第十一話 アンデッドの夜 -4-
縦横四十歩の中庭。普段は半日陰で育った芝が青々としている場所だが、今は転がった石壁の破片が松明で照らされ、赤々とした無残な場景を作り出していた。
南側の門は既に崩壊寸前であり、その向こうからは丸太のような武器を構えた巨躯のアンデッドが見える。
レザリアでグランデと呼ばれたそれ。相まみえるのはいつ以来か。
「門が破られるぞ!」
なすすべもなく事態を見ていた兵士の、悲鳴に似た声が響く。グランデが振りかぶり突き出した丸太の先が、一際派手な音を立てて門ごとその枠を破壊し、黒鉄の蝶番や留め金を吹き飛ばした。
飛来する瓦礫に人々が身を竦ませる暇もなく、アンデッドたちが群れを成して侵入してくる。
「魔術師を守れ!」
ハキムは叫び、トーヤと肩を並べた。傍らには大剣を構えたドウルが立つ。
「下がってた方がいい、ハキム」
「なめんな。さっき姫様に啖呵切ったの見てただろうが」
「まったく二人とも、若い癖に肝が据わっておるわ」
中庭には十数人の兵士がいる。彼らはアンデッドと交戦したことがないために、また突然に襲撃されたために、大きく動揺しているようだった。踏みとどまり、武器を構えてはいるものの、自然と道を開けるような陣形になってしまっている。
ハキムはよく訓練された兵士に比べて非力だが、ことアンデッドの殺傷については遥かに経験を積んでいた。トーヤについては言わずもがなだ。
右翼と左翼にカラマスの兵。正面にハキム、トーヤ、ドウル。その背後にリズ、メサ導師、ベルカ導師、他学院の魔術師が二名。魔術師たちの中央にエシカ。周囲には破壊されつつある城館の壁。さらにそれを囲む頭数不明のアンデッドと、おそらくは敵の魔術師。一筋縄には行かない戦いだ。
戦端が開かれた。大抵の者には、腹を括る時間さえなかったかもしれない。咆哮、地響き。グランデが身体を前に傾がせて、進路上のアンデッドたちさえ弾き飛ばしながら突進してくる。
背丈は常人の二倍、重さはざっと十倍。その突進は、人間が正面からぶつかって止められるものではない。
普通なら一旦躱して反撃の機を窺うところだが、狭い場所で味方が密集しているうえ、移動できる場所も限られる。おまけに鈍臭そうな魔術師と姫君を庇いながらだ。これまでと同じ手は使えなかった。
覚悟を決める一瞬前、ハキムはふと思う。
もし自分に同じだけの体躯があったら。常人の倍とまではいかなくても、常人並みとか、トーヤと同じくらいとか。あるいは卓越した戦闘技術なり、リズのような魔術なりが使えたら。
そういうものを持っていれば、レザリアでも、ネウェルでもずっとよく戦えただろう。今この場でも、大口に見合うだけの活躍ができるかもしれない。
しかし自分は持っていないのだ。持っていないことを悔やんでも仕方がない。時間が立てば盗める業があるかもしれないが、それには長い月日がかかる。
なら、今あるものでやるしかない。自分は剣術も魔術もからきしだが、その気になれば無茶と無謀は人一倍だ。
ハキムはトーヤとドウルに先んじて一歩を踏み出した。
身体を深く沈めて丸太を避け、右脚と左脚の間に滑り込む。蹴り飛ばされないよう胴体をねじり、全身のばねを使って槍を突き出した。ハキムはほとんど意識していなかったが、それは長槍を持った歩兵の戦列が、突撃してくる重装騎兵を待ち受ける方法と同じだった。
もっとも、ハキムの槍はその方法を採るには危険なほど短く、突撃してくるのは馬の二、三頭は容易に叩き殺せそうな異形の怪物だったが。
押し返された槍の石突が地面ぶつかり、大きく抉る。しかしその穂先は敵の下腹に埋まり、突進の速度がそのまま刺突の勢いとなった。深々と肉を貫いたそれは、グランデの前進をわずかな間止めさせた。
それと相前後してトーヤの一閃が太腿の肉を大きく切り裂き、ドウルの大剣が分厚い胸板に叩きつけられた。グランデの足が完全に止まる。エシカまでは残り十歩の距離だった。
そして背後の誰かが飛ばした青い炎が、黒い巨体に火を着けた。アンデッドに巡るエーテルを燃やすという夜の火は、まるで藁人形を燃やすかのようにグランデを焼き焦がしていく。既に十分な損傷を受けていたグランデは、丸太を取り落として力を失う。
「熱っ、あっつい」
リズの炎ほどではないが、夜の火もまた高熱を持っていた。それは急いで槍を引き抜き股下から這い出したハキムに燃え移ることはなかったが、近くにいた何体かのアンデッドに舌を伸ばし、一瞬で青い松明に変えた。
際立って大きな一体を屠ったことで味方全体が沸く。グランデの突進で肝を潰していた兵たちもやや意気を取り戻し、動きの鈍いアンデッドに攻撃を加えはじめた。決して殺せない敵ではないと理解したのだ。
