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第十話 アンデッドの夜 -3-

 できる質問は多くない。もし――それが可能だとして――襟首を掴んで脅したところで、彼女は以前やったように消えてしまうだけだろう。


 リズは五つでも六つでも質問をしたそうな顔だったが、今のところはぐっとこらえていた。トーヤは一歩引いたような態度で、周囲の気配に耳を澄ませていた。


 エシカとドウルは想像の域を超えた出来事にすっかり面食らっていて、事態を飲み込むのに精一杯といった様子だった。メサ導師とベルカ導師もまたいくつも浮かぶ疑問を整理し、優先順位をつけるのに手間取っているようだった。


「オヴェリウスの目的はなに? ただの世界征服?」


 口火を切ったのはリズだった。ウェルテアはゆっくりと起き上がり、身体の向きを変える。


『〝消し炭〟のリズ。思えば汝の関心事は、はじめからそれであったな。目的、目的か』


 その一端を、ハキムたちはレザリアの深奥で、オヴェリウスから直接聞いた。しかしそれは緊迫した状況でのやりとりであり、彼が本心を語っていたとは限らないのだ。千年前、オヴェリウスはなにを目指し、今またなにを目指しているのか。


 玻璃球の存在やこれまでの経緯から考えて、彼とウェルテアの間に深い関係があるのは明らかだった。ならばその真意について、彼女はどのように理解しているのか、ハキムにも興味があった。


『川辺に流れ着いた孤児みなしごは、なにもはじめから世界を差配しようとしていたわけではなかった』


 ウェルテアは千年の虚空に目を遣り、ゆっくりと語りはじめた。


『消えかかる命にほんの気まぐれで与えた魔の欠片を、あそこまで育てたのはあやつ自身の知恵と信念よ。それでも決して力に呑まれたわけではなかった。これは少々、身内贔屓に過ぎるかもしれんがな。


 あのころ、人は弱かった。嵐で吹き飛ぶような家で集落を作り、病や日照りがあれば虫や獣と同じように死んだ。あやつが人をまとめて国を作ろうとしたのも、力ある人間が進む当然の道筋だったかもしれぬ。その境地に至るまで、相応の葛藤や覚悟はあったのだろうがな』


 今から一千年前の世界を、ハキムは想像した。地底に落ちたレザリアが思わせる往時はあまりに壮麗だったが、ウェルテアの口振りからすれば、それはオヴェリウスの時代になってから創られた文明なのだ。


 ハキムはまた自らが育ったスラムのことを思い起こした。貧困に喘ぎ、虫のように死んでいく人々がそこにはいた。知恵か腕力を持たない者は長く生き残れず、持つ者は多少長く生きることができた。


 もし比類のない能力を持ちながら同朋を虐げず、世界そのものを変えようという者がいたとしたら、それはおそらく高潔な精神の主であるに違いなかった。


 オヴェリウスは根っからの暴君でも、狂人でもない。ウェルテアが言っているのはそういうことだ。


『軍を起こし、国を作り、領土を広げ、法を整えた。数えきれないほどのものを世界にもたらし、数えきれないほどのものを破壊した。渦が混沌をかき混ぜて、新しいなにかを造るように、あやつはそれを成した。そこまでは、我のありようとさして違いはなかった。


 アルテナムがその輪郭を確かにするころ、あやつは自らが造ったものの上に立ち、更に高い場所を目指した。我は天象儀の内側からそれを見ていた。山に登り、雲海を眼下に見るがごとく、神をも睥睨しようとする所業をな。


 あやつは魔術を作り出し、大いに利用したが、それで国民を支配するようなことはしなかった。神と同じような方法は採らなかったのだ。代わりに迷信を取り払い、国民を教化し、ゆっくりと神々への信仰を排除していった。


 事業は完遂しなかったが、効果はあった。この千年、神、アーク、月や太陽、超自然への信仰はすっかり失われたわけではないが、それに全てを預ける人間は少なくなった。自ら学び、成す。人は神話の客体ではなく、歴史の主体となったのだ』


「それでも、結局は滅んだ」


 ハキムは口を挟んだ。レザリアを地底に墜としたのはオヴェリウス自身だったが、心から望んでそうしたわけではないだろう。全体として見れば、アルテナムは滅ぼされたのだ。


『あやつが元より不死だったならば、ああまでは急がなかっただろう。神話は終わりつつあったが、まだ国を一つ滅ぼすのに十分な力を持っていた。押しのけられた水がまた元のところへと戻るように、世界の揺らぎはアルテナムをほとんど跡形もなく消した。


