24. 私の振るう剣(4)
下卑た男の声が今も胸に響いている。
真っ暗な闇に取り残されて、
海の底に沈んでいく。
ぶくぶくと海水が口の中に入ってきて
息が出来なくて苦しい..。
身体は鉛のように重く、
そのまま闇の中へと沈んでいく。
私は天へと手を伸ばす。
「苦..しい..よ....。
ジュール..」
やっぱりあれは夢だったんだ。
あの温もりが恋しいんだ。
私の求めた幻想なんだ。
寂しい。
あの日の、私が死んだ日みたいな暗がりが
私の前に広がっている。
私は胸のペンダントを両手で握る。
「助..け..て....」
....ィ....ルイ....っ
....ルイ..っ
誰かの声が響いてくる。
暗い海に光が降り注ぎ誰かが私の手を握った。
「ルイ....っ」
目を覚ますとベッドに寝かされ、
ジュールが私を見ていた。
目が合うと眉を悲痛に潜めて泣きそうな
瞳を揺らがせる。
どうしてそんなに悲しそうなんだろう..。
何かあったんだろうか..。
私はむくりと身体を起こすと頬に涙が伝う。
ぼんやりとした頭が徐々に鮮明になってくると、ジュールの手を握っていることに気づき
すぐに手を離した。
「ごめん...っ」
赤面して焦る私を見てジュールは複雑げに
瞳を細めると私の身体を強く抱きしめた。
そうか..私を心配してくれているんだ..。
抱きしめたジュールの震える身体や、
ドクドクと跳ねるような鼓動が
それを伝えてくれる。
こんな時にサラシを巻いていて
良かっただなんて無粋なことを考えてしまう。
ただ、ジュールの鼓動が先ほどのことを
夢じゃないことを教えてくれ、胸が暖かくなる。
「ジュール、久しぶり。
助けてくれてありがとう」
身体を離すと、
ジュールの方を見て笑顔を作る。
「あぁ」
ジュールはその言葉に瞠目すると
切なげな微笑みを浮かべて頷いた。
「それ、つけてくれていたんだな」
ジュールが私の胸にある
ペンダントを指差す。
私はハッと見ると服の中にしまっていたはずが
服の上に取り出していた。
私はペンダントを両手で大切に握る。
これにはいつも助けてもらっているから。
「うん、辛い時にこれを握ると
気持ちが落ち着くんだ。
無いと生きていけないくらい」
私が微笑んでそう言うとジュールは
瞠目して赤面する。
「.....」
「え..?」
私は思わぬ反応に驚いて
顔がブワッと紅潮する。
「いっ、いや?変な意味はなくて..っ」
私がしどろもどろに誤魔化すと
真っ赤になったジュールは口を手で
覆いながら目をそらした。
「わっ.....分かっている。
さっきの事を思い出して」
「さっきの事..?」
「.....................なんでもない」
ジュールはそう言うと顔をそらしてしまう。
え、えええ、何さっきの事って。
私寝ぼけてなんかしたのかな..。
「私、なにか粗相を働いたり..?」
ジュールは顔をそらして何も言わない。
待って..、これは夢じゃないんだよね。
さっきのって、
助け出された時のことじゃない..
ちょっと待った、私何かしたっけ?
あ....。
“ジュール、ありがとう。
....大好き”
思い出した..。
私、夢だと思って凄いこと言った....。
私は沸騰しそうなほど全身が熱くなる。
ドキドキと心臓がおかしくなりそうなほど
高鳴っている。
どうしよう、どうしよう..
「........」
ジュールのそらした顔を見て思い出す。
そうだ、ジュールには大切な人がいるんだもん。....私の気持ちなんて困る..よね..。
私は拳をぎゅっと握ってジュールを見る。
「....ジュールは家族のように大切な親友だからさ、大好きなんだ」
ズキリと胸の痛みをこらえながら
笑顔をつくるとジュールもこちらを見る。
ジュールは複雑げに微笑みながら頷いた。
「....俺も同じ気持ちだ。
無事でよかった」
「.......」
何か言わなければいけないのに言うことが
出来ない。自分でも思っている以上に
ショックみたいだ。
ジュールにとって私は友達、
その枠から決して出ることは出来ないんだから。
「坊っちゃま....!っ
目を覚まされたのですね..っ」
もどかしげな沈黙を破るように
ガチャと部屋を誰かが開けると
急ぎ足で駆けてくる。
「アリシア..どうしてここに..?」
私の手をぎゅっと握ってアリシアが
顔を近づけてくる。
アリシアの感涙に揺れる瞳が私をとられた。
「あぁ...あぁ...っ
坊っちゃまだわ...良かった..。
よくぞご無事でお戻りくださいました..」
アリシアは瞳に涙をいっぱい浮かべて
柔らかに微笑む。
「二人とも、心配かけてすまない。
事情は落ち着いてから話すよ。
ここは一体どこ?海賊達は?」
どうして二人がここにいるんだ?」
私の質問に二人は顔を見合わせると
アリシアは頷いて私を見る。
「ここは私の仲間の船の中です。」
「アリーチェ様!
