21. 私の振るう剣(1)
馬車の歯車の音が規則的に響いている。
オリヴィアを見ると小さく寝息を立てながら
こくりこくりと船を漕ぎはじめた。
馬車は港町に入りカラフルな街並みの隙間から海が見え、潮の香りが車窓の隙間から香ってくる。
ジュールと再会して3日が経過した。
由来と言う名前を知られてしまった以上
もうオリヴィアとは離れるべきだろう。
ジュールはまだルイが由来だとは気づいていないが、このままではオリヴィアの家も国に不信を買ってしまう。
ここは港がある。
いざとなれば逃げる手段は多い方がいい。
「二人とも、この街に身を隠すと言ったら
ついて来てくれる?」
私は神様とパールの方を見て
苦々しく微笑む。
「良いけど..せっかく雇われ先が出来たのに
本当にいいの?」
神様が心配げに私を見るので
私は眉を下げて頷くと、
くまの人形は魂が抜けたように
肩から転げ落ちた。
「神様?」
くまが転げ落ちるのを掬い上げると同時に
ゆっくりと馬車が停車する。
「降りろ、ユラ。
尊きお方がとめてくださった」
「う..ん......?
ふわぁ..どうしたの?」
パールの言葉に頷くと
オリヴィアが目を覚ます。
「オリヴィア、
やっぱり私、この街に残ろうと思うよ。」
「待って、いきなりどうしたの?」
オリヴィアは焦ったように私の腕を持つ。
「ジュールの報告書が王都に行って
ブルーローゼ邸に調査に来た役人が
私を見つけたりなどしたら
オリヴィアの家は大変な事になる。
今ならまだ間に合う。
私の事も騙された事にすればいいんだから」
私が掴まれた手の上にそっと手を添えて言うと
オリヴィアは睨み返した。
「嫌、由来は知らないかもしれないけど
金目当てにルイの事探してる奴らもいっぱい
いるのよ?それなのに離れるなんて嫌よ!」
「私は大丈夫だよ。
何も永遠に戻らないわけじゃない。
あと少しだけ戻る勇気をつける時間が欲しいだけだから」
私はオリヴィアを真剣な眼差しでじっと見る
暫く睨み合ってからオリヴィアは長い溜息を吐いた。
「......分かったわ、由来ってほんと頑固なんだから。でもこれだけは持って行って」
そう言うとオリヴィアは
お金の入った袋と大きめのローブ渡す。
「だけど」
「いいから。
匿うと約束したのは私だもの、
ここで飢え死でもされたら目覚めが悪いし
これは貸しにしておくわ。
利子はしっかりつけとくから」
オリヴィアはウィンクして私の手に袋を握らせた。
「....本当にありがとう、
オリヴィアも気をつけて」
オリヴィアに深く頭を下げ、
ヘッドドレスをとって
まとめた青紫の髪を解き、
ブルーローゼの紋章をオリヴィアに返す。
ローブを被り、馬車を降りようとすると
後ろから引き止められる。
「待って由来、光の騎士の身に
責任を感じすぎてはだめよ。
私は絶対魔女にはならないわ!私を信じて」
オリヴィアの真っ直ぐな瞳にしっかりと
頷くと港町の建物の陰に身を隠した。
暫くして馬車は再び動き出し、
手に抱えていた、くまの人形が動き出す。
「うまくいったみたいだね
あとは沙耶がなんとかしてくれるよ」
神様の言葉に同意して辺りを見回す。
港町の市場には人が多く行き交い
彩り豊かな様々な他国や
他領の調度品が売られている。
それらを楽しむ人々の中に
私と同じようにローブを纏う二人を
見つけ様子を確認する。
チラリとわずかに見えた姿に目を見開いた。
艶やかな白銀髪と
燃えるような赤髪の二人の少年。
直感と確信が同時にくる。
間違いない、アルトとリュカだ。
アルトがいるってことは、
..もしかしてここはスレイグ?
私は二人に見つからないように
路地裏に身を隠す。
「由来もついてないね。
第3王子の来訪と被るなんて、
あの様子だとお忍びのようだけど」
肩で神様がコソコソと囁く。
「景色がすっかり変わってて
スレイグだと気づかなかった..
今一番まずいのはパールだ、
身を隠すにもここは人が多すぎる」
不意に壁を見ると張り紙がされていた。
張り紙には私の名とパールの名、
容姿と特徴、それと..
