整えるのが上策だ。


 そう決めたところで、ハキムには物資の欠乏が気になった。慌ただしく去ったせいで、最低限の荷物しか持ち出すことができなかったからだ。


 秘儀書、玻璃球、金貨、武器はもちろん忘れなかったが、あとはせいぜい衣服が一着と毛布程度だ。ハートラッドは徒歩だと四日の距離にある。途中に補給できる村ぐらいはあるだろうが、飲まず食わずで行くのは無理だ。


「トーヤ、ドウル。姫様を見ててくれ」

「いいけど、なにかしにいくのかい?」


「水と、なんか食べられるもん探してくる。リズ、お前も来いよ。俺は植物のこととか分からんから」

「はいはい」


 ハキムは立ち上がり、尻についた土埃をはたいた。幸い、今は夏。木苺ベリー堅果ナッツが実る季節だ。


「……すまんな」

 ドウルが呟いた。


「気にするな」


「姫様をお助けするのが吾輩の使命なのだが」

「使命どうこうじゃない。腹が減ったからメシを探しに行くだけだ」

「うむ……」


 気持ちは理解できないでもないが、今弱気になられても困るのだ。ハキムはあとを頼むとトーヤに目で合図し、リズを伴って道沿いを離れた。



 森とはいっても樹々は比較的疎らで、下草も少なく歩きやすい。柔らかい土を踏みながらうろつきまわって半刻ほど、何種類か食べられそうな実と、傷や疲労に効くらしい薬草が見つかった。満腹には程遠いが、なんとか飢えを凌ぐことくらいはできそうだ。


「お、水の匂い」

「本当? 私、身体洗いたいんだけど」


 正確には、湿った土や葉や苔のにおいだ。ハキムは風向きを確かめてから、小川だか泉がある方向に歩き出す。少し行くと、それなりの深さと広さがある泉に行き当たった。新鮮な湧き水があるらしく、泉の底まで見通すことができる。


 無警戒に進もうとしたリズの肩を掴んで制止し、ハキムは辺りを見回す。敵ではなく、獲物を探すためだ。肉が欲しい。


「ウサギがいる」


 茶色い野ウサギが、鼻をひくつかせながら水を飲んでいた。まだこちらには気づいていないが、近づけばすぐに逃げてしまうだろう。


「私がやろうか」

 リズが囁いた。


「森を燃やす気か。俺がやる」


 彼女がそんな下手を打たないのは分かっているが、なんといっても魔術は体力を消耗するのだ。ウサギを狩るだけなら、もっとうまい方法がある。


 ハキムはポケットから亡霊の指輪を取り出して、指にはめた。腰から短剣を抜いて、ゆっくりと足を踏み出す。


 距離二十歩の位置、風下からゆっくりと。姿が見えなくなっているとはいえ、野生動物は人間よりも音と気配に敏感だ。葉や小石を強く踏まないよう注意しながら、狙える場所まで抜き足差し足で進む。


 位置につき、最小限の動きで構えてから、狙い澄ました投擲。ほんのわずかな風切り音を立てて、ナイフの刃がウサギの背中に突き刺さった。


 キッ、と悲鳴を上げてウサギが走り出す。ハキムはそれを追うが、もう急ぐ必要はなかった。そのうち弱った獲物は足を止めてうずくまったので、あとはその耳を捕まえて、身体からナイフを抜き、首を掻き切るだけでよかった。


 喉に刃を入れると、ウサギの身体は一度強く震え、動かぬ食肉となった。


「昼食は鍋にしよう」


「先に身体洗っていい?」

「いいぞ。俺は向こうで皮剥いでるから」

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