港町に着きました!」
アリシアが話していると後ろから船員と思われる男が声をかける。
「アリーチェ?」
私が問いかけると
アリシアは決心したような瞳を
私に向けて微笑んだ。
「アリーチェはかつての私の名です。
私はかつてスレイグの領主だったロベルト・コールソンの妹だったのです。
この船は兄の統治時代にこの港を守ってくれていた水軍のもの」
アリシアの細めた新緑の瞳を見ると
セレネのことを思い出した。
セレネの叔母はアリシアのことだったんだ。
「でもセレネの叔母は人質になったまま
帰ってこなかったって..」
アリシアは複雑そうに瞳を歪めると
苦々しげに微笑む。
「兄は私のせいで死んだのです。
他国との戦争で兄が留守にしている際に
屋敷が襲われ、私は海賊達にさらわれ人質になり
帰ってきた兄は私のために死にました。
兄は正義感が強く、味方も多い代わりに
敵も多い男でしたから..」
「アリシアのせいじゃないよ。
襲った海賊達が悪いんだ」
私が言うとアリシアは瞼を閉じて
首を横に振った。
「いいえ、兄の死んだ領は後継者がいなく
他領の領主に回ることになりました。
私はそれが悔しかった。
陛下に何度も懇願しましたが私は領主として
認められず国を譲ることになりました。
この領の悲劇の根本は私にあったのです。
姪のセレネにも領民にも、合わせる顔がなく。
私はそのまま命を断とうとしました。
そんな時にアンドレ様に拾って頂いたのです」
「アリシア..」
投げかける言葉が見つからずアリシアを見つめているとアリシアは再びいつもの笑みを取り戻して手を差し伸べる。
「行きましょう、ルイ坊っちゃま。
貴方は私を苦しみから救ってくれた太陽なのです。貴方と共になら私は再びこの領に戻る事ができる気がします」
私はジュールとアリシアを交互に見る。
この手を握ったら、
私は本当に再びルイとして
生きることになる。
私は深呼吸をしてアリシアの手を取った。
「ルイ!良かった!無事だったか!」
港に着くと、アルトが駆け寄ってきて
剣やホルダーを渡してくれる。
周りにはセレネやアーサー、リュカもいて、
大量の海賊達が縄で繋がれている。
私が困惑げに見ているとリュカも
こちらにやってくる。
「大量でしょ?
まさか海賊も解体されたはずの元水軍と
近衛騎士第3団騎士団が乗り込んでくるとは
思ってなかったようだよ」
リュカが私の後ろから出てくる
ジュールににこりと笑みを投げる。
「それだよ、どうしてジュール達がいるの?」
「彼ら任務の帰途でスレイグを通る事を
知っていたからね。私が伝令を送ったんだ。
勿論王都にも同時にね」
「他領の問題に勝手に軍を出していいの?」
私が聞くと後ろからジュールが答える。
「ルイの確保は今の近衛騎士の
最重要任務だからな。
俺達はスレイグの問題を解決しに
来たわけではないんだ」
「と言うことにしておいてね」
リュカが人差し指を鼻に
近づけて艶美に瞳を細めた。
ジュールの方を見るとリュカの微笑みに答えるように強気に微笑む。
「でも解体されたはずのロベルト侯爵の水軍と
手を組むのは当初の予定にはなかったんだがな。姿を隠した水軍を連れてきてくれたのは
貴方でしょう。改めて礼を言う、
アリシア、いやアリーチェ様」
アーサーが私の傍に立つアリシアに声をかける。私は緊張しながらアリシアを見ると、
アリシアは私を見て微笑み、アーサーを
真っ直ぐに見て一礼する。
「王都でお見かけして以来ですね。
アーサー様。礼には及びません。
彼らは私に従ったのではありませんから。
自分からこの領を再び守りたいと立ち上がったのです。
兄の事で無念を感じていたのは私だけでは無かったのです」
「叔母様....?」
会話を呆然と聞いていたセレネがポツリと呟く。
アリシアは切なげにセレネの方を向く。
セレネ涙を頬に流しながらよろよろとアリシアの
方へ行くとアリシアをぎゅっと抱きしめた。
「あぁ.....叔母様だわ...っ
嬉しい、生きていてくれた....っ
嬉しい....っ良かった.....良かったわ.....」
セレネの言葉にアリシアは大きく目を見開く。
瞳から大粒の涙がポロポロと伝った。
「..どうしてそんな温かい言葉をくれるの..?