「け、懸賞金の桁が
ものすごい額になってる..」
うわぁ..この様子だとどの領にも
この張り紙貼られてるかもしれない。
オリヴィアの言ってた金目当てって
多分これのせいだ.. 。
「言わば私達、大量の金貨抱えて歩いてるような
ものって事ね..」
「傷でもつければ死罪もあり得るけどな」
パールの冷静に吐き出された言葉に
想像すると気が滅入ってくる。
ずっと寝ていた私は攫われたのが
つい最近の事のように感じているけど
あれから3年も経っているんだものね..。
国に大捜索されて心配かけて..
だけどまだルイになれない。
長い時間が欲しいとは言わない、
もう少しだけ、
気持ちの整理をつける時間が欲しい。
私は嘆息しながらその隣の張り紙を見た。
「失踪中のフィリシアーヌ公爵家の長女、
リリア10年ぶりの涙の再会...」
え....?
フィリシアーヌ公爵家って言ったら
ヒロインの家だ。
長女はもちろんヒロインであるリリアのこと。
リリア・フィリシアーヌ
孤児院から農夫の家に引き取られ、
本編ではエンディングの
最後にリリアの本当の家柄が判明する筈だった。
なのにどうして?
今は私と同じ13歳の筈。
予定よりずっと早い。
私は動揺しながらその張り紙を
食い入るように見つめた。
張り紙に描かれたぬいぐるみを抱き、
愛らしく微笑む少女は間違いなくヒロインだ。
誰かがリリアに接触した?
オリヴィアがやったなら言ってくる筈だ。
まさかリリアも転生者?
だったらどうしてこのタイミングで..
ドクドクと胸が逸るように脈打つ。
“私は絶対魔女にはならないわ。私を信じて”
不意にオリヴィアの言葉を
思い出して頬を両手で叩いた。
そうだよ、例え話の流れが
ゲームと違っても大丈夫。
だってオリヴィアが魔女になる筈ないもの。
「クロ..」
ぼそりと放たれた神様の言葉に
神様の方を見ると険しい顔で一心に
その張り紙を見ていた。
「くろ?」
訝しげに聞き返すと神様は
ハッとしてにこりと微笑む。
「フィリシアーヌ家の次は
クロフォード家の子息が失踪しちゃって
公爵家も大変だね」
「その言葉、神様が言うの?」
私は口を尖らせて神様をつつくと
背後から足音が聞こえ、パールを見る。
「パール、私のローブの中に入って」
私はパールを抱き寄せ、
鉄製のゴミ箱陰に身を潜める。
息を潜めて人々が通り過ぎるのを待つと
声が聞こえてきた。
「ロアンの奴等今度は
本気で街を襲うらしいぞ」
「全く、新しい領主は何やっているんだ」
「とにかく俺たちは早く引揚げよう、
役人があいつらに敵うわけねえよ」
街を襲う?
ロアンとは誰?
アルト達がいるのはまさかこれが原因?
「神様、お願い」
「僕の女神の仰せのままに」
神様はそういうと、
通り過ぎていく男達の一人に乗り移る。
『すまん、忘れちまったんだが
ロアンって奴はどんな男だっけか?』
小太りの男に乗り移った神様が問うと
男の一人が素っ頓狂な声を上げる。
「おい、ボチちまったのか?
ロアンは人の名前じゃねえよ。
海賊の集団の名だ。
お前も聞いてただろ、例の酒場でさ」
『本気にするなってジョークだろ?
あの酒場、えーっとなんて名だっけ』
「モルトだよ、モルト、
アイゼンタール通りの裏路地にある店だろ」
「おい、あんまデカイ声で話すな。
誰かに聞かれたらどうするんだ」
男達の声が遠のいていく。
ロアンという海賊団が
この港町を襲おうとしているの?
スレイグの街は以前と比べ物にならないくらい
活気づいていた。
麻薬に街を侵された面影など
微塵も感じさせない程に..。
きっとスレイグの変貌はアルトのお姉さんや
街の人々の努力の結晶だ。
それなのにこの街を海賊が襲うなんて..
“アイゼンタール通りのモルト”
「神様ありがとう、
そこに行けば何か分かるかもしれない」
私が礼を言うと、くまの人形が再び動き出し
満足げに微笑んだ。
アルト達はきっと
この問題に気づいているだろう。
そしてこの問題に踏み込めば踏み込むほど
正体がバレる可能性が深まる。だけど..。
「二人とも身勝手でごめん。
私、アルトの守ろうとしているこの街を
放っておく事は出来ない」
見つかってしまえばそういう運命だったのだと
のみ下せる。
だけど何もしないままこの街が襲われれば
私は一生後悔するだろう。
二人は私の言葉に無言で頷いてくれた。
夕刻を過ぎた頃
私達はモルトという酒場の前にいた。
路地裏の片隅にあるこの酒場は見つけるのに
苦労した。
「本当に行っていいんだな?