 だが撒かれた種まで根こそぎにされたわけではなかった。人々は国を、法を、歴史を創る力を得た。だからあやつは千年待った。オヴェリウスとアルテナムの名が忘れられても、かつて世界そのものであった神々が、アークという名の、遠い概念になるまで。


 そして今、復活し、肉体を取り戻した。事業の続きをやるつもりなのだ。世界に秩序を行き渡らせること。アルテナムを次こそ永遠のものにすること』


「でも、もう千年前とは違う。ちゃんと国があるし、法律もある」

 リズが言った。


『あやつにとっては不完全な、束の間の均衡に過ぎないのだろう。十年後の安定さえ保障されていない。国々の戦いと盛衰が続けば人々の心は弱り、神話の時代に逆戻りするかもしれん。その目的において、あやつは軍を起こすのだ。もはやそのありようは、我のものとは遠く離れたがな』


 ウェルテアの口から語られたことは、レザリアでオヴェリウスが語ったものと大きな齟齬はなかった。しかし他者の口から、ある種の共感をもってそれが語られた事実は、ハキムにとってまた異なる意味を持っていた。


 オヴェリウスの所業は確かに大それている。しかし狂気によるものではない。彼は不屈の意志を持ってそれを成そうとしたのであり、いつかの時点で、どのような非道を働いてでも目的を達成しようと決意したに違いなかった。


 同志はなく、神々さえ敵である。当てにできるのは己自身と、幼き日に授かり、培った魔性だけ。一度敗れ、それでも諦めず、千年後に再起を期す。なるほど、オヴェリウスは世界を統べる器かもしれない。


 しかし、それがどうしたというのだ? もとよりハキムは世界の運命に殉じるつもりはない。レザリアに潜ったのも、ネウェルを駆けたのも、私利と仲間のためだった。もしそれを害する存在がいるならば、聖人だろうが覇王だろうが敵である。


 ウェルテアが話を終えた。短くなった蝋燭がじりじりと沈黙を焦がす。城館のどこかから轟音が響いたのは、まさにそのときだった。


 石積みの壁が重いなにかで強打され、崩れた石材がぶつかり合う。警告と混乱の叫び声が上がり、次いで断末魔が聞こえた。


 音は城館の南側、正門の方から聞こえた。広場に集まったアンデッドのうち、大型のものが攻撃をはじめたのだろう。兵舎からの応援は、どうやら間に合わなかったようだ。


 ハキムたちがいる北側の外壁からも、多数の不穏な物音がする。城館はすっかり包囲されていると考えてよかった。


「おいおいおい。まずいんじゃないか」


 城壁の門が破られれば、外にたむろしていたアンデッドも雪崩れ込んで来るだろう。数は百か、二百か。城館内の兵力で押し返すのは不可能だ。しかし、こちらには対処法がある。


「リズ、夜の火ってやつは本当に使えるんだろうな」


「やってみるしかないでしょ。使えなかったら諸共に死ぬしかない」


「ハキム、中庭に移動しよう。狭い場所で戦いたくない」


 トーヤが扉を開き、部屋の全員を誘導する。ハキムはいつのまにか光を失っていた玻璃球を引っ掴み、廊下に飛び出した。


「ベルカ。ほかの同朋はどこに?」


「急いで集めましょう。どのみち一蓮托生ですから」

 そう言うと、ベルカ導師は意外なほど機敏な足取りで、暗い廊下に消えた。


「吾輩は姫を安全な場所に避難させたいのだが」


 エシカは口を引き結び、精一杯気丈な顔を見せている。しかし身体全体の強張りと小さな震えは隠しきれていなかった。


「安全な場所なんてねえよ」

 ハキムはきっぱりと言った。


「ただ一緒に来れば、少なくとも俺より後には死ねるぜ」

「ぬう」


 ドウルは口髭の中で唸り、傍らの姫を見遣った。


「行きましょう、姫。このドウル、たとえ骨の一片になったとしても姫を護ります」

「……はい」


「よし、急げ急げ。中庭に出るぞ」


 夜明けまではあと二刻以上。カラマスに駐屯している兵力がどの程度残存し、統制を保っているのか分からないが、夜明けまで耐えれば生還の可能性は高くなる。


 廊下を横切って中庭に出ると、同じく出てきた守備兵たちが、侵入してきたアンデッドに応戦しているところだった。


「やってやるよ」

 ハキムは自分を叱咤して、持った短槍を強く握り直した。

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