私を恨まないの?セレネ....。
私はこの領を守れなかった..。
そればかりか身勝手に投げ出してセレネを
一人にしてしまったのに..」
「いいのよ、叔母様。
嬉しいのよ..。
血を分けた家族が生きて戻ってきてくれた。
それだけでいいの」
「それにね」
セレネは涙で濡れた瞳を細める。
「私は一人じゃなかった。
アーサーやアルト達が家族のように私と接してくれた。カロルドだって私を信頼して仕事を任してくれる。私は恵まれているわ..」
セレネがそう言って微笑むと船からぞろぞろと居心地の悪そうな顔で体格のいい男達が出てくる。
「セレネ様、お久しぶりでございます..」
「お父様の騎士団の方達...っ
みんな..無事だったのね..っ」
「セレネ様..、
俺達もこれからはまたセレネ様のお役に立ちたい。ロベルト様の代わりに貴方やこの領をお守りしたいのです。
セレネ様がお嫌じゃなければですが..」
元水軍の騎士の一人がセレネに話しかける。
セレネは目を大きく見開くと満面の笑みで頷いた。
アリシアとセレネの様子を見て感動していると、アルトが隣で訝しげに首を傾ける。
「だが、どうしてアリシア達は
お前の居場所が分かったんだ..?
敵の海賊船の中にいる事はイレギュラーな事態で俺やルイ以外知らなかったはずだ」
「俺が伝えたんだ」
「パール!!」
急に足元から低い声がして下を見ると
パールが眠そうに腰をつけている。
私がそう呼ぶとあたりにいる人たちの視線は
パールに集中し、皆膝を折って礼をする。
私とリュカ、パール以外が取り残されるような状態に放心するとアルトがこちらを睨む。
「おい!ルイ!この方は神官様だ。
頭を下げろ」
アルトに睨まれおずおずと膝を折り礼をするが
ことの自体が飲み込めていない。
リュカがパールの前に行くと、
膝を折り、一礼してパールを見る。
「パール様、よくお戻りくださいました。」
あ、この世界だと神官は国王クラスの
大物だった事を忘れていた。
私、結構失礼な真似しちゃったような..。
「皆顔を上げろ。
特に..ルイ、尊きお方をあまり困らせるな
お前に置いていかれて嘆いておられたぞ」
パールが私の足元にやってくる。
「神様が..?」
私が聞き返すとパールが私の腰につけられた
ホルダーを見る。
さっきから話しかけても応答がないけど、
ちゃんといるのかな..。
私はホルダーのポケットから
くまの人形を取り出すと
むすっとした神様がこちらを見た。
「神様、心配かけてごめんね..」
私が言うと神様は嘆息して機嫌悪げに私をみる。
「別に由来が無事ならいいよ、僕は。
どこかでくたばったとしても意地でも
生き返らせてやる気だったし」
ふんとそっぽを向く神様に苦笑すると
周りの視線が集まっていることに気づく。
「なんか今その人形動いてなかったか..?」
アルトが困惑げに私達を見る。
「ルイ君?」
リュカの声が上から聞こえぎくりと
身体が跳ねる。
「そう言えばまだ君の事情を
聞いてなかったね?
....王都に着くまでに
じっくりと聞かせてもらうよ」
顔を上げるとリュカが最高級の笑みを
浮かべているのに気づき、鳥肌が立つ。
私は言いたいことがありそうな皆の視線を全身に
受けて沈黙すると観念して深くため息をついた。
******
「お手をどうぞ、セレネ様」
馬車の前で私がにこっと微笑んでセレネに
手を差し伸べる。
セレネはふわりと優しい笑みを浮かべて
私の手を取った。
「ありがとうございます、ルイ様。
驚いたわ、貴方男の子だったのね..
綺麗な顔立ちだから気づかなかったわ。
あっいけない、公爵家の方に失礼よね」
「いえいえ、今まで通りの方がいいよ。
セレネ様もご無事で良かった。
....セレネ様?」
セレネは私をポーッとした顔で見つめるので
問いかけるとハッとした様子でブンブンと
顔を振って表情を直す。
「あっごめんなさい..っ
別に運命なんて感じないわ!
あっ、.....えっと、何言っているのかしら..っ
6歳も年下の男の子に..
あ、いえ..ええと..いい天気ですね..っ」
セレネは一通り慌てふためいた後
誤魔化すようににこりと微笑む。
私は挙動不審なセレネに首を傾けると
隣に座っていたアルトが溜息をついた。
「姉上を誑かさないでくれ、天然魔性」
アルトの言葉がよくわからず首を傾けると
馬車が港町に入る。
港町は何事もなかったように
人が多く集まり賑わっている。
人々の笑顔を見ると胸が暖かくなる。
“誰かを守ろうと振るった剣ならば
自分が守れたと思うまで振るえばいい。
お前の振るった剣はそういう剣だ”
アーサー、私はそういう剣が振るえたかな。
私のやったことは決して綺麗なものじゃないけど、そう思っていいのかな..。
「..アルト、私、剣を持つよ。
守りたいものを守るために」
窓の外を見ながら呟くように言う。
「当たり前だ、
俺たちは光の騎士なんだから」
アルトがさも当然のように返す言葉に
私は瞠目してしっかりと頷く。
馬車を出ると爽やかな風が吹き抜ける。
私は乱雑に切られた自分の髪に触れて空を見た。
「私は私なりのルイとして生きていくよ」
誰に聞こえるでもない私の呟きは潮風に乗って群青に広がる空に霧散した。
お読み頂きありがとうございます。