目立つ事をすれば国にバレるリスクを背負うことになるが」
パールの言葉に頷いて
しゃがみ込み、耳のカフを撫でる。
「分かってる。
だけど私は聞いてしまったから、
何もしないわけにはいかない」
「手筈通り行くよ、由来」
神様の言葉を皮切りに酒場の戸を開けた。
こじんまりとした酒場の室内は薄暗い。
室内にはゴロツキの集団が酒を飲んだり、
部屋の隅で男女が抱き合っていたり
とても行儀のいいバーではない事は明白だ。
テーブルにはギャンブルをしているのかコインが散らばっていた。
カウンターに座ると定員が話しかけてくる。
「お嬢さん、いくつだい?
まだ酒が飲める年頃に思えないが」
私が無言を貫くと観念したのか
それ以上話しかけてこなかった。
隣に座っている客を盗み見ると
私と同じようにローブで姿を隠している。
暫く周囲に耳を澄ましていると
背後でギャンブルをする
男達の会話が聞こえてきた。
「それで、
ロアンの奴等決行はいつだって?」
「ったく、いつまで待たせる気だ?
俺達が協力してやるってのにノロマ過ぎる」
ロアン、その言葉にピクリと身体が反応する。
「新しい領主には頭が来てるんだ、
黒布の取り締まりも
ちっとも緩めねぇしよ」
「元々持って来たのは前領主だってのに
ムシのいい話だぜ。
このままじゃ俺らの商売上がったりよ」
黒布とは以前スレイグで横行していた
粗悪品の麻薬の事だろう。
もしかしてコイツら、
麻薬の商売人なのかもしれない。
海賊と麻薬が絡んでいるなら
一層捨ててはおけない。
「神様、あの男達の一人に取り憑ける?」
私が小さく呟くと神様が頷く。
『それで結局ロアンの狙いは何なんだ』
神様がゴロツキの集団の痩せた男に憑依する。
「要するに港を独占して金が欲しいんだろ。
奴らは港を掌握できれば麻薬の取り締まりも出来なくなるしな」
「ふん、前領主の政策で麻薬業に手を染めた貿易商が今は海賊の頭だってんだから面白えぜ」
男達は大きなジョッキで
酒を飲んで笑いあっている。
神様のおかげで状況が把握できて来た。
だけど港の独占なんて想像以上の大ごとだ。
貿易業の盛んなスレイグでそんな事が
起きればこの領は再び荒んでしまう。
『それで、奴らはどこにいる?』
「さっきからどうしたんだお前、
そうだな、奴らの拠点は」
ぐしゃ..っ
不意に鈍い肉を刺す音がして、
音の方へ振り向くと
ゴロツキの一人が呻き声を上げて倒れた。
額にはナイフが突き刺されどくどくと
今も血が噴き出している。
瞳孔は開ききり生気は感じられない。
「あいつ..ナイフを投げやがった」
男達が瞠目する方を辿っていくと入り口に
褐色肌の大男が立っていた。
「お、クリーンヒットか。
危ねぇなぁ
これだから口が軽い奴は困るんだ。
お前らベラベラ喋りやがって、
酒に酔ったじゃ済まされねぇぞ」
男は逞しい褐色肌の腕を回すと
背中から長い剣を取り出した。
「他に喋ったやつはどいつだ?
教えたやつは斬らないでやるぜ」
男の声にゴロツキ達は顔を青ざめると
コイツだコイツだと責任を
押し付け合いはじめた。
「コイツが質問して話を広げたんだ!」
一人の男が神様の入っている
細身の男を掴み上げる。
「は、はひ〜」
細身の男はゆでだこのように
真っ赤な顔をして呆けている。
ど、どうしよう..っ
神様、酔っ払って伸びてる..。
憑依したままその身体が死んだ場合、
神様ってどうなるんだろう。
「へ〜え」
褐色肌の男は細身の男を見ると
ニヤリと歪に瞳を細め、
細身の男の元へ剣を持って近づいていく。
ダメだ、このままだとまずい..っ
私はカウンター席から降りると
褐色肌の男の前に立った。
「なんだ?
ジョーチャン」
男が私を鋭く睨む。
「酔っ払いの世間話など誰も聞いてないよ
どうか武器を収めて」
私が男の瞳を真っ直ぐに見つめると
豹のようにギラつく瞳を愉快げに細め、
剣を振り上げる。
反射的にステッキで受けるが耐えきれず
ぐにゃりと折れた。
「うぐ....っ」
「やるじゃなねえか!