「こいつはどっから出てきたんだよ」
ハキムは疑問を口にする。これほど大きいアンデッドが市街に潜めるはずはない。カラマスの防壁を破壊して侵入し、ここまでやってきたのだろうか? しかし問うてみたところで、真実を答えられる者はこの場にいない。じっくり考える余裕もない。
「さあね、でも今ここにいるのは確かだ。まだ出てくるかもしれない」
トーヤが言った。
「勘弁してくれ。リズ! いけそうか」
「大丈夫!」
元気のよい声が返ってくる。見たところ、夜の火は期待通りの効果を発揮している。消耗も大きくはなさそうだ。
しかしまだ相手の出鼻を挫いたに過ぎない。破壊された門から、死を恐れないアンデッドが続々と侵入してくる。
放たれた夜の火が密集したアンデッドに投げ込まれると、一度に数体が炎に包まれる。それでも燃えはじめてから足が止まるまでの間は、やはりまだ脅威だった。槍や蹴りで足止めしなければ、魔術師たちが物量で押し潰されてしまう。
青く炎上する中庭は、焼けた肉と蒸発した血の臭いでむせかえるようになっている。それでも身体は空気を求めて喘ぎ、敵を殺すための力を四肢に供給する。
しかし神経を張り詰めていたつもりでも、長い時間のうちにはいつの間にか緩んでしまうものだ。アンデッドの残骸が数十体は積みあがったころ、ハキムの背後で悲鳴が響いた。
咄嗟に振り返ると、魔術師たちの向こうにアンデッドの影があった。城館の屋内に侵入し、廊下を迂回してきたのだ。ハキムが気づいたときには、若い魔術師が背中から掴みかかられ、首をへし折られるところだった。
ハキムが味方の間をすり抜けて、襲い掛かってきたアンデッドの頭を串刺しにする。しかし致命傷を負った魔術師は地面に倒れ、起き上がることはなかった。
タイミングを計ったように、側面の扉からもアンデッドが出てくる。これで四方からの敵に対応しなければならなくなった。
バラバラに出てくる敵に対して、夜の火は最大の効果を発揮できない。
「輪を狭めろ!」
ハキムは叫んだ。互いに背中合わせで戦えば、少なくとも後ろから襲われることはなくなる。
トーヤとドウルは驚嘆すべき耐久力で持ちこたえている。二人の武器にはアンデッドの血肉がべったりと付着しているようで、刃物なのか赤黒い棍棒なのか見分けがつかない。もはや切れ味などには期待せず、突き刺すか殴るかで敵を倒している状態だった。
兵士は二、三人が犠牲になってしまったが、まだ十人以上が奮闘し、徐々に要領を掴んでいるようだった。前線を小さくし、一度に一体ずつ、最小の動きで対処する。態勢が崩れたら一旦下がり、有利な状況でも無理に突出しない。
魔術師たちに新たな犠牲者は出ていなかったが、疲労は無視できなかった。元々彼らは学問の徒で、鍛えられた兵士でもなければ、おそらくリズやメサ導師のような武闘派ばかりでもない。
たとえ派手な魔術でなくとも、使い続ければ消耗は免れないのだ。夜の火を習得していないメサ導師も時折味方を下がらせ、自らの魔術で敵を屠っているようだった。
半刻ほども戦い続けただろうか? 時間の感覚はかなり曖昧だった。しかし長く抵抗を続けているうちに、侵入の勢いが徐々に鈍りはじめた。
城館を取り囲んでいるアンデッドが払底しつつあるのだろう。その上積み重なった残骸が侵入口を塞ぎ、敵の行動を阻んでいた。一度に入ってくる数が少なければ、処理するのは難しくない。
やがて侵入は散発的になり、少数の見張りを残して、城館内の物資を集める余裕も出てきた。とにかく水が必要だった。全員の喉がカラカラだったし、傷口を洗わなければならなかったからだ。
白兵戦に参加しなかった魔術師たちも激しく疲労していた。老齢のベルカ導師などは瀕死の有様で、身体が汚れるのも構わず地面に転がっている。
「生きてるか? バアさん」
「……辛うじて」
とはいえ、これで終わりかどうかは疑わしい。トラブルというものは一旦乗り越えたと感じさせ、こちらの気が緩んだタイミングで、後頭部を思いきり殴りつけてくるものなのだ。
補給のためにハキムが探索に出かけると、屋内は惨憺たる有様だった。避難民の半数はアンデッドの犠牲になるか、パニックの中で踏まれたり階段から転落したりして命を落としていた。
生き残った者は小部屋に家具を積んで立てこもったり、上階に逃げたりして息をひそめているようだった。犠牲は大きかったが、彼らの存在がアンデッドの進撃を遅らせたのもまた事実だった。
束の間の休息。座れる場所を確保し、食べられる者は食べ、血と脂でドロドロになった武器を拭う。城館の外はやけに静かで、それがむしろ事態の深刻さを物語っているようだった。
夜明けまで、あと一刻。