だがそんなオモチャじゃ相手にならねぇ」
間髪入れずにくる2撃目の攻撃を、
袋に入ったままの剣で受け止める。
叩き切られた袋はひらりと
純白の鞘を露呈させる。
すでに掌も痺れている。
一発一発がかなり重い、
このままじゃ手の神経が壊れそうだ。
「なんだ、剣も持ってたのかよ」
褐色肌の男はニヤリと唇を吊り上げると
乱暴に剣を振り回す。
私はそれを避けながら攻撃の機を窺う。
狙いに来た一撃を剣で受けると不意に
鞘の装飾が相手の剣に引っかかる。
「....ッ!」
「さっさと抜けよ、真剣勝負だろ?」
カシャリと音を立てて鞘はみるみるうちに
外れていき、ギラリと光る刃が露呈する。
鞘はそのまま吹き飛ばされ、
ガシャリとカウンターのボトルを割った。
ひぃと店員が情けない声を上げる。
剥き出しになった刃を見ると
視界が真っ赤に染まっていく。
あの日の呻き声が耳の奥に響いてくる。
落ち着け、私..。
ドクリドクリと鼓動が警鐘を鳴らし
剣を持つ腕は震え、
抜け落ちるように血の気が引いた。
ギラリと光る切っ尖が
血飛沫を予感させる。
怖い、苦しい、
殺したくない、憎まれたくない。
“ルイ”
断末魔を遮るように耳の奥で
低く落ち着いた声が響く。
「今は..誰を守るんだっけ」
この男を止めるんだ。
神様を守るために、
この領の情報を得るために。
そうだよ、しっかりしろ、私。
私は胸のペンダントをぎゅっと握りしめ、
長く息を吐く。
ガタガタと震える奥歯を噛み締め、
ギラリと光る切っ尖を男に向ける。
「可哀想に..震えてるのか?
大丈夫だ、すぐに楽にしてやるよ」
歪に微笑む男は剣を振り上げる。
相手の剣がすごい速度で
鼻先に届こうとしている。
“由来、急所を狙え。
教えているのはスポーツじゃないんだ。
父さんがいつも教えているだろう。”
父が口癖のように言っていた言葉を思い出す。
私は女だから、
力のある相手に手加減など出来ない。
剣を交わしたその瞬間、斬るか斬られるか
いつもその判断を迫られる。
切っ尖が迫り、仰いだ先で男と目が合う。
男の瞳に映った自分の顔がベイゴードで
見た血まみれの私と重なった。
ガキンッ
勢いよく振り落とされた剣を
両手で支えた剣で受け止めると
あまりの重みにビリビリと筋肉が軋む。
身体が仰け反りそうになるのを両脚で
踏みしめる。
「貴方はどうして...っ
そんなに軽々と人を斬れるの」
私の言葉に男は訝しげに眉をひそめる。
「なぜそんな事を聞く
殺られる前に殺る、
奪われる前に奪う。
当たり前のことだろう..っ」
男の言葉に瞠目する。
喉の奥が軋むほど縛られるが、
何とか男の剣を弾き返す。
「はぁ、はぁ、はぁ」
ドクリドクリと脈拍が上がっていく。
脳裏に映像が流れ込んでくる。
あの日の感覚が
鮮明に頭の中で呼び覚まされる。
スレイグの人々、エランデルの騎士達。
“殺られる前に殺る“
男の言葉は真意をついていた。
反論するどころか、
驚くほどにしっくりとくる理由だった。
私が剣を振るう時、
いつもその状況を迫られた。
私が剣を抜く根幹はそこにあった。
「違う、私は貴方とは違う」
私は思い切り相手のアキレス腱に蹴りを入れると男は呻きながら体勢を崩れさせる
そのまま剣を持った両手を斬りつけた。
「うぐぁ ぁあ..」
ピシピシと返り血が頬につく。
「貴方のような人間は剣を持ってはいけない」
心臓が痛いほどに締め付けられる。
まるで私の言葉を否定するように。
心の中で誰かが囁く。
お前がそれを言うのか、と。
激痛に蹲る男の剣を遠くに投げると
頬の血を拭う。
「...クソッ...ってぇ、痛ぇ..っ」
手についた血を瞳に写すと
再び恐怖がやってくる。
ひゅっと息を飲み込むと
呼吸の仕方が分からなくなる。
「この..クソガキィ....ッ!!」
激痛に身をよじらせる男が
瞳を血走らせ向かってくるが動けない。
意識が朦朧とする。
獣のような瞳が私を捉える。
男の姿が私と反芻する。
「来ないで..」
胸の奥で誰かが囁く、
殺せ、殺せと。
「嫌だ、私は違う。
守りたいだけなんだ」
ぐらりと眩暈がして
膝をつくと立つことさえ出来なくなる。
手放した剣を拾おうとするが
カタカタと痙攣して持つことも出来ない。
身体が化石のように固まって、
ヒューヒューとか細く呼吸するだけだった。
男の影が私を覆うと
猛るような殺気で予感する。
殺される。
男が勢いよく私を蹴り上げようとするのが
スローモーションのように見えた。
「..っ!!」
ドゴッ
鈍い殴打音が響くと男は唾液を
口から吐き出して地に伏せる。
伏せた男の影から現れたのはカウンターで
酒を飲んでいたローブの男だった。
「こんな所で見つけるなんてな..ルイ」
ローブの男は膝をつくと私の顔を覗き込み
雄美に微笑んだ。
「アーサー..」
「アーサー先輩だろ?」
アーサーは瞠目した私を見つめると
にこりと無邪気な笑みを浮かべた。
*****
「神様、大丈夫?」
気を失っている褐色肌の男をアーサーに
渡された縄で縛りながら小さく囁く。
「ごめんね、由来、
あの男かなり呑んでたみたいで
急に酔いがまわってきて..」
ローブから顔を出した
神様が申し訳なさそうに私を見る。
「ううん、責めてるわけじゃないよ。
寧ろ神様の力に甘え過ぎてるくらいだし
パールはどこにいるか分かる?」
「酒場の陰に身を隠してるから大丈夫」
「そっか」
私は一息つくとぐちゃぐちゃになった
酒場を見回して溜息を零す。
「こんな暴れるつもり無かったんだけどな..」
「今までどこに行ってたんだ?
みんな心配してるぞ」
不意にアーサーが膝をついて私を見た。
「怒らないの?」
「怒ってるさ」
私の言葉にアーサーは瞳を細めた。
アーサーは怒っているというより
私に同情しているようだった。
そして私の肩に優しく触れると
言い聞かせるように続けた。
「お前だと気づいた時は怒っていた。
連絡もせずに姿を消すなんて、
ましてやお前は光の騎士で、公爵家の長男。
たとえ子供でも責任を
負わねばならない立場の人間だ。
厳しいことを言うが自覚しなければならない」
無言でこくりと頷くと
アーサーはクスリと微笑む。
そして私の腕を掴んで軽々と引き上げた。
唐突に立たされ呆然としていると
ポンと背中を押される。
「早く行け、騎士の応援を呼んだ。
こいつらの事情聴取の為にな。
早くしないと見つかっちまうぞ」
「どうして..っ
怒ってるんじゃないのか?
私はとても身勝手な事をしたんだぞ」
「と、思ってたんだが気が変わったのさ。
何を言ったってお前はまだ子供だ。
たまに心配かけるぐらいが
丁度良いのかも知れないってな」
アーサーはそう言うと
小さなメモを手に握らせた。
「ロアンについて知りたいんだろ?
都合で3日後になるが
そこに書いてある場所で落ち合おう。
俺もルイの力を借りたい。」
アーサーはそう言うとお茶目に人差し
指を鼻に当てて内緒だぞ、と微笑んだ。
「アーサー.....ありがとう」
私はアーサーに礼を言って
酒場から出ると呆然とその場に立ち竦む。
正直、何が起こっているのか理解できていない。
私は手に握らされたメモを見た。
紙には時間と場所が走り書きで書かれている。
私はどうしてか
ホッとして泣きそうになった。
暗い霧の中を今まで歩いていたように感じていたから。
アーサーに正体がバレてしまった今、
由来でいれる時間は残り僅かだろう。
剣の鞘を見ると装飾でつけられた紫の宝石が割れていた。
“殺られる前に殺る、
奪われる前に奪う。”
「あの時、私は何も言い返せなかった」
私が悔恨に揺れる瞳を静かに伏せると
ローブに隠れていた神様が肩に登ってくる。
「由来、明日の船で逃げようか?」
神様の言葉に首を横に振る。
「アーサーから逃げる事は難しい。
此処で腹を決める事にする。
それにさっきの事で気づいたんだ」
空を見上げると大きな月が浮かんでいる。
私は剣を持ち上げて月光にかざした。
「剣のことに向き合うなら
剣を抜くしかないってこと」
壊れた紫の宝石が月の光で哀しげに煌めく。
「やっぱり由来は僕の選んだ女神だね」
神様がボソリと何か呟いたが
耳に届く前に更けた夜の空気の中に
霧散してしまった。




